第45話 海の悪魔
湾の真ん中で飛沫をあげたのは、大きな触腕だった。
大きな吸盤を備えてうねうねと動く何本もの触腕の持ち主――大きなタコのA級上位魔獣、『クラーケン』だ。
「クラーケン、だよねっ!? 普通だったら沖の深い海にいるはず……なんでこんなところに!」
「ギルドで聞いたけど、いつもよりも浅瀬にいたらしい。漁から戻る漁船が目をつけられて、撒こうとしたけどここまで着いて来られたみたいだ」
「よく知っているな。つまり、お前の目的はヤツだったのか」
「ああ、ギルドで討伐依頼を受けてきた。魔剣をくれた恩人の好物でな――」
「あそこ、見てちょうだい!」
レイナーレの質問に応えようとした時、フレイがあっと声をあげた。
彼女が指を差す先には……船を避難させようとしたのか、人が乗り込んでいる船に触腕を伸ばすクラーケンの姿。
「ッ! 危ない!」
その光景を見て、一番の速度を持つエルミーが飛び出した。
「《剣神の純然たる寵愛》――《身体強化》!」
強化スキル……今のはそれに重ねて、《身体強化》の魔法まで使っているみたいだ。この前までは魔法を使ってなかったけど、併用できるようになったみたいだ。
そのうち攻撃スキルの同時発動もできるようになるだろうな。
今は強化スキルと魔法だけだが、二つの強化は重なり合う。
船は海面を挟んだ湾の向こう側だが、エルミーは港までの数十メートルの距離を喰い潰し――水面すらも駆け抜けた。
「《遮断する月》!!!」
水を弾け飛ばすように蹴りながら、一直線に船へと向かい、弧を描く剣閃がクラーケンの足を断ち斬った。
「足は斬ったから、早く逃げて!」
エルミーの声に、慌てて船乗り達は岸に逃げ始めた。
しかし、クラーケンの足は再生する。
即座に断面から足を生やしたクラーケンは……周囲の海面をざわざわと揺らし始めた。
水属性魔法……! クラーケンはA級魔獣、魔法は使えて当たり前ってことだ。
エルミーに近づくのは避けたのか――だが、動くのは一人だけじゃない。
「姉さん!」
「《強魔:二重》、っと!」
「《雷撃砲》!」
発動する魔法を強化する《強魔》の付与で数倍の威力になった雷の砲撃が飛ぶ。
放たれた魔法は寸分たがわず、エルミーを狙うクラーケンの本体を撃ち抜いた。
「(〜〜〜〜〜〜ッッッ)」
タコに声帯はなく身を震わせるだけだが、その体はしっかりと電撃で麻痺しているようだった。
証拠にヤツが発動しかかっていた魔法の気配が消えた。
「海に雷が拡散しちゃって……仕留めるには足りないかな」
「しかも今ので潜っちゃったわよ。こうなると待つしかできないわ」
残念ながら殺しきるには足りず、クラーケンは海に潜って姿を消した。
「なかなかイイ線いってるじゃないか。お前が教えたのか?」
「一週間だけ鍛錬法のアドバイスをしただけだよ。前は俺が教わる方だった」
二人とも、前に比べて少しだけ魔法とスキルの発動がスムーズだ。ほんの少しのコーチングだったけど、もう効果が出始めている。
「下地から良かったということか。人類の中でもなかなかに上澄みだろうな。オレやお前のような奴らを除いて」
「そうだよ、元からな」
Aランク冒険者というのはそれほどなんだ。
強さによって巨万の富を得て、我を通すことができ、なおかつ人としても歪みない。
頭と強さのイカれたSランクを除けば、だけど。
「ひとまず港の人に話を聞こう。どうやって倒すか決めようか」
「港を壊滅させない方法にしような。海鮮が獲れなくなっては困る」
「……A級上位の魔獣の倒し方を考えるんじゃなくて、選ぶってニュアンスに聞こえるの、わたしだけかしら?」
「たぶん間違ってないと思うよ、姉さん」
なにを今さら。
クラーケンという手土産を確保するため、俺たちはエルミーと合流しがてら港にいる人たちの方へ歩き始めた。
・ ・ ・ ・ ・
「うーん、やっぱり丸ごと凍結させるのは駄目か……」
「なに当然のこと言ってるの……というかできるんだねアベル、港湾凍結」
それが一番簡単で手っ取り早いだろう?
港の管理者、つまりはクラーケン討伐の依頼主と顔を合わせての作戦会議。
依頼主から話を聞く限り、一番楽な方法が封じられてしまった……魔力を全力ブッパするだけだから楽なのに、凍結。
とりあえず逃がさないように、海へと繋がる湾の入口に分厚い氷の壁を張って閉じ込めている。
「クラーケンがA級上位に位置付けされてるのって、海中にいるからなのよねぇ……海ってだけですっごく戦いづらいもの」
「あたしの魔法も海中じゃ効かないからね。下手に攻撃しようとすれば水属性魔法で迎撃されちゃうし」
「剣一本のボクは論外。ってことは……」
ぐぐ〜っ、と。三人の視線がこちらに動く。
「……ちなみにアベルだったら、どうする?」
「そうだなぁ……《湖斬り》で斬るか、《風牙》の派生技で斬るか、業炎剣で湾の海水ごと吹っ飛ばすか……」
「いくつも手段があるんだね……でもどれも規模大きくない? そんなんじゃ港を壊しちゃうじゃん」
「そんなことないよ。少なくとも《風牙》なら抑えられるって」
まあ、それ以外だと大体斬りすぎるか吹き飛ばすかするけど……。
海の中はそれだけ攻撃手段が乏しい、厄介な場所だ。
「まったく仕方ないな。今回はオレに任せておけ。ちゃんと確保してきてやる」
どうするか迷っていると、レイナーレが声を上げた。
「いいのか?」
「もちろんだ。その恩人が魔剣をアベルに渡したおかげで、オレはお前と出会えたのだから。オレにとっても恩人と言えるだろう?」
――なんでこう、こっちの顔が赤くなりそうなセリフをホイホイ言ってくるんだ……!
「では、行くかッ!」
彼女の吊り上がる口角から少し長い、そして鋭い犬歯が見えた。
立派な吸血鬼の牙を見せつける獰猛な笑みを浮かべて、レイナーレは背中からコウモリを思わせる翼を展開し――空に躍り出た。
「と、飛んだ!?」
コウモリを思わせる羽と、風属性魔法の合わせ技のようで、レイナーレは海面スレスレをロールしながら飛んでいく。
これは挑発だな。真下に潜む、海の悪魔への。
湾の中央に差し掛かったところで、空を飛ぶレイナーレの周囲に水柱が立つ。
「来た、クラーケン……! 大丈夫なの!?」
「まあ見てろって。アイツも伊達にSランク並とは言われてないさ」
「ハッハハハ! その程度でオレを捉えられると思われてはなァ!」
レイナーレは鳥が踊るような機動で、クラーケンの触腕を掻い潜ると海面スレスレから上昇する。
触腕はそれを追いかける。となれば――
「出て来たわね、本体! 上に逃げることで誘き出したのね!」
「あ、でも触腕がっ!」
海上に本体が出てきた分だけ触腕のリーチは伸び……遂にレイナーレの脚が、そのぬるっとした太い触腕に巻き付かれた。
「まず……! アベル、助けにいかないと!」
「あられもない姿どころか握りつぶされちゃうわよ!?」
「大丈夫だって、ほら」
飛び出しそうなエルミーの肩を抑える。これってもう、焦るエルミーたちを落ち着かせる方が大変なんじゃないか……?
「安心していろ、三人娘。アベルに向けてサービスシーンをやりたいが、コイツだとスプラッタな方向にしかならないからな。さっさと抜けるぞ」
「興味ないから! ……ないから!」
こんなときでも艶めかしい表情のレイナーレが言葉を飛ばすと――スルッ……と、長い脚が触腕から抜け出した。
「え……なに、今の!? すり抜けたみたいだったんだけど!」
「実際すり抜けてるぞ、アレ」
「あっくん、何か知ってるの?」
「そりゃもちろん、実際に苦しめられたからな。あれは吸血鬼のスキル《変身》の応用だよ」
吸血鬼の持つ《変身》は、動物や水蒸気に姿を変える力。
普通の吸血鬼だったら変身するのは全身。そして少しの時間が必要だ。だから吸血鬼が戦う時は人間の姿をとっている……普通は、な。
「だけどアイツは、強力な真祖の中でも原初、《始祖》だ。変身時間や自由度は他の吸血鬼の比較にならない。あの羽もそうだけど、レイナーレは腕や体の一部を変身させて攻撃を避けてるんだよ」
「それって物理攻撃が効かないってことじゃないの?」
「効かないよ。不意打ちしても水蒸気化したあとで再構築して無傷だから」
戦った時は苦労したよ。斬ってもダメージにならなかったんだから。
「……戦う相手は悲惨ね。どうやっても倒せないじゃない」
「水蒸気を何も残らないように消し飛ばせば勝てる。そうすれば傷になるからな」
「ハッハッハ! お前には赤い魔剣で全身を燃やし飛ばされかけたな! スリリングだったぞ!」
余裕そうだなぁ……。
まあ余裕だろう、今もクラーケンの攻撃を霧化して避けてるし。
腕、脚、腹、頭――どこを攻撃しても、レイナーレには痛打にならない。蒸気にパンチは効かないんだ。
何度叩きつけても当たらず、回避のタネがわからないクラーケンが怒ったのか……八本の脚でレイナーレをとり囲んだ。
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