71 『……最悪だよ、ばあか』
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体は動かせない。
そもそも今の僕は人間の体ではなく、巨大な竜のものだ。
他人どころか種族が違うのだから動かせないのは当然なのかもしれない。
けど、だとしたら今僕が見ているこれは一体何なんだ?
首に浮かんだ聖印のせいなのは疑いようもないけど、どういう状況なんだ?
涙を浮かべたリィン。
地べたに座りこみ、目の前の竜の鼻先に震えている。
この服装、初めて出会った時のやつだ。
それを見下ろす竜にも心当たりがあった。
僕が倒した腐竜、の生前の姿。
問題はその竜から聞こえた声。
(今の『浄化』の奴の声だった)
喉を震わせずに話す不思議な声。
不愉快極まりない声を聞き違えるわけがない。
場所は森の中。
巨大な竜が暴れて出来上がった空間。
倒れ伏した鳥人族たちは傷だらけで、辛うじて命を繋いでいる様子だった。
リィンと竜。
竜と腐竜。
竜から聞こえる『浄化』の声。
力尽きた鳥人族たち。
バラバラだったパズルのピースがゆっくりと形になっていく感覚。
それは背筋が冷たくなるような推測。
「『なあに、難しい取引じゃねえよ。ちょっとこの竜の首にある印を触って、これがほしいなあって思うだけだからよ。簡単だろ?』」
似合わない猫なで声は不吉だった。
直接聞いたリィンに感じ取れないわけがない。
彼女は必死に首を振る。
「や、やだ。怖い」
「『へー、親切に選ばせてやってんのにその態度かよ。いいぜ? なら、交渉は決裂だなあ? じゃあ、そこに転がってる鳥どもは食い殺されても仕方ねえよなあ?』」
竜の尾が薙ぎ払われる。
その一振りで倒れていた人たちが数人潰され、うめき声さえ上げなくなった。
リィンの絶叫は魂を削る程。
聞いていられない。
なんとかこいつを止められないかとするけど、一向に体は動いてくれなかった。
まるで克明な立体映像でも見させられているような感じ。
段々とわかってきた。
(聖印の過去を見ている?)
これはリィンと『浄化』が出会ってしまった時の光景。
「やめて! 皆を殺さないで!」
「『おいおいおいおいおい。自分は嫌だって言ってんのに、そっちはお願いを聞いてくれったあ虫が良すぎるだろうよう? 何様ですかー? 神様ですかー? ひはははは! いい冗談だなあ、おい! あのクソを名乗るんならあ、さっさと死ねよ!』」
罵声と嘲笑と恫喝。
リィンはかわいそうなほどに縮こまって震えてしまっている。
怯える姿に気分を良くした『浄化』の奴はこれ見よがしに溜息を吐いて見せてから、恩着せがましく口を開いた。
「『まあ、いいぜ? 寛大だからな。弱くて惨めなガキの願いを叶えてやろうじゃねえか。もちろん、取引に応じるなら、だがなあ?』」
「……それ、したら、みんな、殺さない?」
取引に応じたらダメだ。
声を出せないのがもどかしい。
「『ああ。殺さないさ』」
「約束、して!」
必死に約束を取り付けようとするリィン。
怖いだろうに、勇気を出して竜を見上げている。
「『いいぜ。約束だ』」
竜が邪悪に笑ったように感じられた。
その邪悪さに気付いているのか、いないのか。
リィンはよろよろと立ち上がり、言われた通りに竜の首に手を伸ばす。
きっと、聖印のあるその場所に。
そして、竜が崩れ落ちて、リィンの首に二つの聖印が宿り――。
「え?」
(リィン!!)
重たい音を立てて、竜の頭がリィンの上に落ちた。
小さな少女に抵抗の余地はない。
巨大な頭の下敷きになったリィンは命を落とした。
(……ああ。ちくしょう)
頭が真っ白になる中、竜の体が急速に腐り果てていく。
まるで止まっていた時間が動き出したように。
あるいは、本来の姿を取り戻すように。
やがて、腐竜となった魔獣が頭を持ち上げる。
その下にいたリィンもまたみるみるうちに姿を変えていった。
凄惨な死体から、綺麗な生きている姿に。
その様を我が事として見下ろす。
聖印が移った瞬間、僕の視点がリィンに移動していたのだ。
「な、に? これ?」
「『言ってなかったな。『浄化』は魔力のねえやつを操れねえが、死体なら生きている状態に見せかけて動かせられんだよ。いやあ、竜は魔獣の中じゃあ長持ちしたが、もう限界でなあ。そろそろ替え時だったのよ。ったく、ご馳走を目の前に時間切れとか役に立たねえよなあ?』」
きっとリィンは『浄化』の言葉を全て理解はできていない。
それでも不吉なないような事はわかったのだろう。
顔色は真っ青にしている。
「そんな、殺さないって」
「『ああん? 皆にお前は入ってるわけねえだろ? 言いがかりつけんなよ、ガキ』」
絶句するリィンに、更なる衝撃が襲う。
頭を持ち上げた腐竜が、辺りに倒れる鳥人族に襲いかかったのだ。
既に力尽きて動けないでいた彼らに抵抗の余地はなく、一方的な蹂躙が目の前で起きていく。
「やめて! 約束した! 殺さないって!」
「『ああ。殺してねえよ。あの腐ったトカゲは知らねえけどな。なんせ、もう『浄化』の抜け殻なんだからよお。どう暴れても関係ねえ』」
せせら笑う声。
リィンは絶望に心折れ、膝をついてしまった。
「『いいねえ。こんだけ心が傷つけば抵抗もできねえだろ? ガキはキィキィうるせえからな。余計な声は消しといて。助けを呼ぶ時だけでいいな』」
リィンの最後の抵抗か。
涙が流れ落ちていくが、『浄化』の聖印が強く光るとその涙の跡も残らず消えてしまう。
「『安心しな。てめえの体は有効活用してやるからよう。なあに、少しの仮住まいだ。いらなくなったら、とっとと捨ててやるさ』」
リィンに似つかわしくない醜悪な笑みが浮かんでいるのだろう。
視線は遠く、魔王城の方角へ。
「『さあ、おいしいおいしい獲物を騙して討ちする時間だぜ? この十年、満足に人もいねえ陰気くせえ森の中で不自由させられたんだ。存分に楽しませてもらおうじゃねえか』」
腐竜が暴れる中、リィンが放心したまま歩き出す。
僕と出会うために。
そこで視界が暗転した。
次の場面は竜と獣人の男。
生まれたばかりの幼竜の口内に剣を突き入れ、怒り狂う親竜に首筋をさらす獣人。
他の魔獣と違って知性があった竜は我が子のために聖印を受け入れ、影の刃で首を切り落とされた。
そして、落ちた首が幼竜を潰して、心を砕かれた。
その次は獣人の男と獣人の女。
恋人との逢瀬の中、女は聖印を刺青と謀り、言葉巧みに男へと聖印を継承させた。
男は目の前で起きた恋人の死に嘆き、心を閉ざしたまま消えた。
更に。獣人の女と精霊族の女。
種族を超えた友情を結んでいた二人は、文化の違いを利用されて聖印が受け継がれた。
獣人の女は精霊族の裏切りと誤解し、怒りに飲まれて果てた。
精霊族の女は――。
繰り返し見せられる死の連鎖。
まさに呪いという他ない。
その根底にある原動力は『生きたい』という声。
それ自体は罪がない。
生物である以上、生きるため最大の努力するのは正しいとすら言える。
でも、こいつは違う。
生きるために犠牲にしたものが多すぎる。
何年も、何年も、何年も。
場面が何度も飛んでいるから正確な年数は不明。
それでも十年近い年月が繰り返されたのではないだろうか。
多くの命を犠牲にした旅は、やがて、最初の一歩目に辿り着いた。
「気分はどうかな、少年?」
「『……最悪だよ、ばあか』」
黄金の髪を持つ怜悧な雰囲気の青年と、罵声を放つ幼い捨て子。
それが『浄化』の最初の記憶だった。




