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虚妄の檻と、交わる二つの血

無数の黒い槍が、絶望の雨となって降り注ぐ。

「カノン!!」

堕天使セラフィは痛む体を引きずり、地に伏したカノンと、鎖に繋がれたミアの上に覆い被さった。

ドスッ、ゴスッという鈍い音が響き、セラフィの漆黒の片翼が槍に貫かれる。鮮血が宙を舞い、彼女の口から苦悶の呻きが漏れた。

「ちょっと、羽女! なんであたしまで庇うのよ!」

下敷きになったミアが、目を丸くして叫ぶ。彼女の鍛え抜かれた腹筋や腕の筋肉が、鎖を引きちぎろうと限界まで隆起していたが、呪いの込められた鋼はびくともしない。

「誰が羽女だ……! カノンは、お前を救おうとした……ならば私は、彼女の意志を護るまで!」

セラフィは血を吐きながらも剣を振るい、ミアを縛っていた重い鎖を叩き斬った。自由になったミアは即座に立ち上がり、凄まじい身のこなしで落ちていた信者の短剣を蹴り上げ、両手に構える。

「……チッ、借りができたわね、堅物天使」

二人は背中合わせになり、意識を失ったカノンを庇うように陣形を組んだ。

しかし、状況は絶望的だった。広場を埋め尽くす信者たちに加え、司祭の背後には、彼らの信仰心と恐怖を吸い上げて実体化した巨大な『虚飾の神』の幻影が揺らめいている。


一方、カノンの意識は、底なしの暗闇の中で泥のように沈みかけていた。

『傲慢の神が吸血鬼を捻り潰した――』

司祭の言葉が呪いのようにリフレインし、彼女の心を削り取っていく。誇り高き母が、虫ケラのように殺された? そしてその光景を、この虚飾の神は嘲笑っていたというのか。

(……母様。あなたは、本当に……)

カノンの精神が漆黒に染まりかけたその時、ふと、鋭い違和感が脳裏をよぎった。

暗闇に響く虚飾の神の哄笑。だが、その笑い声の奥底に、ひどく醜い『震え』が混ざっていることに、カノンの研ぎ澄まされた感覚が気づいたのだ。

(……違う。こいつは、母様を殺していない)

嘘だ。虚飾だ。この神は、最強の種族であった母が殺される光景を、ただ物陰から震えながら見ていただけだ。そしてそのトラウマと恐怖を隠すために、あたかも自分たちが偉業を成し遂げたかのように騙り、信者を洗脳する道具に使っているのだ。

母の死を、自らの安い虚栄心のために利用した。

その事実に気づいた瞬間、カノンの胸の奥で、かつてないほどの静かで冷たい『怒り』が臨界点を突破した。

(許さない。私の母を……私の誇りを泥で汚すような真似、絶対に許さないわ)

目覚めなければ。あの薄汚い幻影を、この手で八つ裂きにするために。

しかし、強力な精神呪縛に囚われた肉体は、ピクリとも動かない。呪縛を打ち破るには、外部からの強烈な『命の熱』――純度の高い血が必要だった。


現実世界では、セラフィとミアが限界を迎えていた。

「ハァッ……ハァッ……キリがないわね!」

ミアの双剣が信者を斬り裂くが、鍛え抜かれた彼女の筋肉も疲労で悲鳴を上げ始めている。セラフィに至っては、失血で立っているのもやっとの状態だった。

「このままでは……カノンが……」

セラフィが振り返ると、カノンの青白い肌に、呪いの紋様が浮かび上がり始めていた。このまま精神を喰われれば、カノンは死ぬ。

「おい、羽女! あんた、こいつが血を飲めば回復するって言ってたわね!」

ミアが短剣を構えたまま叫ぶ。

「あ、あぁ……しかし彼女は、愛なき血は啜らないと……見ず知らずの他人の血など、誇り高き彼女が受け入れるはずが……」

「馬鹿言ってんじゃないわよ! 死んだら誇りもクソもないでしょ!」

ミアはセラフィの腕を強引に掴み寄せた。

「あんた、こいつのこと大好きなんでしょ!? あたしも、こいつに命を救われた! なら、あたしたちの血を混ぜて、全力でぶち込んでやればいいのよ!!」

性格も、生い立ちも正反対の二人。口を開けば衝突してばかりだった天使と人間の少女が、ただ「カノンを救いたい」という巨大な感情だけで、視線を交え、頷き合った。

二人は己の武器で自らの手のひらを深く切り裂く。

そして、血の滲む両手を強く、強く絡め合った。

「……カノン。どうか、戻ってきて……!」

「起きなさいよ、お姫様!!」

二人は重なり合った血まみれの手を、カノンの青白い唇に押し当てた。

ポタリ、と。

セラフィの高潔な魔力を帯びた天使の血と、ミアの過酷な鍛錬と生命力に満ちた人間の血。二つの異なる極上の血が混ざり合い、熱を帯びた雫となってカノンの口内へと流れ込む。


――ドクンッ!!

その瞬間、カノンの体内で、爆発的な鼓動が鳴り響いた。

流れ込んできたのは、単なる血ではない。彼女を想う、不器用で、重くて、必死な二人の少女の感情そのもの。

暗闇の檻を、真紅の業火が焼き尽くしていく。

「……ん……ぁ……」

カノンの唇が微かに開き、喉が鳴る。もっと、と求めるように、彼女の舌が二人の血を絡め取った。それは眷属化の儀式ではない。ただの応急処置だ。それでも、二人の少女の魂に、甘く痺れるような快感が一瞬だけ駆け抜けた。

「……え……?」

「な、なに、今の……」

セラフィとミアが顔を赤らめて息を呑んだ次の瞬間。


バキンッ!!!


虚飾の司祭が掲げていた呪符が、粉々に砕け散った。

「なっ、馬鹿な!? 虚妄の檻が、内側から破壊されただと!?」

広場を包んでいた絶望の空気が、一瞬にして凍りつく。

ゆっくりと立ち上がったカノン。その真紅の瞳は、今までで最も冷酷に、そして妖艶に輝いていた。

彼女は口元を拭い、自らを救った二人の少女へ、愛おしそうに微笑みかける。

「……ありがとう。少し、味が混ざってしまったけれど……極上の血だったわ」

そして、背中の大鎌を引き抜き、はるか上空で揺らめく虚飾の神の幻影を真っ直ぐに見据えた。

「さあ、見せてちょうだい。私の母の死を、ただ陰から震えて見ていただけの……あなたの、そのちっぽけな命の輝きを」

最強の吸血姫が、真の怒りと共に覚醒する。

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