日本ゲームショウ 三
さて、ここで少し時間を戻して、昼食後の出来事をダイジェスト。
ランチタイムに黒毛和牛を楽しんだ我々は、控え室を後にして会場外のコンビニまでやってきた。出入りには専用のゲートが利用できるので、関係者のストラップさえ首から下げていれば、そこまで時間を要することはない。
ステージに向けた着付けやメイクまでは、まだ二時間ほど余裕がある。
その間にちょっとだけお買い物。
「先輩に頼まれたのど飴、売ってるかなぁ……」
入店後、普光院さんはお菓子コーナーへ向かった。
自身は日用品売り場に直行する。
しばらくすると、のど飴のパッケージを手にした普光院さんがやって来た。
彼女はこちらの手元を眺めて問うてくる。
「アグダちゃん、それオムツだよ?」
「ええ、オムツですわね」
「しかもそれって大人用じゃない?」
「ええ、流石に赤ちゃん用は入りませんわ」
「ど、どうしてオムツなの? 誰かに頼まれたの?」
「いいえ? そんなことはありませんわよ」
コンビニに取り扱いがなかったら、少し遠いけれどドラッグストアに向かおうかと考えていた。そこまで足を伸ばすことなく手に入ったのは幸いである。最近のコンビニは本当になんでも売っていて便利だ。
「まさかとは思うけど、アグダちゃんが自分で履くの?」
「イベント中、万が一にも催したら大変なことですわ」
「それはそうだけど、いくらなんでもオムツなんて……」
「普光院さんも一枚どうかしら?」
「わ、私はいいよ。もう中学生だし」
「舞台衣装はドロワーズを着用するので、オムツを履いていても目立ちませんわ」
「そういうことを気にしているんじゃないんだけど……」
これが黒毛和牛の代償。
考え過ぎだとは思うけれども。
それでも備えておく分には損はない。
「絶対に外せないプレゼンの日、オムツを着用して仕事に出るようなサラリーマン、たまぁーにいたりしますわよ? まぁ、体調が悪かったりとか、それなりに事情を抱えている場合に限りますけれど」
「アグダちゃん、体調が悪いの?」
「そういう訳ではありませんわ。ただ、本日のランチに気がかりなことがありまして、念の為に用意をしておこうかなと。何もないとは思いますが、ステージに立つことを思うと楽観視できませんの」
「どういうこと?」
「昼食に頂いた仕出し弁当ですが、小細工がされていた可能性が考えられまして」
「えっ……こ、小細工?」
「ランチタイムで席を外している間に、誰かに悪戯をされた可能性がありますわ」
「悪戯? それってまさか……」
「控え室には監視カメラもありませんから、わたくしの勝手な想像ですけれども」
「そんな嘘でしょ? もう全部食べちゃったのに」
「状況的に考えて、そこまで人体に害のあるものが入っていたとは思いません」
「急にコンビニに行くって言い出したのも、それに気づいたからだったり?」
「そうですわ。ただ、確証は持てません。可能性の上で考慮しているだけですの」
「そ、そうだったんだ……」
普光院さんの視線が自身の差し出したオムツに向かう。
ややあって、彼女はこれをおずおずと受け取った。
「……それじゃあ、私も履いておこうかな」
「衣装の上からなら目立ちませんし、観客に見られる恐れもゼロですわ」
「ちょっとガサガサするけど、ステージ上で何かあったら嫌だもんね」
「普光院さんはもう中学生なのに、オムツのガサガサっぷりに覚えが?」
「っ……! わ、私は記憶力がいいの! 小さい頃のことも覚えているの!」
「そういうことにしておきますわ」
「ちょっと待ってよ、アグダちゃん! 私の言ったこと信じてないでしょ?」
必死になって反論してくる普光院さんは、果たして小学何年生までオムツを着用していたのか。物心つく頃には外れているのが普通だと思う。申し訳ないけれど、ちょっとだけ引いてしまったよ。
◇◆◇
ここまでダイジェスト。
おかげでオムツの内側こそ大変な状況であっても、足元まで垂れてくるようなことにはなっていない。首の皮一枚、尊厳を繋ぎ止めた普光院さんである。被害はドロワーズの内側に留まっているのではなかろうか。
「っ……! っ……!」
境地に達した普光院さんは無念無想のダンシング。
歌って踊って活躍を見せる。
なんなら過去一番にキレが感じられますね。
顔面に張り付いた笑顔に恐怖を感じる。
万が一にも便通ダンシングの事実が露呈したのなら、普光院さんの声優人生はコースアウト待ったなし。それでも昨今、オムツ業界の技術革新は凄まじいもので、汚物が垂れてくる気配は見られない。
しかし、残念ながら香りだけは誤魔化せない。
激しく動き回ったことでオムツから僅かに臭気が漏れ出している。
他のチームメンバーも普光院さんの状況を事情を察したようだ。
チラチラと彼女に視線が向けられるのを感じる。
「…………」
当の本人は無心のままダンスを継続。
程なくしてライブが終えられた。
本日は一曲限り。
お客さんからはアンコールの呼びかけが絶え間ない。その様子を眺める普光院さんの表情は、目を見開いて頬を引き攣らせている。一曲目を耐えたオムツが、二曲目も耐えてくれるとは限らない。
これが絶望か。
ただ、そうした彼女の心配は杞憂に終えられた。
曲が収まり我々は元あった配置に戻る。
しばらくの暗転。
観客席からは耳が痛くなるほどの拍手が上がった。
この僅かなタイミングで自身は普光院さんの手を取り、舞台袖に控えていたメインプロデューサーの下に駆け寄った。そこで手早く事情を説明。普光院さんと共に舞台袖にエスケープすることをご提案する。
照明係は想定外の我々の動きを目の当たりにして、直後に予定されていたライティングを一時停止。立て続けにプロデュサーから待ての指示が入ったのなら、ステージのコントロールは我々のものだ。
観客は大人しく幕間を眺めて待つ。
「……という訳ですの」
「プロデューサー、この子の言ってることは私も事実だと思います」
「事情は把握した。だとしたら君たちの言う通りにすべきだろうな」
高嶺さんも一緒になって説明をしてくれた。
なんたって臭っておりましたから。
プロデューサーは二つ返事で承諾。
我々は大慌てで元いた場所に取って返す。
ややあって照明がライブより以前の明かりを取り戻した。
合わせてMC役のプロデューサーがステージ上に再登場。
「素晴らしいライブをありがとうございます。さて、ここからはチームの中でもセンターを務める高嶺さんに、本作の見所を語ってもらうとしましょう。ということで、ちょっとステージに椅子を用意しようかな」
MCの発言に合わせて、スタッフの方々が動き出す。
自分と普光院さんは撤収。
彼女一人でステージを降りたのでは違和感も甚だしい。
ここは同じく新人である自身も同行することにした。
これで最低限、観客に対する言い訳は整ったと思う。
お客さんに会釈を繰り返しながら駆け足で舞台袖へ。
イベント自体はまだ尺が残っているけれど、我々はひと足お先に撤収である。台本の上では台詞も残されている。しかし、リスクを取ってまでお喋りするような内容ではない。先輩方なら上手いこと穴を埋めてくれることだろう。
そのまま控え室まで逃げるように戻った。
通路から部屋に抜けてドアを後手に閉める。
そのタイミングでようやく普光院さんが口を開いた。
「アグダちゃん、ありがとう。なんかもう本当にありがとう」
室内には誰の姿も見られない。
皆々ステージに立っているのだから当然か。
普光院さんは今にも泣き出しそうな表情を浮かべている。
「アグダちゃんの助言がなかったら私、きっと今頃死んでた」
「ちょっと漏らしたくらいで大袈裟ですわね」
「ちょっとどころじゃないよ! 全部出ちゃったんだから!」
そこまで丁寧にレポートしてくれなくてもいいのに。
本人の必死さは伝わてくるけど、ドン引きだよ。
この子、たまに妙なところで天然を発揮するよね。
「ネットのライブ配信と合わせて、何万人の前でお漏らしだよ」
「若い内からこういうのが癖になったら大変なことですわね」
「な、ならないよっ!」
社会的に立場がある人ほど、破滅願望があったりするじゃない。
SNSを眺めていると、職場でローターやアナルプラグを装着しているような方々もチラホラ見られる。一説によると自主的にオムツを履いて、能動的に人前で漏らしている人もいるとかいないとか。
「だけど、アグダちゃんはこうして元気にしてるのが気になる。お弁当に違和感を感じたのは、アグダちゃんの分も同じだったんでしょ? それなのにどうして私だけ、ステージでお腹が痛くなったんだろう」
「交通事故の怪我と同じように、オートリジェネが働いたのではないかと考えていますわ。この肉体に化けてからというもの、お腹を下したことが一度もありませんの。以前の肉体では日常茶飯事でしたのに」
「えぇぇ、なにそれ羨ましいぃ」
ふやふやのお通じはアル中に付き物。
それが今の姿に化けてから一度もない。
「……はぁ」
大きくため息を一つ吐いた普光院さん。
傍目にも相当気落ちして思われる。
「私、トイレで着替えてくるね」
「どうぞごゆっくり」
着替えやら何やらを手に取ってトイレに向かう普広院さん。
下着の替えはオムツと合わせてコンビニで調達していた。
まさか本当に日の目を見るとは思わなかったけれども。
自身はこれを見送った。
「…………」
パイプ椅子に腰を落ち着けて時計に目を向ける。
大人しく控え室で彼女が帰って来るのを待とう。
そんなことを考えた矢先の出来事である。
普光院さんが出ていってすぐに、控え室に来客があった。
どなたかと言えば、テレビ局の偉い人、花咲さんである。
彼は室内に女児を見つけて驚いたように声を上げた。
「えっ、アグダちゃん、なんでここにいるの? 今イベントやってるよね?」
「由桐さんが仕出し弁当に悪戯をされて体調不良ですの。これ以上の活動は不可能とのメインプロデューサーの判断で、ステージから降りてきましたわ。お客さんにはちゃんと取り繕っているから安心して欲しいですの」
「嘘でしょ? そ、それマジで言ってる?」
「ええ、マジですわ」
「だとすると、本格的にヤバいな……」
ただでさえ顔色の悪かった花咲さん。
それが更に青白いものに変化を見せた。
見ているこちらが不安になるぞ。
「どうかしたのですわ?」
「朝方に伝えた爆破予告なんだけど、ついさっき続報が入ったんだよ」
「……続報?」
「犯人からは当初、君たちのイベントを中止しろっていう要求が入っていたのね。まぁ、そんな馬鹿な話は聞けないから無視してたんだよ。そうしたらついさっき、イベントを破壊するとかなんとか、犯人から連絡があったんだ」
「イベントを放り出して控え室に来たのはそれが理由ですか」
「作品の関係者を狙うなら、ここはある意味で本丸だからね」
「ですが、イベントを破壊すると連絡が来ているのなら、こちらを狙ったところで意味はないのでは? イベント中は皆さんステージに出ていますし、控え室が留守になるのは部外者だって分かりそうなもの」
「ステージは警備員と私服警官で固めてる上に、入場に当たっては荷物検査までしてるんだ。爆発物なんて持ち込める筈がないよ。それでも可能性があるとすれば、裏口から入れる業界関係者ってことになるんだけど」
偉い人も色々と考えあぐねているようだ。
結果としてこちらにも確認に訪れたのだろう。
「アグダちゃん、会場内で爆発物っぽいものとか見たりしてない?」
「そちらの指摘通り、イベント会場はステージ内も含めて、そこかしこに警備員が見られましたわ。それに私服警官まで配備しているのなら、我々の目に入るまでもなく、既に報告が上がっていると思いますの」
「現時点ではどこからも報告は入ってきていないんだよね」
「私や普光院さんのお弁当に悪戯をした人が、爆破予告の犯人と同一人物であるとは限りません。その悪戯というのも、ちょっとお腹が緩くなっただけですの。問題を個々に考えたのなら、今朝と状況は変わりませんわ」
「だけど、同一人物だったらヤバくない? 会場に入り込んでるってことだよ?」
現場を与る責任者の一人として大いに焦っている花咲さん。
もし仮に何かあったのなら彼の進退にも関わってくるから。
などと考えていたら、狼狽えるだけの理由があったようだ。
「アグダちゃんだから教えるけど、先方からのメッセージに画像が添付されてたんだよね。映ってるのは設営中の会場なんだけど、これって会場内に犯人が入り込んでいたってことだろう?」
手にしたスマホの画面をこちらに差し出してくる花咲さん。
たしかに自身も見覚えのある設営風景が映し出されている。
けれど、そう簡単に爆発物なんて仕掛けられる筈が――
「あっ……」
「どうしたの? 何か気づいたことある?」
不意に思い起こされたのは、イベントの設営に訪れていた日のこと。
メインステージの基礎に潜り込み、怒鳴りつけられていた作業員。
思い起こしてみると、現場では彼だけがヘルメットを被っていなかった。他の作業員たちは誰もが例外なくお揃いのメットを被っていたのに。付近ではクレーンが動いていたから、当然といえば当然の配慮のような。
「…………」
「アグダちゃん、急に黙られると怖いんだけど」
イベントの進捗も残すところ半分を切っている。
四の五の言っている時間はないぞ。
なんならお客さんを避難させている余裕さえも。
「わたくし、ちょっと仕事ができましたわ」
「えっ……ど、どういうこと?」
「花咲さん、すみませんが失礼しますわね」
「アグダちゃん? ちょっと、アグダちゃん!」
繰り返して呼びかけてくる花咲さん。
彼に構うことなく、控え室を後にした。




