新人声優、炎上する 二
翌日、女児は朝イチで普光院さんのお宅に向かった。
昨日約束した通り、夏休みの宿題を手伝う為に。
近所のカフェなどで行ってはどうかと提案したものの、騒々しい場所は集中できないからとの意見に流されてお邪魔することに。近所の公園で落ち合った上、ご自宅へ訪問することになった。
「あら、はじめましてかしら? 可愛らしいお友達ね。ユリさん」
「こちらアグダちゃん。声の仕事の関係でお世話になってるの」
玄関先では普光院さんのお母様に遭遇。
絵に描いたような貴婦人だ。
娘を名前にさん付け呼ばわりとか、まさにお金持ちの家の親子じゃん。
「アグダと申します。ユリさんにはいつもお世話になっております」
「あらまぁ、小さいのに礼儀正しい。どうぞゆっくりしていってね」
「急にお邪魔してしまいすみません。失礼いたします」
正直、めっちゃ緊張する。
中身がオッサンだとバレたらどうしようかと。
まず間違いなく警察を呼ばれて大騒ぎだ。
だから、近所のカフェがよかったのに。
「アグダちゃん、こっち」
「あ、はい」
普光院さんに促されるがまま、宅内を歩いていく。
都内有数の住宅街だというのに敷地面積が広い。しかも見栄えのする鉄筋コンクリート造の三階建て。宅内にはエレベータまで設置されている。上モノだけで億を越えているだろう。土地も合わせたら恐ろしい金額になりそうだ。
お父さんはお医者様とのこと。
勤務医ではなくクリニックの経営者なのだろう。
そうして訪れた現役JCの自室。
実家が極太なだけあって、室内の装いも一般的な子供部屋とは比べるべくもない。まず、広さが十畳近い。白を基調としたデザインは家具に至るまで統一されており、マンション広告のモデルルームさながら。
アグダ氏の配信内、ことある毎に部屋がヤバいと突っ込んでいたコメントの出所は、きっと普光院さんだ。普段からこんな部屋で生活していたら、そりゃ六畳一間の万年床とか、ゴミ捨て場かゴキブリの養殖場にしか見えないだろう。
「どうしたの? アグダちゃん、さっきから元気がないよね?」
「いえ、そんなことはないッスよ?」
「絶対に元気ないって。普段と比べて口数も少ないし」
滞在しているだけで居た堪れない気持ちになる。
中身オッサンが現役JCの私室に滞在。
その上、この上級国民っぷり。
二重の意味で心が軋む。
オレは中高年パートタイマー、不動健一。
「さっそくですが、夏休みの宿題に取り掛かりましょう」
「えっ、もう始めるの? 少しくらいお喋りしてもよくない?」
「ただでさえ忙しい身の上、時間を無駄にすることはありませんわ」
「ちょっとくらい大丈夫だよ。仕事の愚痴とか吐き出したくない?」
「普光院さん、もしや自宅にご学友をお招きした経験が乏しくは……」
「アグダちゃんのそういう子供らしからぬところ、本当に嫌だなぁ」
「中身オッサンなのだから当然ですわ」
部屋の中程に敷かれたラグマットの上、ローテーブルを囲む。
卓上には普光院さんの手により夏休みの宿題が用意された。
冊子状のそれが各科目ごとに何冊か並べられる。
「それでは手分けして進めていきましょうか」
「アグダちゃん、どれをやる?」
「普光院さんが苦手な科目を担当させてもらおうかと」
「それなら理系科目を頼んでもいいかな? 数学とか」
「了解ですわ」
筆箱から取り出されたシャープペンがこれまた可愛らしい。何本かセットになっているようで、各々猫や羊といった動物のイラストがプリントされている。中身オッサン的には手に取ることを躊躇したほど。
自身が触れたらアグダ菌を付着させてしまいそう。
「このシャーペン、可愛いよね? どこで売ってるか教えてあげようか?」
「隙あらばお喋りを交えようとしてくる気勢、流石は現役JCですわね」
お喋りな同僚はさておいて、夏休みの宿題に臨む。
私立とはいえ所詮は中学校。
解答は単純な筆記作業。
紛いなりにも社会人してきたアグダ氏が苦戦することはない。なるべく普光院さんの字面に字体を似せつつ、数学の問題を解いていく。国語や英語などと比較して、文字を扱う頻度が低いのでこの辺りはとても助かる。
一方で宿題の持ち主はちょいちょい苦労している。
「アグダちゃん、ちょっと質問いいかな?」
「なんですか?」
「この問題、どうして正解がdidn'tなのかな? 動詞がreadならdoesn'tだよね?」
「主語がheなのに三単現のsが付いていないから、このreadは過去形なのでは?」
「あっ、そうか! だからdoesn'tじゃなくて、didn'tなんだね!」
「よくあるひっかけ問題ですわ。この手の問題に利用される原型と過去形が同じ単語は数が限られておりますから、一度引っかかれば二回目以降は差し支えなく解いていけると思いますわよ」
「アグダちゃん凄い!」
「いうて中学生の英語ですわ」
こんな感じである。
お昼にはダイニングで昼食をご相伴に預かった。主菜はペスカトーレ。副菜に焼き野菜のサラダにコーンスープが付いた。ドレッシングやソースに至るまで、すべて普光院さんのお母様の手作りだという。
ムール貝なんてお洒落な貝類、生まれて初めて口にした気がする。
アサリの味噌汁が精々の限界氷河期世代でございます。
おやつの時間には、やたらといい香りのする紅茶と、これまた自家製だというアップルパイをご馳走になった。昼食と合わせて、他所のレストランで頂戴したのなら、うん千円と取られそうな豪華コースである。
めちゃくちゃ美味しかった。
おかげでやる気も一入。
その日のうちに数学の冊子を終わらせたった。
「アグダちゃん、とんでもなく問題を解くのが早いね。しかも凄い集中力」
「中学校の宿題が解けなかったら大人失格ですわ」
「うちの学校ってそこそこ偏差値高いんだよ?」
「だとしても、大学を出ていて中学生の宿題が解けなかったら問題ですわ」
「えっ、アグダちゃん、大卒なの?」
何気ない呟きに対して、めっちゃ驚かれた。
どうやら高卒だと思われていたアグダ氏。
「自分、大卒じゃ駄目ですか?」
「そ、そんなことはないけど、ほら、非正規って聞いたからさ!」
「自分くらいの年代だと、大卒で非正規って割と普通ッスよ」
文系だと有名私大や国立大学でも就職率が五割とかだったような。理系でも何十社とエントリーして、ようやく片手に数えるほどの中小企業に引っかかる感じ。今は見向きもされない公務員に有名大卒が殺到していた。
中小企業に就職して、現場で技術を身に着けて、キャリアアップを重ねていけたらよかった。ただ、当時の中小企業はブラック率も半端なくて、無事に就職できても何割かは心身を病んで消えていった。
自身も一時期、激務から体を壊して入院。
そうして空白期間が生じの、加齢と共にパートタイマー堕ちだ。
そういった人たちが劣悪な職場環境に耐えて、低賃金なブルーカラーとして扱き使われていたからこそ、ここ三十年ほどの日本はどこへ行っても高度なインフラやサービスを安価に利用できたと理解して欲しい。
「何系だったの?」
「理系ですけど」
「へぇ、勉強好きだったんだ?」
「数学や物理が得意だったんですの」
「どこの大学だったか聞いてもいい?」
「どこにでもあるような地方の大学ですわ」
「っていうと、やっぱり私立?」
「いいえ、国立でしたわね」
「えっ、すごいじゃん!」
「実家が貧乏だったので、他に選択肢がなかっただけですわ」
「それなのにどうしてパートタイマーしてるの?」
「そういう時代に生まれたから、としか言いようがございませんわ」
「就職氷河期って、そんなに凄かったの?」
「こればかりは当時を知っている方々しか、理解ができないッスね」
「ふぅーん?」
その日は窓から西日が差し込んできた辺りで解散となった。
帰り際にはお土産まで頂戴してしまった。
お母様の手作りのクッキーだという。
娘さんが自宅にお友達を連れてきたの、本当に嬉しかったのだろうな。
中身のオッサンは罪悪感で胸が痛む。
次にお邪魔する機会があったら、こちらも菓子折りとか用意しないと。
◇◆◇
ゲームのボイス収録を終えたのなら、今度はアニメの収録である。
数日後、再び収録スタジオに呼び出された。
アニメの収録は番組ごとに毎週決まった曜日、決まった時間に行われるのが慣例なのだとか。そうしないと声優さんのスケジュールを押さえるのが大変になってしまうから。当面は週一でこちらへ通うことになるらしい。
ちなみに本作も監督は篠原さん。
「おはようございます。萌芽プロダクションの由桐百合です。本日はよろしくお願いします」
「おはようございます。フリーでやっておりますアグダです。本日はよろしくお願いします」
現場入りしたのなら、まずは関係各所にご挨拶。
RPGのNPCさながらに定型文を繰り返す。
担当はメインヒロインだが、アグダ氏や普光院さんの業界内での立場は新人声優。職場でのカーストは最下層である。収録ブースでの着座も下座。先輩がブースへ出入りするのにドアを開け閉めするのも我々の仕事だ。
『それじゃあ、まずはテストからやっていこう』
音響監督の指示で収録が開始。
テストは台本を最初から最後まで通しでお喋り。
途中で間違えたりしても気にしない。
多少の物音も許容される。
ベテランの声優さんのお遊びが見られたりして、ちょっとクスッとするような場面もちらほらと。個人的には癒やしの時間。新人は自身の台詞がどういった状況で求められるのか、タイミングを掴むので精一杯だけれど。
やがてテストが最後まで終えられると、副調整室で音響監督やアニメ監督がゴニョゴニョとやり取りを始める。キャラのイメージと声色が異なっていた場合、個別に発注がかかる。他にも全体を通して補足事項が伝えられたりする。
今回はそれらしいやり取りもなし。
からの、本番。
こっからがめちゃくちゃ大変。
『それじゃあ、本番いきます』
アニメの収録は本当にしんどい。
まず、五時間以上の長丁場を収録ブースに籠もる、というのが堪えられない。しかも籠もっている間、クシャミや咳払いすら不可能。ちょっとでも物音を立てた時点で、参加者全員から非難の眼差しが向けられる。
強いて言うなら、小中学校の頃、国語の授業であった教科書を順番に朗読していくやつ。アレを難易度MAXにしたような感じ。ちょっとミスるとすぐにアウト判定。しかも連帯責任で先輩まで一緒にやり直し。
ミス即ゲームオーバーの音ゲーを丸一日中やってるような気分だよ。
こんなことを毎週何件とこなしている売れっ子の声優さんが恐ろしい。
『由桐ちゃん、今被った。もうちょっと早めに』
「は、はい!」
速攻でアウト判定を喰らった普光院さん。
長いセリフってマジ大変。
噛まずに喋るだけでも一苦労なのに、尺内に収めないといけない。収録現場を垣間見たことで、自身もアニメのセリフに対する意識が変わってしまった。主人公が長台詞を独白するタイプの作品、アレはもはや嫌がらせ以外の何物でもない。
『それとアグダちゃん、君はもっとはっちゃけてくれて構わないよ。面白い声をしているから、多少目立つくらいのほうがキャラが立つだろう。一緒にやってる先輩方もいい刺激になるんじゃないかな』
「承知しましたわ」
おっと、アグダ氏にもダメ出しが。
自分の声じゃないから褒められても全然嬉しくないけれどな。
どこかの世界の魔王様、下々から声色を面白がられているぞ。
ちなみに収録には高嶺さんもいらした。
彼女もヒロインを担当するらしい。
しかも七名いる中で最初に名前が上がる役柄。
いわゆるセンター系。
流石は売れっ子。
以前、自分や普光院さんに採用の舞台裏を教えてくれたのも、この辺りが関係してのことだろう。高級焼肉をポンと奢ってくれる素晴らしい人物なので、アグダ氏的には今後とも、この方に付いて行こうと思う。
◇◆◇
収録を終えて帰路に着こうとした間際のこと。
副調整室を訪れていた監督から呼ばれた。
普光院さんも一緒だ。
「アグダちゃん、ネット炎上の件なんだけど、情報開示で犯人が判明したよ」
「本当ですか?」
「以前この作品のオーディションに来てた、君の知り合いの子、覚えてる?」
「松浦さんでしょうか?」
「そうそう、その子。まさかとは思ったけど、見事に逆恨みだったね」
「それはなんと言いますか、申し訳ないことをしてしまいましたわ」
「今回は事前に危ない子を弾けたからよしとするよ。こういうことをする子は、事情によらず口外が癖になってたりするからね。取り立てた後に荒ぶられたりしたら、それこそ目も当てられない」
自身もそんな気がしておりました。
女児を新宿から高尾駅まで吹っ飛ばすような人物だもの。
「ただ、ネット炎上のおかげで、予告ムービーの再生数やティザーサイトの訪問者数が急上昇したからね。製作委員会としてはプラマイゼロってところかな。君にお咎めがいくようなことはないから安心していいよ」
「お気遣いくださり恐れ入ります」
「だけど、今後は気をつけてね?」
「ネトゲはしばらく控えておきますの」
「うん、それがいいと思うよ」
もしかしたら花咲さんが上手いこと取りなしてくれたのかもしれない。
次に顔を合わせる機会があったら、それとなく尋ねてみようか。
「それにしても情報開示で身バレとか、中学生でも知っていそうなものですが」
「それなんだけど、個人を特定するまでには一悶着あったみたいなんだよね」
「どういうことですか?」
「アカウントは匿名。開示されたアクセス元も喫茶店の公衆無線だったらしくてさ。当初は特定を諦めていたらしいんだけど、店内の監視カメラを確認したところ、問題の投稿が行われた時刻、店内でスマホを弄っていたのが彼女だけだったんだ」
「本人は匿名アカウントのつもりで運用していた、ということですわね」
「まぁ、運が悪かったね。我々としては助かったけど」
パソコンでネトゲなどしているくらいだから、最低限のセキュリティ意識は備えていたのだろう。今回はそういった意識の高さから、逆に足元をすくわれたようである。監視カメラの映像まで確認するとは自身も思わなかったけれど。
恐らく弁護士や興信所が頑張ったのだろう。
「最近の若者は甘っちょろいですわ。ネットで匿名性を担保しようと思ったら、尻尾OSで玉ねぎブラウザを利用の上、第三国のVPNを噛ませて多段串は必須。その程度も理解しないなんて、火傷して当然ですの」
「アグダちゃん、多段串ってなに?」
ネットの黎明期を知る氷河期世代のイキり。
これに首を傾げたのは普光院さん。
「お宝を手に入れる為に必要な最低限の装備ですわ」
「多段串とか聞いたのいつぶりだろう。アグダちゃん、妙なこと知ってるね」
一方で理解を示してくれたのが篠原監督。
同世代なだけあって話が通じた。
「彼女、もう完全に業界から出禁だよ」「事務所から追い出されたらしいじゃないの」「こんなことになったら仕方がないよ」「アグダちゃん、夜道には気をつけたほうがいいかも」「ちょっとちょっと、それは冗談にならないでしょ」
副調整室内では他のスタッフの間でもやり取りが交わされる。
今後、松浦さんとは業界内で顔を合わせることもなさそうだ。
ちょっと可哀想な気もするけれど、自業自得なので仕方がない。




