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音の鳴る石  作者: 山吹 ことり


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第二章 片耳の光

 シトリンのピアスについて調べ始めたのは、リングの取材から三日後だった。


 スモーキークオーツのリングは、澪の机の引き出しに入っている。


 布で包み、小さな箱へ入れ、その上から輪ゴムを二重にかけた。


 捨てることも考えた。


 だが、持ち主の妹へ返そうにも、連絡先が分からなくなっていた。


 取材前に交換したはずのメールは、受信箱にも送信済みにも残っていない。


 電話の履歴もなかった。


 録音だけが残っている。


 中にいる人。


 その声を聞き返すたび、女の声の後ろに小さな音が入った。


 カリ。


 澪はそれ以上、再生しないことにした。


 二件目の住所は、市内にある古いマンションだった。


 写真の裏に書かれていた部屋番号と、三年前に起きた失踪事件の住所が一致している。


 行方不明になったのは、三浦佳奈という二十九歳の女性だった。


 帰宅途中の防犯カメラに映ったのを最後に、消息を絶っている。


 事件性を示すものは見つからなかった。


 マンションの入口には、黄色い石のピアスが片方だけ落ちていた。


 新聞記事には、それ以上のことは書かれていない。


 澪は当時、佳奈と同じ英会話教室で働いていた女性に連絡を取った。


 名前は田辺由香。


 取材場所には、駅前の喫茶店を指定された。


「三浦さんとは、親しかったんですか」


「同じ時間帯に入ることが多かったので」


 由香はコーヒーへ口をつけず、両手でカップを包んでいた。


 三十代半ば。


 髪は短く、声が小さい。


「失踪する前、何か変わった様子はありましたか」


「笑うようになりました」


 澪はノートから顔を上げた。


「以前は、あまり笑わない方だった?」


「そういう意味ではなくて」


 由香は店内を見回した。


「一人でいるときに、笑っていたんです」


「独り言のような?」


「誰かと話しているように見えました」


 澪は録音機のスイッチを確認した。


 赤いランプが点灯している。


「本人に聞いたことはありますか」


「一度だけ」


「何と答えました?」


「姉と話してるって」


「お姉さんがいたんですか」


「亡くなっています。子どもの頃に」


 由香は指先で、右耳たぶを触った。


「ピアスも、お姉さんのものだと言っていました」


「黄色い石の?」


「はい。片方しか残っていないけど、それでいいって」


「もう片方は?」


「姉が持っているからって」


 澪はペンを止めた。


「冗談ではなく?」


「三浦さんは、普通に言っていました」


 店内では、食器の触れ合う音がしている。


 隣の席では、学生らしい二人が小声で話していた。


 誰かが笑った。


 澪は反射的に録音機を見た。


「どうしました?」


「いえ。続けてください」


「最初は、思い出話をしているだけだと思っていました」


 由香は右耳から手を離した。


「でも、だんだん内容がおかしくなって」


「どんなふうに?」


「姉が呼んでいる、と言うようになったんです」


「どこへ?」


「帰る場所へ」


「具体的な場所は?」


「聞いても、笑うだけでした」


 由香はそこで初めて、コーヒーを一口飲んだ。


「失踪した日の前日も、職場に来ています」


「変わった様子は?」


「嬉しそうでした」


 澪はリングの取材を思い出した。


 見つかった。


 そう言って、亡くなった女性も嬉しそうに泣いていた。


「何があったんでしょう」


「姉が近くに来ているって」


「見えたんですか」


「聞こえるだけだと言っていました」


「声が?」


「笑い声です」


 由香は録音機を見た。


「右耳だけで聞こえるそうです」


「ピアスをつけている方ですか」


「はい」


「外したことは?」


「外すと、左耳から聞こえると言っていました」


 澪はノートへ書き込んだ。


「どんな笑い方だったか、聞いていますか」


「楽しそうな声だと」


 由香は目を伏せた。


「でも、三浦さん自身は、聞くたびに顔色が悪くなっていました」


「怖がっていた?」


「たぶん」


「それでも、ピアスを外さなかった」


「外せなかったんだと思います」


「物理的に?」


「いいえ」


 由香は少し考えた。


「外したままにしておくと、誰かに悪いことをしている気がする、と言っていました」


 録音機のレベルメーターがわずかに動いた。


 澪は画面を見る。


 由香は話していない。


 店内の雑音に反応したのだろう。


「失踪当日のことを教えてください」


「仕事は休みでした」


「最後に連絡を取ったのは?」


「前の晩です」


「電話ですか」


「メッセージが来ました」


「内容は残っていますか」


 由香はスマートフォンを取り出した。


 画面を何度か操作し、澪へ向ける。


 短い文章だった。


 迎えに来た。


 これで、両方そろう。


「このあと、返信は?」


「何度か送りました。でも既読にはなりませんでした」


「両方というのは、ピアスのことだと思いますか」


「警察にも同じことを聞かれました」


「由香さんは、どう答えたんですか」


「そうだと思う、と」


「もう片方が見つかった?」


「違います」


 由香は小さく首を振った。


「三浦さんは、自分がもう片方になるつもりだったんじゃないかと」


 澪はすぐには意味を理解できなかった。


「ピアスの?」


「片方しかないから、ずっと姉を探していたんです」


「では、三浦さん自身が」


「姉のところへ行けば、一組になる」


 由香の声がさらに小さくなった。


「そう思っていたのかもしれません」


 取材は一時間ほどで終わった。


 由香は最後まで、ピアスの写真を見ようとしなかった。


「記事にするんですか」


「まだ分かりません」


「写真は載せないでください」


「なぜですか」


「見た人に、聞こえるかもしれないから」


「笑い声が?」


 由香は答えず、席を立った。


 澪は一人で録音を確認した。


 店内の雑音。


 食器の音。


 由香の低い声。


 特に異常はない。


 姉と話していたという部分まで戻す。


『誰かと話しているように見えました』


『本人に聞いたことはありますか』


『一度だけ』


 その直後。


 女の笑い声が入っていた。


 短く、息を漏らすような笑い方。


 店内の客の声にも聞こえる。


 澪は再生を続けた。


『何と答えました?』


『姉と話してるって』


 また笑い声。


 今度は少し近い。


 澪はイヤホンの右側を外した。


 左耳だけで聞く。


 笑い声は入っていない。


 右耳へ戻す。


 聞こえる。


 澪は録音機の設定を確認した。


 ステレオ録音。


 右チャンネルにだけ、声が入っている。


 偶然、右側の席にいた客の声を拾ったのかもしれない。


 録音場所を思い返す。


 右側には壁しかなかった。


 もう一度、最初から確認する。


 由香がピアスの話を始めるたび、右チャンネルに笑い声が入っていた。


 最初は遠い。


 少しずつ近づく。


 最後の部分。


『三浦さん自身が、もう片方になるつもりだったんじゃないかと』


 そのあと、由香は黙っている。


 澪も何も言っていない。


 右耳だけで、女が笑った。


 今度は耳元だった。


 そして、言った。


『見つけた』


 澪はイヤホンを外した。


 録音を止める。


 店内の音が急に戻ってきた。


 食器。


 コーヒーミル。


 話し声。


 笑い声。


 どれも普通だった。


 澪は録音データを消さずに、録音機を鞄へ入れた。


 そのとき、右耳で小さな金属音がした。


 チリ。


 振り向く。


 誰もいない。


 耳たぶへ触れる。


 ピアスはつけていない。


 それでも、指先に何かが揺れた感触が残った。


 編集部へ戻ると、机の上に小さな封筒が置かれていた。


 差出人はない。


 中には、黄色い石のピアスが一つ入っていた。


 写真と同じ、片方だけのシトリン。


 澪は触れなかった。


 録音機の右側から、女の笑い声がした。


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