命の選択と、特級の血の絆
ズバァァァッ!!
「……あ、ガ……ッ……」
カノンを庇い、空間の歪みから突き出された見えない刃に貫かれたリンの小さな身体が、鮮血を散らして崩れ落ちる。
「リンッ!!」
カノンは間一髪でリンを抱き止め、冷たい石の床に膝をついた。
傷は深く、致命傷だった。リンの口からごぼりと大量の血が溢れ、その顔から急速に血の気が引いていく。
「どうして……ただの人間であるあなたが、私を庇ったのよ!」
カノンが珍しく感情を露わにして叫ぶ。リンは痛みに顔を歪めながらも、ふっと弱々しい笑みを浮かべた。
「へへ……料理人が、お客さんを……死なせるわけにいかない、アル……。それに……」
リンは、霞む瞳でカノンの美しい顔を見つめた。
「あんたみたいな、綺麗で……気高い人……あたし、初めて見たアル……。あんたが死んだら、世界が……もったいないアルよ……」
ただそれだけの純粋な理由で、彼女は己の命を投げ打ったのだ。
カノンの胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。この少女の魂は、ミアやセラフィ、レヴィアと同じ。ひどく不器用で、けれど真っ直ぐで温かい。
「……私の血を与えれば、あなたは助かるわ。でも」
カノンはリンの頬にそっと手を添え、真紅の瞳で彼女の瞳を真っ直ぐに射抜いた。
「私の血を受け入れるということは、人間であることをやめ、永遠に私の『眷属』になるということ。……私は、無理やりあなたを縛るつもりはないわ。このまま誇り高き人間として死ぬか……私の『家族』として、永遠を共にするか。あなたが選びなさい」
生きるための強制ではない。これは、愛を問う究極の選択。
リンは、薄れゆく意識の中で、カノンの冷たい手の心地よさと、その瞳の奥にある底なしの孤独、そして深い慈愛を感じ取っていた。
(……ああ。この人は、なんて愛おしい目をしているアルか)
「……あたしは……」
リンは震える手を伸ばし、カノンの漆黒のドレスをぎゅっと掴んだ。
「……あんたの、家族になりたいアル……。あんたのために、ずっと……一番美味しい料理を、作り続けたいアル……っ」
「……ええ。契約成立よ、私の可愛い料理人」
カノンは艶やかに微笑み、リンの首筋へと顔を寄せた。
そして、その柔らかな肌に、自らの鋭い牙を深く突き立てる。
「あ……ぁんっ……!!」
牙が食い込んだ瞬間、リンの身体が大きくビクンと跳ねた。
カノンの極上の魔力を帯びた血が、傷ついたリンの血管へと流れ込んでいく。それは、死の苦痛を一瞬で塗り潰すほどの、脳が溶けるような圧倒的な多幸感と快楽。
「あぁ……っ、カノン、様……っ、あつい、身体が……おかしくなっちゃうアル……っ!」
リンの華奢な肢体が快感に震え、しなやかな筋肉が妖しく波打つ。致命傷だった傷口が真紅の光を帯びて瞬く間に塞がり、彼女の魂の奥底にカノンへの絶対的な忠誠と愛が『紋章』として刻み込まれていく。
カノンの血と、リンの特級の魔力が混ざり合い、これ以上ないほど甘美な契約が完了した。
「ケッケッケ! 感動の死別かと思いきや、悪あがきとは笑えるぜ!!」
その時、踊り場の奥から下劣な笑い声が響いた。
空間に溶け込んでいた第二の美食将軍、『隠将軍』が姿を現したのだ。カノンたちを罠に嵌めた張本人であるカメレオンの獣人。
「だが遅ぇよ! もう怠惰の神の消化は九割完了してる! 上の階では俺たちのリーダーがお前らを待ち構えてるし、もう手遅れ……」
「……誰が、手遅れアルか?」
ドゴォォォォンッ!!!
「ゲッ!?」
隠将軍の言葉は、最後まで続かなかった。
カノンの腕の中から立ち上がったリンが、目にも留まらぬ神速で将軍の懐に踏み込み、その巨大な中華包丁で下からかち上げたのだ。
眷属化したことで限界を突破したリンの一撃は、将軍の身体を天井まで軽々と吹き飛ばした。
「『特級奥義・乱れ千切り』アル!!」
空宙に浮いた将軍に対し、リンの包丁が真紅の魔力軌跡を描いて無数に閃く。悲鳴を上げる間もなく、隠将軍は文字通り無数の細切れとなって降り注いだ。
「すごい……以前より、ずっと魔力が洗練されているわ」
セラフィが驚嘆の声を上げる。
リンはふわりと着地すると、カノンに向かって嬉しそうに微笑んだ。
「カノン様の血、今まで味わったどんな極上スパイスより凄かったアル! 身体中から力が湧いてくるアルよ!」
「ふふ、頼もしいわね。さぁ、行くわよ。……一秒でも早く」
カノンたちは罠を突破し、ついに塔の最上階へと続く大扉の前に辿り着いた。
だが、その扉の前に立つ、最後の美食将軍――『暴将軍』の放つ魔力は、先の二人とは次元が違っていた。
そして、大扉の奥からは、怠惰の神の微かな、本当に消え入りそうな声が漏れ聞こえてくる。
『……カノ、ン……来ちゃ……ダメだ……』
「怠惰の神ッ!!」
カノンが扉に向かって叫んだその瞬間。
ゴォォォォォォォォォォンッ……!!!!!
世界を終わらせるような、三度目の、最も巨大な『超消化』の音が、塔全体を激しく揺らした。
「……あ……」
カノンの全身から、完全に血の気が引いた。
間に合わなかったのか? あの優しい恩人は、完全に暴食の神の力へと変換されてしまったのか?
絶望の静寂が降りた塔の最上階で、大扉が重々しい音を立てて開き始めた――。




