足場作りからイベント参加する声優
八月も足早に過ぎ去り、九月がやって来た。
盛んに鳴いていたセミが段々と数を減らして思える。夕暮れ時にひぐらしの音が目立つようになった。自宅の庭に植えられたヒマワリもすっかりと頭を下げてしまった。もう少ししたら、大家さんが茎を切りに訪れるだろう。
その景観に寂しさを覚える。
毎年のことだけど。
ただ、今年はそれ以上に充実感を抱く。
改めて思い起こすと、ここ最近で頭一つ抜けて濃厚な夏を過ごした気がする。スマホで撮影した写真の枚数を数えたところ、直近の数年分に相当。非正規雇用で駆け抜けた二十余年が無惨極まりなかっただけかもだけど。
いや、非正規なのは今も変わりないか。
「おっと、配信の時間ですわ」
アグダ氏のキャラ作りにも慣れたものだ。
習慣とは恐ろしいもので、独り言まで引っ張られつつある。元の姿に戻ったときのことを考えると不安しかない。ただ、毎日お風呂の姿見で全身をくまなくチェックしてはいるものの、その兆候はまったく感じられない。
配信はいつもどおりパス付きの身内向け。
例によってやってきた三名と雑談を交わす。
本日は皆さん夏休み何してたんですか系。
他愛ないやり取りを交わすこと小一時間。
配信も終盤、土建屋さんからお仕事の提案があった。
:アグダちゃん、また仕事が入ったんだけど
「是非ともお願いいたしますわ!」
彼が斡旋してくれる現場仕事は女児にとって大変貴重な収入源である。いつ失われるとも分からない声優業とは違って、こちらは土建屋さんの意向次第で末永く奉公に出ることが可能だ。
是が非でも馳せ参じなければ。
:日本ゲームショウっていうイベント知ってる?
:幕張メッセで毎年やってるイベントなんだけど
「知っていますけど、それがどうかしたのですか?」
世界的に有名なゲームの祭典でございますね。
なんなら私も参加予定ですよ、そのイベント。
そこで新作アニメとゲームの告知がありますの。
:ゲーム会社の会場設営の仕事が急遽入ったんだよね
:もしよかったら、また力を貸してもらえないかな?
「えっ、マジですか?」
世の中、狭いッスね。
こんなところでかち合うなんて。
:やっぱりそういうの気になっちゃうタイプ?
「いえ、気になるというか、なんというか……」
:めっちゃタイムリーな話題でワロタw
:なにがどうタイムリーなのかkwsk
:もしかしてゲームショウに参加予定?
勿体ぶった自身の発言に視聴者三名から反応が。
とはいえ声の仕事は社外秘なので致し方なし。
しかし、会場作りから現場入りとは想定外だぞ。
「是非ともお手伝いさせてもらいますわ!」
:相変わらず労働意欲に満ち溢れているなぁ。
:アグダちゃん、そのお仕事受けちゃうんだ……
:なになに? 自分なにか問題のあること言った?
:ううん、気にしないで。こっちの話だから
:気になるなぁ。ここでの内緒話は止めようよ。
我々のイベント参加は口外無用。
普光院さんからも口を酸っぱくして言われている。
過去にお漏らしした先輩が事務所から干されたとか。
:イベントは来月で、前々日から現場入りの予定だね
:当日は上下作業服で軽く変装してもらうことになると思う
:あと、帽子やマスクを持参してもらえると助かるんだけど
「承知しましたわ」
作業服は前日までに自宅へ郵送してくれるらしい。
帽子は以前、普光院さんから譲り受けたお品を利用しよう。
諸々の説明を受けたところで、その日の配信は終えられた。
◇◆◇
ということで、あっという間に月日は流れてイベントの前々日。
会場設営の日がやってきた。
その間に自身がやっていたことはといえば、アニメやゲームの収録と動画配信サイトでのライブ配信。後者は収入になったりしないのだけれど、三名いる視聴者の内二名が実質的なスポンサーなので、ほぼ義務と化している。
あとは食っちゃ寝。
当日は電車を乗り継いで現地入り。
朝早くに出発した為、満員電車にかち合って大変な目に遭った。身体が小さいから大人に周りを囲まれると普通に体が浮かんでしまう。頑張って結い上げたツインテールも最寄り駅に到着する頃にはぐちゃぐちゃだ。
それでも苦労なく電車に乗り降りできたのは、女児らしからぬ身体能力のおかげ。乗っている間こそ足が浮いていたけれど、降車駅が訪れたのなら魔王様の肉体が覚醒。大人たちを押し退けて堂々と降りてやりましたとも。
乗客の驚愕した表情を思い出すとスカッとする。
「髪はあとで結び直すか……」
会場は幕張メッセ。
土建屋さんとは最寄り駅で待ち合わせ。
先方とはすぐに合流することができた。
「アグダさん、こっちこっち」
「おはようございますわ」
彼のおっかない顔は人混みでもよく目立つ。
厳ついスーツ姿も相変わらずだ。
「いつも時間に正確でありがたいよ」
「そんなの当然では?」
「この業界、ルーズなやつが多いんだよ」
「そうなんですのね」
この手のイベント設営は何度か経験がある。
何故なら、日雇いバイトの王道だから。
キルミーでも常日頃から求人が見られた。
「っていうかアグダさん、ブーツの厚底がエグくない?」
「なんと驚愕の十センチ厚ですわ」
「それで仕事できるの?」
こちらの足元を眺めて訝しげな表情を浮かべる土建屋さん。
その気持ちは分からないでもない。つい先日までは自身も同じようなことを考えていた。しかし、これが履いてみると存外のこと動けちゃったりする。世の地雷系女子が転けずに歩き回っているのにも納得である。
「ご安心を。自宅の近所を走り回ってみましたけれど、すぐに慣れましたの」
「本当に? それならいいんだけど……」
「これだけ背丈があれば、一見してお子様だと疑われることもありませんわ」
「わざわざその為に用意してくれたのかい」
「万が一にも素性がバレたら大変なことッス」
パッと眺めた感じ、ちょっと背の低い女性程度に取り繕えていると思う。サイズ大きめで野暮ったい長袖長ズボンの作業服を着用の上、帽子とマスクで首から上を隠したのなら、女児が肉体労働しているとは誰も思うまい。
ズボンの裾が上手いこと靴の厚底を隠してくれている。
頭髪も現場では作業服の中に突っ込んでしまうとしよう。
「っていうか、家から作業服で来たのかい」
「女性用の更衣室とか、わたくしが入ったら犯罪ではありませんこと?」
「言われてみればその通りだな。まぁ、そのときは自分の車を貸すけど」
土建屋さんと共々会場内へ移動する。
フロア内は設営作業が開始されて間もない為、かなり閑散としている。ぽつぽつと出入りの業者がトラックでやって来ている感じ。現地でしばらく待つと、我々の下にもすぐに資材や人を積んだトラックと乗用車が入ってきた。
すぐさま作業員の方々が取り付いて荷解きを行っていく。
このタイミングが自身に取っては活躍の場だ。
ロープや固定器具の外された資材を手に取り、これをエイヤッと担ぎ上げる。
「アグダさん、なるべく目立たないように頼むよ」
「毎度のことながら無茶を言ってくれますわね」
トラックに積載されていた資材を担当者の指示に従って運んでいく。組み立ては他の方々が行うようで、自身は主に荷下ろしとその運搬。本来なら二人、三人で対応するような資材を一人で持ち運びする。
これで数人分の稼働が浮くらしい。
土建屋さんによれば、他所でも仕事を抱えている手前、人が回らずに困っていたとのこと。そこで自身にお鉢が回ってきたのだとか。もしもアグダ氏の協力が得られなければ、案件ごと断っていた、とも語っていた。
人手不足と人件費の高騰はこんなところにも影響を与えているらしい。
氷河期時代の就活事情を思い起こすと、まるで天国ではなかろうか。
「あの小さい子、ヤバいな。どんだけ力持ちなんだよ」
「さっき大型のディスプレイを一人で担いでたぞ」
「どう見ても3,40キロはあるだろ……」
「しかも女の子だからな。かなり若いっぽいし」
「えっ、マジかよ? あり得なくない?」
「トラックからの荷下ろし、ほとんど一人で対応してたな」
「ブースの組み立てがやたらと早い理由はそれか」
「マッチョの美女に一方的に組み伏せられてぇ」
「激しく同意」
他所のブースからヒソヒソと声が聞こえてくる。
内いくらかは自身の耳にも届く。
これに構うことなく、与えられた仕事をこなす。
設備の組み立ては他のスタッフが丸っと担当している手前、女児に与えられた業務は資材の移動ばかり。要はクレーンの代わりである。二十キロ以上ある大きなアルミトラスも安定して運搬、支えることができます。
そうしてお仕事に没頭することしばらく。
トラック何台分かの資材を運んだところで一段落。
土建屋さんが労いにやってきた。
本日は彼も現場に立って作業員の指揮に当たっている。現地には当然ながらクライアントの担当者が顔を見せている。今回の仕事っぷりを新規案件の捕獲に繋げるべく、彼も頑張っているようだ。
「アグダさん、厚底ブーツで来てくれて正解だったな」
「想像した以上に人目がありましたわね」
「これ、発注元からアグダさんにって」
土建屋さんからアイスが差し出された。
ちょっとお高いカップに入っているやつ。
専用のスプーンも添えられておりますね。
「え? いいんですの?」
「アグダさんの頑張りっぷりを眺めていて、申し訳なく思ったんだろうな。わざわざ会場の外のコンビニまで買いに行ってくれたみたいだよ。溶けないうちに食べちゃったらいいんじゃないかな」
「なんだか騙しているようで申し訳ないですわね」
「他の連中も貰ってるから、遠慮はしなくていいよ」
「先方にはありがとうございますと、後でお伝えして頂けたらと」
「あいよ」
せっかくなので素直に受け取っておく。
普段、自発的に触れることのないお品だし。
「ところで、トイレに行って来てもいいですか?」
「あぁ、そのまま休憩に入ってくれて構わないよ」
「ありがとうございますわ」
ご厚意に甘えて小休止としよう。
全然疲れていないけど。
その場でアイスを頂戴しつつの一段落。
トイレで用を足してから会場内を見て回る。
人並みにゲームを嗜んでいる手前、ゲームショウの舞台裏は興味を唆られる。自身が贔屓にしているゲーム会社のブースなど、ちょっと気になる。最近オフ会に参加したネトゲの制作元も出展するのだそうな。
設営途中の会場はお祭りの前夜祭的な賑わいが感じられて、眺めているだけでも気分が盛り上がるのを感じる。過去にはお客さんとして足を運んだこともあったけれど、これはこれで楽しめる。
ついでに自身が登壇予定の舞台も眺めておこうか。
会場のメインステージにも足を向けてみる。
こちらも現在、絶賛設営中。
何十人という作業員がトンテンカンカン、作業に当たっている。
するとまぁ、一人くらいは要領のよくない方も見られるもので。
「おい、アンタ邪魔だよ! 上に板を張ってくんだから退いてくれ!」
「す、すみません。今すぐに退くんで……」
「っていうか、そこで何やってんだ? 基礎の施工は終わってるんだろ?」
「点検、点検です! 大丈夫です、もう全部ちゃんと終わってますから!」
「だったら早く退いてくれよ。こっちは他にも仕事を抱えてるんだから」
「はい、すみません、すみませんでしたっ……!」
舞台の上、大声で叱られている作業員が目についた。
彼はペコペコと頭を下げなら、現場から去っていく。
一人だけメットを被っていないお間抜けさんだ。
「初めて設営の仕事に入ったときのこと思い出しますわねぇ」
現場には多数の業者が出入りしている。
皆々で協力して設営を行っている。
自分の所以外は完全に他人だし、日雇いで入ると同僚すら初対面。当時は右も左もわからず、今の彼のように叱られていた。それでも場数を踏むことで、初見のイベントでもなんとなく勘所が働くようになる。
まぁ、日雇いでそこまでキャリアを重ねたら、人生的には完全に詰みなのだが。
「そろそろ戻るか」
休憩を終えて現場に復帰。
以降も日が暮れるまで設営のお手伝い。
やがて夜の帳が下りた頃合いでのこと。
土建屋さんから言われた。
「アグダさん、明日も朝から仕事なんだろ? そろそろ帰ってくれていいよ」
「そんなことを言って、わたくしに支払うお賃金が惜しくなったのでは?」
「わかってるよ。靴まで新調してくれたんだから、ちゃんと色つけるって」
「土建屋さんのそういうところ、とても素敵だと思いますわ」
「中身オッサンでそういうこと言うの止めてくれない? 鳥肌立つんだけど」
「ういっス。申し訳ないっス」
彼らはこのまま夜通し設営に当たるとのこと。
この手のイベントは会場のレンタル費用が高額な為、設営期間がかなりシビアに見積もられる。そのシワ寄せがこうして業者に降ってくる。土建屋さんのところへ急に仕事が流れてきたのも、その辺りの都合ではなかろうか。
見れば他所様のブースも徹夜の体で現場に臨んでおりますね。
「それではお先に失礼しますわ」
「あぁ、気を付けてな」
ということで、本日は撤収。
明日以降の本番に備えて自宅に戻った。




