真紅の肯定、命を燃やす悦びの口づけ
「……あ、あぁ……。もう、いいわね……。私なんて、消えてしまった方が……」
灰色の霧の中、カノンの瞳から光が消えかけていた。
憂鬱の神・ルナールが放つ「底なしの虚無」は、神格を得たカノンの鋭敏な魂を、逃げ場のない絶望の檻に閉じ込めていた。
だが、その凍りつくような虚無の底で、カノンの胸の奥に一つの『熱』が灯った。
それは、精神世界で五人の家族からもらった、あの「血の口づけ」の温もりだった。
(……違う。私は、一人じゃない……!)
ドクンッ!と、カノンの心臓が力強く脈打った。
「……ルナール。あなたの絶望は、確かに深くて美しいわ。……でも、私の家族がくれた愛の重さには、到底及ばないわよ」
カノンの真紅の瞳に、黄金の神々しい光が戻る。彼女は揺らぐ体で立ち上がり、霧の中に沈む愛おしい「家族」たちの元へ、一歩ずつ歩み出した。
まずは、膝をついて泣きじゃくるレヴィアの前にしゃがみ込み、その華奢な肩を抱き寄せた。
「レヴィア……見て。あなたはバケモノなんかじゃない。あなたの天真爛漫な笑顔が、どれだけ私の心を救ってくれたか……。私は、あなたのその真っ直ぐな愛が必要なのよ」
「カノン、様……?」
カノンは、レヴィアの柔らかな首筋に優しく牙を立てた。
「あ、ぁあっ……!?」
カノンの「神殺し」の魔力が混ざった血が、吸血を通じてレヴィアの全身に流れ込む。絶望の霧を焼き払うような、圧倒的な生命の熱。
「はぁっ、あぁ……っ! 温かい、です……カノン様に、必要だって言ってもらえた……っ。私、生きてていいんだ……もっと、カノン様のために、生きたいっ!」
レヴィアの瞳に、かつてないほど力強い生命の輝きが戻った。
次に、武器を捨てたミアの影を捉え、背後からその身体を拘束するように抱きしめる。
「ミア……暗殺者だった過去なんて、どうでもいいわ。私を守るために振るわれるその刃は、どんな宝石よりも気高くて美しい。……あなたがいなきゃ、私は前へ進めないの」
「カ、ノン……っ」
ミアの耳元に、熱い吐息と共に牙が沈む。
「ひゃあぁっ……あ、あぁっ……! なにこれ、すごい……身体の芯が、熱くて、とろけちゃう……っ。……そうよね。あたしの居場所は、あんたの隣だけだわ!」
さらに、機能を停止していたノアの額に、慈しむように口づけを落とした。
「ノア。あなたは不良品なんかじゃないわ。その不器用な『バグ』こそが、あなたが私のかけがえのない一人のお人形である証拠。……私は、あなたという魂を愛しているのよ」
「……マスター。胸の奥のノイズが、悦びという定義に書き換えられました。……ますたぁ、ノア、もっとますたぁの役に立ちたい。……活動、再開します」
カノンは続けてリンを、セラフィを、一人ずつ抱きしめ、その魂に「生きる悦び」を刻み込んでいった。
「リンの料理がない食卓なんて考えられないわ。セラフィの翼は、私の誇り。……みんな、私を独りにしないで。私は、あなたたちがいなきゃ、神様になんてなれなかったのよ」
五人の眷属たちは、カノンから与えられた「究極の肯定」と「絶頂の快楽」によって、霧を吹き飛ばすほどの魔力を噴出させた。
吸血によって理性を蕩かされながらも、その瞳には「主のために生きる」という、この世で最も強固な意志が宿っている。
「……ありえない。私の霧を、そんな『不確かな熱』で打ち破るなんて……」
玉座の上で、ルナールが初めて顔を強張らせ、震える声で呟いた。
「ルナール。あなたは、自分を否定しすぎて、心が凍りついているだけよ」
五人の眷属を背に従え、漆黒の翼と黄金の光輪を翻して宙に浮くカノン。
その姿は、絶望の森に降り立った「生の象徴」そのものだった。
「私の家族に、価値がないなんて二度と言わせない。……あなたのその美しい憂鬱ごと、私の愛で、焼き尽くしてあげるわ」
カノンが真紅の大鎌を構えると、五人の眷属もまた、以前とは比較にならないほどの闘気を纏い、武器を握り直した。
霧の森に、絶望を塗り潰すような「命の咆哮」が響き渡る。
決着は、次の一撃でつく。
最強の吸血姫と、命の悦びを取り戻した家族たちによる、憂鬱を断ち切る最後の戦いが始まろうとしていた――。




