神速の業火と、母が遺した真実
黄金の宮殿を揺るがすほどの、天を衝く真紅の業火。
カノンの全身から噴き出した魔力は、もはや吸血鬼の限界を遥かに超越していた。
「……ほう。怒りで我を忘れたか? いいだろう、その魔力をすべて受け止めて、完膚なきまでに叩き潰して――」
強欲の神が、黄金の血を纏った長剣を構え、余裕の笑みを浮かべた。
だが。
勝負は、あまりにもあっけなく終わった。
カノンの背後に燃え盛っていた巨大な真紅の業火が、シュルルルッ……と一瞬にして圧縮され、彼女の手元に収束していく。顕現したのは、いつもの無骨な大鎌ではない。
極限まで圧縮された殺意と魔力が形を成した、薄く、鋭く、そして美しすぎる『一振りの真紅の刀』だった。
カノンが、静かに刀を構える。
その瞬間。
――。
音が、消えた。
強欲の神が瞬きをした、ほんのわずかな隙間。時間という概念すら置き去りにするような、文字通りの『神速』。
「……え?」
強欲の神が間抜けな声を漏らした時、カノンはすでに彼の背後に立ち、刀の血振りを終えていた。
チャキッ、と真紅の刀が空間に納刀される音が響く。
ズッ……
強欲の神の身体が、右肩から左の脇腹にかけて、斜めに綺麗にズレ落ちた。
「あ……、が……?」
斬られたことにすら気づかないほどの一撃。強欲の神の身体が、真っ二つになって黄金の床に崩れ落ちる。
「な、なぜだ……血が、繋がらない……俺の、無尽蔵の再生力が……ッ!?」
床に落ちた上半身が、パニックに陥って喚く。だが、カノンの放った一撃はただの物理的な切断ではない。細胞の繋がり、魔力の流れ、魂の結びつきに至るまで、そのすべてを『殺意』という絶対的な概念で断ち切る、完全なる神殺しの一太刀だった。
カノンは、足元で蠢く兄を一瞥すらすることなく、瀕死の眷属たちの元へと歩み寄った。
ミアの足は切断され、セラフィの翼はもがれ、レヴィアとリンは全身を貫かれている。通常の回復魔法や、吸血鬼の治癒の血を与えたところで、到底間に合わない惨状。
だが、今のカノンの瞳に焦りはなかった。
彼女は静かに両手を広げ、四人の身体を包み込むように、優しく、温かい光を放った。
「……『回帰』」
カノンが囁いた瞬間、ありえない光景が広がった。
ミアの切断された足が、セラフィのもがれた翼が、そしてレヴィアとリンの無数の傷口が――血が逆流し、肉が編み直され、まるで『時間を巻き戻している』かのように、完全に元の状態へと再生していったのだ。
治癒ではない。事象の再生、あるいは運命の巻き戻し。魔力の範疇を完全に凌駕した、それこそ真の『神の力』だった。
「ん……あ……」
傷が完全に塞がり、規則正しい寝息を立て始めた眷属たちを見て、カノンはふっと安堵の息を吐いた。
「ハ、ハハハッ……なるほど……」
背後から、自らの血の海に沈みゆく強欲の神が、掠れた声で笑った。
「空間を切り裂く神速に……事象そのものを巻き戻す力……。それが、あの父上をも恐れさせた、神をも超える『素質』か……」
カノンはゆっくりと振り返り、冷たい目で見下ろした。
「……見苦しいわよ。潔く消えなさい」
「あぁ……消えるさ。だが、冥土の土産に教えてやろう。……お前が信じている、母上の死の『真相』をな」
強欲の神の言葉に、カノンの表情が微かに固まる。
「色欲の奴から、父上が母上を惨殺したと聞いたんだろう? ……違う。あれは、逆だ」
「……逆?」
「父上が、お前という『神殺し』のイレギュラーを恐れて殺そうとしたのは事実だ。……だが、それを悟った母上は、父上から逃げたわけでも、無抵抗で殺されたわけでもない。……あの女は、自らの魂と命を、お前を隠し育てるための『巨大な結界の礎』として編み込むために、自ら父上の刃にその胸を突き立てたんだよ……!」
「なっ……」
「愛する女に、自らの手で刃を突き立てさせられた……あの絶対的な父上が、あの時どれほど絶望し、そしてお前を憎んだか……。お前は、母の愛だけじゃない。父の絶望の果てに生かされているんだよ、カノン……!」
強欲の神は、口から大量の黄金の血を吐き出しながら、最後に狂気じみた笑みを浮かべた。
「……せいぜい、足掻くんだな。私を殺したお前を、父上が……傲慢の神が、決して許しはしな……」
事切れると共に、強欲の神の身体は黄金の灰となってサラサラと崩れ去り、世界から完全に消滅した。
「……母様が、自ら……」
カノンは虚空を見つめたまま、呆然と呟いた。
母はただの犠牲者ではなく、カノンを生かすために、父の刃を利用して世界に術を掛けた。その残酷すぎる真実の重圧が、彼女の脳髄を激しく揺さぶる。
同時に、限界を超えて『神の力』を引き出した代償が、カノンの肉体を容赦なく襲った。
「あ……」
視界が急激に暗転する。全身の骨が軋み、魔力の回路が焼き切れるような激痛。
「カノン様ッ!?」
「カノン!!」
目を覚ました眷属たちが弾かれたように飛び起き、崩れ落ちるカノンを間一髪で抱き止めた。
「……みんな……無事で、よかった……」
カノンは血に濡れた唇で微かに微笑むと、そのまま深い、深い意識の底へと落ちていった。




