第56話 語らい
レイナーレに吸血されて一晩経った日。
あいつは朝になった頃には何事もなかったように振舞って、三人を連れて行った。
おかげでエルミーたちに何かを勘繰られるようなことは無かったけど、やけに静かだったのは何だったんだ?
「あの娘たちはあの大コウモリが鍛えに行ったのかい」
「当人たちが希望してたからな。頼んだんだ」
誓いの輝剣を送り出したあと、俺はクリム婆の家に来ていた。
庭先に、安楽椅子とテーブルと新しい椅子を並べて駄弁る形を整えた。買い込んできたお菓子も並べて万全だ。
「アタシに言えば教えてやったってのに……」
「ドラゴンに鍛えてもらうってどんだけ贅沢なんだ」
吸血鬼の《始祖》も似たようなもんか?
でもクリム婆はジョブとスキルを持ってないから無理だろ。
ジョブは人類種だけに与えられる物だ。クリム婆はドラゴン……魔獣種だからな。
「そんで? アンタはババアとくっちゃべりに来たってかい。いいご身分だね」
「そりゃ、天下のSランク様だからな」
「ヒッヒッヒ、あんときの小僧がねぇ。こんな大物になるとは思わなかったよ」
「俺もだよ」
淹れてくれた紅茶に舌鼓を打つ。
クリム婆は手土産に持ってきたクッキーなどを摘み、俺たちは出会ったばかりの頃のことを思い返していた。
「まさかSランクにまでなれるなんて。恋人のために頑張ってただけなのにな」
「アンタの場合、それがきっかけだったんだろうさ」
「そうかも。でも、たった三年で至ったのは思っても見なかったよ」
「恋人に浮気されてたことも、まさかだったろう?」
「ぐっふ……!?」
クリム婆が突然ミリアの話題を出したせいで、飲んでいた紅茶でむせかけた。
「げほっ、ごほっ……! やめろよ、まだ忘れきれてねぇんだよ」
「恋愛なんてそんなもんさ。いつまでも引き摺ってるときもあれば、ちょっとしたことでコロッと忘れられることもあるさね」
「そんなもんか……?」
「二十も生きてない若造にはわからんかねぇ」
そりゃ、何千年も生きてりゃ酸いも甘いも噛み分けてるだろうけどさぁ……。
けらけらと笑うクリム婆は、優しげな声音で言い聞かせてきた。
「アンタの幼馴染はね、男を見る目がなかったんだよ。こんなにいい男を逃しちまったんだから」
「そんな大した男じゃないよ。少なくとも、面白みは無いな」
「人類最強格がなに言ってんだい。それに強さだけじゃない。アタシが若けりゃ、唾つけてたほどいい男だよ、アンタは」
「気持ち悪いこと言うなよクリム婆」
「なんだい! アタシだって若い頃はたくさんの雄におっかけられてたんだよ!」
「何百年前だっての」
数百年じゃきかないだろミレニアムババアめ。
「とにかくだ。そんな女のことなんて早く忘れてやんな。デカい魚を逃した女には、それが一番効くんだよ」
「軽く言いやがって……こっちは人生賭けて愛してた女だぞ? いきなり忘れられるかよ」
「そんなら上書きしてもらえばいいじゃないか」
「は? ……ッ!」
「浮気女の代わりに、いい娘たちが寄り添ってくれてるじゃないか」
っこんの……! 下世話なクソババアだなおい!
でも俺が吹っ切れたら最後、そうなりそうで何も言い返せない。
悔しい……!
「新聞見て心配してたけど、嫁になりそうな娘たちを連れてきてよかったよ。未練が一つ解決したさね」
「未練って……つか嫁って!」
「気持ちに気付いてないワケじゃないんだろうが。ま、アンタの子供を見れなかったのは残念だったね。人間は早いから期待してたがね。だが……退屈な余生かと思ったら、悪くない晩年だったよ」
「また縁起でもないことを……ったく」
「そりゃ言うさ。アタシはね……このまま、何もなく自然に還ると思ってたんだ」
クリム婆は目を閉じて、お気に入りの安楽椅子に体を預けて揺らし始めた。
「齢をとった頃さ。自分の生きる意味ってのを考えたのは」
「なんだよ、それ……」
「ああ。昔、アタシは何のために生きて、何のために存在してるのかを考えたんだ。そして思いついたのは……世界を富ませるため、ってことさ」
懐かしむような口ぶり。
俺は黙って、クリム婆の言葉を静かに聞く。
「龍ってのはさ。生まれたときから死ぬときまで、周囲の魔力を取り込み続ける生き物だ。停滞しちまった魔力さえも」
「……それは」
「そうさ、アンタの黒い魔剣。それの元凶が生まれる要因を、なくせるのさ」
魔力は万物に含まれると言われている。物から物へと流れ、循環している。
だが様々な要因で、その魔力が停滞することがある。
魔力の停滞は、淀みを生む。生命を死に向かわせる負の力――俺のクロノワールが操るものだ。
「魔力を停滞させないためにあらゆる場所から集め、死ぬときに解き放ち自然の豊かな地を生む。それが、龍の役目。アタシが生きる意味だと思った」
「……死ぬために生きるなんて、ゾッとしないな」
「ヒッヒッヒ、それまでに楽しみ尽くしてやったさ。――老いていく中で、好きなことをやった。あとは、役目を果たすだけなんだろう……そう思ってた頃さ、アンタが来たのは」
これまでに見たことがないほど、穏やかな目でクリム婆は俺を見た。
「――楽しかったよ。アンタが世界で一番強い剣士になっていくのを見守ったのは。アベル坊の進む力になれてよかった」
「……本当に、感謝してるよ。ありがとう」
「感謝はこっちだよ。アベル坊を進ませるっていう役目ができたって思えたんだから」
――でもね。
と、クリム婆は言った。
「――まだ足りないさ。アンタには、まだまだ先がある。限界になんて、届いちゃいないのさ」
「そりゃまあ、まだ若いしな。これから少しは強くなれるだろうけど――」
「さらに言うなら、魔剣だよ。アンタはもっと強い魔剣を握れば、どこまでだって強くなる」
だから、と。
「あの子が欲しがってるアタシの魔力は、自然を富ませるためのものだ。だからアンタには、アタシの力――この古老龍が鍛え上げた、《氷の龍魔法》を、アンタの剣に込めてやる」
「……マジか」
クリム婆は言う。
龍にしか備わらない、何千年も磨き上げた魔法を、俺にくれると。
「アンタをこれからも支えていける力になれば、アタシの生きた意味はさらに大きくなるだろう? ふふ、受け継ぐってのはいいことだね」
「生きる、意味なんて……」
そんなの、俺にとっては今でも十分すぎるくらいだぞ。
クリム婆のおかげで、俺は戦い抜けた。
ミリアを助けることができて……エルミーたちをも助けることができたんだ。
「クリム婆、俺は……まだ、死んでほしくないよ」
「ふふ、仕方ないじゃないか。龍とは言っても寿命には勝てないよ」
「でも……」
「湿っぽいのは嫌いだよ」
言いかけたことを、ぴしゃりと断ち切られる。
「最期は楽しくしておくれよ。あと少しで孫と戦わなきゃいけないんだよ? しみったれた気分で大人しくできるほど、龍は甘くないさね」
にやりと笑うクリム婆。
……まったく、こっちの気も気にしないで。仕方のないババアだ。
「わかったよ。でもな、孫娘を殺さず止めるなんて、俺だって厳しいんだぞ?」
努めて声を明るく、抗議するように言ってやる。
「クリム婆だって知ってるだろ、俺の弱点」
世界最強の剣士。俺にはその自負がある。
本気で戦えば、俺はエルミーにだって余裕を持って勝てる。
だけど不可能、もしくは苦手なことがないってわけじゃない。
「カリナは強そうだ。すぐに勝負をつけないと……」
「なんだ、できないのかい? 世界最強の剣士ってのは案外そこまでなんだねぇ」
「できらぁ! 暴走ドラゴン一匹程度、止めるくらい余裕だっつーの!」
ヒヒヒと笑うクリム婆に、声を大にして言い返す。
いつもここに来たときと同じように、言い合いめいた楽しい会話。
それを噛みしめるように繰り広げた。
「そうかい、なら万全にしてやんなきゃね! アンタが持ってきたクラーケンとクジラの肉が有り余ってんだよ。なんか作ってやるからたくさん食いな!」
「わかったよ。ったく、元気な婆さんだ」
「ヒッヒッヒ! 死ぬまでに食い尽くしてやるんだからねぇ!」
昼食のために二人揃って家に入る。
俺たちはそんな風に、残りの時間を過ごした。
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