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音の鳴る石  作者: 山吹 ことり


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第四章 取材

 三件目の取材を終えた翌日、澪は編集長に呼ばれた。


「石の方、どう?」


「まだ整理できていません」


「使えそう?」


「たぶん」


「じゃあ、来週まででいいよ」


 編集長はそう言って、別の資料を机へ置いた。


 薄いファイル。


 表紙には、三人組の写真が印刷されている。


「その前に、こっちお願い」


「音楽ですか」


「夏の特集。若手バンドを何組か載せることになって」


 写真の下に、Snow flakesと書かれている。


 三人組。


 ギターボーカル。


 ベース。


 ドラム。


 名前は知っていた。


 最近、音楽番組や配信サービスでよく見かける。


 澪はファイルを開いた。


 経歴。


 過去のインタビュー。


 新曲の資料。


 宣材写真。


 ホラーとは関係のない、普通の取材だった。


「今日の午後、会議室押さえてあるから」


「今日ですか」


「先方の都合がそこしか合わなかったの。質問は音楽担当が作ってある」


 編集長は澪の顔を見た。


「顔色悪いよ」


「寝不足です」


「石の音でも聞こえた?」


 冗談めかした声だった。


 澪は笑えなかった。


 机の引き出しには、三つのアクセサリーが入っている。


 スモーキークオーツのリング。


 シトリンのピアス。


 カイヤナイトのネックレス。


 どれも、持ち主から預かった覚えはない。


 それでも、気づけば手元にあった。


 編集部へ持ち込むべきではなかったのかもしれない。


 自宅へ持ち帰る気にもなれなかった。


 捨てることもできなかった。


 引き出しの奥で、音はしない。


 少なくとも、昼間は。


「大丈夫です」


 澪はSnow flakesの資料を閉じた。


「行ってきます」


 取材は、所属事務所の会議室で行われた。


 長机。


 白い壁。


 空調の低い音。


 窓のない、どこにでもある部屋だった。


 澪は三十分前に入り、録音機を机の中央へ置いた。


 電源を入れる。


 赤いランプが一度だけ点き、すぐに消えた。


 三件目の取材以降、あの歌は聞いていない。


 録音機の中には、消していないデータが残っている。


 引っかく音。


 笑い声。


 名前を呼ぶ声。


 再生しなければ、何も起こらない。


 そう思うことにしていた。


 会議室の扉が開く。


「よろしくお願いします」


 最初に入ってきたのは、明るい髪色の男だった。


 資料で確認した顔。


 ドラムのハヤテ。


 その後ろにコウタ。


 最後にヒナタが入ってくる。


 三人とも、写真で見るより普通だった。


 スタッフへ挨拶し、席を確認する。


 ハヤテが中央。


 コウタとヒナタが両側に座った。


「今日はよろしくお願いします」


 澪も名刺を差し出した。


「月刊異聞の佐伯です」


「異聞?」


 ハヤテが名刺を見ながら笑った。


「音楽誌じゃないんですね」


「今回は夏の音楽特集を組むことになりまして」


「なるほど」


 コウタが小さく頷く。


 ヒナタは名刺を一度見て、机へ置いた。


 澪は質問用紙を広げた。


「録音してもよろしいでしょうか」


「どうぞ」


 ハヤテが答えた。


 澪は録音ボタンを押す。


 赤いランプが点灯した。


「では、まず新曲について伺います」


 取材は穏やかに進んだ。


 曲ができた経緯。


 三人で音を組み立てる方法。


 ライブと録音の違い。


 最近、印象に残ったステージ。


 ハヤテが話を広げ、コウタが補足する。


 ヒナタは必要なことだけ短く答える。


 途中で何度か笑いが起きた。


 録音機のレベルメーターも正常に動いている。


 何もおかしなことはない。


 澪は少しずつ肩の力を抜いた。


 ホラーではない取材。


 普通の会話。


 普通の音。


「楽曲制作のとき、最初に決めるのは何ですか」


「曲によりますね」


 コウタが答えた。


「言葉からのときもあるし、コードからのときもある」


「ヒナタさんは?」


「音」


「音?」


「最初に残った音から作る」


「残った音というのは」


「頭に残ってるもの」


 ヒナタはそれ以上説明しなかった。


 澪はノートへ書き込もうとした。


 そのとき、コウタの右手が目に入った。


 黒に近い茶色のリング。


 煙を閉じ込めたような石。


 澪のペン先が止まった。


 よく似ている。


 机の引き出しに入っている、スモーキークオーツのリングと。


 同じものではない。


 コウタのリングは台座の形が少し違う。


 石もわずかに大きい。


 ただ、石の奥に浮かぶ濁り方が、あまりにも似ていた。


「どうしました?」


 コウタが澪を見る。


「いえ」


 澪は視線を質問用紙へ戻した。


「続けます」


 次の質問を読み上げる。


 ハヤテが答える。


 話を聞きながら、澪は彼の左耳を見た。


 小さな黄色い石が揺れている。


 シトリン。


 片耳だけ。


 金具の形まで、二件目のピアスに似ていた。


 右耳の奥で、女の笑い声が蘇る。


 見つけた。


 澪は無意識に、自分の右耳へ触れた。


「耳、痛いですか」


 ハヤテが聞いた。


「少し、違和感が」


「気圧かな」


 ハヤテは軽く笑った。


「俺もたまにあります」


「笑い声が聞こえることは?」


 言ってから、質問用紙にないことに気づいた。


 三人が澪を見る。


「すみません」


 澪はペンを置いた。


「変な質問ですよね」


「まあ」


 ハヤテは困ったように笑った。


「ありますけど」


 澪は顔を上げた。


「あるんですか」


「たまに。誰もいないのに、後ろで笑った気がするとか」


「そのピアスをつけているときに?」


 ハヤテは耳元へ触れた。


「これ?」


「はい」


「どうだったかな」


 コウタが横から言う。


「前にも言ってたよな。ホテルで」


「ああ、あった」


 ハヤテは思い出したように頷いた。


「廊下でずっと笑ってる人がいるって」


「確認したんですか」


「したけど、誰もいなかったです」


「怖くなかったんですか」


「怖かったですよ」


 ハヤテは素直に答えた。


「その日は、コウタの部屋に逃げました」


「来たな」


 コウタが淡々と言う。


「夜中に」


「だって怖かったから」


 会話は軽い。


 冗談話のようだった。


 澪は笑えなかった。


「そういうことは、よくあるんですか」


「よくはないですけど」


 ハヤテが少し考える。


「音やってると、変な話はありますよ」


「例えば?」


「誰もいないステージで音がするとか」


 コウタが続けた。


「録音したら、弾いてない音が入ってたとか」


「原因は?」


「分からないままです」


「調べないんですか」


「調べて分かるなら」


 コウタは肩をすくめた。


「怖いときは、普通に怖いですけど」


 ハヤテが笑う。


「その日は早く帰るくらいです」


 澪はヒナタを見た。


 首元に、青い石が下がっている。


 カイヤナイト。


 細長い結晶。


 濃い青の中に、白い筋。


 三つ目のネックレスと、よく似ている。


「ヒナタさんも、何か聞いたことがありますか」


「あります」


 即答だった。


「歌ですか」


 ヒナタの目が、わずかに細くなった。


 澪の指先が冷たくなった。


「似た話を、取材したことがあるので」


「録音に入るやつ?」


「はい」


「……あるな」


 ヒナタはネックレスへ触れなかった。


「誰も鳴らしてないのに、音が入ってたり」


「何を歌っていましたか」


「歌っていうか……」


「言葉は?」


「なかったと思う」


「怖くなかったんですか」


「怖かったですよ」


 ヒナタは普通に答えた。


「でも音だから」


 澪は録音機を見た。


 赤いランプは点いている。


 レベルメーターは、三人の声に合わせて動いている。


「それで、どうしたんですか」


「普通に曲作って」


「そのままに?」


「気にしなければいい」


 ヒナタの答えに、コウタが小さく頷いた。


「変な音って、追うと近くなる気がするんですよ」


「近くなる?」


 澪は聞き返した。


「気のせいかもしれないですけど」


 コウタは自分のリングを指で回した。


「中で鳴ってるだけなら、放っておく」


「中で?」


「カリカリするんです」


 澪は息を止めた。


「その指輪が?」


「たぶん」


「外しても?」


「外すと、別のところで鳴るから」


 リングの持ち主だった女性の言葉と同じだった。


 澪は鞄を見る。


 今日は三つの石を持ってきていない。


 編集部の机に置いてきた。


 それなのに、鞄の中から小さな音がした。


 カリ。


 澪だけが反応した。


 三人は普通に座っている。


「今の音、聞こえましたか」


 澪が尋ねる。


「何か鳴りました?」


 ハヤテが周囲を見る。


 コウタも録音機へ視線を向けた。


 ヒナタだけが、澪の鞄を見ている。


「その中」


 低い声だった。


「え?」


「さっきから鳴ってる」


 澪は鞄へ手を伸ばした。


 中にはノートと筆記具しか入っていない。


 録音機は机の上にある。


 鞄を開く。


 底に、小さな黒い箱があった。


 持ってきていないはずの箱。


 スモーキークオーツのリングを入れていたものだった。


 澪は蓋を開けなかった。


「どうしました?」


 ハヤテの声が少し硬くなる。


「いえ」


 澪は鞄を閉じた。


「すみません。取材を続けます」


 残りの質問を終えるまで、三人の石は何も鳴らなかった。


 笑い声も。


 引っかく音も。


 歌も。


 取材終了後、澪は録音を止めた。


「ありがとうございました」


「こちらこそ」


 三人が立ち上がる。


 コウタが資料をまとめ、ヒナタは先に扉へ向かった。


 ハヤテだけが、少し残った。


「あの」


 澪は呼び止めた。


「そのアクセサリーは、どこで手に入れたんですか」


 ハヤテが自分のピアスへ触れる。


「三人ともですか?」


「はい」


 コウタとヒナタも足を止めた。


「Under tone」


 ハヤテが答えた。


 澪は、その店名をノートへ書いた。


「どんな店ですか」


「古い店です」


 コウタが言う。


「楽器も、本も、アクセサリーもあった」


「場所は覚えていますか」


 三人とも、すぐには答えなかった。


「駅から歩いた気がする」


 ハヤテが言う。


「地下ですか?」


 コウタが首を傾げる。


 ヒナタは短く答えた。


「路地裏」


「店主の名前は?」


 コウタとヒナタは黙っている。


 少し間を置いて、ハヤテが言った。


「ナギ」


 ハヤテはそれ以上説明しなかった。


 澪はUnder toneの文字を囲んだ。


「今も、その店はありますか」


「分からないです」


「でも」


 ハヤテは少し笑った。


「必要なら、たぶん見つかりますよ」


「どういう意味ですか」


「俺たちも、探して入ったわけじゃないから」


 三人が会議室を出ていく。


 扉が閉まる。


 部屋には、澪だけが残った。


 空調の音。


 机の上の録音機。


 閉じた鞄。


 澪はしばらく動かなかった。


 それから、録音を最初から確認した。


 新曲の話。


 ライブの話。


 三人の笑い声。


 普通の取材音声だった。


 石について尋ねた部分まで進める。


『笑い声が聞こえることは?』


『ありますけど』


 ハヤテの声。


 右チャンネルに、別の笑い声は入っていない。


『中で鳴ってるだけなら、放っておく』


 コウタの声。


 引っかく音はない。


『誰も鳴らしてのに、音が入ってた』


 ヒナタの声。


 歌も入っていない。


 澪は少し安心した。


 三人のアクセサリーは、よく似ているだけ。


 同じ石が使われている。


 同じ店で売られていた。


 それだけなのかもしれない。


 録音の最後。


『今日はありがとうございました』


『こちらこそ』


 椅子を引く音。


 紙をまとめる音。


 三人の足音。


 扉が閉まる。


 そのあとも、録音は数秒続いていた。


 誰もいない会議室。


 空調の低い音。


 澪が鞄を開く音。


 そこで、小さな声が入った。


 コウタの声だった。


『今日、静かだったな』


 澪は再生を止めた。


 その会話は、三人が会議室を出たあとに録音されている。


 続きを再生する。


 ハヤテが答える。


『うん』


 少し間がある。


 ヒナタの声。


『あの人が持ってたから』


 沈黙。


 ハヤテが、小さく笑った。


『そっち行ってたんだ』


 録音が終わった。


 澪は閉じた鞄を見た。


 黒い箱の中から、硬いものを引っかく音がした。


 カリ。


 その直後。


 右耳で、女が笑った。


 鞄の奥から、低い歌声が聞こえた。


 三つの音が、初めて同時に鳴った。


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