虚飾の祭壇と、真紅の介入
虚飾の街の中心に位置する大広場は、熱狂と狂気に包まれていた。
空を覆うどんよりとした暗雲の下、広場の中央には無骨な石造りの処刑台がそびえ立っている。周囲を取り囲む何千という信者たちは、焦点の合わない濁った瞳で「虚飾の神」への祈りをブツブツと唱え続けていた。
その処刑台の中央で、太い鎖に縛り付けられていたのは、小柄な人間の少女――ミアだった。
生贄として見世物にされているにも関わらず、彼女の瞳からは微塵も光が失われていない。縛り上げられた彼女の四肢は、小柄ながらも無駄な脂肪が削ぎ落とされ、日々の絶え間ない鍛錬によって培われたしなやかな筋肉で覆われていた。それは暗殺者のような裏の技術で作られた歪な体ではない。純粋な努力と、生への執着が作り上げた、美しく健康的な肉体だ。
汗ばんだ肌が松明の光に照らされて艶めく中、ミアは鼻で笑い、処刑人に向かって飄々と言い放った。
「あんたたち、あたしを殺したら後悔するわよ? あたしの双剣、まだ全然血を吸い足りないって泣いてるんだから」
強がりではない。拘束さえ解かれれば、一瞬でこの場の全員の首を掻き切るだけの力と意志が、彼女のその引き締まった体には宿っていた。
だが、虚飾の司祭は醜く顔を歪めて嘲笑う。
「黙れ、薄汚い無神論者め。貴様のような神を敬わぬ異物は、この清らかな街には不要なのだ。その命をもって、我らが虚飾の神の偉大なる幻影の糧となるがいい!」
司祭の合図と共に、屈強な処刑人が巨大な斧を振り上げた。
ミアは決して目を逸らさなかった。ただ、己の無力さを噛み締め、強く唇を噛む。
斧が空気を裂き、彼女の細い首筋へと容赦なく振り下ろされた――その瞬間。
「……醜いわね。か弱い人間の少女一人に、大勢で寄ってたかって」
凛とした、しかし絶対的な零度を伴う声が広場に響き渡った。
ガキィィィィンッ!!!
甲高い金属音が鳴り響き、処刑人の構えていた巨大な斧が、まるでガラス細工のように粉々に砕け散った。
「なっ……!?」
驚愕に目を見開くミアの目の前に、ふわりと舞い降りた影があった。
漆黒のドレスの裾を翻し、身の丈ほどもある真紅の大鎌を片手で軽々と振るう少女、カノン。彼女の真紅の瞳と目が合った瞬間、ミアの心臓がドクンと大きく跳ねた。圧倒的な死の淵にあって、彼女が感じたのは安堵でも恐怖でもなく、魂の奥底まで絡め取られるような、強烈な『魅了』だった。
「あ、あなた……は……」
「大人しくしていなさい。すぐに終わらせるわ」
カノンはミアに背を向け、大鎌の切っ先を司祭へと向けた。遅れて広場に飛び込んできたセラフィが、黒い片翼を広げてカノンの背後を守るように着地する。
「堕天使セラフィ……! 貴様、まだ生きておったか!」
司祭が憎悪に満ちた声を上げる。しかし、カノンはつまらなそうにため息をついた。
「虚飾の神の信徒というのは、どいつもこいつも泥臭くて反吐が出るわ。神を名乗るなら、もう少しマシな手駒を揃えたらどうなのかしら」
「ほざけ、異端の悪魔め! 我らが虚飾の神の目は全てを見通しておられる! 貴様が何者かは知らぬが、神の秩序に刃向かうなど言語道断! ……かつて『傲慢の神』様が、神に匹敵する力を持つ忌まわしき原初の『吸血鬼』を跡形もなく捻り潰したように、貴様らもここで消し去ってくれるわ!!」
――ピタリ、と。
カノンの動きが完全に停止した。
「……え?」
カノンの唇から、間の抜けた声が漏れる。
今、この司祭はなんと言った? 最初の吸血鬼を、傲慢の神が捻り潰した?
『母様は、あなたを産んだ時の病で亡くなったのよ。可哀想なカノン……』
気怠げに、けれど優しい手つきで頭を撫でてくれた、怠惰の神の言葉が脳裏に蘇る。病死だったはずだ。そう聞かされて育ってきた。なのに、どうして。
(……嘘、よ。あの優しい人が、私に嘘を吐いていたというの……?)
頭の中で、何かが音を立てて崩れ去っていく。神の国で感じていた、あの理不尽で巨大な悪意の正体。点と点が繋がりかけたその瞬間、カノンの心に生じた一瞬の、しかし致命的な『隙』。
虚飾の神の信徒である司祭が、その心の動揺を見逃すはずがなかった。
「かかったな、愚か者!! 『虚妄の檻』よ、その精神を喰らい尽くせ!!」
司祭が呪符を掲げた瞬間、カノンの足元からドス黒い瘴気が噴き出し、彼女の体をすっぽりと包み込んだ。
「カノン!! 気をつけて、それは精神を直接破壊する幻覚魔法よ!!」
セラフィの悲痛な叫びも虚しく、瘴気に飲まれたカノンの瞳から光が失われる。
カノンの意識は強制的に漆黒の空間へと引きずり込まれ、そこで彼女は『見て』しまった。
圧倒的な威圧感を放つ巨大な影――傲慢の神が、カノンと瓜二つの姿をした美しい女性の首を掴み、無慈悲に、そしていとも容易く『握り潰す』光景を。
「あ……あぁ……っ!」
それは幻覚か、それとも隠蔽された過去の真実の残滓か。
理解の範疇を超えた絶望と恐怖に、最強であるはずのカノンが、大鎌を取り落とし、膝から崩れ落ちた。
「はーっはっは!! 見ろ、いかに強大な力を持とうと、心を壊せばただの案山子よ!! さぁ、その小娘共々、串刺しにしてやれ!!」
司祭の号令と共に、無数の黒い槍が、動けなくなったカノンと、鎖に繋がれたままのミアへと容赦なく降り注ぐ。
「カノン!!!」
セラフィの絶叫が、絶望の広場に木霊した――。




