☾《第18話 闇に咲く花》
夜の街は、光よりも影のほうが多かった。
ビルの隙間で燃えるネオンが、まるで火花のように瞬いては消える。
その下を、ひとりの少女が歩いていた。
髪は乱れ、指先は小さく震えている。
けれど、その瞳だけはまだ燃えていた。
施設の門を出た夜。
扉が静かに閉まった。
施設は16歳までいられる。
ルミナは残り1年以上いられたのだが、自ら施設を出たのだ。
「出ていきなさい」と言われたのではない。
ただ、自分と一緒にいる事で、リアが職員からの扱いが酷くなってると感じたからだ。
ルミナを慕う子達もたくさんいたが、皆、職員達の顔色を気にして誰も見送らなかった。
風の音だけが、ルミナの背を押した。
背中を押したのは自由じゃなく、扉の冷たさだった。
(リア……泣かないで。もう少しだけ待ってて。私は、あなたを守れる場所を見つけるから)
そう心で呟きながら、ルミナは薄闇に溶けていった。
夜の闇は、ルミナを暖かく迎え入れなかった。
風は冷たく、アスファルトは硬い。
施設の壁の外は、『自由』という名の、何の保証もない無法地帯だった。
彼女は、リアの夢を叶えるための資金も、今夜を凌ぐための寝床さえ持っていなかった。
その夜、ルミナは初めて公園のベンチで、星のない空の下、毛布もなく夜を過ごした。
朝が来ても、飢えと疲労は消えない。
孤独と外の世界の厳しさが、たった一晩で彼女の身体と心を蝕んでいった。
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そして数日後。
空腹と眠気を抱えながら、ルミナは裏通りをさまよっていた。
その姿を見つけたのは、レイトだった。
目の前で立ち、煙草をくゆらせ、眉をひそめる。
「ルミナ!お前、探したんだぞ!施設を追い出されたんだって?顔が死人みたいだぞ」
「……追い出されたんじゃないわ。自分から出たのよ。まぁ遅かれ早かれ追い出されてたでしょうけどね」
「はっ、それもその子のためを思ってか?妹想いだねぇ、なんでそこまでするんだ?」
彼はポケットから小さな包みを取り出し、ルミナの手に押し付けた。
中には数枚の紙幣とパンの袋。
「妹だからよ。それに、私が大事って思える子だから。たった1人の身内だし。で?ところでこれ何よ?」
「食い物と金だよ。何も食ってねぇと身体が持たねえぞ。外の世界ってのは、生きるにも金がかかる」
それが、ルミナの始まりだった。
生きるための悪事。
守るための堕落。
最初は、ただ見張るだけ。
次に、荷物を運ぶ。
そして、恐喝の立ち会いに変わる。
一線を越えるたび、何かが削れていくのを感じた。
(私は今、どんな顔をしてるんだろう…
これでいいのだろうか…)
でも、胸の奥にはひとつだけ変わらない灯りがあった。
それはリアの笑顔。
リアの未来。
リアのために、どんな汚れでも受け入れると決めた夜から、
ルミナはもう一度、あの言葉を繰り返していた。
(誰かを守るための罪なら、神様は今だけは許してくれる…勝手にそんな気がしてた。)
しかし、その言葉は、ルミナの胸の奥で、鉛のように重く沈んでいった。
その夜も、ルミナは夜風の当たる壁の影に座り込み、リアのいる方向に向かって手を合わせた。
その手が、恐喝で得た汚れた金を握っていた事実は、彼女の祈りを、醜い自己欺瞞に変えてしまう。
ルミナは稼いだ僅かな金を、リアに気づかれないよう、施設のリアの下駄箱にそっと忍ばせた。
リアの笑顔が見たかった。
ルミナが今、リアにしてやれる事は汚れた紙幣と、自分の孤独な影だけだった。
リアの光のために、自ら闇を深く歩く。
その孤独な選択が、季節の変わり目にある冷たい雨や、街灯の灯りの下で、ルミナを静かに蝕んでいった。
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そして、あれから一つの季節がまた過ぎていった。
施設の中では、リアが一枚のノートを抱いて暮らしていた。
姉がいなくなった後の食堂は、音が少なかった。
誰もルミナのように笑わず、誰もルミナのように守ってくれなかった。
お姉ちゃんに会いたい…
そのために強くなろうと頑張っていた。
ある夜、玄関のリアの下駄箱に封筒が置かれていた。
差出人の名前はない。
でも、封の中の紙幣と、折りたたまれた小さなメモがすべてを物語っていた。
「夢のために貯めておきなさい」
字は、少し震えていた。
(あ…この字は…)
リアは涙が落ちた。
(お姉ちゃん……これ、どうやって……?)
喜びよりも、怖さが先に来た。
(お姉ちゃんはきっとまたどこかで傷ついてる。
私には『光を見るべき』って言ったのに。
自分を闇に落としてまで、私を照らそうとしてるんだ絶対…)
そんな幸せ、欲しくない。
(辛くても苦しくてもいい…私はお姉ちゃんと一緒にいたい…)
リアは封筒をもう一度開き、
底のほうにもう一枚、小さな紙片があることに気づいた。
折り目だらけのその紙には、見覚えのある丸い文字でこう書かれていた。
『普段一緒にいれないけど、私がちゃんと見てるからね。あなたは私がいるから1人じゃない!だから頑張ってね!』
文字のインクの線が涙で滲み、ゆらゆらと揺れた。
それはまるで、ルミナの声そのもののように聞こえた。
リアは唇を噛みしめ、
その小さな紙を胸に押し当てる。
「お姉ちゃん……」
心の奥が熱くなって、痛いほど優しかった。
「お姉ちゃん……見ててね。
私、もう泣かないように頑張る。いつも笑顔で笑うんだ。だって、お姉ちゃんが、ちゃんと見ててくれるから」
涙の跡を拭いながら、リアは窓の外を見た。
夜明け前の空が、少しだけ白く滲んでいた。
リアはノートを胸に抱き、決めた。
(行こう!お姉ちゃんを迎えに行く!
私の光は、私だけのものじゃない)
リアは夜になるのを待った。
小さなリュックに、ルミナからの汚れた紙幣と、夢が書き込まれたノートだけを詰め込む。
お姉ちゃんが教えてくれた『強さ』はまだ持ち合わせていない。
あるのは
『大好きなお姉ちゃんに会いたい』、
『いなくならないで』、
この2つの想いを胸を締めつける叫びだけ。
施設を抜け出すのは簡単だった。
でも、外の世界はあまりにも広く、そして冷たかった。
リアの頬を叩く夜風は、孤独の匂いがした。
(お姉ちゃんは、ずっとこの冷たさの中で一人だったの?)
施設の職員に怯えるよりも、ルミナが自分を汚してまで稼いだお金を握りしめる方が、リアにとっては『罪』に感じられた。
その罪悪感とお姉ちゃんに会いたいと思うその心こそが、リアを前へ進ませる原動力となった。
ルミナがいつも消えていった闇の方向へ。
震える足で歩きながら、リアはノートを抱きしめた。
光の夢も、温かい思い出も、すべてを道標にして。
冷たい雨の夜。
リアは街を彷徨い、ルミナが行きそうなところを、手当たり次第探した。
見つけられず1人でしゃがみ込んでいると、
ルミナの声が微かに聞こえた。
(はっ!…この声は!お姉ちゃん!)
声がした方へ、一目散に走り出す。
そこは廃墟の建物、壁に落書きと錆びた看板。
その中で、ルミナが男を地面に押さえつけていた。
拳が震えている。唇から血の味。
リアは息が詰まって、声が出せなかった。
(お姉ちゃんが……誰かを傷つけている)
目の前で起きていることが、あまりにも酷く、冷たく、絶望的だった。
「ルミナお姉ちゃん……?」
一瞬で、世界が止まった。
ルミナの紫の瞳に、後悔と絶望、そして一瞬の恐怖が交差する。
次の瞬間、男がルミナの手を振りほどき、雨の中へ逃げ出した。静寂が戻る。
「……リア…どうしてここにいるの…」
ルミナの声は、初めて聞くほど震えていた。
リアは、ルミナの腫れた拳から目を離せない。
「なんで……なんでこんなこと……?」
ルミナは答えなかった。
ただ、雨に打たれながらリアを強く抱きしめた。
(見せたくなかった。この姿だけは、リアにだけは見せたくなかったのに)
「リア、あなた施設はどうしたの?」
ルミナは抱きしめたまま、その小さな背中を離した。
リアは、ルミナの紫の瞳をまっすぐに見つめた。
その瞳には、恐怖も、非難もない。
ただ、切なすぎるほどの安堵と愛情だけが宿っていた。
「……お姉ちゃんが、いなかったから」
その一言が、ルミナの胸に深く突き刺さった。
「私が施設を出た後、毎日毎日、お姉ちゃんがどこで、どんな痛いことをしてるんだろうって、そればっかり考えてた。お姉ちゃんがくれるお金は、私を助けてくれたけど、お姉ちゃんがきっと苦しんでるって思ったら嬉しくなかった」
リアの声は震えていたが、決して泣かなかった。
「私には光の道にいなさいって言ったのに、お姉ちゃんはどんどん暗いところに行っちゃう。だから、私が来たの。お姉ちゃんを、一人にしないために」
リアは、震える指先でルミナの頬についた雨の雫を拭う。
それは雨ではなく、ルミナの罪の涙のように見えた。
ルミナは何も言えず、リアをただ見つめた。
この愛が、自分を闇から引き戻す唯一の光なのだと知った。
それからの日々は、不思議と穏やかだった。
レイトが食料を運び、錆びたストーブの前で二人は寄り添う。
リアは笑った。
「やっぱりお姉ちゃんは世界で一番かっこいい」
リアがそう言うと、ルミナは目を伏せ、笑えなかった。
昼過ぎの時間、リアは街角のパフォーマーを見つめていた。
光に包まれたダンサー。
観客の拍手。
その中にいた一人の少女を見つめながら、リアが小さく呟いた。
「人を笑顔にできる人になりたい……」
その声に、ルミナの胸が締めつけられた。
(この子は、光だ。私がどんなに闇を歩こうとも、この子だけは汚させない)
ルミナはリアのノートに書かれた夢を見つめた。
人を笑顔にする、光の場所。
それは、今、ルミナが最も遠ざかっている場所だった。
「リア。あなたならきっとできるわ」
「ほんと?」
「ええ。だから諦めないで前だけを見てるのよ。……決して後ろを振り向いちゃダメ!」
リアの瞳が輝いた。
その光は、どんな月よりも優しかった。
──そして夕暮れ時。
ルミナは外に出て、目を閉じ、風を浴びていた。
遠くには暗くなりかけの空に街のネオンが滲む。
背後から、リアの声。
「お姉ちゃん……寒いよ」
振り返ると、リアが毛布を抱えていた。
ルミナは微笑み、その肩にかけてあげる。
「リア。私ね、いつかこの街を出たいの。でも、出る前にやらなきゃいけないことがあるの」
「危ないこと?」
「さぁ、どうかしら」
リアは泣きそうな顔をして、それでも笑った。
「じゃあ、私も連れてって」
「……バカね」
「バカでいいもん」
ふたりの笑い声が、夜風に溶けた。
フェンスの向こうで、街灯の光が小さく揺れる。
ルミナが何か思い出したようにカバンから飲み物を取り出した。
「リア、いちごミルク一緒に飲もっか。とっても美味しいからリアも気にいると思うよ」
ルミナとリアは交互にいちごミルクを飲んだ。
「美味しいー。凄い美味しいねこれ」
リアは目を輝かせながら言って、ルミナの方を見た。
「ほらね、気に入ったでしょ。じゃー残りはリアに全部あげるから飲んでいいよー」
ルミナは笑顔で頭を撫でてくれる。
「リアは甘い物が好きだもんね」
リアは笑顔でルミナに答えた。
「うん。甘いの美味しい。お姉ちゃんありがとう。私、いちごミルク大好き」
この日からリアはいちごミルクが大好物の飲み物になった。
ルミナと一緒に飲んだ、いちごミルク。
それはリアにとって幸せの飲み物として心に刻まれた。
ルミナがふと立ち上がった。
「リア、たまには2人で散歩でもしよっか」
ルミナは外に向かって走り出した。
リアが笑顔で追いかける。
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──夕陽が差す夕暮れ時。
「待ってよぉ〜お姉ちゃん」
ルミナが振り返り、笑顔で答える。
「ほら、こっちおいで」
そこには2人の確かな絆が分厚くなっていった。
ルミナは空を見上げる。
(光は遠い。私だって本当は光を追いかけたい……でも、私は掴めない……。リア、私の分まであなたが光を掴んでね)
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──その夜。
その夜、二人は錆びたストーブの前で、レイトが持ってきた硬いパンを分け合った。
リアは、薄いスープの温かさと、ルミナの隣にいるという安心感から、久しぶりに心からの笑みをこぼした。
ルミナは、リアが夢について熱く語るのを黙って聞いていた。
その横顔に、もう孤独や恐怖の影はない。
ルミナが闇で引き受けている痛みが、リアのこの『普通の時間』を作り出している。
「ねぇ、お姉ちゃん、これも飲んで」
リアが自分のスープをルミナの器に少しだけ移した。
ルミナは何も言わず、その温かさを飲み干した。
その味は、どんなに外の世界で手に入れたお金よりも、ずっと価値のあるものだと知っていた。
光は闇の中に咲く。
そしてその花は、たとえ血に染まっても──誰かを照らす。
次回
《PROJECT♾️HEART-X 第19話》
(ルミナ編 第7話::黎明の誓い)




