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スタジオと収録

 翌々日、収録スタジオへ向かうことになった。


 まず最初に普光院さんの自宅近くの公園で彼女と落ち合う。それからタクシーを利用してスタジオ最寄りの駅まで移動した。モフモフ星人さんから提案のあった若い衆とは、こちらで待ち合わせとなっている。


 タクシー代はすべて普光院さんが出してくれた。


 以前の拉致騒動以来、移動はすべてタクシーを利用するようにと、両親から仰せつかっているのだという。専用のクレジットカードまで持たせられたというから、彼女の家の裕福さには驚かされる。


 タクシーなんて生まれてこの方、片手に数えるほどしか乗車経験がないぞ。


 貴重な一回がプラスワンされてしまったぜ。


 そして、我々が駅前でタクシーから降りたところ、すぐに声が掛けられた。


「アグダさん、お待ちしておりました」


「え? あ、はいっ……!」


 スーツを着用した三十代ほどと思しき男性だ。若い衆というほど若くはない。まぁ、自身の保護者という役柄を思えば、あまり若過ぎても説得力に欠けるので、これくらいが丁度いいような気もする。


 ただ、存在感はかなりのもの。


 シンプルに顔面が厳つい。


「あの、すみません。モフモフ星人さんのお知り合いでしょうか?」


「はい。保護者役を仰せつかって参りました、私は堂島と申します」


 率先して受け答えをしてくれたのが普光院さん。


 そんな彼女に恭しくも受け答えをする若い衆の方。


 自身も若干遅れながら、慌てて頭を下げてのご挨拶。


「よ、よろしくおねがいします。アグダと申します」


「事前に親方から連絡があったことと思いますが、私のことは堂島とお呼びください。それとニート予備軍さんのお名前ですが、先方の手前ではどのようにお呼びすればよろしいか、事前にご確認を願いたいのですが」


「私のことは由桐百合とお呼びください」


「失礼ですが、ご本名で?」


「芸名です。差し支えがありますか?」


「問題ありません。お二方とも本日はお頼み申し上げます」


「こちらこそどうぞよろしくお願いします、堂島さん」


「どうもッス。よろしくお願いします!」


 それじゃあスタジオに向かいましょうか、との普光院さんの言葉に促されて、我々は収録スタジオまで移動。率先して案内をしてくれる姿からは、彼女が本当に声のお仕事をしているのだと意識させられた。


 胸を張って歩く姿は心做しか誇らしげ。


 現場は駅前から十分ほど歩いたところにあった。


 小規模なオフィスビルや住居用マンションが生えているエリアだ。その隙間を縫うようにして、おしゃれなカフェや雑貨屋などが点在している。比較的地価の高い都内に見られがちな、オフィス街と住宅街が混ざりあったような界隈。


 その一角に収録スタジオはあった。


 小綺麗なオフィスビルに収まっていた。


 入ってすぐの場所におしゃれな装いのロビー。そこから廊下を通じて、隣り合わせに収録ブースと副調整室が配置されている。フロア内には既に人が見られて、普光院さんが顔を見せるとすぐに収録スペースまで案内された。


 声優さんの居場所は基本的に収録スペースらしい。


 副調整室とはガラス窓越しに隔たれている。


 早々にスタッフの方がやってきて、マイクの高さを調整し始めた。


 その様子を傍らに眺めつつ、普光院さんからアニメ監督が紹介される。副調整室からやって来た彼は、既にライブ配信の映像で洋ロリの姿を確認していた為、自身を目の当たりにしても驚くことはなかった。


「よく来てくれたね。監督の篠原だよ」


「どうもお世話になります。アグダです」


「ところで、そちらの方は……」


 監督の意識が堂島さんに向かう。


 彼はスラスラと受け答え。


「私はアグダさんの保護者となります」


「あぁ、ご家族の方! 本日はどうぞよろしくお願いします」


 粛々と受け答えする保護者役の彼。


 監督はニコニコと人当たりの良さそうな笑みを浮かべて名刺を差し出した。横からチラリと紙面を覗き見る。スタジオの名前と合わせて取締役との肩書が見られる。雇われではなく経営側の人物みたいだ。


 だからこそのオファーも出せたのだろう。


 相応の裁量を持ち合わせているっぽい。


「…………」


 すぐ隣では普光院さんが物欲しそうにしている。


 そして、結論から言うと女児は声優に内定した。


 どうやら本当に採用ありきで声をかけたみたい。


「自分のような子供に声優が務まるのか疑問なんですが」


「小学生でも前例がない訳じゃないから」


「そうなんですか?」


「中学生なら有名処でもそこそこいるの知らない?」


「申し訳ありませんが、声優さんのことはあまり存じませんの」


「今回はウェブ広告の収録だから、軽い気持ちで臨んでもらえないかな。尺もたった三十秒。由桐さんが見ていた君の配信の映像があるでしょ? あんな感じで女児ボイスにオッサンが同居したような雰囲気の声と演技が欲しいの」


「あ、はい」


 監督さん、鋭いッスね。


 大正解。


 中身オッサンですよ。


 まさか初見で見破られるとは思わなかった。


 いや、その辺りも配信で確認しているのか。


 チラリと普光院さんに目を向ける。


「っ……!」


 すると彼女はプルプルと顔を横に振った。


 その辺りは見られていないっぽい。


 女児の秘密はしっかりと守られているようだ。


「まずは試しに声を当ててみよう。これ台本ね」


「あ、はい」


「映像としては三十秒だから、気楽にいこう」


 監督からコピー用紙を渡された。


 一枚ペラだ。


 そこに読み上げるべき台詞が記載されている。


 たしかにそう大したテキストではない。


「最初は読まなくていいから、自分なりにタイミングを掴んでみて」


「承知しましたわ」


 ひとしきり説明を終えたところで、監督は副調整室に去っていく。出入り口のドアが閉じられると部屋の中は怖いほどの無音に。しばらくすると監督から、映像を流す旨がスピーカー越しに伝えられる。


 収録スペースに配置された巨大なディスプレイに、音のない映像が流れ始めた。時折、画面上にマイクのアイコンが表示される。このタイミングで台本を読み上げろ、ということなのだろう。


 ということで、そのまま収録に臨むことになった。




◇◆◇




 マイクの前に立って台本の通りお喋り。


 最初に練習が一回。


 次に本番。


 途中で、今ちょっとパクったからもう一回とか、その台詞はこぼしちゃっていいよとか、訳の分からない指示が副調整室から飛んできた。正直、何を言っているのかさっぱり理解できない。


 これには都度、隣に控えていた普光院さんが意味を教えてくれた。わざわざ収録スペースに同席して、事あるごとにサポートに回ってくれた。彼女が一緒でなかったら、きっと大変なことになっていただろうな。


 一方、土建屋さんが寄越してくれた若い衆の方は副調整室へ。


 アニメ監督の後ろに座って、ガラス窓越しに我々を見つめる。


 収録にかかった時間は三十秒の映像に対して正味三十分ほど。


 想像した以上に沢山お喋りしたように思う。


 収録が一通り終えられたところで、改めて監督が収録スペースにやって来た。


「たった三十秒の映像なのに、やたらと時間がかかりますわね」


「いんや、むしろめちゃくちゃ早いよ」


「そうなんですか?」


「養成所上がりで来た子でも、最初のうちはほんの一言の台詞に、十回以上リテイクが出ることもあるんだよ。それが今回は尺の厳しい長台詞も入ってたのに、サクッとイイ感じで喋ってくれたからね」


「あまり褒められると困ってしまいますわね」


 他人にこんな褒められたのいつ以来だろう。


 生まれて初めてのような気がしないでもない。


「事前にネット配信の映像で確認していたとはいえ、マイクの前に立ったことがない子がここまですんなりと収録できたのは驚きだよ。ここのスタジオ、今日は午前中を丸っと取ってたくらいだし」


 監督からヨイショに次ぐヨイショ


 その発言を耳にして普光院さんからも声が。


「監督、気合が入っていますね」


「気前のいいスポンサーが付いてるから、満足のいくものを作りたいんだよ」


「自分のような素人を捕まえて満足いくものが出来上がるのかしら?」


「想像した以上にいいものさ。こうなって欲しかったというところに来てる」


「有名な声優さんを起用した方が、より広告になっていいと思いますの」


「そっちも収録してるよ。最終的にスポンサーに判断してもらう予定なのさ」


「そういうことッスか」


 まだ採用されると決まった訳ではないらしい。


 とはいえ、自身としては普光院さんの顔を立てることが目的なので、採用されずとも差し障りはございません。こうしてスタジオを訪れて、マイクの前に立った時点で、既に目的は達成している。


 なんなら現場でアウト判定喰らうと思ってた。


「個人的には君のほうが断然合ってると思うんだけどね。まぁ、どんな結果に落ち着いてもギャラは支払うから安心してくれていいよ。それと保護者の方、書類なんかは後日郵送でいいですかね? ちょっと今は手元にありませんでして」


「はい、そのようにお願いします」


 保護者役の堂島さんは監督さんの提案に静々と受け答え。


 採用されなくてもお賃金が頂戴できるとはありがたい。


 事前に普光院さんから聞いた話、今回の収録で得られるお賃金は、きっと三、四万円くらいじゃないかな? とのこと。自身の場合はド新人扱いなので、相場としては最低額らしい。それでも三万円はありがたい臨時収入でございます。


 女児服や下着の購入で吹き飛んだ貯金が戻ってくるぞ。


 税金どうすんの? 複数のバ先から給料出ると確定申告は? とかなんとか将来的には問題を孕んでいる。しかし、今はそんなことを考えている余裕もない。なんたって明日の食い扶持がヤバい。


 というか、このままだと年間の給与所得が百三万円に届かない可能性も。


 そうしてしばらく監督とやり取りしていた辺りでのこと。


「いやぁ、篠原君。調子はどうだい?」


 予期せぬ声を耳にして、皆々の注目が収録スペースの出入り口に向かう。


 すると、先程まで見られなかった人が立っている。


「花咲さん、急にどうしたんですか。こんなところまで足を運んで下さって」


「別件の打ち合わせで、すぐ近くまで来たからさ。ちょっと顔出しにきたよ」


 これまた偉そうな人物だ。


 というか、監督の態度から察するに、実際に偉いのだろうな。


 それは本人の身なりからも察せられる。


 ストライプの派手なスーツに先の尖った革靴。腕にはやたらと厳つい時計。若干色の入ったメガネをシャツの胸ポケットに差している。髪型はお約束のようにツーブロック。ジャケットを肩にかけて、篠原ちゃん、チーッス、みたいな感じ。


 ひと目見てテレビ業界の人だって思うような雰囲気。


「言ってくれればこちらからお邪魔しましたのに。急ぎの用事ですか?」


「例の件、順調にやってくれてる? ちゃんとオンスケで進捗してる?」


「大丈夫ですよ。もう一話は完パケしてます。二話も明日ダビングです」


 監督の声色も急に丁寧なものに変化している。


 やたらと下手に出た物言いだ。


「本当かなぁ? 以前みたいに放送の前日納品とか、マジ勘弁なんだよね」


「あのときは同時進行の作品が多かったからで、今回は余裕がありますよ」


「それならいいんだけどさぁ」


 我々をそっちのけでお喋りに花を咲かせる監督と偉い人。


 しばらく手持ち無沙汰にその様子を眺める。


 門外漢なりに意識を巡らせるのなら、アニメ制作のお仕事がちゃんと進んでいるか念押しに訪れたっぽい。万策尽きて放送延期も日常茶飯事となったアニメ業界、偉い人たちも現場のことが気になるのだろう。


 ややあって先方の意識がこちらへ移った。


 より性格には普光院さんに向けられた。


「ところで、由桐ちゃん。前に伝えた件、考えてくれた?」


「えっ……あ、その……」


 偉い人に声をかけられた途端、普光院さんの表情が曇った。


 前に伝えた件ってなんだろう。


 自分が気にしても仕方がないか。


「僕はいつでも大丈夫だから、気が向いたら連絡が欲しいな」


「は、はい。お誘い下さりありがとうございます……」


 ニコニコと機嫌の良さそうな花咲さん。


 これに普光院さんは小さく笑みを浮かべて応じた。


 そして、収録スタジオを訪れたのも束の間のこと。


 彼はほんの数分ほどで現場から去っていった。


 本当に監督とお喋りをしに来ただけっぽい。


「とてもテレビ業界っぽい方でしたわね」


「っぽいも何もテレビ局の方だよ」


 女児の何気ない呟きに対して、監督から突っ込みが入った。


 どうやら想像した通りの人物のようだ。


 そんな人物とお知り合いとは、普光院さん凄いじゃないの。


「由桐さん、花咲さんとは仲良しですの?」


「相手は雲の上の人だし、仲良しとか言えるほどの間柄じゃないよ。ただ、以前局の番組にちょっとだけお世話になって、そのときに声をかけられたの。以来、なにかと顔を合わせる機会があるだけで」


「そうなんですのね」


 受け答えする普光院さんは些かしょっぱい表情。


 あまり楽しい話題ではなさそうだ。


 仕事は終えたので、我々も会話を切り上げて収録スタジオを後にした。


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