☾《第14話:小さな灯火》
──朝。
朝の食堂は、まだ眠たげな子どもたちのざわめきに包まれていた。
冷えたパンと薄いスープの匂いが漂う中、リアは隅の席に座り、両腕でノートを抱え込んでいた。
他の子どもたちの輪に入る勇気が出ない。
ノートの表紙に爪を立てるようにして、自分を守ろうとする。
「……また隅っこにいたの?」
不意に声がして、リアが顔を上げると、トレイを片手にしたルミナが立っていた。
蒼っぽい髪のボブが蛍光灯の下でさらりと揺れ、紫の瞳が凛とした光を帯びている。
「……あ、お姉ちゃん、えっと……」
リアは小さな声で答えようとしたが、声にならなかった。
ルミナはまったく気にした様子もなく、当たり前のようにリアの隣に腰を下ろした。
パンをちぎり、ひと口。
「一人で食べてもつまらないでしょ」
ぶっきらぼうな口調なのに、不思議と温かい。
「……うん」
リアはぎこちなく笑い、小さくうなずいて、張り詰めていた心が少しだけ解けるのを感じた。
その笑顔はまだ弱々しいが、確かに胸の奥に小さな灯がともった瞬間だった。
その時、リアがパンをぎこちなくちぎろうとして手を滑らせ、床に落としてしまった。
すぐに周囲の子どもたちから、意地悪な笑い声が漏れる。
「ダッサー、パン落としてやんのぉー」
「また泣くんじゃない?」
リアの顔が赤くなり、目に涙が浮かぶ。
だがルミナは慌てることなく、落ちたパンを拾うと、口元でフーっと息を吹きかけてリアのトレイに戻した。
そして、周囲を冷たく見据えて言い放った。
「食べ物を笑うなんて、下品ね」
その瞬間、空気が一変した。
笑っていた子どもたちの口が閉じ、誰も言葉を続けられなかった。
リアは息を呑み、心臓が大きく跳ねる。
ただ隣に座ってくれるだけでなく、圧倒的な行動で自分を守ってくれている。
リアの胸の奥に、ぽっと小さな灯火がともったのは、確かにこの瞬間だった。
その日から、ルミナがリアの隣にいることが、施設でのリアの当たり前の日常になった。
ルミナが目を光らせている間は、男子たちも冷たい視線を向けることしかできない。
施設の廊下、教室、そして庭。
ルミナは、リアの唯一の『盾』として、常にその存在を確立させていった。
そして昼下がり、太陽が西に傾きかけた放課後の庭。
遊具の前では、年長の男子たちが我が物の顔でブランコを占拠していた。
他の子どもたちは遠巻きに見ていて近寄れない。
しかし、ルミナは迷わず男子たちの方へ向かって歩いていった。
「ちょっと、あんたたち。みんながブランコ乗りたくて待ってるんだから、ずっと占領してんじゃないわよ。もうどきなさいよ」
ルミナは男子の一人を肩で押し退け、そのままブランコに堂々と腰を下ろした。
「なんだよ!」
男子たちは怒鳴ったが、ルミナの鋭い瞳に睨まれるとすぐに口をつぐんだ。
紫の瞳は氷の刃のように冷ややかで、それでいて誰も逆らえない威厳を放っていた。
リアは少し離れた木陰で、その様子をじっと見ていた。
胸にあるのは、眩しいほどの憧れ。
ルミナがリアの方を振り返る。
「なに突っ立ってるの。リアもこっちに来なさいよ」
「あ……うん……」
ルミナがブランコの隣を軽く叩くと、リアは戸惑いながらも歩み寄り、その隣にちょこんと腰を下ろした。
ブランコの鎖がきしみ、二人の影が夕陽の中で並ぶ。
リアの口元に、ほんのり笑みが浮かんだ。
これが『楽しい』という気持ちなのだと、初めて知った気がした。
その時、引き下がれない男子の一人が遠くから皮肉を投げつけてきた。
「姉妹そろって仲良しごっこか? 姉ちゃんに守ってもらわなきゃ何もできねぇんだろ!ダッセーな」
ルミナは無表情でそちらを振り返り、冷ややかに鼻で笑った。
「……群れないと強がれないなんて、あんたの方がダサすぎて、みっともないわね」
それを見ていた周囲の女子からクスクスと笑い声が起きた。
男子は顔を真っ赤にして黙り込み、恥ずかしさに耐えかねたように走り去っていった。
その様子を、数人の女子たちが遠巻きに見つめていた。
彼女たちの瞳には、ルミナへの畏怖だけでなく、自分たちの居場所を確保してくれる強者への強い憧れが宿っていた。
ルミナがそこにいるだけで、自然と彼女を中心とした新しいルールが遊び場に生まれ始めていた。
(お姉ちゃんって、やっぱりかっこいい)
リアは思わず息を呑み、胸の奥にその憧れを深く刻み込んだ。
日が沈むまで、二人は並んでブランコを漕いだ。
ルミナの隣は、リアにとって唯一、『世界が優しい』と感じられる大切な場所だった。
施設での生活は単調だったが、ルミナと一緒なら、冷たいコンクリートの部屋もどこか『家』のように温かく感じられた。
ルミナは時には勉強を教えたり、職員には言えない施設の『裏のルール』を教えてくれたりした。
リアにとってルミナは、単なる姉ではなく、失った家族の温もりそのものだった。
やがて消灯時間となり、夜、静寂に包まれた二段ベッド。
下段でノートを抱きしめていたリアが、ぽつりと呟いた。
「……私ね、いつか踊ったり、歌ったりしたいんだ」
ルミナは上段から身を乗り出し、リアの顔を覗き込む。
「踊る?」
「うん……お母さんと一緒にノートに書いたの。いつか、みんなを笑顔にできる人になりたいって……」
リアの声は少しだけ震えていた。
夢を笑われるのが怖いから、誰にも言えなかった秘密。
ルミナはしばらく黙って妹の話しを聞いていたが、やがて静かに口を開いた。
「夢なんて、そんな簡単に叶うもんじゃないわよ」
リアの肩がしゅんと落ちかけた、その時。
「……でもね、叶わないと決まったわけじゃないの。簡単に叶うもんじゃないから、みんな必死に頑張って成し遂げようとするの。夢を抱くってとっても大事な事だし、素敵なことよ。リアがもしやるなら一番になりなさい。大丈夫!私がちゃんと見ててあげるから。あなたならきっと叶えられる。
だから夢を抱いてるなら簡単に諦めちゃダメよ」
思わず顔を上げたリアの瞳に、ルミナの真剣で真っ直ぐな眼差しが映る。
その瞳は、誰よりも強く、真っ直ぐだった。
リアは胸が熱くなり、無意識にノートをぎゅっと抱きしめた。
『ドドドド……!』
その時、消灯後の静かな施設に、窓の外から激しいバイクの爆音が響き渡った。
街道を何台ものバイクが猛スピードで駆け抜けていく。
遠くで瓶が割れる音、下卑た笑い声や怒鳴り声が混ざり合って流れ込んでくる。
窓ガラスがガタガタとわずかに揺れ、施設の子どもたちが布団の中で怯えて泣き出した。
リアも布団をぎゅっと握りしめ、震える声を漏らす。
その後にはパトカーのサイレンが尾を引き、夜の街は混沌そのものだった。
「なに……この音? 怖いよ……」
ルミナは上段のベッドから起き上がり、窓辺へと近づいた。
ルミナはカーテンを少し開け、ヘッドライトが闇を切り裂き、夜の街を荒らしていくバイクの群れをジッと見つめる。
「バイクが何台も走ってるわね」
ルミナは呟いたその声音には、わずかな軽蔑と……どこか惹かれるような、冷たい好奇心の響きが同居していた。
(あいつらは、誰のルールにも縛られてない。自分でルールを作って、力で生きている……。弱さは嫌い。この施設みたいに、大人の作った枠の中で、ただ順番を待っているだけじゃ、私もリアも未来は作れない)
布団を頭からかぶって怯える子どもたちを見下ろしながら、ルミナは心の奥で激しく決意を固めていた。
「……力がなきゃ、大人だって誰も守ってくれない。力がある奴が、外の世界を動かしてる。弱いままじゃ、全部奪われてしまうだけ」
月明かりに照らされたルミナの横顔は、とても少女とは思えないほど冷たく鋭かった。
リアは胸がざわつきながらも、その横顔をじっと見つめていた。
ルミナは窓辺から離れると、静かに下段へと降りてきて、リアのベッドの脇に腰掛けた。
「ほんと怖がりね」
その言葉に、リアは息を呑み、小さく呟いた。
「……でも……お姉ちゃんは、そういう人にはならないよね?」
ルミナは少しだけ笑い、闇に目を向けたまま答えた。
「さぁ……どうかしら」
紫の瞳が、夜の闇の中でわずかに光を宿す。
ぶっきらぼうに言いながらも、その声は冗談めいていたが、どこか危うい影を含んでいた。
目の前にいるルミナは、まるで何年も孤独で生き延びてきた大人のようだった。
ルミナはリアを優しく抱き寄せ、その背中をトントンとゆっくり叩く。
「いい?怖くても、あんたは私が守る。夢だって絶対に叶えさせてあげるから、心配しないでもう寝なさい」
ルミナの温かい優しさに包まれ、リアは深い安堵の中で眠りに落ちていった。
月影だけが、二人の静かな誓いを見つめていた。
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そして翌日。
廊下で、女子グループがリアのノートを奪い取っていた。
「なにこれ、子供の落書きじゃん」
「こんなので夢とか笑わせる」
リアは必死に取り返そうとするが、小さな体では敵わない。
涙が頬を伝い、喉の奥がつまる。
「やめて!私のノート返して……!」
その声に割って入ったのは、ルミナだった。
「夢を笑う奴は最低よ」
静かな一言。
だが紫の瞳は炎のように光り、女子たちは思わずたじろいだ。
リアのノートを奪った少女は、手を震わせながらノートを差し出す。
「ご、ごめん……」
リアは泣きながらノートを胸に抱いた。
そして震える声で言った。
「お姉ちゃん……ありがとう…」
ルミナは少しだけ目を細め、リアの手を軽く握った。
「……ったく。ほんと泣き虫なんだから」
だがその声は、どこまでも優しかった。
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──あれから数日。
ルミナの圧倒的な強さと、決して男子に屈しない姿を見た施設の女子たちは、いつしかリアの周りにも集まるようになっていた。
「リアちゃん、そのノート見せて! お歌の練習してるの?」
「うん……いつか、みんなを笑顔にしたくて」
かつては笑われるのが怖かった宝物のノートを、今は恥ずかしそうに、だけど誇らしげに広げることができる。
誰もリアを泣かせようとはしない。
ルミナが勝ち取った『力』が、確実にリアの周囲の世界を優しく変え始めていた。
リアは優しく握られたノートを見つめながら、心の中で微笑んだ。
(やっぱり……私、お姉ちゃんがいてくれてよかった)
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そして施設の消灯時間…
天井の蛍光灯が落ち、薄暗い部屋を月の光だけが照らしている。
ルミナは上段のベッドで、静かに目を開けていた。
下の段からは、リアの穏やかな寝息が聞こえてくる。
カーテンの隙間から、遠くの街の光がぼんやりと瞬いていた。
時折、夜風が窓を揺らすたび、遥か彼方からあのバイクのエンジン音が響く。
──ドドドド……。
ルミナはその音に、ほんの一瞬、胸の奥をざわつかせた。
それは恐怖ではない。
彼女の中に確実に芽生えつつある何か…。
自由への憧れ、あるいは抗いがたい衝動。
「あの音の向こうに……本当の自由がある気がする」
月明かりの下、ルミナは小さく息を吐く。
天井を見上げながら、誰にも聞こえないほどの声で呟いた。
「……この世界は、強くなきゃ守れない。
でも、強くなる理由が誰かのためなら……それでいい」
窓の外から差し込む月影が、そっと二人を包み込む。
その静かな光は、まだ幼い姉妹の固い誓いを、優しく守るように照らし続けていた。
次回!
《PROJECT♾️HEART-X 第15話》
(ルミナ編 第3話 檻の外の風)




