第4話:ブラックボックスと小さな金庫番
翌朝、効果は一目瞭然だった。
パン屋の路地に香ばしいスープの匂いが漂い始めると、朝の買い出しにやってきた主婦たちが吸い寄せられるように足を止めた。
「あら、何この良い匂い……?」
「奥さん、寄っていって! 今日の硬いライ麦パンは一味違うよ!」
娘が威勢よく声を張り上げ、固くなった古パンを熱々のコンソメスープにドボンと浸して差し出す。一口かじりついた主婦たちの顔が、驚きで固まった。
「……何これ!? スープを吸って柔らかくて……お肉の出汁がすごいのだけど!」
「本当だわ、いつもは喉に詰まる古パンが、ごちそうになってる……!」
「バルスさん、このスープの素、3個入りの袋ちょうだい!」
硬くて不人気だった古パンは瞬く間に売り切れ、スープの小袋も飛ぶように売れていった。娘は手際よく接客しながら、目を輝かせて客たちに言い添えた。
「10個入りの徳用パックや、油汚れが一瞬で落ちる特別な石鹸は、中央広場のリクって人の露店で売ってるわよ!」
その1時間後。俺が立つ広場の露店前には、信じられない光景が広がっていた。
「お兄さん! パン屋で聞いてきたんだけど、あのスープの10個パック、ちょうだい!」
「私にも! 毎朝のスープの仕込みがこんなに楽になるなんて夢みたいだわ!」
昨日までの冷ややかさが嘘のように、主婦たちが群がってくる。俺は手際よくコンソメキューブの紙包みを渡し、銅貨を受け取っていった。
そして、ここからが本番だ。
10個パックを買ってくれた客一人ひとりに、俺は微笑みながら試供品の「ミニサイコロ石鹸」をひとつ添えて手渡した。
「奥さん、これは試用品の石鹸です。お買い上げのお礼にどうぞ」
「石鹸? こんな小っちゃくて可愛い石鹸、見たことないわ。でも、うちは洗濯用の大きい塊があるから……」
「これは洗濯用じゃありません。お肉や魚の脂でギトギトになった手を洗うための『水仕事用石鹸』です。お料理のあとに使ってみてください。脂がスッキリ落ちて、手が荒れませんから」
半信半疑でミニ石鹸を受け取る主婦たち。これが仕掛けたふたつ目のフックだった。
異変が起きたのは、翌日の夕方だった。
露店の後片付けをしていた俺のもとへ、昨日コンソメを買っていった主婦が息を切らせて駆け込んできた。
「お兄さん! まだ残ってる!? あの小さい石鹸!!」
「ええ、ありますよ。どうでしたか?」
「どうしたもこうしたもないわよ! 昨日の夜、肉の脂を炒めたあとにあの石鹸を使ったら……いつもなら水仕事でカサカサになって痛む手が、つるつるのままで、ハーブの良い香りが残ったのよ! 友達に見せたら『私にも買ってきて!』って大騒ぎでね!」
主婦はジャラリと銅貨を差し出し、サイコロ石鹸を10個まとめ買いしていった。
一度試せば、既存の「臭くて手が荒れる粗悪な大塊石鹸」との差は歴然だった。
1個あたりの価格は、銅貨5枚。庶民の財布でも十分に手が出る「プチ贅沢」な日用品として、サイコロ石鹸の噂は瞬く間に主婦たちの口コミ(井戸端会議)で広まっていった。
コンソメキューブで食事の手間を減らし、サイコロ石鹸で水仕事の手荒れを防ぐ。
主婦たちの悩みをピンポイントで解決した俺の商品は、露店に並べるそばから売れていく爆発的なヒット商品となった。
その日の夜。
売れ残りのない木箱を抱え、ホクホク顔で作業所に引き揚げてくると、入口の前にパン屋の娘が立っていた。手に小さな革袋と羊皮紙を抱えている。
「お疲れ様! 今日のパン屋での売上金と、貸し借りを出した帳簿を持ってきたわ」
そう言って渡された革袋には、重みのある銅貨がギッシリ詰まっていた。羊皮紙を開くと、そこには今日売れたコンソメの個数、古パンの販売数、そしてパン屋側の取り分と俺への支払いが、驚くほど几帳面な文字と計算で書き留められていた。
「すごいな……完璧な帳簿だ。助かるよ」
俺が素直に感心すると、娘は少し照れくさそうに笑い、自慢げに胸を張った。
「ふふん、伊達にずっとパン屋のレジに立ってないわよ。計算ならお父さんより私の方が早んだから」
「本当に優秀な金庫番だな。……なあ、よかったら中で温かいスープでも飲んでいかないか? ちょうど仕込みの残りがあるんだ」
「えっ、いいの? 入る入る!」
薄暗かった作業所に明かりがともる。
湯気を立てるコンソメスープを二人で飲みながら、今日の売上と明日の仕込みについて語り合った。
1月前は、路頭に迷う寸前だった俺。
だが今、手元には確かに積み上がり始めた資金と、信頼できる事業のパートナーがいた。
(よし……順調だ。次は生産量を増やして、大口の『B2B』へ打って出るぞ)
スープの温もりが身体に染み渡るのを感じながら、俺は次の成長プランへと意識を巡らせていた。




