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音の鳴る石  作者: 山吹 ことり


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第三章 青い歌

 カイヤナイトのネックレスが編集部へ届いたのは、シトリンのピアスが現れた翌朝だった。


 細長い箱に入っていた。


 黒い布の上に、青い石が置かれている。


 写真で見たものと同じ形。


 細く、平たい結晶。


 濃い青の中に、白い筋が走っている。


 送り状はない。


 差出人もない。


 箱の蓋の裏に、小さな紙が一枚だけ貼られていた。


 聞くだけにしてください。


 澪は箱を閉じた。


 机の引き出しには、スモーキークオーツのリングがある。


 その隣に、封筒へ入れたシトリンのピアス。


 まだ二つとも返せていない。


 返す相手も、返し方も分からなかった。


 リングの取材相手だった女性には、連絡がつかない。


 シトリンについて話した由香も、翌日から電話に出なくなった。


 録音は残っている。


 知らない自分の返事。


 右耳だけに入る笑い声。


 どちらも、何度再生しても消えなかった。


 三つ目の住所は、市外にある古い録音スタジオだった。


 十五年前に閉鎖され、現在は倉庫として使われている。


 写真の裏に書かれていたのは、そのスタジオ名と、ひとりの男性の名前だった。


 柴崎冬馬。


 当時二十三歳。


 歌手を目指していた。


 スタジオ閉鎖の前年、録音中に倒れ、そのまま声を失った。


 死亡してはいない。


 現在も市内に住んでいることが分かった。


 取材の申し込みに対し、本人からは一度断られた。


 石について聞きたいと伝えると、数日沈黙したあと、短く返信があった。


『ネックレスは、そちらにあるんですか』


「あります」


『つけていませんよね』


「はい」


『絶対につけないでください』


 取材場所には、冬馬の自宅が指定された。


 郊外にある古い一戸建てだった。


 玄関を開けた男性は、四十歳前後に見えた。


 首元まで伸びた髪。


 痩せた頬。


 喉の中央に、横へ走る細い傷がある。


「佐伯です」


 澪が名乗ると、冬馬は黙って中へ通した。


 声は出さなかった。


 リビングのテーブルには、ノートと太いペンが用意されている。


「お話は、筆談で?」


 冬馬は頷いた。


 澪は録音機を取り出しかけて、手を止めた。


「録音は、しない方がいいでしょうか」


 冬馬はすぐにノートへ書いた。


 してください。


 続けて、その下に書く。


 声がないことを、残しておきたい。


 澪は録音機を置いた。


 赤いランプが点灯する。


「まず、ネックレスを手に入れた経緯から伺います」


 冬馬はしばらく考えてから書いた。


 店で買った。


「店の名前は覚えていますか」


 古い店。


 楽器も本もあった。


「場所は?」


 覚えていない。


「誰かに勧められたんですか」


 置いてあった。


「自分で選んだ?」


 冬馬のペンが止まった。


 少しして、書き直す。


 選んだと思っていた。


 澪はその言葉をノートへ写した。


「ネックレスをつけて、何が起きましたか」


 歌えるようになった。


「それ以前は?」


 下手だった。


 冬馬は書いてから、少しだけ笑った。


「声が変わったんですか」


 きれいになった。


 高い声も出た。


 誰でも振り向いた。


「急に?」


 初めてつけた日から。


「周囲の反応は」


 才能があると言われた。


 澪は青い石の入った箱を鞄から出した。


 冬馬の表情が硬くなる。


「開けても?」


 冬馬は首を振った。


 強く。


 澪は箱を机の端へ置いた。


「これは、あなたが持っていたものと同じですか」


 冬馬は箱を見たまま動かなかった。


 やがてノートへ書く。


 同じではない。


「違いが分かるんですか」


 同じものはない。


「でも、よく似ている?」


 冬馬は頷いた。


「あなたのネックレスは、今どこに」


 なくなった。


「倒れた日に?」


 はい。


「何があったのか、教えてください」


 冬馬はペンを握ったまま、長く黙っていた。


 録音機の赤いランプが点いている。


 部屋の時計が秒を刻む。


 外を走る車の音。


 それ以外は何も聞こえない。


 冬馬が書き始めた。


 新曲を録っていた。


 何度歌っても、うまくいかなかった。


 スタッフは休もうと言った。


 でも、あの日は声が出た。


「ネックレスをつけていたから?」


 冬馬は頷く。


 次の行。


 自分の声ではなかった。


「誰の声でしたか」


 分からない。


 たくさんいた。


「複数の声が重なっていた?」


 違う。


 冬馬は強く線を引いた。


 ひとつの声の中に、たくさんいた。


 澪はペンを止めた。


「録音は残っていますか」


 冬馬は首を振った。


 消した。


「自分で?」


 スタッフが。


「聞いたんですか」


 全員。


「その録音には、何が入っていたんでしょう」


 冬馬はノートを見たまま、書いた。


 歌ではなかった。


「では、何が」


 名前。


「誰の名前ですか」


 録音を聞いた人の名前。


 澪は冬馬を見る。


「全員分?」


 冬馬は頷いた。


「あなたの名前も?」


 最後に。


 部屋の中が妙に静かになった。


 録音機のレベルメーターは動いていない。


「そのあと、倒れた」


 冬馬は喉の傷へ触れた。


 そして書く。


 起きたら、声がなかった。


「医師の診断は?」


 声帯に異常はなかった。


「それでも声が出ない?」


 出そうとすると、別の声が出る。


 澪はその文章を見つめた。


「今も?」


 冬馬は頷いた。


「どんな声ですか」


 冬馬は答えなかった。


 代わりに、録音機を指した。


「録音すれば分かる?」


 首を振る。


 録音したときだけ出る。


 澪は意味を測りかねた。


「今、この場で声を出すことはできますか」


 冬馬の顔から、わずかに血の気が引いた。


 すぐにノートへ書く。


 聞かないでください。


「無理にはお願いしません」


 澪は録音機を見た。


「その声が、ネックレスに関係していると思いますか」


 冬馬は長く迷ったあと、書いた。


 石は、声をくれた。


 その代わりに、私の声を持っていった。


「誰が?」


 そこまで書いて、冬馬は手を止めた。


 視線が、澪の鞄へ向く。


 青い石の入った箱。


 蓋は閉じている。


「どうしました」


 冬馬は、指を口元へ当てた。


 静かに。


 そう示している。


 澪も黙った。


 時計の秒針。


 冷蔵庫の低い音。


 遠くの車。


 それだけ。


 しばらくして、冬馬が録音機を指した。


 レベルメーターが動いていた。


 誰も話していない。


 細い波形が、一定の間隔で上下している。


 澪は録音を止めなかった。


「何か聞こえますか」


 冬馬は首を横に振る。


 だが、顔は強張っている。


 澪はイヤホンを差した。


 片耳だけにつける。


 最初は何も聞こえなかった。


 部屋の雑音だけ。


 その奥に、細い声がある。


 歌っている。


 歌詞は分からない。


 低く、かすかな旋律。


 澪は音量を上げた。


 冬馬が身を乗り出し、止めようとする。


 その前に、声がはっきりした。


 歌ではなかった。


 同じ言葉を、ゆっくり繰り返している。


『佐伯澪』


 澪はイヤホンを外した。


 冬馬がノートへ強く書く。


 聞こえましたか。


 澪は答えなかった。


 録音を停止する。


 赤いランプが消える。


「私の名前でした」


 冬馬は目を閉じた。


 その反応で、十分だった。


「あなたのときも、同じだったんですね」


 冬馬は頷いた。


 録音を聞いた人の名前。


 最後に、自分の名前。


 澪は録音データを再生しなかった。


 代わりに、箱を鞄へ戻す。


「この石は、どうすればいいでしょう」


 冬馬はノートへ書いた。


 返してください。


「どこへ?」


 店へ。


「場所を覚えていないんですよね」


 冬馬は少し考え、書く。


 石が知っている。


「どういう意味ですか」


 持っていれば、行ける。


 澪はその文章を見た。


「あなたは行かなかったんですか」


 行けなかった。


「なぜ?」


 冬馬は喉へ手を当てた。


 それから、最後の一文を書いた。


 店に着く前に、歌い始めるから。


 取材を終え、澪は冬馬の家を出た。


 外はまだ明るかった。


 風が少し強い。


 住宅街の生活音が戻ってくる。


 自転車のブレーキ。


 犬の鳴き声。


 遠くの工事音。


 どれも普通の音だった。


 駅へ向かう途中、澪は録音機を取り出した。


 再生するつもりはなかった。


 録音時間だけ確認しようと、画面を点ける。


 新しいデータが保存されている。


 取材時間は五十二分。


 その下に、別の短いデータが一件あった。


 録音した覚えはない。


 ファイル名は、名前。


 再生時間は七秒。


 澪は立ち止まった。


 削除しようとした。


 だが、その前にスピーカーから音が流れた。


 再生ボタンには触れていない。


 冬馬の声だった。


 初めて聞く声。


 静かで、よく通る声。


『次は、あなたが歌う』


 そのあと、短い旋律が続いた。


 澪は録音機の電源を切った。


 音は止まらなかった。


 鞄の中。


 青い石の入った箱から、同じ旋律が聞こえていた。


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