巨大海竜
遠泳を開始して数日が経過した。
今のところこれといって問題が起こることもなく大海を横断中。つい先日には雨で海が荒れて休みにしたこともあったけれど、それくらい。強いて言えば、代わり映えのしない風景に若干飽きてきたかも。
「本日もいい天気、絶好のスイミング日和ですわぁ」
:毎日泳いでるのに全然日焼けしないね
:オートリジェネのおかげかな?
:小麦色のアグダちゃんも見てみたい。
ボートをビート板代わりに海でバタ足。
後ろを振り返ると、女児の細足によって生じた水しぶきが高さ数メートルのところまで飛び散る様子が窺える。フィンを装着している為、かなり威力がある。推進力も時速三十キロから四十キロを保ちながらの巡航。
そうした見事な泳ぎっぷりが良くなかったのかもしれない。
:アグダちゃん、海の中に何かいる!
:めっちゃデカい! 後ろ!
:ヤバい! これ絶対にヤバイよ!
視聴者からコメントが立て続けに与えられた。
「海の中?」
言われるがまま、後方に意識を海中に向ける。
すると、そこには――
「んなっ……!」
巨大な口が迫っていた。
サメ映画さながらの光景だ。
しかも大きさが半端ない。
サメどころの話ではない。
異世界を訪れた当初、草原地帯でエンカウントした金色のドラゴン。アレを更に巨大化したような、全長百メートル超えの巨躯があった。顎だけでも十メートル以上というサイズ感。それが大口を開きながら迫ってくる。
とんでもない恐怖だよ。
「ぬぉぉぉぉああああああああ!」
全身が強張るのを止められない。
何をしている暇もなかった。
下からバクっとやられた。
ゴムボートごと丸呑みである。
「ぉぉぉぉおおおおおおおおお!?」
凶悪な歯にザクッとやられなかったのは幸い。
それでも飲み込まれた衝撃はとんでもないもの。真っ暗がりの中、トイレから流された汚物のように転がっていくような感覚。上下左右もわからなくなる。大量の海水と共に転がるように流れていく。
口の中に海水が入ってしょっぱい。
溺れそうになる。
:アグダちゃん、アグダちゃん!
:気をたしかにもって!
:腰に巻いたロープ、離さないように!
掃除機に吸い込まれるゴミって、こんな感じなのかな。そんなことを考えながら、為すすべもなく流されていく。そんな状況であっても耳に嵌めたイヤホンからは、視聴者からのコメントが機会音声によって流れてくる。
しばらくするとプールのような場所にざぶんと落下した。
その水面にぷかりと浮かぶ。
水深は十メートル以上ありそうだ。
ライフジャケットを着用していてよかった。
手から小さめの炎を出して照明代わりにする。
「あぁ、びっくらこいた。死ぬかと思いましたわぁ」
:アグダちゃん、大丈夫!?
:見ているこっちもハラハラだよ。
:めっちゃ恐ろしい絵面だった
「魚類というよりは、ドラゴンっぽかったですわね」
魔法の炎に照らされて、周囲の様子が見えてきた。
非常にグロテスクな空間だ。
人間ドックで垣間見た自身の胃壁を思い出す。
そのような空間にプカプカと浮かんでいる。
壺状の空間で、頭上には管が延びる。
ここはドラゴンの胃だろうな。
腰に巻き付けたロープを手繰り寄せると、すぐにボートが見つかった。幸いこちらも無傷である。ひっくり返っていたそれを元のポジションに戻すと、荷物もしっかりとロープによって固定されている。
:ピノキオとお爺さんもビックリだよ
:クジラやサメが可愛く思える大きさだった
:サメ映画なんて目じゃない迫力あったし。
バッグの中の穴も健在。
おかげでネットが利用可能。
海獣の胃の中でネットできるとか、ちょっと笑ってしまう。
「さっさと脱出したいところですが……」
周りを眺めたところで、ふと気になる光景があった。
肉壁に四方を囲まれた壺状の空間の隅の方、一部浅くなっている辺りが光っていやしないか。照明代わりの炎に照らされてキラキラと。その瞬きに吸い寄せられるように、ボートを両手で押しながらバタ足で移動する。
:アグダちゃん、どうしたの?
:早く穴を使って逃げないと!
:そうだよ。急がないと。
「ちょっと気になるものを見つけましたの」
近づいてみると、仔細が判明。
剣や斧、杖、鎧兜、その他アクセサリーといった装備品の数々。それらが胃壁の凹凸に引っかかり、ごちゃっとまとまっていた。大半は胃液に晒されて腐食している。ただ、その中でも光沢を失っていないものが、炎の煌めきを反射していた。
ボートを近くまで寄せる。
比較的まともなモノ、大きな宝石の飾られたペンダントを手に取ってみる。金属製のチェーンからトップの宝石に至るまで輝きを失っていない。飲み込まれてから期間が浅いのか、それとも素材が特別なのか。
「お宝ゲットですわぁ!」
いずれにせよ、いいものめっけた。
海水で軽く洗いで懐にないないする。
:あぁっ、アグダちゃんが火事場泥棒してる!
:この場合はドロップアイテムと大差ないような。
:人体は消化されて、装備品だけ残ったのか……
「せっかくの機会なので、持てるだけ持っていこうと思いますの」
胃壁にこびりついていた装備品のうち、腐食されていない品々を見繕って穴に放り込んでいく。地球側は多摩川の川緑に接続しているので、多少汚れていても差し支えはないだろう。洗浄もあとで行えばいい。
:アグダちゃん、逞しい子!
:アグダさん、水着が溶けてきてるんだが
:もっと見たいけど、垢BAN待ったなし。
「映像だけ隠させてもらいますわね」
アクションカメラのレンズ部分にキャップを嵌める。
これで音声だけお届けできる。
こういった状況に備えて以前から用意していたのだ。
:これはこれで想像を掻き立てられる演出。
:たしかにちょっとエッチかも
:中身はオジサン、以下略
賑やかにする視聴者三名から急かされるようにして、目についたお宝をさらっていく。腐食されているものはスルーして、原型を保っていると思しき品々だけを、次から次へと穴の中に突っ込んでいく。
:アグダちゃん、そろそろ脱出した方がいいと思う
:深いところに潜られたら大変なことだよ
:オートリジェネがあっても絶対にヤバいって
:死にはしなくても、めっちゃ痛い目見ると思う
:ライフジャケットを着てるから大丈夫じゃない?
:減圧症で肺が破裂して呼吸困難になって生き地獄。
:いやでもアグダさんなら水圧にさえ勝てるかも
:だとすると、海水に濡れるだけで済むのかな?
:行き当たりばったりで挑戦するには怖すぎるよ!
恐ろしいやり取りが聞こえてきた。
たしかに減圧症は怖い。
深海の水圧もどこまで耐えられるものか。
「仰るとおり、そろそろ脱出しようと思いますの」
目の届く範囲でよさげな品々は回収を終えた。
然る後、ゴムボートから空気を抜いて撤収準備。
荷物をすべて地球側に放り込む。
忘れ物がないことを確認したのなら脱出だ。
その頃には既に水着も全部溶けて素っ裸である。
「アディオス、海の中の巨大生物。もう二度と会うことはないでしょう」
別れの言葉を告げて、海獣の腹の中から撤収した。
◇◆◇
結論から言うと、アグダ氏の肉体は深海の水圧に勝利した。
地球側に脱出してから数分。
改めて挑んだ異世界は真っ暗だった。
大量の海水を吹き出してくる穴から、そのべらぼうな水圧を押し退けて強引に異世界入り。すると現地は陽光もほとんど届かないような深海。海獣はほんの僅かな間に、何百メートルと深水していたようだ。
世界を穿っていた穴を消す。
同時にライフジャケットの浮力で急上昇。
合わせて海上に向けてバタ足。
ほんの二、三分で海面まで到達する。
海上に到着したのなら、すぐに穴を呼び出して地球側に撤収。
びしょ濡れの体をタオルで軽く拭い、手早く衣類を身につけて、スマホで自撮りをしながらライブ配信を再開する。コメント欄にはすぐさま視聴者三名から反応が見られた。どれも自身の体を心配してくれている。
これは減圧症に備えてのこと。
最悪の場合、くたばったアグダ氏を土建屋さんが回収に来てくれる。
現地の位置情報なども既に送付済み。
ただ、しばらく待ってみても体に変化は訪れなかった。
血液や細胞に窒素が溶け込んでいなかったから、というのが正しい気がする。どこまでがオートリジェネの効果で、どこまでが偶然の産物か。判断に悩むところではあるけれど、無事だったのでヨシとした。
「どうやら無事のようですわぁ」
:多摩川くんだりまで出張らずに済んでよかったよ
:オートリジェネのおかげかな?
:シンプルに水圧に耐えただけのような気もする
:深海の水圧に晒されていた時間は短かったからね。
ただ、多摩川に結構な量の海水を流してしまった。
消防車の放水さながら、豪快にダバダバと。
まぁ、細かいことは気にしないでおこう。
地球の生態系が異界の微生物軍団に勝利することを祈る。
「本日のところは、このまま撤収しようと思いますの」
:私もそれがいいと思う
:またパックンチョされたら大変だもんね。
:とんだ恐怖映像が撮れてしまったなぁ
仰るとおり、また海獣に襲われては堪らない。
一番大変だったのは帰路の電車移動。
大量の荷物を抱えた女児はかなり目立ったから。
ゴムボートを格納したバッグの他に、同じくらい大きなボストンバックを手に下げての移動。モンスター討伐時の素材回収用として用意していたのだけれど、パンパンまで利用することになった。
周囲からめっちゃ見られた。
なんなら持ってあげようかと声をかけられた。
これに幾度となく断りを入れつつの帰宅。
自宅に戻ったのなら、お宝の確認タイムである。
せっかくなので配信しながら行うことにした。
「まずはこちら、大きな宝石が括り付けられたペンダントですわぁ」
:真っ赤な宝石はルビーかな?
:このサイズでルビーだと価格が恐ろしいことに。
:質屋に出したら税務署に目をつけられそう
「仮に売り払うとしても、異世界で売っぱらった方が無難ですわね」
衝動的に持ち帰ってしまったけれど、今のところ用途はない。
当面は押し入れに突っ込んでおくことになりそうだ。
:道具として使ったら魔法が飛び出たり
:質屋が火事になりそう
:たしかに地球じゃ処分できないね。
「次はこちらのブレスレットですわぁ。同じく宝石が付いてますの」
ということで、次々とお宝を鑑定していく。
いや、鑑定というよりもお披露目会か。
:やっぱりというか、貴金属がほとんどかな?
:他は胃液で溶けちゃったんだろうね
:アグダちゃんの水着も速攻で蕩けてたし。
:ある程度頑丈なモノしか残らなかったんだろうね
:逆に言えば、それだけ価値があるってことかな?
:だといいけど、どうなんだろうね。
:現地で調べてみないとなんとも言えないよなぁ
「こちらには青い宝石がいくつも散りばめられて……」
検品をしながらブレスレットを腕に嵌める。
すると、これはどうしたことか。
金属製の輪っかが、うにょんと動いて小さくなった。
ちょうどアグダ氏の手首にピッタリのサイズ感へと。
「い、今の見ました? 急に締まりが良くなりましたわ!」
:それって金属じゃなかったの?
:まるでゴムみたいに動いたね
:締まりがいいとか、言い方がエロい。
:っていうか、外せる? 大丈夫?
:呪いのアイテムだったり……
「……大丈夫です。着脱には問題ないようですの」
ものの試しに引っ張ってみると、簡単に抜けた。
その際にも、うにょんっとリング部分が動いていた。
光沢や指先でつついたときの硬さ、ひんやりとした感触こそ金属のそれである。けれど、着脱を意識した際の挙動はまるで粘土のようである。一体どういった素材で出来ているのか、まるで想像がつかない。
:よかった、ちゃんと外せたみたいで
:呪いのアイテムとか、そんなのある?
:異世界だし普通にありそう。
:下手に装備するのは危ないかも
:たしかに気をつけたほうがいいよね
以降も、指輪やティアラ、ナイフ、仮面といった品々を眺めていく。
胃の中には剣や斧といった大物も見られたのだけれど、こちらは自宅に持ち帰るには危険過ぎたので自重した。銃刀法違反でとっ捕まりかねないから。今にして思えば、ちょっと惜しいことをしたと思わないでもない。
「さて、こんなものでしょうか」
:今日の配信は見ごたえがあったよ!
:体にも差し障りはなかったようで安心した
:何かあったらすぐに声をかけて欲しいな。
「お気遣い下さりありがとうございますわ」
こうして得られたお宝の価値を調べる為にも、人里への到達は必要不可欠。
俄然、遠泳にも力が入るというものだ。
本作はカクヨムで10万文字以上の「先行連載」を行っております。
「アグダちゃん」で検索、もしくは以下のURLからどうぞ。
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