王子の帰還
夜のトリスは静まりかえっていた。
フィルアネス王子がここを飛び出してから早数日。
旗頭を失った反体制派はすっかり士気を失い、“機竜”の来襲によって閑散とした街並もいまだ廃墟のようだった。
「ログさん、どうぞ」
城郭の見張り部屋で休んでいたログに、タニアがそっと温かいお茶を出した。夜間も立ち続けるログの身体を気遣ったのだろう。
「すまない」
「少し休んだ方がいいですよ。ウォーレンさんとサルディンさんが代わりに外を見張ってくれてるんですから」
“最後の騎士”としてログは立ち続けた。
その噂は傭兵たちの力も借りて近隣に伝わり始めている。
しかし、トリスに集める人の姿は未だなかった。
「……男爵と姫様、どうしているのでしょう?」
タニアが外の夜景を見ながら言った。
二人が王子達を救出し、“機竜”を破壊してくれなければブランダルクに待つのは破滅しかない。
「……戻って来る。そして人々も立ち上がってくれる」
ログは静かに答えた。
「ブランダルクは長らく希望もなく苦しめられた。だから慎重なのだ。本当に王子が自分たちのために立ち上がったと確信できれば、人々も希望を取り戻して必ず共に立ってくれる」
ログは紋章の刻まれた左手を見つめる。
「実は随分と前に神馬の嘶きを聞いた気がした」
「何かあったのですか?」
「わたしにも分からない。だが、悲しげな嘶きだった。きっと閣下たちと“機竜”、そしてオレフとの戦いの決着がついたのだ」
「王子たちは無事なんですか」
「閣下たちの救出は間に合ったと信じている」
タニアが黙ってうつむく。
「でも、王子様は戻って来てくれるでしょうか」
彼女が何を不安に思っているかはログにも分かった。
「フィルアネス殿下は必ず戻って来る」
ログは言った。
「わたしも一度は何もできずにこのブランダルクを去った人間だ。だからこそ、未来を願うこの地の人々の切望は分かっているつもりだ。この機運を逃せないのは殿下も民衆も一緒だ」
その時、こちらに駆けてくる足音が聞こえ、ログは脇に置いていた剣に手を伸ばす。
「副長!」
扉が開き、駆け込んで来たのはウォーレンだ。
「どうした?」
「戻って来られましたぜ、王子様が! 双子の妹姫も一緒ですぜ!」
ログは剣を手にして立ち上がるが、傷が疼いてその場に膝をつく。
「ログさん!」
タニアたちに支えられ、傷の痛みに耐えながらログが立ち上がった。
「大丈夫だ……それよりも早く殿下の所に案内してくれ」
タニアたちに支えられ、ログは城門の前にやって来た。
そこにはサルディンに保護されたフィルアネス王子とフィーリア王女がいた。
まだ城へ連絡していないため、他の者はいなかった。
「ご帰還をお待ちしてました」
ログが告げると王子がゆっくりと頭を下げた。
「すみません、ログ副長。俺のいない間、トリスの留守を守ってくれて」
隣に立つフィーリア王女も兄王子に倣って黙って頭を下げる。
「お二人が無事で何よりです。それで、ここに戻られたのはお二人だけですか?」
双子たちは口を結ぶ。
「俺たちは男爵とリーナさんに助けられた。二人は俺たちを逃し、自分たちは“機竜”と決着をつけるためにそこに留まった。多分、オレフという科学者も来たはずだ……その後の事は俺たちも分からない」
「ねえ、じいじもどうなったか、わからないの?」
足許の地面からいつの間にかプリムが現れていた。
「ごめんね、プリムちゃん」
王女が膝をついてプリムをその手に抱え上げる。
「妖精のおじいちゃんも巨人さんも、エルマさんたちも皆、男爵とお姉ちゃんを助けに向かったの。その後の事はあたしたちも分からないの」
妖精の娘が心配のあまりか、うなだれる。
王女もその表情から不安を隠しきれないでいた。
「……男爵たちは必ず戻って来る」
王子が妹たちを励ますように言った。
「だから、皆が戻ってきても胸を張れるだけの事をしよう。それが俺たちを助けてくれた男爵たちの願いだ」
「……そうだね」
プリムを地面に降ろした王女の視線がログの背後に向けられた。
視線の先にいたのはマリアだ。遠慮がちに立つ彼女は包みに入った箱を大事に抱えていた。
「それがリーデ司祭の──」
マリアが王女に答えて黙ってうなずく。
目の前まで来た王女がその箱を見つめるが、やがて目頭を手で拭った。
「リファ……泣いてくれるのかい? リーデ司祭やあたしはあなたの素性を知りながらそれを隠し、そればかりか利用しようとしたんだよ?」
「分かってる。でも、それでも傍にいてくれた人には変わらないから──」
王女の悲しむ姿にマリアも感極まったのか背を向けて肩を震わせた。
王子が二人の肩にそれぞれ手を置く。
「悲しむのはこの戦いが終わってからだ」
そう諭すと王子がログの姿を見上げた。
「ログ副長。男爵からも許可をもらった。どうか、力を貸して欲しい。貴方にもこの戦いの決着まで一緒にいてもらいたいんだ」
「いまの身体では満足に戦うこともできませんが、できうる限りご助力いたします」
「ありがとう。実は妹が貴方に頼みたいことがあるそうなんだ」
「副長さん! あの神馬をもう一度、あたしに貸してください」
王女も兄と並んでログの前に立つ。
「今度は国中を駆け回って、ガルフィルスとの戦いを訴えて回りたいの。例え偽者の王女だとしても、それでも聞いてくれる人もいるかもしれないから──」
王女の真摯な頼みにログは静かにうなずく。
やがて、ウォーレンが馬を一頭、連れてきた。
ログは手袋を外すと左手を馬に添える。
紋章が輝き、馬が微かに光に包まれた。
神馬の魂が宿った馬はゆっくりと王女の前に来ると背中を差し出すように立ち止まった。
「神馬も協力してくれるようです。ブランダルクを憂いた神女の願いを継ぐ者のために──」
「ありがとう」
リファがその鼻筋をそっと撫でる。
王子もその姿を見守っていたが、やがてログに向き直った。
「行こう、ログ副長。城の皆にも話をしなければならない」
ログはうなずくと、強い意志を湛える王子の瞳を見つめた。
「何か?」
「いえ。ようやく亡き団長や同僚たちに報告できる時が来るのかもしれない。そう思いまして──」
「不吉なことを言われたら困る」
王子はきっぱりと答えた。
「貴方にはログ副長として男爵たちを支える役目が残っている。このブランダルクのために貴方は死んではならない」
王子が微笑みながらそう答える。
「兄ちゃん、行くね」
馬に乗った王女が兄に告げる。
「ああ、頼む。リファ」
王子がそれだけ答えた。
双子たちはそれ以上、声をかけない。互いの覚悟と無事の願いを目で確かめ合っていた。
その姿は固い絆で結ばれた勇士と戦乙女の姿を彷彿とさせるようであった。
ルフィンは神馬に乗って旅立つリフを見送った後、ログたちと共に城に帰還した。
王子の帰還に気づいた城中の者が大騒ぎとなるが、やがて城の主だった者たちが全て謁見の間に集められる。
整列して待ち構える彼らの前にルフィンは一人で現れた。
その姿は城を飛び出した時のままだった。
「そのまま聞いてくれ」
家臣たちが動く前にルフィンは告げる。
居並ぶ重臣や騎士、城の侍従たちの視線が一人の少年に集まる。
王子の声を待つ者たちによって広間は静寂に包まれる。
やがて、ルフィンは自ら両膝をつくと家臣たちの前で深々と手をついた。
その思いもしない行動に家臣たちが一斉にざわめく。
「すまなかった!」
居並ぶ臣下たちに向かってルフィンは頭を下げる。
「どのような理由があっても王となる者が臣下たちを置いて行くなど、あってはならないことだ。それはきっと人の先頭に立つ者にとって何よりも許されない罪だ」
臣下たちのどよめく声が広がる。
「俺の浅はかさに見限っただろう。いまさらノコノコと戻って来て憤慨もしているだろう。それも当然の話だ。だから、ここにいる者たちが俺を王と認めないというなら、俺はそれに従うつもりだ」
ルフィンはその場で足を組んだ。
「誰でもいい。いますぐここで俺の首を落としてくれ」
声が一瞬途切れ、どよめく声と動揺する家臣たちの姿で広間は埋め尽くされる。
「……どういうおつもりですか?」
近くに立つ重臣の貴族が尋ねる。
「俺は自分の戦いに決着をつける──このブランダルクのために命を懸けて戦ってくれた勇士たちと約束したんだ。だから、俺はもう絶対にここから逃げたりしない。例え死ぬしかないとしてもだ」
ルフィンは顔を上げて答えた。
「妹フィーリアもこの戦いを応援してくれる……あいつは俺とブランダルクのために死んだ人間として生きると言ってくれたんだ」
臣下たちが鎮まる。
その中には王室の闇である王女を抹殺しようと思った者も含まれていた。
「だから、表舞台に立つ俺が死人のように生きるわけにはいかないんだ」
少年の眼差しに宿る覚悟と意志を臣下たちも固唾を呑んで受け止める。
「司祭長の後ろ盾はない。孤立する戦いとなるかもしれない。それでも、ここに残ってくれた者たちにお願いする。俺をガルフィルスと戦わせてくれ。あの者によって奪われたものを取り戻すまで──俺の命をこのブランダルクに預けさせてくれ」
ルフィンはその場に懇願するようにもう一度、頭を下げる。
静寂がその場を支配した。
「面をお上げください、殿下」
誰かがそう告げた。
ゆっくりと顔を上げたルフィンの前に広がるのは跪く臣下たちの姿だ。
この場にいる者たち全てがルフィンに恭順の意を示していた。
「我らも正統なる王の許に戦うことを誓います」
「……ありがとう」
ルフィンは立ち上がる。
もちろん、ここにいる全てがルフィンを認めたとは限らない。
全てはこれからの戦いで決まるのだ。
ログは広間の片隅に隠れて成り行きを見守っていたが、やがて彼も剣を柄ごと外すと眼前に掲げながら跪いた。
〈白き楯の騎士〉たちが主君に忠誠を誓う時の姿だ。
この場に立つことのできない騎士たちに代わってその姿を示したのだ。
ログの脳裏に騎士団が壊滅した時の過去が甦る。
騎士団が壊滅して一人で行き倒れた彼を助けてくれたのは先代の“戦乙女の狼犬”ルーヴェンだった。
そして彼の遺志を継ぐ若き“狼犬”の戦いがフィルアネス王子を強くし、このブランダルクの希望にまで育とうとしている。
(全ては貴方に助けられたことから始まりました。本当に感謝いたします、ルーヴェン閣下──)
偉大なる英雄の姿を胸にするログ。
そして英雄の願いを継ぐ若き勇士の無事と帰還をあらためて願うのだった。
ブランダルク国境付近──
「なんでこんな目に遭わねばならんのだ!?」
にわか雨の中、敗残兵となった騎士隊長と兵士たちが遁走を続けていた。
反司祭長派に属した彼らの出陣目的はブランダルクの動乱にかこつけた版図の拡大、そして権力を握る司祭長の牽制にあった。
しかし、実際に相手にさせられたのは予想もしなかった古代兵器群だった。
「どうして機械に襲われなきゃならねえんだよ!」
「知るか!」
負傷した兵士たちが次々に恨み言をつぶやく。
この“聖域”で古代兵器が普通に稼働すること自体がありえないはずだが、実際に襲ってこられては人間の力だけで太刀打ちできる相手ではなかった。
そして、いまも後方から機械音の遠吠えがする。
「急げ! まだ追ってくるぞ!」
浮き足立つ騎士部隊の行く手で草木がざわめいた。
新手と警戒した部隊の前に現れたのはいかにも荒くれ者然とした傭兵たちだった。
先頭に立つのは傭兵隊長の男のようだが、その姿に騎士隊長は鼻白む。
頭に黄金の蛇の飾りをいくつも括り付けていた。剣を持つ右腕にも蛇革をグルグルに撒きつけており、それは全身の革鎧の上にまで撒かれている。
一見して蛇づくめだった。
「おお! これは何ということだ! 屈強な騎士殿たちがこうも傷ついているとは!」
蛇革の隊長が声を張り上げる。
「機械連中が手当たりしだい襲いかかっているっていう噂! やはり本当だったようですぜ!」
「まずいじゃないですか! 早く何とかしないと!」
「ああ、確かにこのままでは全滅しかねない!」
「こいつは酷い有り様だ!」
部下の傭兵たちも同調するというか、危機を煽るように騒ぎ出す。
「貴様たちは傭兵か! だったら頼む! 力を貸してくれ!」
騎士隊長は藁にもすがる思いで助けを求める。傭兵たちの胡散臭さも命の危険の前にすっかりと吹き飛んでいた。
「無論、我らは傭兵。幸いにも現在は雇い主を探す身。お望みならば力をお貸ししないこともない」
「か、金か! 約束する! この有り様で手持ちの金がないが、国に戻れば必ず支払う!」
傭兵隊長が騎士隊長に顔を近づけ、値踏みするようにその目を睨む。傭兵隊長の目は鋭く、これぞ蛇に睨まれた何とかのような気持ちになる。
「……疑うのは失礼と承知ながら、その言葉に嘘はございませんでしょうな? この商売をしていると平気で約束を破る相手を嫌でも見てきたものでしてな」
「ほ、本当だ! 頼む! 我が名はレドルトワの男爵ローゾウィックだ! 約束に二言はない!」
背後から機械の咆哮が聞こえた。すでに間近に迫っていたのだ。
「お願いだ! こんな所で死ぬわけにいかんのだ!」
傭兵隊長は腕組みをして考える素振りをしたが、やがて目を見開く。
「承知した。祖国のためにここで死ぬことのできぬ騎士殿の誇り、根無し草のそれがしにもしかと伝わりました。この“蛇剣士”カートラッズ、確かに引き受けましたぞ」
そう言って“蛇剣士”は傭兵たちに号令を下す。
「話は決まりだ。いまから我らはこのお方の兵として行動する! ローゾウィック様とその兵殿の退路を守れ!」
「感謝するぞ!」
騎士の部隊は撤退を急ぎ、傭兵たちがその場に踏み留まる。
やがて、追って来た機械の狼たちが現れた。その数は三匹だ。
「いいか! 下手に攻撃しようとするな! 死ぬような事だけはするなよ!」
カートラッズは号令をかけると傭兵たちが壁となって行く手を阻む。
だが、阻むと言えば聞こえはいいが、要は自分たちが注意を引いて騎士たちの撤退まで時間を稼ぐことだった。
狙ってくる機械の狼たちを傭兵たちは遠巻きにしながら武器で牽制を続ける。
「うあッ!? 隊長!?」
狼の一匹が隙を突いて飛びかかり、傭兵の一人を組み伏せる。
仲間たちが武器で狼を引き離そうとするが、鉄の体躯を持つ狼は刃では傷を負わない。仲間の喉笛を狙う牙を押さえるだけで精一杯だ。
陣形が崩れた傭兵たちを他の狼たちも狙って飛びかかろうとする。
「ゴードン! 武器を捨てろ! そして動くな!」
カートラッズは自分を狙う鉄狼と対峙すると狼に組み伏せられた部下に叫ぶ。
「し、しかし──」
「死にたくなければやれ! 手本を見せてやる!」
鉄狼が牙を向いて走るが、カートラッズは自ら剣を捨てるとその場から動かなかった。
部下たちが肝を冷やすが、カートラッズは臆する素振りを一切見せずにいた。
すると不思議な事に鉄狼は彼の前で襲うのを止める。
「見ての通りだ! やれ!」
ゴードンがまず武器を捨てて動きを止める。
すると組み伏せた狼が獲物を失ったかのようにその場から飛び退くと、他の傭兵たちを獲物として物色し始める。
他の傭兵たちも彼に倣い、武器を捨ててその場から動くのを止めた。
無抵抗になった傭兵たちを前にした狼たちはやがて、静かにその場から立ち去っていった。
狼たちの気配が消えたのを確認したカートラッズはその場で地面に腰を下ろす。
「……情報通りだな」
「隊長、何であいつらは急に大人しくなったんで?」
「タレコミがあったのさ」
カートラッズは部下たちに説明する。
古代兵器群は支配していた相手からの命令が絶えているため、最後に下された命令に従って行動しているという事。それは武器を持つか、逃げている相手を標的にして襲撃する命令であり、武器を手放して立ち止まれば古代兵器は大人しくなるという情報だった。
「そんな単純な仕掛けだったんですかい。ですが、そんな情報をいったいどこから?」
「俺らとは頭のデキが違う御仁がいてな。こいつらの親玉の命令をいくつか推測して、その情報をテトアに速達で送って来たのさ」
「それであのギルド記者の姉ちゃんが慌ててたわけですかい? でもいくつかって、それって外れてたら隊長もやばかったんじゃ──」
「仕方あるまい。どれが正解かは実際に試して確かめてくれという、ありがたいお言葉付きだったからな。だが、これを他の連中にも教えてやれば貸しを作れるというもんだ」
「しかし、あの機械連中、放っておいて大丈夫なんですかね?」
「“聖域”の働きが乱れているので時間差はあるらしいが、いずれ魔力が尽きて勝手に動かなくなるらしい」
カートラッズは立ち上がると不敵に笑う。
「ともかく仕掛けさえ分かれば機械連中も俺たち傭兵を売り込む舞台装置に過ぎん。他国のお偉方に取り入るために無駄に命を落とすことはない──“龍聖”にこの事を急いで教えるようにテトアに言ってこい」
「了解しましたぜ」
伝令役の部下たちが走る。
テトアと“龍聖”が傭兵組織の情報網を駆使してこの事実をすぐに拡散するだろう。
「ところで、血統書付きのダンナはご無事なんですかね?」
残った傭兵の一人がカートラッズに尋ねる。
「今後の商売もダンナが上手くやってくれなきゃ始まらないですらね」
「“機竜”の噂も聞かなくなった。向こうも上手くやったのだろう。ま、無事かどうかはじきに確かめることになる」
カートラッズは剣を近くの岩に何度か斬りつけ、自ら刃こぼれを作る。
「いまは騎士連中について行く方が先だ。危険な鉄の狼たちは俺たちが追っ払ったと報告もせねばな。いつものように怪我人の用意を頼むぞ」
「固くて手強い狼でしたからね。ゴードンはまず決まりで、あと四人は用意しておきますぜ」




