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PROJECT♾️HEART-X─その涙に宿る心と絆─  作者: 陽月勝也
【第一章: (裏)☾ルミナ・ミラード─ 月影に揺れる蒼光】      ─ 月影の誓い─ ルミナ編
19/26

☾《第17話:堕ちる光、芽吹く闇》


──夜。


夜、目を閉じると最初に来るのは匂いだった。

鉄と湿った土、割れたビンの甘い蒸気。

喉の奥で、かすかに血の味が広がる。

手の甲に触れると、薄い膜みたいな痛みがまだ残っていた。


(守ったはずなのに、なぜか胸が痛い……)


挿絵(By みてみん)


ベッドの下段では、リアの寝息が浅く揺れている。

泣き腫らした瞳を隠すみたいに、ノートを抱いたまま眠っていた。

ルミナは上段から身を乗り出し、その髪に落ちる月明かりを眺めた。


(大丈夫。私がいる…私が)


言葉の途中で思考が沈む。

昨夜の音が耳の奥で蘇ってくる。

殴る音、骨が擦れる音、遠くのサイレン。

自分の拳が触れた後の相手の生々しい体温。


守るはずの行為が、相手の痛みを生むという当たり前の事実が、今になって胸の裏で軋んだ。


夢の中で、誰かが笑った。


『だけどよ、光ってのは暗い場所にある方が綺麗なんだぜ!』


レイトの声。

夜風に溶ける煙の匂いと一緒に、その言葉だけが薄く残っていた。



──朝。


朝、食堂のざわめきは、いつもより少し冷たかった。

ルミナが入ると、子どもたちの視線が一瞬だけ逸れ、すぐ戻る。


職員が低い声で囁き合っているのが聞こえた。


「昨夜、外に」


「また問題を起こして……」


「警察がどうとか……」



トレイを置くと、向かいでリアがぎこちなく笑った。

目元は腫れて、まだ赤い。

無理に明るく見せようとして、声が裏返る。


「お姉ちゃん、今日のスープ、ちょっと味濃いね」


「そうね。飲みすぎると喉が渇いちゃうわね」


それだけ言って、ルミナはパンをちぎる。

沈黙が、スープの湯気と一緒に立ちのぼる。

リアは何度か話しかけようと口を開き、結局ノートに視線を落とした。

ページの端を指で撫でる仕草が、いつも以上に小さく見える。


(近づけない。私の手は、今、温かくない)


金属トレーの音がパシャリと跳ね、食堂の奥で職員が厳しく呼んだ。


「ルミナ。職員室へ来なさい」


空気がすっと凍る。

リアが小さく身を乗り出した。


「私も行く!」


「いいの、リアはここにいて」


ルミナは立ち上がり、紫の瞳で一度だけリアを見た。


「大丈夫。ね!すぐ終わるから」


それが強がりだと、お互いに知りながら。



──職員室。


冷たい蛍光灯が書類の端を白く光らせ、机の木目がやけに硬く見えた。

年長の職員が腕を組み、眼鏡の奥で目を細める。


「昨夜、外出したのは事実だね?」


「はい」


「どうやって外に出たの」


「窓からです」


「何をしていたの?」


「ちょっと散歩に」


このやり取りの数秒の間。

空調の吐息だけが天井で不気味に回っていた。



「目撃したとの事で通報があったのよ。その子の特徴があなたとそっくりなの。裏通りで未成年の暴力沙汰。あなたの年齢で、夜間に、男たちと喧嘩をしていたそうじゃない。喧嘩をふっかけたんですって?何を考えてるのあなた」


「違う!私は喧嘩なんか売ってない。ただ、絡まれてやられてた人を助けただけ」


職員は、まるで汚いものを見るかのように、ルミナの言葉を遮った。


「嘘おっしゃい! つくなら、もっとまともな嘘を言いなさい」


真っ向から否定され、ルミナは口を閉ざした。


(どうせ、信じてもらう価値もない人間と、この大人は決めている。言い訳なんて…私の言葉は響かない…)


「あなたは、ここにいる子どもたちに悪影響を与えている。

正直に言うわ。16歳になったら、ここを出てってもらう。状況によっては、それを早める選択肢だってあるのよ」


喉の奥で、音が軋む。

怒りは熱じゃない。

冷たい氷柱になって胸の真ん中に突き刺さる。


「私が外に出たら、あなたたちは楽になる。そう言いたいのね」


職員たちはルミナの痛烈な言葉にピクッとしたが、それ以上は取り合おうとせず、冷たくはぐらかした。


「ふん、勝手なことを言いなさい。とにかく、反省しなさい!」



ルミナは心の中で、静かに思った。


(都合の悪い事は隠すのね…そういうもんよね、大人は…)


ルミナが背を向けた時、扉の影で、小さな人影が震えていた。

リアだった。

握りしめたノートの角が、白くつぶれている。



「ル、ルミナお姉ちゃんは嘘なんかつかない」


掠れた声で、必死に言葉を繋ぐ。


「お姉ちゃんは、きっと私を守るために……」


「リア、いいの!いいのよ……」


ルミナは首を振った。


「これは私の問題だから」


リアの足元で、影が小さく縮む。

職員は露骨にため息をつき、書類をひっくり返した。


「午後、警察に報告する。状況次第では、指導のために短期の保護観察施設も頭に入れておきなさい」


言葉の最後は、ドアの閉まる音に攫われた。

ルミナは振り返らなかった。

廊下の窓の外は晴れているのに、色がやけに薄い。


(檻の中の空が、いちばん無色だわ)



──裏庭。


フェンスの金網に指をかけると、薄い錆が爪に移った。

昼の風は軽いのに、胸の中は沈むばかりだ。



背後から足音が聞こえ、リアが小走りに近づいてきて息を弾ませた。


「お姉ちゃん、行かないで。どこにも……!」


リアの目は赤く、声が激しく震えている。


「昨日だって……帰ってこないんじゃないかって、ずっと心配してて…」


ルミナは、わざと肩をすくめて笑ってみせる。


「バカね。ちゃんと帰ったでしょ」


リアは俯き、胸元でノートを強く抱え、さらに一歩近づく。


「怖かったの…。私、強くなるよ。泣かないよ。だから一緒にいて」


フェンスが、風にカランと鳴る。

ルミナは息を吸い、吐き、言葉を選ぶみたいにゆっくりと口を開いた。


「リア。強くなるって、泣かないことじゃないのよ。泣きながらでも、一歩ずつ進めること。あなたはいつも頑張ってる」


リアはルミナを見つめる。


「じゃあ、私も…」


ルミナはリアの言葉を静かに受け止め、遮るようにゆっくりと答える。


「リアの進む道と、私の行く場所は、たぶん違う」


その瞬間、リアの瞳が大きく揺れた。

言葉が刃になると知りながら、ルミナはあえて角度を変えずに言葉を投げる。


「リア、あなたは光を見るべき。私は、光の届かない場所を歩く」


リアは小さく首を振る。


「やだ。やだよ…」


涙が溜まって、溢れそうになるのを必死で堪えながらリアが叫んだ。


「私がいるからって言ってくれたの、嘘だったの!?」


胸の奥が、鈍く軋んだ。


(嘘じゃない。だけど嘘にして、私がすべての汚れを引き受ける)


ルミナは静かに目を伏せた。


「私がいるから、大丈夫。あなたの前には、絶対に汚いものを出さない。だから、私を信じて、私がしてる事を見ないで……。」


しばらく重い沈黙が続いた。


風が行き過ぎ、フェンスがまた鳴る。

リアはノートを抱きしめたまま、何も言えなくなった。



──その夜。

外の道でバイクの低い鼓動が、施設の壁に吸い込まれて震えた。

ルミナが窓を押し上げると、冷たい空気が頬を撫でる。


(また行くの?)


心の声が、自分自身に問いになって返ってくる。


(行く!見て、知って、選ぶ!私とリアのために)


足を窓枠にかけた時、背中から小さな囁きが聞こえた。


「お姉ちゃん」


振り向くと、暗がりの中でリアが起きていた。

ノートを胸に、足を床につけたまま立ちすくんでいる。


「……行くの?」


「少しだけ」


「帰ってくる?」


「必ず帰るわ」


嘘じゃない。

ただ、帰ってくるたびに、少しずつ自分の何かを外に置いてくるだけ。


リアは一歩踏み出し、でも、それ以上は近づかなかった。


「ひとりにしないでって言ったの、覚えてる?」


ルミナは静かに頷いた。


(大人なんて、あてにならない。リア、あなたがちゃんと前に進んでいける、そんな環境を私が作ってあげるわ)


窓の外は激しい夜風。

ヘッドライトの帯が遠くで交差して、闇の中に白い線を描いていた。



──裏通り。


自販機の明かりが四角く地面を切り取り、薄い蛍光がアスファルトに滲んでいた。

そこに、バイクの影が四つ。


レイトは壁にもたれ、煙草を指に挟んでいた。


「やっぱ来たか、ルミナ!」


ルミナは肩を竦める。


「うるさいわね。で、今夜は?」


レイトは煙を吐き、顎で路地の奥を指した。


「見せたいもんがある。『力』ってやつの、別の使い方だ」


同じ『力』でも、ただ無闇に殴るだけじゃないことをレイトは静かに示した。


痩せた少女に自販機の飲み物を押し付け、代わりにたかりに来た男の腕を鮮やかにひねり、逃がす。

怒鳴らず、殴らず、目を見て、通す。

路地にいる連中は、レイトの姿を見ると一斉に道を空けた。


「なんで殴らないの?」


「殴るのは簡単だ。それを続けるのも簡単だ。

だがな、暴力ってのは暴力で返ってくる。

それ以上でもそれ以下でもない。そして何も生まない。

それが続いたあとに何が残るかを考えられない奴は、いずれ潰れる」


レイトは真剣な目だった。


「お前はこのままじゃ潰れる。お前を見てるとどうも見過ごせなくてな」


「どうして私にそこまで教えてくれるの?」


レイトの顔がかすかに曇り、発したのは一言だった。


「まぁ、色々とな…」


足を止めると、遠くでサイレンが通り過ぎた。

そしてレイトは声を落とす。


「お前、施設から出るのか?あそこにいた方が安全なんだぞ。わざわざ自分から茨の道を選ぶ必要ねーだろ。よく考えて選べ。あそこの安全地帯にいるか、外の無法地帯にで出て外で傷だらけになりながら進むか」


ルミナはレイトのグレー色の瞳をまっすぐに見つめ返し、ゆっくりと言い放った。


「私は、自分が良ければいいとか、今が楽しければいいとか、そんな子供みたいな理由でこの道を選んだわけじゃない。妹のためなの。あの子のためなら、私は闇に堕ちてもいい」


その言葉を聞いた瞬間、レイトの目が見開かれた。彼は、ルミナの言葉の裏にある重すぎる覚悟を、肌で感じ取った。


「そうか…。わかったよ。ほんと、たいした女だぜ、お前はよ。だけど、それがルミナって女なんだろうな」


レイトはポケットに手を入れたまま、ルミナの紫の瞳を見つめながら、心の底で静かに呟いた。


(こいつ……いったいどんな環境で生きてきたんだ。ただの女じゃねぇ。あの瞳……覚悟がヒシヒシ伝わってきやがる。なんて女だ)


レイトはバイクに跨がり、不敵に笑った。


「お前が歩く道に、オレはついていける、そんなとこだ」


答えの前に、風が頬を撫でた。

言葉より先に、身体が外の温度を確かめる。

冷たくて、生きている匂い。


(帰るって約束した。帰る。でも、私は、もう立ち尽くすだけの私じゃない)



──帰り道。


戻る道は、来た時より暗く感じた。

施設の壁が見え始めたところで、物陰に小さな影があるのに気づく。

裸足でパジャマ姿で立っている、女の子。


それは、涙を流しながら立ち尽くすリアだった。

月の光だけが、頬の涙の跡を薄く光らせている。


挿絵(By みてみん)


「……リア!起きて待ってたの?…」


息が震える。

ルミナは歩みを緩め、二人の間に流れる夜風を意識した。


(この子は、私がいなければきっと永遠に泣き続ける。リアの夢のためなら、私は何度でもこの闇に堕ちる)


「ごめんね…心配してたの?帰るって言ったでしょ?」


ルミナがリアを強く抱きしめた。


「うん……」


リアは頷き、小さく笑おうとして、うまくいかなかった。

目の前にいるのに…側にいるのに…そして体温は伝わるのに、心はとても遠い。


「でも……いなくならないで」


ものすごく胸に刺さる。

もう何度も言われてるこの一言は、何度聞いても全然慣れなかった。


「いなくなったりしないわ。いなくなるのは、あなたの前から汚いものだけ」


リアは唇を噛む。


「それ、ずるい……」


涙がぽろりと落ちた。


「私、全部見たいのに。お姉ちゃんのこと、もっとちゃんと知りたいのに。

私,お姉ちゃんが大好きなんだもん!」


言葉が、胸の内側から溢れそうになった。


(見せれば、リアは傷つく。隠せば、私が離れていく…)


二択じゃない道を探すみたいに、ルミナは夜空を見上げた。


「リア、私を信じて」


声が少し掠れた。


「リアはね、光の側にいなさい。

そこから出ちゃダメ!いい?私にできるのは、影で風を受けることだけ」


リアは泣き笑いの顔で、ノートを強く抱きしめた。


「お姉ちゃん…ずるいけど……信じる」


静かな抱擁はなかった。

二人の間に、冷たい夜風だけが通り過ぎていく。

それでも、その風はもう檻の風じゃない。

選んだ者だけが吸い込める、冷たい自由の匂いだった。



──翌日。


職員室での話し合いは決裂寸前で止まった。

警察沙汰は証拠不十分で保留となった。


だが、噂は施設中に広がり、ルミナに向く視線はさらに増えた。


畏れと、憧れと、軽蔑と、羨望。

全部が混じって、それは一つの重い空気となる。



そしてその夜…。

二段ベッドの上で、ルミナは月を見上げていた。

拳をゆっくり握り、開く。


(殴るのは簡単。続けるのも簡単。でも続いたあとに何が残るかを、考えられる私でいる)


リアの寝息が、昨日より少しだけ深い。

身じろぎの音がして、薄く寝言が落ちる。


「……待ってよ、お姉ちゃん…おいてかないで…」


ルミナは暗闇の中で、そっと目を閉じて微笑んだ。


(ちゃんと待ってるわよ。リアには笑顔が似合う。この優しい笑顔を、私が守ってあげたい……)


声には出さない約束を、胸の底で深く結ぶ。

窓の外、月影が床に長く伸び、静かに揺れていた。


光は落ちて、闇に芽吹く。

その芽は、まだ小さく、しかし確かだった。

足音はもう迷わない。


そして、ルミナは音もなく、次の夜へと歩き始めた。

《PROJECT♾️HEART-X 第18話》

(ルミナ編 第6話:闇に咲く花》

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