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潮風と月桃の家 沖縄

潮風と月桃の家


港から吹いてくる湿った風が、生成りのカーテンを大きく膨らませた。那覇の古い赤瓦の平屋では、昼のスコールで取り込んだ洗濯物が畳の上に積まれ、健太の紺色のかりゆしウェアだけが山の頂上から袖を垂らしている。網戸を通って入ってくるのは、雨を吸ったアスファルトの熱気と、庭に茂る月桃の青い葉の匂いだった。澪は首筋へ張りついた髪を持ち上げ、何度目か分からない時計を見た。


夕飯に使うゴーヤーは薄く切り、塩を振ってざるへ広げてある。卵も割り、鰹節の袋も開けたが、健太が仕事帰りに買ってくるはずの島豆腐がまだ届かない。六か月前に東京から移ってきたばかりの澪には、バスが時刻表どおりに来ないことも、夕立のあとに道路が急に混むことも、まだうまく計算へ入れられなかった。庭のコンクリートに散った赤紫のブーゲンビリアを数えていると、玄関のアルミサッシが勢いよく開いた。


「ただいま、澪。遅くなってごめん。港の直売所でグルクンを揚げてもらっていたら、前に三人も並んでいたんだ」


健太は両腕に買い物袋を提げ、黄色い手ぬぐいを首へ巻いて立っていた。額から落ちた汗が頬を伝い、半ズボンの裾には泥水の小さな染みが跳ねている。右手の袋からは揚げ物の香ばしい匂いが漂い、左手の袋は底が四角く張り出していた。澪は何も言わず、まず四角いほうを受け取った。


「島豆腐は?」


「そこ。ちゃんと一丁あるよ」


袋の底には、まだ温かい島豆腐が白い塊になって収まっていた。澪は親指で包みの角を押し、形が崩れていないことを確かめてから、ようやく健太へ麦茶を渡した。青い琉球ガラスの中で氷が鳴ると、健太は三口で飲み干し、空のコップを額へ当てた。東京にいたころから変わらない飲み方だった。


「グルクンまで買うなんて聞いていないわ。イナムドゥチも残っているのよ」


「明日の朝に食べればいいさ。汁物は一晩置いたほうがうまいだろう」


「そうやって、なんでも食べる予定へ組み込むんだから」


澪が包丁を入れると、島豆腐は木綿豆腐よりもしっかりした手応えで切れた。熱したフライパンへ油を引き、豚肉、豆腐、ゴーヤーの順に入れると、台所いっぱいに湯気が立ちのぼった。健太は畳の上の洗濯物を端へ寄せ、丸テーブルに敷いたままの新聞紙を裏返して、醤油の輪染みを隠している。その上へ直売所の包みを開くと、二尾のグルクンが尾びれを重ねて現れた。


「二尾だけ?」


「三尾買った」


「もう一尾は?」


「待っている間に食べた」


澪が振り返ると、健太は自分の唇へ人差し指を当て、油がついていないか確かめていた。結婚前、母は彼と初めて食卓を囲んだ夜に「あの人は食べることばかり考えているから安心だよ」と言った。何が安心なのか、澪には長いあいだ分からなかった。けれど、健太が来月の家賃を忘れても、明日の朝に食べるものだけは決して忘れないことを、今では知っている。


「つまみ食いじゃなくて、一尾食いじゃない」


「味見だよ。骨まで食べられるか確かめたんだ」


「それで、どうだったの」


「うまかった。澪も頭からいける」


澪は溶き卵を回し入れ、火を止めてから鰹節をひとつかみ載せた。削り節が熱の上で踊るのを、健太が横からのぞき込んでいる。彼の鼻先を邪魔だと思いながらも、澪は追い払わず、大皿の端にこぼれた豆腐を一つだけ口へ入れた。ゴーヤーの苦みのあとから、島豆腐の塩気が舌へ残った。


二人は縁側へ並んで座り、皿を膝に載せた。庭の隅では月桃の赤褐色の実が房になって揺れ、雨粒を載せた葉の表面が、外灯を受けて白く光っている。健太はグルクンを頭からかじり、ぱりぱりと大きな音を立てた。澪は自分のぶんの尾を折り、細い骨を指先で確かめてから口へ運んだ。


「よく噛んでよ。病院へ行っても、魚の骨が刺さりましたなんて言わないからね」


「そのときは、転んで木の枝が刺さったことにしよう」


「口の中に?」


「不思議な転び方をしたんだ」


健太は笑いながら、シークヮーサーを搾った。勢いよく飛んだ果汁が澪の手の甲へかかり、二人で同時に「あっ」と声を上げる。澪が布巾を取ろうとすると、健太は自分の手ぬぐいで先に拭いた。その手ぬぐいが汗で湿っていることに気づき、澪は黙って彼の腕をつねった。


食事を終えるころには、風の温度が少し下がっていた。柱時計が八時を打ち、壁のカレンダーが風にあおられて一枚めくれる。日曜日の余白には、健太の丸い字で「朝、草むしり」と書かれ、その下に「ぜんざい」と二重丸で囲んであった。澪は空になった皿を重ねながら、その文字を指でなぞった。


「草むしりとぜんざい、どっちが目的なの」


「草むしりをしたら腹が減るだろう。順番が大事なんだ」


「先にぜんざいを食べたら、草むしりをしないでしょうね」


「よく分かっているじゃないか」


流しの蛇口をひねると、生ぬるい水が勢いよくステンレスを叩いた。健太は畳に積んであった洗濯物を一枚ずつ広げ、見分けもせずに二つの山へ分けている。澪の下着が彼の山へ載り、自分の半ズボンが澪の山へ落ちたが、本人は気づかないまま鼻歌を歌っていた。澪は皿の泡を流しながら、網戸越しに庭を見た。


月桃の葉が風に擦れ、遠くから低い船の汽笛が一度だけ聞こえた。赤瓦の端から残っていた雨粒が落ち、庭のたらいに小さな輪を作る。洗い終えた二枚の皿を水切り籠へ並べると、健太が背後から声をかけた。


「澪、明日のぜんざい、黒糖の氷が山盛りの店でいいか」


「いいわよ。その代わり、草むしりが終わってからね」


「分かった。じゃあ早起きしないとな」


澪は蛇口を閉め、乾いた布巾で両手を拭いた。健太の分けた洗濯物は、二つの山ではなく、いつの間にか三つに増えている。理由を聞くと、健太は一番小さな山を指差し、得意そうに笑った。


「これは明日着る服。草むしりのあと、そのままぜんざいを食べに行けるようにしておいた」


「まだ今夜も終わっていないのに、もう明日の服を決めたの?」


「明日のご飯を考えていれば、朝はちゃんと起きられるさ」


澪は洗濯物の山から自分の下着を抜き取り、健太の半ズボンを代わりに載せた。窓の外では、月桃の実が潮風に揺れている。明日の朝、健太は草むしりの途中で腹が減ったと言いだし、予定より早く店へ向かうに違いない。澪は二人分の帽子を縁側へ出し、カレンダーの「ぜんざい」の横に、小さく「洗濯を干してから」と書き足した。


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