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真紅の口づけと、夢の底の微睡み

「……カノン、お願い……飲んで……っ」


静まり返った紅蓮の要塞の跡地。

倒れ伏したカノンの冷たい唇に、ミアが自身の唇を重ね、そっと血を流し込んだ。


「次は、私です……カノン様、私の命、全部持っていってください……っ」

レヴィアが涙でボロボロになりながら、自らの舌を噛み切り、カノンの唇を塞ぐ。竜の熱い血を口移しで注ぎ込み、何度も何度も、すがるように口づけを繰り返した。

続いてセラフィが、そしてリンが、自らの血をカノンの口内へと分け与える。

彼女たちは、かつてカノンがそうしてくれたように、自分たちの愛と命のすべてを懸けて、主を現世へと繋ぎ止めようと必死だった。


「……マスターの生体機能、100%回復。肉体的な損傷は完全に修復されました。しかし……」

最後に、カノンから与えられ『温かい赤色』へと変わった自身の血を口移しで与えたノアが、絶望的な数値を弾き出した。

「意識レベル、ゼロ。……マスターの魂が、肉体から切り離され、強固な『檻』のような術式に閉じ込められています。物理的な血の補給では、決して目覚めることはありません」


「檻って……誰がそんなものを! 憂鬱の神の仕業アルか!?」

リンが叫ぶと、ノアは首を横に振った。

「否定します。この術式の波長は、マスター自身の魔力と極めて酷似しています。……これは外部からの攻撃ではなく、マスターの内部に元々仕掛けられていた『プロテクト(安全装置)』です」


その頃。

カノンの意識は、深く、暗い海の底へと沈んでいくような感覚の中にあった。


(……ここは、どこ……?)


暗闇の中で、カノンは漂っていた。

強欲の神、憤怒の神と立て続けに規格外の力を振るいすぎた代償だろうか。自分の魂が、少しずつ世界から溶けて消えていくような、不思議な安堵感すらあった。


ポタリ。


その時、冷たい暗闇の中に、ひとしずくの『温かい光』が落ちてきた。

ポタリ、ポタリ。

いくつもの温かい雫が、カノンの魂に触れる。それは紛れもなく、ミアの、レヴィアの、セラフィの、リンの、そしてノアの……五人の愛する家族が注いでくれた『血の口づけ』の温もりだった。

(みんなが、私を呼んでいる……。帰らなきゃ……)


その温もりに導かれるように、カノンがそっと目を開けると――。

そこは、暗い海の底ではなく、見覚えのある美しい花畑だった。

それは、赤ん坊だった自分を拾い、育ててくれた恩人が、かつて隠れ家としていた神殿の裏庭の風景だった。


「……まったく。相変わらず、無茶ばかりする世話の焼けるお姫様だね」


不意に、背後から呆れたような、ひどく間延びした女性の声が響いた。

カノンは弾かれたように振り返る。

そこには、神でありながら戦いを嫌い、カノンを逃がすために命を落とした恩人――『怠惰の神』が、いつものように気怠げに、けれど優しく微笑んで立っていた。


「……怠惰の、神……っ」

カノンの真紅の瞳から、大粒の涙が溢れ出した。

現実世界では決して見せない、ただの幼い少女の顔だった。カノンはドレスの裾を翻して駆け寄り、自分を育ててくれた母代わりの女性の胸に、勢いよく飛び込んだ。

「神様……っ、神様ぁ……っ!!」

「おっと。……ははっ、本当に泣き虫になったね、カノン」

怠惰の神は、しゃくり上げるカノンの頭を、優しい手つきで撫でた。


「ここは……死後の世界なの? 私は、死んでしまったの?」

カノンが涙声で尋ねると、怠惰の神は苦笑いして首を振った。

「いや、ここは君自身の精神世界の最も奥深く。君の魂が創り出した『夢の迷宮』さ。……私は本物じゃない。強欲の奴に殺される直前、君の魂の奥底に滑り込ませておいた『ただの残滓』だよ」


怠惰の神は、カノンからそっと身体を離し、真剣な眼差しで彼女の顔を見つめた。

「君の肉体は、外であの子たちが必死に繋ぎ止めてくれている。だが、君の魂は今、君を産んですぐに亡くなった本当のお母さんが遺した『セーフティロック』によって、強制的にスリープ状態にされているんだ」


「母様が……遺した、ロック?」

カノンは、強欲の神から聞かされた残酷な真実を思い出した。

「ああ。赤ん坊だった君に宿る『神殺しの才能』があまりに強大すぎたから、その力に君の肉体と精神が耐えきれず崩壊しないよう、お母さんが命と引き換えにかけた絶対的な封印さ。強欲や憤怒との戦いで君が限界を超えて神の力を引き出しすぎたから、これ以上は危険だと判断してロックが作動したんだ」


怠惰の神は、花畑の奥にそびえ立つ、巨大で禍々しい『茨の扉』を指差した。

「でもね、カノン。今の君はもう、力が暴走して壊れてしまうような赤ん坊じゃない。気高き吸血鬼として、立派に成長した。……もし今の君が、自らの意志でその封印ロックを完全に解除することができれば、吸血鬼としての力と、内に眠る神の力が完璧に融合して、かつてない『相乗効果』を生み出すはずだよ」


「私が、この封印を解けば……もっと、強くなれるのね」

「ああ。お父さんである傲慢の神をも超える、真の『神殺し』になれる。……でも、そのためには、あの扉の奥で『お母さんの残した試練』を乗り越えなきゃならない」


愛する家族の待つ現世へ帰るため。そして、傲慢の神を討つための完全なる力を手に入れるため。

カノンの精神世界を舞台にした、自分自身との戦いが幕を開けようとしていた――。

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