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甘き毒の狂乱と、三億の活躍

虚飾の神が討たれ、洗脳が解けた街に、初めて本物の朝日が差し込んでいた。

かつて幻影に縋っていた人々は、広場の中心に立つ真紅の瞳の少女へと深い感謝の祈りを捧げている。だが、その平穏は唐突に破られた。


「ンフフフ……。本当に、あのチビを跡形もなく消し飛ばしちゃったのねぇ。恐ろしいオヒメサマ」


突如として、街中にむせ返るような甘ったるい香りが立ち込めた。

その香りを嗅いだ瞬間、周囲にいた市民たちの呼吸が荒くなり、瞳孔が開き始める。理性というタガが外れ、獣のように互いの体を求め合い、あるいは暴力を振るおうと暴走し始めたのだ。

眷属となったミアとセラフィは正気を保っていたが、街は瞬く間に欲望の坩堝と化そうとしていた。

しかし、カノンが静かに舌打ちをし、その身から『吸血鬼の血の匂い』を微かに放った瞬間――神聖にして極上のその香りが、周囲の甘い毒を完全に浄化し、市民たちを正気に引き戻した。

「あらァ……私の『愛の暴走』を匂いだけで打ち消すなんて。憎たらしいほど高潔な血ねぇ」

空間がぐにゃりと歪み、空中に巨大なホログラムのような映像が浮かび上がった。

そこに映っていたのは、極端に露出の多いドレスを纏い、ねっとりとした視線を向けてくる妖艶な女――『色欲の女神』だった。

「初めまして、カノンちゃん。……それにしても、あなた、あの下劣な女にそっくりねぇ」

「……誰のことかしら」

カノンは冷ややかに見つめ返す。色欲の女神は、赤い唇を三日月のように歪め、甘く囁いた。

「あなたの母親のことよォ。私より美しかったからって、神々をたぶらかしたあの薄汚い泥棒猫。……ねえ、知ってる? あの女がどうして死んだか」

「病死よ。私はそう聞いているわ」

「アハハハハッ! 傑作ね! 教えてあげるわ。あの女を殺したのはね……あなたの父親であり、神の一柱よ。あんな顔だけはいい下劣な女との間に子供ができたなんて、みとめられないでしょう? だから、自らの手で惨殺したのよォ!!」


ドクン、と。

カノンの心臓が、ひどく冷たい音を立てた。

父が、母を殺した? 色欲の女神の言葉は酷く主観的で歪んでいたが、カノンの胸の奥に眠る『巨大な悪意の気配』と重なり、嫌な動悸を生む。

「さぁ、絶望で顔を歪ませてちょうだい! あなたも私の街においでなさいな。その誇りごと、ぐちゃぐちゃのオモチャにして壊してあげるからァ!」

ホログラムが消え去った後も、カノンは俯いたまま動かなかった。

「カノン……」

セラフィが痛ましそうに声をかけ、ミアがカノンの冷たい手を両手でぎゅっと握りしめる。

「あんな性格の悪い女の言うこと、真に受けちゃダメよ。……あたしたちは、絶対にあんたの味方なんだから」

二人の眷属からの、重く、温かい愛の波動。それが流れ込んできたことで、カノンはふっと息を吐き、いつもの気高い微笑みを取り戻した。

「……ありがとう、二人とも。平気よ。あの下品な女神の口を、直接引き裂きに行くだけだから」


色欲の国へと向かう道中、一行は国境付近の無法都市に立ち寄っていた。

人間界を旅するには、情報と『お金』が必要だ。カノンは手持ちの全財産である金貨の袋をテーブルに叩きつけ、薄暗い地下闘技場『ブラッド・ピット』の受付を見下ろした。

「今日の特別マッチ。この二人に、全額賭けるわ」

カノンの後ろには、黒い片翼を隠すため外套を羽織ったセラフィと、小柄なミアが立っていた。対戦相手は、見上げるほど巨大な三匹の凶暴なオーガと、呪われた武具を装備した狂戦士たち数十人の連合軍だ。華奢な少女二人など、誰の目にも『ただの餌』にしか見えない。

倍率は実に数百倍を超える大穴。観客たちは嘲笑の渦を巻き起こした。

「私の可愛い眷属たちの強さを、世界に見せつけてきなさい」

カノンの艶やかな微笑みと声援を受け、二人はリングへと降り立った。


ゴングが鳴り響いた瞬間――闘技場は、一方的な蹂躙の舞台と化した。


「遅いわね、デカブツ!!」

真っ先に飛び出したのはミアだった。極限まで鍛え抜かれたしなやかな太ももの筋肉が爆発的な脚力を生み、目にも留まらぬ神速でオーガの懐へと潜り込む。カノンの極上の血を分け与えられたことで、彼女の肉体は人間の限界を遥かに超越していた。

「シッ!」

双剣が煌めく。ただの刃ではない。カノンの魔力が乗った真紅の軌跡が、鋼よりも硬いオーガの皮膚をまるでバターのように切り裂いていく。巨大な腕が宙を舞い、ミアはその血を浴びることなく、軽やかに空中で身を翻して次の獲物へと飛びかかった。

「狂信者ども、主の御前である。少しは礼儀を弁えろ」

一方のセラフィは、真っ向から襲い来る狂戦士たちの波を受け止めていた。

彼女が外套を脱ぎ捨て、神々しい魔力を帯びた黒い片翼を広げた瞬間、狂戦士たちの足が恐怖ですくむ。セラフィが聖剣を天に掲げると、カノンから与えられた莫大な魔力が光の奔流となって刃に収束した。

「消し飛べ」

一閃。ただ剣を振り下ろしただけ。それだけで、闘技場の頑強な防壁ごと、数十人の狂戦士たちが巨大な光の斬撃に飲み込まれ、跡形もなく消し飛んだ。

力と速さの完璧な蹂躙。

開始からわずか数分。リングの上に立っているのは、涼しい顔で剣の血を振るう二人の少女だけだった。

先程まで嘲笑していた観客たちは水を打ったように静まり返り、やがて恐怖と熱狂の入り混じった絶叫を上げた。


「さあ、配当金をいただこうかしら。計算によれば……五億ゴールドね」

カノンは優雅な足取りで、顔面蒼白になっている闘技場の支配人の元へ歩み寄った。

だが、支配人は醜く顔を歪め、指を鳴らす。途端に、数十人の武装した用心棒たちがカノンたちを取り囲んだ。

「ふ、ふざけるな! 誰がそんな大金払うか! 貴様ら、不正をしたに決まっている! ここで大人しく死ねば――」

「……口の利き方に、気をつけてちょうだい」

カノンが目を細め、その真紅の瞳を支配人に向けた瞬間。

ドゴォォォォンッ!!

カノンの背後から、一切の予備動作なしで顕現した真紅の大鎌が、支配人の顔の真横を通り抜け、背後の分厚い金庫の鉄扉を紙屑のように粉砕した。

周囲を取り囲んでいた用心棒たちは、カノンから放たれた『神殺しの魔力』の余波だけで白目を剥いて泡を吹き、全員がその場にバタバタと倒れ伏す。

圧倒的な死の気配。自分がいかに恐ろしい存在に牙を剥こうとしたか、支配人は本能で理解した。

「ひぃっ……! い、命だけは……!!」

支配人は床に這いつくばり、涙と鼻水を流しながら土下座をした。

「あ、あの……五億は、物理的に無理です! 闘技場の全財産を掻き集めても、三億が限界なんですぅぅっ!!」

カノンは呆れたようにため息をつき、ひどく冷たい声で見下ろした。

「……私の眷属たちの見事な舞に免じて、三億で手を打ってあげるわ。今すぐ用意しなさい。一秒でも遅れたら、その首を刎ねるわよ」

「は、はいぃぃぃっ!!」


数分後、三人は三億ゴールド分の金塊がぎっしり詰まったマジックバッグを手にして、悠然と闘技場を後にした。

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