75 一対一だ。逃げるなよ
75
声を交わしただけ。
それだけの事でも外と繋がったというのが重要だ。
ただの声じゃダメだった。
きっと『虚空』と『浄化』の聖印が喉に宿っていることも意味があって、繋げようとした先のクロエが『親愛』で、お互いの手を握り合っていたから。
だからこそ、こんな闇の底まで届いた。
「クロエ、これからニール――『浄化』を倒す。クロエの『親愛』の力を預けてほしいんだけど、僕を信じてくれる?」
「いつだってそうしてる」
理由も方法も聞かずに、間髪入れずの即答。
まったく。惚れ惚れするぐらいの思い切り。
絶対にその信頼は裏切れないし、裏切りたくない。
頭上からスッと落ちてきた青い一条の光。
右手で掴めば、柔らかくもしっかりと絡みついた。
「だからどうした! そいつで殴ってみるか!? やってみろよ! そのまま、全部まとめて飲み込んでやらあ!」
ニールも影を操れるわけではないのだろう。
でも、影の中心はニールだ。
そのニールが諸共に突っ込んでくれば、操っているのと大差はない。
うねりながら、辺り一帯を飲み込もうとする影は津波のようだ。
逃げ場がない。
あれを突破するには右手一本じゃ足りなすぎる。
一指でも、二爪でも、三甲でも、四刀でも、五崩でも足りない。
クロエから借りた『親愛』に破壊力なんてないのだから。
「そうだね。だから、行くんだ」
「ああっ!?」
逃げない。
前に出る。
掴み出せ。
繋ぐんだ。
「――リィン!」
この右手の『親愛』は人と人を繋ぐための力だ。
僕の呼び声に影の一部が揺れた。
小さな影。
濁流に翻弄されて、流される少女のシルエット。
影に溺れながらも、返事がくる。
「お兄ちゃん!」
暗い影の中。
その手を右手で掴む。
ほんの数日だけの関係。
ニールに操られての接触。
それでも僕らの心にあるのは絆だ。
弱くて、短くて、儚くて、小さな絆だけど、たくさんの可能性を持っていた絆なんだ。
それを否定させないためにも!
「こっちに来るんだ、リィン!」
「うん!」
影に青い光が広がっていく。
漆黒を切り裂き、崩し、分離させる。
僕はその隙間を抜けて、影の津波をやり過ごした。
交差した僕とニールは立ち位置を替えただけじゃない。
腕の中に鳥人族の少女が残った。
「お帰り、リィン」
「ただいま、お兄ちゃん」
見上げて笑う少女の頭を撫でる。
よく頑張ってくれた。
幼いこの子がいなかったらここまできっと辿り着けていなかった。
「もう少し、頑張れる?」
「うん! リィン、やるよ!」
「いい子だ」
ニールからリィンの心を取り返した。
何が起きたのかようやく理解したのか、ニールの苛立ちが濃くなる。
「はっ! 一人逃がしてどうなるってんだ! こっちは何倍も抱えてんだ!」
その通り。
ざっと見ても数十倍以上。
しかも、怨念で激した勢いは何度もしのげるものじゃない。
「すぐにまとめて取り込んで――」
「いいや、終わったよ」
ただ、そもそも攻撃をしのぐ必要がない。
ニールの怒鳴り声が唐突に途切れた。
理由は明白。
なにせ、ニールを取り巻いていた影に青い光の線が次々と広がっている。
そのたびに影が輪郭を取り戻して、人の形が浮かんでいるのだ。
急速に影は衰え、ニールの姿が露わになっていく。
もう、襲い掛かっている場合じゃない。
ニールが離れていく影を掴もうとするけど、青い光に弾かれて届かない。
そうしている間にも光は増え続け、僕たちの周りに集まってきた。
リィンのようにはっきりとした姿は戻らないけど、様々な生き物のシルエットたち。
対峙するニールはやがて一人きりに。
ほんの数分前とはまるで逆の立場になっていた。
「なんだ、なんなんだ、なにしやがったんだ、てめえええええっ!!」
「難しい事は何もしてないよ」
「うん。お話、しただけ」
僕とリィンは『親愛』で、影となった被害者たちと繋がり、語り掛けただけだ。
もうやめよう。
終わりにしよう。
「そんな、そんな事で!? ふざけんな! あり得るか! こいつらの恨みが! 憎しみが! そんなつまらねえ言葉で消えるわけねえだろうが!」
そうかもしれない。
復讐なんて、八つ当たりなんて意味がない。
そんな言葉で心が御せるなら誰も苦労しないだろう。
けど、彼ら、彼女らには効果的な一言があった。
「だから、『暴れてもニールを喜ばすだけだぞ』って言ってもらったんだ」
周りが見えなくなる程の激情には、それでも言葉だけでは通じなかっただろうけどね。
僕の言葉じゃ届かなかった。
クロエの『親愛』もきっかけにしかならない。
けど、同じ被害者のリィンの言葉なら、届いたのだ。
「そんな、事で?」
「ああ。そんな事だよ。そんな事で終わってしまうぐらいに、お前に人望がなかったんだ。まあ、当たり前だけどな」
これはそんなシンプルな話。
だって、もうニールには『浄化』はなくて、奴を取り巻いている影は暴走しているだけなのだから。
一度話をできるだけの状態になってしまえば人格を取り戻すのは難しくない。
そうなれば、怒りも恨みも憎しみも向けるべき相手に向けられる。
結局、残ったのはニール一人きり。
僕は拳を握りしめながら近づいていく。
ニールは怯んで、後ずさる。
逃げるつもりか。
この闇の世界は、おそらく『浄化』に取り込まれた人々の精神世界みたいなものだろう。
果てがあるのかも、いつまで続くのかもわからない。
ここで逃げられたら厄介だ。
けど、僕が何かを言うまでもなく人影たちが動く。
僕とニールを取り囲んで、どこにも行けないようにしたのだ。
ああ。
皆も決着を望んでいる。
「一対一だ。逃げるなよ」
「なめ、やがってええええええええええええええええええええええええっ!!」
絶叫は虚しかった。
自らを鼓舞するでもなく、相手を威嚇するでもなく、ただ感情をまき散らすだけ。
「がああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」
吠え、駆け、飛び掛かるニール。
意外に素早く、鋭い。
けど、負ける気なんて欠片もなかった。
人を騙して、貶めて、生き足掻いていただけの奴に。
そのくせして生きる意味を失った奴なんかに。
「負けて――やるもんかっ!」
「がひゅっ!?」
真正面から顔面に拳を叩き込んで、力任せに足元に打ちつける。
手応えは軽かった。
異様なほどに軽い。
まるでアルミ細工の人形でも殴ったような手応え。
けど、芯を捉えた感触はあった。
地面を跳ねたニールは動かない。
「お前の呪いは、これで終わりだ」
僕の勝利宣言を最後に闇の世界はうっすらと地平から消えていくのだった。




