お酌営業 一
アニメの収録は円滑に終えられた。
時計的にはお尻まで三十分ほど余裕がある。
音響監督のオッケーを耳にして、収録スペースに見られた方々が捌けていく。新人である我々は下座となる出入り口付近に腰掛けている手前、これに挨拶を繰り返して諸先輩方をお見送りするスタイル。
なんなら休憩時間のドアの開け閉めも担当していた。
人間自動ドア、お辞儀付き。
これも新人の役割なのだとか。
まぁ、唯一の肉体労働がこの程度だとすれば、むしろ声を当てているより遥かに気が楽である。キルミーで経験した工事現場なんかと比べたら、基本的にアッパー階級の方々しかいないので、遥かに言動がお上品だし。
「アグダちゃん、私たちも出よっか」
「承知しましたわ」
参加者が全員外に出たところで我々も収録スペースを出る。
帰り際には副調整室にちょいと顔を出して帰りのご挨拶を。
――しようと思ったら、先んじて声を掛けられた。
「由桐ちゃん、おつかれさん」
いつぞや見られたテレビ局の偉い人である。
たしか花咲さん。
本日もスーツでバッチリと決めている。グレーのスリーピースに黒いシャツと黒いネクタイ。革靴の尖りっぷりや腕時計の厳つさも健在だ。髪型は以前と同じツーブロック。両手をズボンのポケットに突っ込んだ姿勢が非常にオラオラ系。
「お、お疲れ様です。花咲さん」
「このアニメ、由桐ちゃんも出てたんだ?」
「アグダちゃんの付き人としてですが……」
「いいじゃん、いいじゃん。その調子で活躍していこうよ」
先方は真っ直ぐに普光院さんの下へ。
ニコニコと機嫌良さそうに笑っているぞ。
「これはいよいよ到来しちゃうのかな? 由桐ちゃんの時代がさぁ」
「いえ、私なんてまだまだです。今日も沢山リテイクありましたし」
「そんなの誰だって同じだよ。そうやって少しずつ学んでいくのさ」
「そうでしょうか?」
「今日来てた高嶺ちゃんだって、デビューからしばらくは苦労してたよ。昔やってたアニメ番組とか見たことない? それが今じゃ売れっ子の仲間入り。最初からイケイケな子なんて滅多にいないって」
「……お気遣い下さりありがとうございます」
どうやら偉い人は普光院さんのことが気になるようだ。
過去にも声を掛けていたし、これは間違いないでしょ。
アグダ氏は一人で帰宅するべきではなかろうか。
「っていう訳で、今日これから暇? 夕食とか行かない?」
「すみません、この子の面倒を見なければならないもので」
普光院さんの視線がチラリとこちらに向けられた。
まさか彼女の邪魔をしては申し訳ない。
なんたって業界の偉い人とお近づきになる又とない機会だ。女児の面倒見で不意にするなどとんでもない。一体どれだけの人たちがこうしたチャンスを求めて、けれど、夢を夢のまま潰えていくことだろう。。
「普光院さん、自分だったら一人でも帰れますので」
そのように考えて彼らに会釈を一つ。
エントランスに向けて一歩を踏み出す。
すると、普光院さんから縋るような眼差しが。
「…………」
お誘いに乗りたくないのだろうか。
テレビ局の偉い人とか、率先して媚を売るべきだと思う。これほど心強いコネはないでしょう。それとも自身の力量一つで、この果てしない声優坂を駆け上ってやるぜ、みたいなことを考えていたりするのか。
そうして女児が反応に困っていると、すぐに先方から反応が見られた。
「ならそっちの子も一緒でいいよ。どうだい?」
「えっ……自分もッスか?」
急に話題を振られたのでキョドる。
思わず素が出ちゃったじゃないの。
「一緒に美味しいご飯を食べに行こうよ」
偉い人は人の良さそうな笑みを浮かべてニコニコと。
そのように言われてしまうと女児は判断致しかねる。
「私は由桐さんの判断に従いますけれど……」
「ほら、本人もこう言ってるよ? 由桐ちゃん」
「……ありがとうございます。ご一緒させてください」
しばらく考えるような素振りを見せてから、小さく頷いた普光院さん。少なくとも怯えているような様子は見られない。ただ、率先してご一緒したいという気配もなく、躊躇の色が濃い。もしも女児に配慮しているのなら申し訳ない。
普光院さんはまだ若いのだし、思わせぶりな態度を取りながら、当面はキープしておけばいいのではなかろうか。しかしまぁ、それが出来ないのが彼女の美点でもあり、残念なところでもあるように思う。
予期せず夕飯が降ってきたアグダ氏は役得である。
まさか割り勘ということはないだろう。
精々飲み食いさせてもらおうじゃないの。
◇◆◇
花咲さんに連れて行かれたのは、都心に聳え立った高層ビルの最上階。
スカイラウンジ的な場所で営業している高級レストランだった。
お冷を持ってきて欲しいとお頼み申し上げると、一杯千円のミネラルウォーターがワイングラスで出てくるような感じ。というか、出てきてしまった。こんなことなら色の付いたドリンクを注文すればよかった。
食事は偉い人が選んでくれた。
シェフがオススメする創作和食とかなんとか。メインディッシュを務める国産牛のヒレ肉のステーキが最高であった。普段食しているオージービーフ諸兄に、君たちは本当に同じ牛さんなのかと、現地へ赴いて説教したい衝動に駆られる。
そんなこんなで気づけば店に入って一時間と少し。
空の食器も下げられてテーブルの上もスッキリした。
女児の小さな胃袋はもうパンパンである。
「アグダちゃん、家はどの辺り? 都内?」
「え? あ、荻窪の辺りですが……」
「タクシー代はこれで足りるかな?」
偉い人から言われた。
躊躇なく差し出された万札に驚愕を覚える。
オマエはさっさと帰れ、ということだろう。
「そんな滅相もない。電車で帰りますので!」
「いやいや電車って。君はなかなか面白い子だね」
今の時間ならまだ電車は動いている。
もし仮に終電が過ぎていても、アグダさんの健脚なら走って帰宅可能。背の高いビルの屋上から屋上へ、忍者さながらに飛んで移動とか、ちょっと憧れていた。監視カメラにウォチられそうなので、実行には移せていないけれど。
「遠慮せずに受け取っておくといいよ」
「いえ、本当に大丈夫ですので」
「それとも君も由桐ちゃんと一緒に来るかい?」
「えっ?」
「ははは、まだ早いか。まぁ、僕はくるものを拒まない性質だがね」
女児相手に何を言っているのか。
流石に冒険し過ぎでしょ。
最近ただでさえ、その手のお遊びで上級国民の方々が炎上している。まぁ、表沙汰になっているのは氷山の一角なのだろうけれど。食事中にお酒を口にしていたので、ちょっと酔いが回ってきているのかもしれない。
女児は愛想笑いを浮かべつつ椅子から腰を上げる。
すると時を同じくして普光院さんに反応が。
「あの、すみません。私もアグダちゃんと一緒に帰らせてもらえたらと」
「えぇ、ここまで来たのに帰っちゃうの? まだ話したいことあるのに」
「あまり遅くなると両親が心配しますので……」
「ちょっとお話をするだけだから。それ以上のことは絶対にしないから」
「……本当でしょうか?」
「本当だとも。部屋で飲みたいから、お酒を注いでくれるだけでいいよ」
「…………」
躊躇するような素振りを見せる普光院さん。
女児は黙ってこれを見守る。
「きっと由桐ちゃんの今後の為になるお話ができると思うんだよね」
「……そういうことでしたら」
若い人たちの間ではパパ活とか流行ってるじゃないの。
敢えて否定することはない。
どこかの企業の調査によれば、若い女性の十人に一人は経験があるそうな。既に我が国の文化と称しても過言ではない。だとすれば、倫理がどうのと声を出すのは無粋というもの。女性の権利を侵害するにも等しい。
一般人だってホストやキャバクラを相手に枕営業を求めて止まない。
それに相手がJCとあらば、偉い人もそこまで変なことはするまい。
「それじゃあ、私は先に失礼しますわね」
「う、うん。またね、アグダちゃん」
空気の読める女児は、一人でお先にレストランを出発した。




