68 謳う氷河
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森の上。
濃霧を切り裂いて、空からリィンの目の前に着地する。
「ここで終わらせるよ」
リィンの声に応えながら、悲鳴を上げないように耐える。
メチャクチャ体が痛い。
ガマンだ。
着地の衝撃で傷口も開いてしまったから、帰ったらルミネルに説教されそうだけど、そっちもガマンだ。
なあに。
僕は生まれてからずっと我慢してきたんだ。
多少の無理だって、我慢できる。
「お前、死にかけなのにどうしてここに!? いや、そうじゃねえ! さっきまで近くにいなかったぞ! そんな巨大な魔力が隠せるわけもねえのに! 高速移動か!? 大怪我をしたのにどうなってやがる!?」「お兄ちゃん!」
動揺する/歓喜する声。
確かに『浄化』の奴の言う通り。
僕は魔力が多すぎるから魔力感知をできる奴には不意打ちできない。
超スピードで接近すればいけるかもしれないけど、大怪我を負った今の僕にはそれも無理。
というか、立っているだけでも激痛がして、血が足りないせいで頭がグラグラしている。
じゃあ、どうやって来たかって?
そんな理不尽を叶えてくれる人なんて一人だけだ。
「魔王様にぶん投げてもらった」
本当にメチャクチャだよね、あの人。
魔王城から勘だけで最高のタイミングを引き当てて、僕を放り投げるんだからさ。
で、ピンポイントにここに落とすっていうのも神業だ。
着地は自分でどうにかしろっていうのは理不尽だったけど、それも含めて実に魔王様らしい。
それでも魔力感知をしていたら接近に気付かれたかもしれないけど、クロエが囮になって気を引いてくれたおかげで接近できた。
動揺していた『浄化』だけど、僕が血だらけで顔色が悪いのに気付いたのか、すぐにけたたましく笑いだす。
「は、ははっ! 本命から出張ってくれるなら丁度いいじゃねえか! しかも満足に動けもしねえなら好都合だ! てめえから食われにくるったあ、殊勝だあな! このまま縊って飲み込んでやるよ!」「お兄ちゃん、危ない!」
その通り。
戦うどころか立っているのも精一杯の僕だ。
でも、魔力操作ならできる。
右の脇腹の聖印『水氷』に魔力を注ぐ。
半年の間、折を見て試してきたけど、僕はまだ魔法を使えない。
一番簡単な氷弾もだ。
けど、聖印に魔力を注ぐ程度なら僕だって操作できるさ。
「氷」
一節。
ただの属性変換。
魔法の初歩の初歩。
そんなのも僕だけだったらできないけど、聖印は自動で発動させてくれる。
それはあまりに効率が悪い話だけど、幸い僕には有り余るほどの魔力がある。
おまけに今は霧が出ている。
辺り一面を氷漬けにするぐらい簡単だ。
凍っていく。
辺り一面の霧が密度を増して、結びついて、凝固して、氷結の底に何もかもを飲み込んでいく。
影が暴れて、氷が切り裂かれるけど関係ない。
斬られた先から再生。
通り過ぎた影を取り込んで、内側に沈める。
影は鋭く、硬く、広範囲を覆うかもしれないけど、力自体は然程でもない。
実際、無防備に刺された僕だけど、致命傷にはならなかった。
だから、氷で捕まえてしまえば止められる。
効果範囲だって水は影よりも広い。
「あが、てめえっ! 畜生! つめてえ! 凍ってやがる! てめえ、いいのか!? このガキも巻き込むぞ!?」「――いいの! お兄ちゃん、リィンはいいの! リィンは、クルルはもう……」
氷はリィンの体にも届く。
体に霜が降り、末端から氷に覆われ始めた。
暴れて氷を払っているけど、体温は落ちていくばかりで、段々と動きが悪くなっていく。
氷漬けにしてしまえばリィンも助からないかもしれない。
だから、ここはブラフだ。
「凍っても、蘇生はできるんだよ」
「正気か、てめえっ!?」「お兄ちゃん……」
実際はどうなるか分の悪い賭けになる。
その前に『浄化』がリィンの体を諦めて出ていけば最高だけど……。
「上等だあああああっ! その前にてめえを挽肉にしてやる!」「やめて。もうやめてよ。やりたくない事ばかりやだよ!」
影が噴き出す。
氷の隙間から、凍りつかせても、その更に隙間から。
狙いも定めずに、無差別に、無思慮に、子供が癇癪を起すように暴れ始めた。
裏目ったか。
戦いで自棄になる奴なんて手玉に取られそうなものだけど、そいつが莫大な力を持っていると厄介だ。
ただ暴れるだけでも十分に脅威になる。
「うっ!」
「うわっ!?」
一番ぶ厚い氷に守られている僕には届かない。
けど、クロエとラフルは別だ。
離れてくれていたけど、影はそこまで届いてしまったのか、二人の悲鳴が聞こえた。
氷が覆う。
影が広がる。
氷が飲み込む。
影が牙を剥く。
氷が閉ざす。
影が食い破る。
無限に続く相克。
互角の攻防。
ほぼ勝敗は決している。
影は僕に届かなくて、氷はリィンの体に届いているのだ。
いずれ体温を奪われ意識を失う。
そこまで耐えるだけでいい。
けど、それじゃダメだ。
「きゃっ!」
「ぐっ、があっ! 」
クロエとラフルの悲鳴が続く。
勝てたとしても二人が犠牲になってしまう。
聖印に魔力を注ぐ。
もっと。もっと。もっと凍れと。
辺りを氷の底に沈めてしまえと。
「くそっ!」
「ははははははははああああああはははっはっはっはああああああひひゃははははふほははははっ!!」「お兄ちゃん……」
笑い/祈る声が止まらない。
願っても叶わない。
足りない。
力が足りない。
どうにかしないと。
失ってしまう。
助けられない!
食いしばって、白い吐息を荒く吐き、大きく息を吸って……魔力を注ぎ込もうとした瞬間だった。
仕方のない人ですわね
少しだけ手を貸してあげますわ
聞こえるはずのない声が聞こえた気がした。
誰何の声を上げようとしたけど、代わりに僕の喉から零れたのは別の詩。
「融けに解け
流転する雪
凍て結ぶ
埋め蠢くは
灰雪の園」
草原を白く覆った雪の園。
僕では到底扱えないはずの唱歌。
けど、それは確かに魔法となって大森林に降り注いだ。
「謳う氷河」
ラフルの霧が急速に凍りだす。
まるで競うようでいながら、どこか合奏のように互いを補い、高め、響かせる光景に息を飲む。
拮抗していただけに傾いた形勢は一気に影を包み込んだ。
ほんの数秒後には黒い影は全て氷の裡。
リィンの体も透明な氷に包まれて、もう『浄化』の声も聞こえてこない。
「……クラリスちゃん?」
ラフルの呆然とした声が聞こえた。
僕の内側からそれに応える声は聞こえてこなかった。




