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ゼロのアクタ  作者: いくさや
第二章 魔王
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76 さようなら、リィン

 76


「アクタ?」


 目を覚ますと、クロエの顔が目の前にあった。

 この子、僕が寝ているとよく顔を覗き込んでいるよなあ。

 最初は心臓が止まりそうになったものだけど慣れてしまった。


「おはよう」

「おはよ」


 どうやら僕は倒れていたらしい。

 寝起きの感覚よりも鈍い体をゆっくりと起こす。

 ニールと『浄化』の記憶を追体験したせいか、自分の体が自分のものではないように錯覚しそうだ。


「もう朝か……」


 辺りは少し明るくなり始めていた。

 森の中だとわかりづらいけど、空が群青色から青へのグラデーションを描き始めているのが見える。


「起きたかいー」


 ラフルが声を掛けてくる。

 剣を手にしたままだ。

 寝起きに凶器を持った男とか刺激的だな。


 いつも通りのラフルに見えて、その目は僕の奥底を見極めようとしているのか鋭く、深い。


「少年は少年のままかなー」

「見ての通り、って言ってもわからないか」


 倒れる前の状況を思い出す。

 僕は『虚空』と『浄化』の聖印をリィンから奪ったのだ。

 そして、ラフルは『浄化』に僕が取り込まれるの警戒していた。


 改めて自分でも手を握りしめて開いて、軽く体を動かしてみると思う通りに動かせる。

 少なくともニールの影響は感じられない。

 見えないけど、首のふたつの聖印に意識を向けてみる。


「へえー。うっすらとだけど赤く光ってるねー」


 青い聖印が僕に宿ると赤くなる。

 少なくともニールが操っている時と色が変わっているのは間違いない。


「とりあえずはー、お帰りって言っておくよー」


 完全にとまではいかなくても、警戒を緩めたらしいラフル。

 剣を地面に刺して、寄りかかるようにして溜息を吐いている。


「アクタ……」


 クロエは僕の右手を握っていて、もう一方の手でリィンの手を握りしめたままだ。

 いつもより沈んで見える表情が辛い。


 おそらく気付いている。

 ずっと僕らの手を握っていたのだから。

 既にリィンの体が冷たくなっている事に。


 リィンの首筋に手を伸ばす。

 聖印がなくなった首に手を当てるけど、やはり脈はなかった。

 冷え切った体。

 安らかに眠っているように見えても、もう目を覚まして鈴を鳴らすことはない。


 ああ。

 そうだ。

 追体験の中でわかっていた。

 出会った時には既にリィンは死んでしまっていたのだと。


 死後、『浄化』の力で体はきれいに整えられ、『虚空』の力で生きているように操られていた。

 二つの聖印を絶え間なく切り替えるというやり方で、二つの力を使っていた。


 その力が失われてしまえば、元のあるべき姿に戻るのが道理だ。


 一年もの間をニールに憑りつかれていた竜は『浄化』が失われて、腐竜へと急速に体を崩した。

 リィンは死後、二日。

 遺体だけは綺麗なままなのがせめてもの救いか。


 こうなる事をラフルは知っていた。

 だからこそ、自分一人で終わらせようとしたのか。

 疲れ切った顔で僕らを見守る姿からは読み取れなかった。


「クロエ。リィンは……」


 聞きたくないとばかりにクロエは首を振る。

 俯いてしまって表情が見えないけど、痛いほどに握りしめられた右手から悲しみが伝わってきた。


 短い交流だけど、気の合う様子だった二人。

 そして、クロエにとっては僕以外で初めて出来た友達。


「リィンは、いなかったの?」

「違う!」


 ニールに操られていただけで、僕たちの知るリィンはいなかったのでは。

 そう考えてしまったのだろう。


 けど、それはない。

 断言できる。

 戦いの中、僕たちに救いを求めた声が、共に戦ってくれた声が、偽物だったなんてあるわけがない。


 手を握り返す。

 クロエは顔を上げない。

 きっとクロエだってわかっているのだ。

 けど、悲しさのあまりになかった事にしてしまおうとしている。


「リィンはいる。いるんだ。そんな事を言ったらリィンが悲しいよ」

「でも……」


 クロエを抱きしめながら、僕は首の聖印に魔力を注ぐ。

 今まで『水氷』と『罪過』の聖印はうまく使えなかった。

 ただ魔力を注ぎ込んで、最低限の効果を発揮するだけ。

 魔法とも言えない有様だった。


 けど、今ならできる気がする。

 あの声が聞こえて『水氷』を操れたせいか、それとも追体験で聖印が使われるところを見続けたせいか。

 とっかかりも掴めなかった聖印の使い方。


「クロエ。リィンとちゃんとお別れしよう」


 赤く『浄化』の聖印が光り出す。

 淡い色合いのそれは熾火のように温かく揺らめく。


「これ……」


 そして、聖印の中に捕らわれていた魂ともいえる人格たちが、浮かび上がり始めた。

 影よりも薄いシルエットが現われては、天へ昇るように光の粒子となって音もなく消えていく。

 ゆっくりと、ゆっくりと。


 僕の中からだけじゃない。

 腐竜に襲われて殺された鳥人族の人たちの魂も『浄化』していく。

 少しずつ、少しずつ。


 シルエットの反応は様々だ。


 何もしないまま消えていくもの。

 頭を下げるもの。

 泣きじゃくっているもの。

 空を仰ぐもの。


 森の空き地は淡い焔に照らされて、次第に朝日と溶け合っていった。

 静かな、静かな、終わりの時間。


 そして、すっかりと消えてしまった魂たちの最後。

 二人の鳥人族のシルエットだけが残った。


 リィンと、僕が看取った人。

 おそらくリィン――クルルの父親なのだろう。


「……リィン」


 クロエが名前を呼ぶ。

 きっとリィンも呼び返してくれた。


 けど、声はない。

 彼らには声を届ける体はないから。

 どんなに身振りで伝えようとしても、声にはならない。


 ただ、代わりに。


 リン


 リィンの鈴が落ちて、澄んだ音を鳴らした。

 声を失っていたリィンの、聲の音。

 きっと沢山の想いが込められた音。


 確かにそれは僕たちに届いた。


「さようなら、リィン」

「また……ね。リィン」


 僕たちの言葉に手を振って、リィンは父親と共に空へと還っていった。


 東の空に昇る太陽を目指すように。

 二羽の親子が去っていく。


 僕は静かに涙を流すクロエを胸に抱きしめ、その姿を最後まで見送るのだった。

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