70 『よう。鳥のお嬢ちゃん。このまま死にたくなかったら取引といこうぜ?』
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「結局、俺も手伝うのねー」
「水をかけるだけだからいいでしょ」
「いいけどさー」
巨大な氷のかたまりから慎重にリィンを閉じ込めた部分だけ切り離し、解凍作業を始めて既に二時間近く。
僕は聖印の力で氷を溶かして、ラフルには水をかけてもらうという二人がかりだけど、なかなか時間が掛かっていた。
昨日の戦いから既に数時間。
途中で僕は意識を失っていたから実感が薄いけど、とっくに深夜を通り越していて、そろそろ夜明けも近いんじゃないだろうか。
徹夜で戦い、追跡して、戦ってとハードワークをこなしていたラフルはかなり眠そうだ。
見守ることしかできないクロエはずっとリィンを見つめている。
クロエの疲労も大きいはずで、今のうちに休んでほしいんだけど首を振るだけ。
「そろそろいいんじゃないー」
ラフルの言う通り。
一抱えはあった氷塊はもう消えかけていて、リィンはそのまま眠っているような状態になっている。
苦悶の表情なので、見ている夢は悪夢だろうけど。
「うん。リィンを起こしてあげよう」
ここからはより繊細な対応をするべきなのだろうけど、僕らがやるのは魔法による強引な蘇生だ。
「ラフル。水を少しずつ温かくはできる?」
「お湯ってのは無理だけどー、ぬるいぐらいならー」
「それでいい。お願い」
気軽に返事をするラフル。
いい意味で適当を心得ているだろう。
実際、今も上から落ちた水を器用に操って、リィンの体が地面に触れないようにしている。
これが本物のウォーターベッドという奴だ。
推理とか隠し事とかは信頼できないけど、魔法の腕は信用できるんだよなあ。
僕はクロエに手を差し伸べる。
「クロエ。リィンに身体強化を」
「そう」
「最初からあまり強くし過ぎないで。リィンの顔色とかを見て、ゆっくりと強化してあげてね」
「そう」
リィンは固い。
いつも以上に表情も、僕の手を握る手も。
少し心配だけど、この後の僕にフォローをしてあげられるかわからない。
そっとラフルに目をやれば、小さく頷いた。
「二人とも。じゃあ、頼んだ」
「おー。ま、やるだけやってみなよー」
「そう」
僕はリィンの近くに座りこみ、そっと首筋に手を伸ばす。
首の左右。
片手でも触れられる位置。
果たして聖印に直接触れるというのがきっかけなのかも断定はできない。
けど、前の時と同じ条件ならこれでいいはず。
問題は、その後。
聖印『浄化』と『虚空』が僕にどんな影響を与えるのか。
特に『浄化』の奴は他人の体を奪おうとしているんだ。
「もしもの時は」
「助ける」
「逃げてって……いや、クロエ。気持ちは嬉しいけど、危ないから」
僕の超魔力と聖印が『浄化』のものになったら収拾がつかないだろう。
それこそ魔王様の出番になる。
なんで、その時は二人には即離脱してほしかったんだけど。
僕の右手を握るクロエの力は強くて、今までにないぐらい強い意志で見つめてきて、どんな言葉でも説得できそうになかった。
「わかってるでしょー。この子が嫌がるぐらいさー」
やれやれと肩をすくめるな、ラフル。
お前に言われるとなんだか無性に腹が立つから。
「ま、泣かせたくないならー、無事に成し遂げるんだねー」
「そうするよ」
議論している暇はないか。
既に解凍は終わっているんだ。
いつ、また『浄化』の奴が暴れ出すかわからない。
ダメだったらどうしようという意識から、ダメそうでもどうにかするんだと気持ちを切り替えて、深呼吸を一つ。
「やるよ」
僕はリィンの首に手を当てた。
前の時は戦いの中で、いつの間にかだった。
今度はしっかりと見ている中、リィンの首元から青い聖印が消える。
音もなく、すっと白い絵の具で塗りつぶすように。
羽毛の下の肌はまるで何もなかったようになっている。
「少年。首に出てるよー」
僕がリィンを観察している間にラフルは僕を見ていたのか。
自分の首筋の左右を指さしている。
鏡もないから見えないけど、どうやら聖印は僕の首に移ったらしい。
となると、|零印(僕)が聖印に直接触れるというのが条件で間違いないだろう。
クロエの聖印に触らないようにしないとな。
まあ、彼女の場合は位置が胸元なんで、そう機会はないはずだけど!
「また赤くなった聖印だー。右が『虚空』で左が『浄化』だねー。そいつの時みたいに点滅はしてないなー」
魔法を続けながらラフルが解説してくれる。
おおむね、紋様以外は第二聖印と同じ様子のようだ。
そして、熱を帯びるのも。
「熱っ!」
唐突に首筋を熱が襲った。
聖印があるだろう位置。
そこが赤熱したように輝き、熱い疼痛を放っている。
思わず左手で押さえてみても、手のひらは火傷しなかった。
そもそも実際に熱を発しているわけじゃなく、この熱は僕だけが感じるもののようだ。
「アクタ」
「いい。魔法に、しゅう、ちゅうして」
話すのも、辛い。
歯を食いしばっていないと暴れてしまいそうだ。
この前は長く続かなかったけど、どれぐらい熱さを感じるのか。
「 」
クロエかラフルが話しかけているみたいだけど、言葉を脳が理解できない。
リィンの蘇生が気になる。
けど、外に意識を向けていられない。
いつの間にか目を瞑っていたのか真っ暗だった。
時間が経つのが長く思える。
聖印が熱で自己主張するのに耐えるしかできない。
これはいつまで続くんだ?
本当にどうなっている?
前よりも、熱いし、長い?
熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い――。
意識だけが熱帯夜に飛ばされたようだ。
思考がグチャグチャで、何を考えていたのか、何をしていたのかを思い出すのも億劫で、熱に浮かれて、熱に溺れて、熱に落ちていく。
そんな時間の果て。
「『よう。鳥のお嬢ちゃん。このまま死にたくなかったら取引といこうぜ?』」
僕の喉はそんな他人の台詞を口にしていた。
驚きに閉じていた目を開ければ、見覚えがあるようで、微妙に違う風景の中にいた。
目の前には小さな鳥の獣人族の少女――リィン、いや、クルルが、涙にぬれた顔で呆然と僕を見上げている。
「あなた、なに?」
掠れる声でリィンが問えば。
「『なにってか? そうだなあ、『浄化』って呼ぶ奴が多かったが、その前はなんだったか……そうそう。ニール。ニールとかいう名前だったな』」
僕の喉は別の名前で答える。
わけがわからない。
わからないけど、わかる事も一つあった。
僕を見上げるリィンの大きな目。
そこに映っているのは僕ではなく、そもそも人間ですらなく、竜の巨大な頭だった。




