第7話 盗賊の頭
尾根から谷底までは、松の林に覆われた急な斜面だった。
谷の底を、白く泡立つ川が流れている。街道はその川に沿って延び、荷馬車が三台、道をふさぐように止まっていた。荷台には布をかけた樽や木箱が積まれ、つながれた馬が落ち着きなく足を踏み鳴らしている。
俺は木の幹から幹へと身を隠しながら、斜面を下りていった。
盗賊は十一人。剣を持っているのが五人、斧が三人、残りは棍棒だった。商人たちは荷馬車のそばにひとかたまりにされている。年寄りの商人がひとりと、若い男が三人。引きずり下ろされた御者は地面にうずくまって頭を抱えていた。
助けに来たわけではなかった。
商人の荷がどうなろうと、俺の知ったことではない。俺が欲しいのは、あの中にいるかもしれないスキルだけだ。相手が盗賊なら、殺したところで誰も困りはしないだろう。
斜面の最後の岩を飛び下りて、街道に足をつけた。
いちばん近くにいた髭面の男が、こちらに気づいて振り向いた。
「なんだ、てめぇ。どこから湧いて出た」
「ひとりか? 身ぐるみ置いてけば、見逃してやってもいいぜ」
盗賊たちがにやにやと笑いながら、俺を取り囲みはじめた。
その輪の外で、あの落ち着いた男がこちらを見た。四十がらみの、痩せた男だった。細い目が、俺の顔ではなく、胸のあたりに据えられている。
その目が大きく見開かれた。
「……なんだ、お前は」
男の声はかすれていた。
「名前が、ひとつじゃない。ふたつ、三つ……なんで、そんなに重なってやがる」
何を言っているのか、すぐには分からなかった。
だが、男の目は確かに、俺の中にある何かを見ていた。召喚の間で鑑定士の老人がひとりずつ見つめていった、あの目と同じだった。あの老人は俺たちのスキルの名前を読み上げた。この男にも、それが見えているのか。
「お頭?」
「そいつに近づくな! そいつは――」
男が言い終わる前に、髭面が斧を振りかぶった。
腹の底がかっと熱くなった。
怖さは城のときほどではない。それでも【不屈】は戦おうとする意志に応えて、手足に力を満たしていく。俺は外套の下から剣を抜き、振り下ろされる斧よりも先に髭面の胴を薙いだ。
ふたり目は棍棒ごと腕を斬り飛ばした。三人目は【剛力】で胸ぐらをつかみ、荷馬車の車輪に叩きつけた。骨の砕ける、湿った音がした。
四人目が背中から斬りかかってくる。振り向きざまにその喉を裂いた。
「散れ! 逃げろ!」
お頭と呼ばれていた痩せた男が叫び、真っ先に背を向けた。
盗賊たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。林へ駆けこむ者、街道を走る者、川のほうへ転がるように下りていく者。
俺はあの痩せた男だけを追った。
あいつは俺の中にいくつも重なるスキルを見た。そんな力を持っているのなら、ここにいる誰よりも当たりのはずだ。
【不屈】の熱が足を前へ押し出す。男が荷馬車の陰を回りこもうとしたところで追いつき、その背中を斬った。
男は前のめりに倒れ、街道の土に爪を立てた。仰向けに転がって、俺を見上げる。その目はまだ、俺の胸のあたりを見ていた。
「化け物め……」
それが、最期の言葉だった。
男の胸が一度だけ大きく上下して、それきり止まった。
俺は膝をつき、その首筋に指を当てた。
【見透かし】
名前が頭の中に響き、意味が流れこんでくる。人を見れば、その人がスキルを持っているかどうか、持っているなら、そのスキルの名前が分かる力。中身までは分からない。
続けて男の最期が流れこんできた。
街道に下りてきた、ひとりの男が見える。その胸のあたりに、スキルの名前がいくつも、いくつも重なって浮かんでいた。見たこともない数だった。腹の底から冷たいものがせり上がってくる。
――化け物だ。
それはこの男の目に映った、俺の姿だった。
頭の奥がかすかに揺れた。それだけだった。
顔を上げると、いちばん手前の荷馬車の陰から、年寄りの商人がこちらをのぞいていた。歯の根も合わないほど震えながら、両手を組み合わせ、空を仰いでいる。
「な、亡骸に触れるなんて……罰当たりな……」
死体に触るのが、そんなに罰当たりか。
助けるつもりはなかった。それでも、俺が来たから助かった命だろう。開口一番が、それか。
この世界の人間も、どいつもこいつもろくなものじゃない。
俺が来なければ、罰が当たっていたのは誰だ。
俺はかまわず、その商人に目を向けた。
何も見えなかった。目を凝らしても、胸のあたりには何も浮かばない。スキルを持たない人間はこう見えるらしい。ほかの商人たちも、御者も、同じだった。
あの男が何度も別の方角へ目を走らせていたのは、これだったのだろう。スキルを持つ者がどこかに紛れていないか。それを確かめていたのだ。
俺は逃げていく盗賊たちに目を向けた。
林へ逃げこむ背中にも、街道を走る背中にも、何も見えない。スキルを持たない奴らは、追う気にもならなかった。
ただひとり。川岸の松林へ駆けこもうとしている小柄な男の背中に、スキルの名前がひとつ浮かんでいた。
【逃げ上手】
文字ではない。それでも、その名前が何なのか、はっきりと分かった。
俺は剣を握り直して、走り出した。
松林の中を細い踏み跡が続いていた。その踏み跡がすぐに二つに分かれる。男の足音は、はっきりと右から聞こえた。俺は右へ進んだ。
踏み跡は崖の手前でぷつりと途切れていた。
舌打ちをして引き返し、もう一方の道を駆けた。なぜ右を選んだのか、自分でも分からなかった。足音は確かに、そちらから聞こえたはずだったのに。
林を抜けると、また川に出た。
流れが岩にぶつかって、白く渦を巻いている。その向こう岸の斜面を、あの小柄な男がよじ登っていた。どこかに渡れる浅瀬があったのだろう。
このまま逃がせば、あのスキルは二度と手に入らない。
拳ほどの石を拾ったとき、男がこちらを振り返り、動きを止めた。
その一瞬に【剛力】をこめて投げた。男が向き直る。石はうなりを上げて川を越え、頭の後ろに吸いこまれた。
男の体が斜面から剥がれ落ちた。岩に二度ぶつかって転がり、向こう岸の川原で止まる。
それきり、指一本動かなかった。
当たるとは思っていなかった。あの一瞬がなければ、外れていた。
問題は、そこへどうやって行くかだった。
川は深く、流れが速い。岸に沿って下り、浅瀬を探した。ようやく見つけた瀬を腰まで浸かって渡り、向こう岸をまた上流へたどる。
冷たい水に何度も足を滑らせた。
男のそばにたどり着くまでに、ずいぶん時間がかかった。
男は川原の石の上にうつ伏せに倒れていた。頭の後ろがひどく潰れている。
俺は膝をついて、男の首筋に触れた。
何も流れこんでこなかった。
手を離して、もう一度触れた。何も来ない。名前も、最期の記憶も、何ひとつ。
【見透かし】で男の体を見た。さっき確かに背中に浮かんでいたスキルの名前は、どこにも見えなかった。
「……なんでだよ」
声は川の音にかき消された。
城の廊下でも同じことがあった。早瀬に、班長に、影山。三人とも召喚の間でスキルの名前を読み上げられていた。それなのに、触れても何も奪えなかった。あのときは理由が分からないまま、考えるのをやめた。
だが、今日は違う。この男は間違いなくスキルを持っていた。俺はこの目で、それを見た。
スキルを持っていた死体からも、奪えないことがある。
俺は川原の石に腰を下ろして、濡れた服の裾を絞り、剣に【防錆】をかけた。
工場で不良が出たときは、良品と並べてどこが違うのかを探した。思いこみで原因を決めつけず、現物を見る。ここでも同じことをすればいい。
奪えたとき。思い当たるのは、広間の不破や岩田さん、家田さん、礼拝堂の佐倉、塔の召喚士、さっきの盗賊の頭。どれも俺はすぐそばで死ぬところを見て、倒れてすぐに触れた。不破には這って近づいたので手間取ったが、廊下の三人よりずっと早かった。
奪えなかったとき。廊下の三人と、この男。廊下の三人が殺されたとき、俺は広間の床に転がったまま、手の届かないところから見ていただけだった。触れたのは、広間で笑い、座りこみ、しばらく動けずにいたあとだ。この男のときも、俺は川の向こうから石を投げただけで、触れるまでにはずいぶん回り道をした。
誰が殺したかは関係なさそうだった。廊下の三人を殺したのは兵士で、この男を殺したのは俺だ。奪えたほうでも、広間の連中を殺したのは兵士で、盗賊の頭を殺したのは俺だ。
違うのは、二つ。
死ぬとき、そばにいなかったこと。
触れるまでに、時間がかかったこと。
どちらが原因なのか。両方なのか。それとも、まだ気づいていない別の何かがあるのか。
たった二つの例では決められなかった。原因を決めつけて手を打っても、たいていは外れる。それだけは嫌というほど見てきた。確かめるには、もっと数がいる。
死体からは名前も消えていた。抜けたのか、見えないだけなのかも分からない。
【見透かし】があれば、スキルを持つ人間を探せる。あとは試す相手がいればいい。
俺は男の死体をその場に残して、立ち上がった。
悪党なら、この世界にはいくらでもいる。




