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微睡みの休息と、静かに広がる希望の足音

黄金の都が崩壊し、あの煌びやかで傲慢な空間が消え去った後。

カノンたちは、美食の都の喧騒から遠く離れた、緑豊かな森の中にある古い神殿の跡地に身を寄せていた。

かつての『怠惰の神』が、万が一の時のために用意していた隠れ家の一つだ。


神殿の奥、清潔なシーツが敷かれた寝台の上で、カノンは静かに眠り続けていた。

強欲の神を討ち、事象を書き換えるほどの力を行使した代償。彼女の魔力回路は一時的に焼き切れ、吸血鬼としての本能すら眠りにつくほどの深い昏睡。

だが、その表情は以前のような冷徹なものではなく、どこか幼い少女のような、無防備で穏やかなものだった。


「……熱は、だいぶ下がったみたいアルね」

リンが濡れタオルを丁寧に絞り、カノンの白い額にそっと置いた。彼女の持つ特級料理人としての知識は、今や滋養強壮に特化した薬膳の調合に活かされている。

「カノン様のために、最高に消化が良くて、魔力の回復を助けるスープを煮込んでいるアル。起きたらすぐに食べさせてあげるアルよ」


リンは調理を続けながら、ふと自分の手を見つめた。

あの時、命を投げ出してカノンを庇ったこと。そして、カノンの血を受けて『家族』になったこと。

(あたし、料理人として一生を終えると思ってたアル。でも、カノン様に出会って、世界にはこんなに気高くて、哀しい人がいるって知ったアル。この人のために包丁を振るうこと……それが今のあたしの、一番の誇りアルね)


寝台の傍らでは、セラフィがカノンの手を握り、静かに祈りを捧げていた。

もがれたはずの黒い片翼は、カノンの『回帰』の力で完全に元通りになっている。それどころか、以前よりも神聖な輝きが増しているようだった。

「……私は、神を信じることをやめた。けれど、カノン。あなたのことだけは、永遠に信じ続ける。あなたが切り拓く未来こそが、私の天国なのですから」

高潔な天使として創られ、無慈悲に捨てられた彼女にとって、カノンの反逆こそが唯一の希望の灯火だった。


「セラフィ。あんた、ちょっとカノンを独り占めしすぎ」

ミアが苦笑いしながら、果物ナイフで林檎を剥き始めた。彼女の足もまた、何事もなかったかのように完治している。

「あたしもさ、暗殺者として生きてきたけど……あんな風に、誰かのためにボロボロになって戦うなんて、思ってもみなかった。……あはは、カノンには完全に毒されちゃったかな。でも、悪くない気分だよ」

ミアはかつての殺伐とした日々を思い出す。暗殺の技術を磨き、鋼のように鍛え上げたしなやかな筋肉は、今や主を守るための盾となっていた。


「……カノン様。早く、起きて……」

レヴィアは、カノンの足元で丸くなるようにして座り、その気配を確かめるように裾を握っていた。

古代竜としての誇りも、孤独だった檻の日々も、カノンの手によってすべて塗り替えられた。彼女にとって、カノンは命の恩人であり、世界のすべてなのだ。


四人がそれぞれの想いを胸に、献身的にカノンを支える。

それはかつてカノンが夢見た『家族』そのものの光景だった。


そんな中、食料の買い出しから戻ってきたミアが、いくつかの手配書や噂話の書かれた紙片をテーブルに広げた。

「ねえ、聞いて。今、世界中でとんでもない噂が流れてるわよ」

三人が顔を寄せると、そこには各地で暗躍する『真紅の瞳の死神と、その眷属たち』についての記述があった。


「虚飾、色欲、暴食……腐敗した神々が次々と討たれている。民衆は、長年自分たちを縛り付けていた神の呪いが解け始めたことに、戸惑いながらも気づき始めているみたい」

「……噂では、私たちのことを『神殺しの救世主』って呼んでる連中もいるらしいアル」

リンが驚いたように言った。

強欲の神のように、カノンたちを「ゴミ」と呼ぶ神がいる一方で、その神々の圧政に苦しんでいた地上の人々にとって、カノンは密かな希望の象徴になりつつあったのだ。


「中には、カノン様の紋章を模したブローチを隠し持っている『カノン様信奉者』の集団まで現れているそうですよ。……表立っては神々への反逆を口にできなくても、心の中では皆、この歪な世界が終わるのを待っているのです」

セラフィの言葉に、一同は深く頷いた。

自分たちは決して一人ではない。カノンが歩んできた道は、確実に世界を変え、孤独だった彼女の背中を、今は大勢の「名もなきファン」たちが押し始めているのだ。


「……ん……っ」


その時、寝台の上でカノンの睫毛が微かに震えた。

「カノン様!?」

四人が一斉に駆け寄る。

ゆっくりと開かれた真紅の瞳は、まだぼんやりとしていたが、自分を覗き込む四人の愛おしい顔を見ると、ふっと春の陽だまりのような微笑みを湛えた。


「……おはよう、みんな。……いい、匂いがするわね」


カノンが完全に目覚めた。

母の真実を知り、恩人を失い、それでもなお戦い抜いた彼女の魂は、さらに強く、美しく覚醒していた。

主の復活を喜ぶ四人の歓喜の声が、古い神殿に響き渡る。


しかし、休息は長くは続かない。

カノンは、目覚めた瞬間に感じ取っていた。

残る神々――『憂鬱の神』と『憤怒の神』。

彼らが、カノンという「神殺し」の存在を明確に排除すべき敵として、ついに動き始めたことを。

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