声優、はじめました 二
同日の夜、夕食後にライブ配信を行うことにした。
ちゃぶ台に配置したノートパソコン。
配信画面に向かって女児はお伝えする。
「声優でひと稼ぎすることになりましたわ」
:アグダちゃんの配信、毎回ネタがぶっ飛んでるよね。
:今日の配信が夜になったのはその関係かな?
:そうそう、アグダちゃんと一緒に出かけてたからね
理由は明後日に迫った収録である。
監督からも台本に目を通しておけと言われた。
まさか一言も練習にせずに当日を迎える訳にはいくまい。
そこでせっかくなら視聴者を便利に利用しようと考えた。
「ということで、本日は台本の練習です」
:それって配信して大丈夫なの?
:絶対にアウトだから止めて?
:流出したら賠償金とか凄そうだなぁ。
「賠償金を請求されたら困ってしまいますわね」
限定配信だから大丈夫かな、などと考えたけれど、普光院さんから駄目だと言われてしまった。彼らのことはそれなりに信用している。けれど、ディスプレイの向こう側に第三者が控えていないとも限らないか。
「それならこうしましょう。担当するキャラと似たようなお喋りをしているキャラを他所の作品から探してきますわ。本日のところはそちらで練習をしましょう。最初はどうしても、ニート予備軍さんに確認をして欲しいのです」
:監督からも頼まれちゃったし、任せてくれて構わないよ
:どんな作品のキャラをチョイスするのか気になるところ
:アグダ家の本棚、卑猥な漫画で埋め尽くされてるような。
「台本を取ってきますわね」
部屋の隅に配置した本棚へ向かう。
お気に入りに作品群から、それっぽいキャラクターの登場する作品を思い起こしつつのチョイス。台本に従えば、担当キャラはこてこてのロリババァだ。のじゃろり案件なので、即座にいくつかタイトルが浮かんだ。
「さて、それではいきますわよ」
:アグダさん、それエロ漫画じゃん
:中身はオッサンだからいいんだよ。
:しかもかなりエグいの持ってきたな
女児の手にした書籍を目の当たりにして視聴者から突っ込みが。
表紙はモザイク不要なデザインだから別にええじゃないの。
しかもこれ一般紙で連載されている作品の公式スピンオフだし。
「直接的な表現は飛ばすから心配は無用ですわ」
:大丈夫じゃねぇですよ。やっぱり中身オッサンだ
:他に本と呼べるものを持っていない可能性が微レ存。
:配役との類似性は重要だから、とりあえずやってみて
肝心の普光院さんからはゴーサインが出た。
さっそく視聴者相手に台詞の練習だ。
これがやり始めてみると、存外のこと熱が入る
:個人的には語尾とかもう少し伸ばした方が好みかも。
:息を吸うときのブレス、もっと注意できないかな?
:マイクの前に立った姿を想像しながらやるといいかも?
「了解ですわ」
すぐに意見が上がってくるの嬉しい。
自分一人だと全然気づけないから。
:門外漢は黙ってた方がいい? アグダちゃんめっちゃ真剣だし。
:我々は静かにしておこうか。練習風景を眺めてるだけでも面白い
:せっかくの配信を独り占めしちゃってごめんなさい
:いやいや、こっちのことは気にしなくていいから
:なによりアグダちゃんもその方が嬉しいだろうしね!
流石はプロの声優さん、とても頼もしいぞ。
何回か通して繰り返すと、段々感覚が掴めてきた。
舌の動きがよくなったとでも称すればいいのか。
:アグダちゃん、滑舌がいいね。若いからかな?
:中身オッサンなのに若いとはこれ如何に
:いやでもほら、ボディーはこれ以上なく若いし。
そんな感じで丸二日間、自宅に籠もって台詞の練習。
配信していない時間も延々と台本を諳んじる。
おかげで台詞をすべて覚えてしまった。
喋り慣れない素人がいきなりそんなことをしたら、一発で喉を壊しそうなものである。しかし、そこはパッシブで全身オートリジェネが効いた女児である。喉に疲労感を覚えることすらなく過ぎていった。
◇◆◇
そして、あっという間に翌々日だ。
いつもの公園で普光院さんと落ち合い、収録スタジオに向かうことに。当日も普光院さんが同行してくれるの頼もしい。先方にはアニメ監督から話が通っているとのことで、差し支えはないそうな。
移動は例によってタクシー。
スタジオには収録開始の三十分前に到着した。
「先輩より早出したり事前に挨拶しまくるの、都市伝説ではなかったのですわね」
「今回はゲームの収録だから、基本は抜き撮りでそんなに人はいないと思うけど」
「普光院さん、抜き撮りというのはなんですの?」
「声優が個別にスタジオを訪れて、一人や少人数で収録を行うことだよ。ゲームの音声はこの方式が主流かな。あと、アニメでも売れっ子で多忙な人たちは、スケジュールの都合で抜き撮りすることがあるみたい」
「なるほど」
前回の収録時にも思ったけれど、こちらの業界は専門用語が多い。
やっぱりというか、普光院さんが一緒じゃなかったら詰んでいた。
「ところで自分、事務所とか所属してないッスよね? その辺りはどうすれば?」
「フリーでやってると伝えればいいから」
「そういうのもあるんッスね」
「まぁ、普通は事務所が潰れたり、名前で仕事が取れる人たちがやることだけど」
先輩が優しいおかげで色々と教えてくれる。
おかげで不安なくスタジオ入りできますよ。
現場は以前と変わりない。
出入り口に立っていたスタッフの方に用件を伝えると、そのまま収録スペースに案内を受けた。出入り口のドアは我々が訪れるより前から開放されている。ちょうど収録の合間であったようだ。
我々と入れ替わりで出てくる方が見られた。
「あら? 貴方はたしか由桐百合さん」
「おはようございます、高嶺さん」
深々と頭を下げてご挨拶をした普光院さん。
畏まった態度から察するに先輩と思われる。
直後にチラリとこちらに視線が向けられた。
挨拶しやがれこの野郎、ってことだろう。
自身もこれに倣い、大慌てでご挨拶をば。
「おはようございます! フリーでやっているアグダと申します!」
「えっ、その年齢でフリーなの?」
「高嶺さん、その子はスポンサーからの指名になりまして」
我々に代わって音響監督が受け答えしてくれた。
いつの間にやら我々のすぐ隣に立っておりますね。
以前、ウェブ広告の収録でもお世話になった方だ。
アニメ監督とは別人。
収録には収録でそれ専門の監督がいらっしゃる。
「へぇ? それじゃあ私もご挨拶をしておこうかな」
見たところ二十代と思しき綺麗な女性である。
出会った場所が収録スタジオでなければ、女優や俳優と勘違いしそうだ。身にまとった雰囲気がスタジオのスタッフの方々とは一線を画している。声の通りもかなりよろしくて、とても聞き取りやすい。
普光院さんの手前、ポッと出の新人は謙っておこう。
「あの、スポンサーの指名とは申しましても、恐らく高嶺さんが考えておられるようなものではないので、どうか下っ端としてこき使ってもらえたら幸いです。明日には消えているような新人です」
「なんとまぁ、子供らしからぬ物言い」
「恐縮です」
「日本語がお上手なのね」
「生まれも育ちも日本でございまして」
「あらそうだったの?」
「お耳汚しになっておりましたら申し訳ありません」
それから少しだけお喋りをして、高嶺さんはスタジオを出ていった。お付きのマネージャーさんを連れて、さっそうと歩み去っていく姿が印象的だった。業界人って雰囲気を全身から放って止まなかった。
その光景を思い起こしつつ普光院さんにお尋ねする。
「高嶺さんって、もしかして売れっ子の方ですか?」
「それは本人の前で言ったら絶対に駄目だからね?」
「え?」
「本当に知らない? ここ数年で一番売れてる方なんだけど」
「なんとまぁ、それは申し訳ないことを尋ねてしまいました」
「アグダちゃん、声優のこと全然知らないよね」
「次に機会があるようなら、その時は勉強してから臨みますわ」
「うん、絶対にそうするべきだと思うよ」
肝心の収録は半日ほどで終えられた。
以前よりもかなりテンポ良く行えたように思う。
音響監督からも沢山褒めてもらえた。
まぁ、この辺りは見た目女児に対する気遣いだろう。




