☾《第13話 未来断片》
リアとの運命の再会を果たし、記憶を取り戻してから2ヶ月ほどたった頃…。
──ある日の夜。
ルミナは一人、自宅の近くにある静かな海浜公園を散歩していた。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返った園内には、ただ穏やかな波音だけが響いている。
蒼月・ルミナ、月影の天使
ふと足を止め、夜空を見上げる。
空は雲が一つもなく、星がいくつも輝いている。
ルミナは近くにあったベンチへと静かに腰を下ろした。
そのまま、目の前に広がる暗い海をじっと眺める。
頬を撫でていく夜風が心地いい。
ルミナはそっと、その風を感じるように目を閉じた。
目を閉じれば、きらめくようなたくさんの記憶が次々と脳裏に浮かんでくる。
かつて守ろうとしたもの、そして、失ってしまった大切なもの。
記憶を失い、離れ離れになっていた妹のリアとようやく再会できたこと、記憶を取り戻したときの溢れ出てくる衝撃的だった嬉しさ。
そして、仲間たちとみんなでバカみたいに笑い合って騒いだ、あの日々を思い出す。
(本当に、楽しかった……。)
ゆっくりと、ルミナはその瞳を開いた。
けれど、大切な思い出を振り返るその瞳には、夜の闇よりも深い悲しみと切なさが同居する想いが宿っていた。
それは、温かい記憶に触れたからこそ際立つ、決して誰にも触れさせない絶対的な孤独の光が滲んでいる。
ルミナは自分の手を見下ろし、静かに震わせる。
彼女の体はどう見ても普通の人間。
だが、その眼差しだけが異様に悲しい光を放っていた。
まるで、人間としての限界を超えた者だけが持つ視線のように。
(……私は、人間であって、普通の人間じゃない…)
胸の奥で、かすかな声がこだまする。
「リア……。せっかく記憶を取り戻したのに……」
ぽつりと、夜の海に向けて独り言がこぼれ落ちる。
「ずっと一緒にいてあげたいのに……ごめんね……。私にはもう、時間が残されていないの……。ほんとに、ごめんね…。私はあとわずかしか時間が残されていない。…もう、死んでしまうの……」
愛しい妹の笑顔を思い浮かべる。
けれど、その笑顔を守るためにも、この過酷な現実を共有するわけにはいかなかった。
「だけど、こんな事……リアには言えない……」
堰を切ったように、一粒の雫が頬を伝ってこぼれ落ちる。
それが地面に落ちるよりも早く。
──ドックン!!
「うっ……!」
突然、心臓を直接掴まれたような凄まじい衝撃が走り、ルミナは必死に胸を抑えた。
ベンチの上で激しく身を震わせ、息を詰まらせる。
「どんどん酷くなってる……。予定よりも早い…。もう身体がもたない……。私の身体はもう、限界なのね…」
薄れゆく意識のなかで、静かに夜風が頬をなでる。
(みんな……最高の日々を今までありがとう……)
その冷たさの奥に、かつての遠い日の、けれど決して忘れることのない愛おしい声が重なった。
『待ってよ……お姉ちゃん!』
一瞬、まぶたが震え、時が巻き戻る。
思い出したくなくても、思い出してしまう。
すべての始まり──
まだ子供だったあの頃を…。
───────────────────
──今から10年前──
体育館のざわめき。
壁の時計がカチリと音を立て、冷たい午後の光が窓から差し込んでいた。
ガラガラと重たい扉が閉じる音がした。
冷たいコンクリートの匂いと、薄暗い蛍光灯の下。
新しい施設のホールには、居場所をなくした子どもたちのざわめきが響いていた。
新しい施設に入れられたばかりの少女は、職員に促されて、前へと歩み出る。
「名前を言ってごらん?」
職員の声に促され、彼女は無表情のまま一歩進んだ。
「……ルミナです!よろしく」
少女はハキハキと答え、名を告げた。
その声には幼さよりも落ち着きもあった。
蒼っぽい髪のボブを片側に流し、紫の瞳が凛と輝き、淡く光を宿す。
その声は、年齢よりもずっと大人びていた。
「好きなものは? 将来の夢とか、ある?」
何気ない問いかけに、少女はわずかに眉を動かす。
「好きなもの?……別に。これと言ってないけど、強いて言うなら得意なのはスポーツ全般ね」
わざとツンとした響きで言い放つ。
冷たく芯のあるような声。
室内がしんと静まり返り、子供たちはざわめいた。
「なんかスゲー女が入ってきたなぁ」
「カッコいいよなぁ」
からかうよりも、気圧されてしまう。
そしてその横顔はどこか誇り高く、誰も簡単にからかえない雰囲気を纏っていた。
施設の職員の先生が前に手を叩く。
「はい、みんなー、ルミナちゃんも今日からここの仲間よー。仲良くするように。
そして今日はもう1人、新しい子が入るわよー。
さ、あなたも自己紹介してみよっか」
端っこに座る、小さな女の子が前に出て
恥ずかしそうに下を向いた。
その子の名前は──リア。
両手で古びたノートをぎゅっと抱きしめながら、
彼女は恥ずかしそうな顔で、それでも真っ直ぐに前に出た。
「……あの…えっと…リアです」
小さな声が震え、俯いたままの少女の肩がわずかに震える。
周囲から笑い声が上がった。
「なによそれ、声ちっちゃーい」
「泣き虫みたい」
ひそひそと、子供たちの冷たい囁きが突き刺さる。
「うぅ…」
言い返したいのに、言葉が喉に詰まって出てこない。
胸の奥がぎゅっと締め付けられ今にも泣きそうになるリアはノートをさらに強く抱きしめる。
その時だった。
「そんなに笑わなくてもいいでしょ!」
低く、冷ややかな声。
体育館の空気が、一瞬で凍りついた。
まだ小学生の高学年になるくらいの年齢にもかかわらず、どこか大人びた影を帯びた少女の名前はルミナ。
今日から入ったにも関わらず、もうすでに回りからは逆らえないような雰囲気を醸し出し、存在感は圧倒的なスタートを切った。
腕を組んだまま、冷たい視線で冷静に回りを見渡す。
ひそひそ声が消え、笑っていた子供たちが一斉に黙り込む。
施設のホールでの自己紹介が終わり、ルミナとリアは同じ部屋に案内された。
職員の女性が、二人に書類を渡しながら、かすれた声で静かに言った。
「ルミナちゃん。リアちゃん。あなたたち、実は姉妹だったのねぇ。今日が数年振りの再会で、お互い幼い頃に離れたから、もしかしたらわからなかったかもしれないわね」
二人は顔を見合わせた。
「あなた達のお父さんとお母さんが別れちゃってルミナちゃんはお父さんに引き取られ、リアちゃんはお母さんの方に付いてったらしいわね。だけど、あなた達のお父さんとお母さんはその後もよく一緒に会ってて、二人が出かける途中、飛行機の墜落事故で亡くなったのよ。
それでルミナちゃんとリアちゃんはここに来たの。血の繋がった身内は、もうあなたたち二人だけなのよ」
その言葉に、ルミナの心臓がドクンと強く鳴った。
失ったばかりの家族の温もりが、再びリアという形で目の前に現れた。
(身内……? やっぱりこの子、妹のリアだ。一目見て私はわかったけど。私たち、最後の家族なんだ……)
ルミナはゆっくりとリアの隣に歩み寄り、膝を折った。
怯えた目をしているリアに、そっと視線を合わせる。
「……そっか。やっぱりあなたリアなのね。ふふっ、もう泣きやんだ?」
小さな声で、だけど迷いのない調子で言う。
その声は不思議と落ち着いていて、迷いがなかった。
「私も今日からここに入るんだ。あなたと一緒ね。
でも安心して。……私がいるから」
その一言は、リアの胸を突き破った。
瞳が大きく揺れ、止まっていた呼吸が一気に流れ出す。
(やっぱりお姉ちゃんだ…。私はすぐにわかったけど、ルミナお姉ちゃんも私が妹って、気づいてくれてたのかな…)
くりっとした瞳で、ルミナをじっと見つめた。
彼女はノートをさらに強く抱きしめた。
その様子を、ルミナはじっと見ていた。
「……それ、ノート?」
リアは驚いて顔を上げる。
答えられず、ただ必死にノートを抱きしめる。
「大事そうに抱えているけど、そのノート大切なの?」
ルミナはニコッとしてリアに話しかけた。
その顔に安心したかのようにリアは答える。
「お母さんが最後に買ってくれた物なの…」
古びたノートを両腕でぎゅっと抱きしめるリア。
そのノートは、角が擦り切れ、表紙も薄汚れていた。
けれど彼女にとっては唯一の宝物だった。
亡くなった母が、最後に買ってくれたもの。
中身のほとんどは白紙のまま。
けれどページの端には、幼い字で震えるように書かれた言葉が残っていた。
『いつか、みんなを笑顔にできる人になりたい』
拙い字の横には、マイクを握った棒人間と、花丸の落書き。
母と一緒に遊んで描いたものだ。
リアはそれを見るたびに、母の声を思い出す。
だから彼女は、このノートをどんな場所でも手放さなかった。
──「夢は大事にするんだよ」
そして昼休み。
ルミナがトイレから戻ると、リアが施設の年長の男子たちに囲まれていた。
「おい、泣き虫。その汚いノート貸せよ。こんなゴミとっとと捨てちまえ」
リーダー格の少年がリアのノートを奪い取り、高々と掲げる。
「やめて!返してよぉ〜」
リアは必死に手を伸ばすが、背が届かず、悔し涙で顔をぐしゃぐしゃにしている。
「声ちっせーな!おい、見てみろ、こいつすぐに泣くんだぜ!もっと泣けよ、泣き虫リア」
男子たちの下卑た笑い声が廊下に響き渡る。
その様子を見たルミナは一歩、また一歩と無言で近づいた。
その静かな迫力に、男子たちは一瞬怯んだ。
「そのノートを返せ」
ルミナの声は低く、命令形だった。
「なんだよ、お前。新入りの女がしゃしゃり出てくんなよ。オメエもいじめられてぇのか?」
強がって食ってかかる少年の襟首を、ルミナは迷いなく掴んだ。
次の瞬間、リーダー格の少年の顔に思いっきりビンタして床に叩きつける。
体格差があるのに一瞬で押し倒した。
空気が裂けるような乾いた音が響き、その場のざわめきが一瞬で消えた。
少年は頬を押さえ、そのまま倒れ込んだ。
顔をおさえて喘いでいる。
「次にリアを泣かせたら……容赦しない」
淡々とした声。
紫の瞳が氷のように冷えた。
その瞳には誰も逆らえない力があった。
周囲の男子たちは、一瞬の出来事に声も出ない。
ルミナは冷徹な視線で残りの少年たちを一瞥した。
恐怖に顔を歪ませた男子たちは、奪ったノートを床に投げ捨て、倒れた仲間を置き去りにして逃げ出した。
ルミナは床に落ちたノートを拾い上げ、膝をついてリアに差し出した。
「大丈夫?」
リアは泣き止むこともできず、ルミナに抱きついた。
小さな体は、恐怖と安堵で震えていた。
「お姉ちゃん……ありがとう……!」
リアは無意識にお姉ちゃんと口にした。
ルミナは一瞬、戸惑いの表情を浮かべたが、すぐにその頭を撫でた。
「バカ。私がいるから大丈夫って言ったでしょ。ほら、もう泣かないの。はい、ノート」
この日以来、ルミナは施設の子供たちの間で『逆らえない女』として認識された。
誰もルミナとリアに手を出そうとはしなくなった。
職員たちは大人の都合を押し付け、子供たちの小さな衝突には目を瞑る。
ルミナの暴力沙汰を知りながらも、問題児同士で勝手に解決していると見て見ぬふりをした。
そして施設での生活が始まってしばらくしてルミナはここが平穏な『居場所』ではないことを悟った。
特に、引っ込み思案で泣き虫なリアは、格好の標的になりやすい。
だが、この一連の出来事を、施設の他の女子たちは遠巻きに見ていた。
これまで、施設の男子たちに逆らえる女子などいなかったのだ。
ルミナの圧倒的な喧嘩の強さと不器用な優しさは、彼女たちにとって憧れであり、絶対的な安心感として映った。
その日の夜、数人の女子たちが、ルミナの二段ベッドの下に集まってきた。
「ルミナ……ありがとう」
「ルミナがいると、怖くないよ」
女子たちの小さな声には、ルミナへの素直な感謝と畏敬の念が籠もっていた。
やがて消灯時間を迎え、部屋が静寂に包まれる。
二段ベッドの上段で、ルミナは天井を見上げていた。
下段からは、リアの小さな寝息が聞こえてくる。
(この施設も、外の世界も、結局は大人の都合でできてる)
ルミナは、誰も守ってくれないこの冷たい世界で生き抜くための、唯一の道を確信していた。
『力』こそが、大切な妹を守る絶対の盾なのだと。
(大丈夫。私が強くなればいい。リア(妹)の未来は、私が守ってあげなきゃ)
スヤスヤと眠るリアは、声には出さなかったけれど、心の奥で強く誓っていた。
──お姉ちゃんみたいに強くなりたい
それは、孤独で泣き虫だった少女がルミナに出会い、初めて誰かに激しく憧れた瞬間だった。
そして同時に、ルミナの冷徹な心に、決して消えない温かい揺らぎを生んだ出会いでもあった。
この日を境に、リアにとってルミナは絶対的なヒーローとなった。
二人の切っても切れない強い絆が、この先の残酷な運命をも激しく揺るがすことになるとは、この時点ではまだ、誰も知る由がなかった。
次回!
《PROJECT♾️HEART-X 第14話》
(☾ルミナ編 第2話 小さな灯火) へ続く!




