66 …………………………は?
66
浴場の床を削る勢いで止まる。
「ルミネル! 早く!」
「言われ、なくても!」
二メートル近いルミネルを片手にひっつかみ、湯着のまま医務室と往復した僕。
城内で身体強化なんてご法度だけど、そんなの気にしてなんかいられなかった。
脈のないリィン。
体を洗っている間か、その前からなのか、いつからかもわからない。
症状も不明。
動かすなんて危険すぎる。
僕は全力で城内を駆けまわって、ルミネルを見つけるなり連れ出した。
廊下を立体に走る中での説明が通じたのか、ただ事ではない僕の様子から読み取ってくれたのか、ルミネルは文句もなく診察を始める。
「持ってろ」
着くなりルミネルは白衣を脱ぎ捨てて、湯着のままのクロエを隠す。
そんな気遣いをしながらも、視線はリィンに注いだまま。
タオルの上に寝かされたリィンはやっぱり動かない。
胸の上下動もないように見える。
肌色も白いままで。
「どうして……」
聖印の使い手じゃなかった。
それで一番の心配事はなくなったはずなのに!
クロエは白衣を被されたまま動かない。
ジッとリィンを見つめている。
その表情はいつも以上に感情が読み取れなかった。
痛いぐらいの沈黙の下、ルミネルが診察を続ける。
脈を取り、瞼を開け、耳を顔に近づけて、深く息を吐いたところで、立ち尽くしていた僕を振り返った。
「おい。この子、寝ているだけだぞ」
「…………………………は?」
言われた言葉が理解できない。
生きている?
リィンが生きている?
「何を……」
「聞きたいのはオレの方だ。お前の様子からして冗談の類でないのはわかっているが……」
そこでルミネルはもう一度リィンの腕を取り、羽毛の下の脈に指を当てる。
「弱いが脈拍はある」
そう言われても動けない僕の手をルミネルは引っぱり、実際に僕にも脈を取らせてくる。
確かに、指先にトクントクンと血の流れる感触がした。
「……生きている」
「そう言っている」
そこでクロエが飛びついてきた。
眠ったままのリィンに覆いかぶさって、ギュッと抱きついている。
かなり心配していたのだろう。
少し肩が震えていた。
その様子に僕とルミネルは顔を見合わせて、一度浴場から着替え場に出た。
緊迫感が抜けて、膝から崩れそうになるけど、真剣なルミネルのまなざしがそれを許してくれない。
「とにかく、その恰好をどうにかしろ」
湯着一丁の姿を指摘されて、寒気を感じた。
ノロノロと着替え始めたところで再び聞かれる。
「改めて、だ。何があった?」
「いや、温泉に入る前にリィンが眠っていて、体を洗ってあげたんだけど、全然起きないから心配になって、脈を取ったら――なかった」
それだけで死んでいると思ったわけじゃない。
慌ててはいたけど、首筋は羽毛があって脈がとりづらいから、胸に耳を当てたり、息を確認したりもしたんだ。
でも、心臓の音はしなかったし、息も止まっていた。
誤診?
絶対にないとは言わないけど……。
「本当なんだ」
「疑ってはいない」
見上げたルミネルは難しい顔をしつつも、冷静に続ける。
「お前はそこまで迂闊ではないだろう」
「信頼してもらって嬉しいよ」
肩から力が抜ける。
今度こそ残っていた緊張がほぐれた気がする。
そうなると疑問が浮かんでくる。
「何があった?」
「単純に考えれば、お前がオレを連れてくる間に蘇生したのだろうが」
いまだにリィンにしがみついているクロエ。
彼女がそのための措置を取れたとは思えない。
単純に知識がないし、あったところで実行するだけの冷静さがなかった。
となると、自然に?
そんな事があるのか?
生命力が強い傾向の獣人族ならないとは言い切れないけど……。
「擬死?」
「それこそ、なんでだよ」
「わかっている。思い付きを口にしただけだ」
温泉に入れられるだけで死んだふりするなんておかしいだろ。
しかも、演技にしては本格的すぎるわ。
動物が擬死する事はあるのは知っているけど、それだって全身を硬直させるだけで、心臓までは止まらないからな。
死んでいたはずなのに、生きているリィン。
聖印を持たないのはわかったのに、謎が深まってしまった。
とはいえ、クロエのあの様子を見るに最悪の結果を回避できただけでも僥倖としておこうかな。
「なんて、言っちゃダメでしょー」
いきなり肩を掴まれて悲鳴を上げそうになった。
振り返れば眠たげなラフルが、クロエを、いや、リィンを見つめている。
その目はらしくもなく冷え切っていた。
「言ったよねー。普段から魔力感知しろってさー」
言われたっけ?
いや、言われていたな。
今日の昼に合流した時、尾行していたラフルに気付くのが遅いって。
すぐに魔力感知をしてみるけど、違和感はない。
魔力を持つ人間の少ないこの城で感じられるのはクロエとラフルだけ。
「遅いってー。見てなー」
ずかずかと浴場に入っていくラフル。
猫の子みたいにクロエの首を後ろから掴むと、ポイっと放り出すのを慌てて受け止める。
なんなんだ。
本当にらしくないぞ。
飄々とした姿は鳴りを潜めて、不機嫌さを隠そうともしていない。
凄みの様な迫力を持つラフルはリィンを見下ろすと、その首元の羽毛に手を伸ばした。
「少年。感知しなー」
驚いていても硬直していられない。
魔力を感じ取ろうと意識を集中すれば、一瞬だけリィンから魔力が感じられて、すぐに消えたのがわかった。
「今のは」
「魔力」
クロエも同じように感じ取ったのだろう。
目を丸くしている。
亜人族は魔力を持たない。
巨人族も精霊族も、獣人族もだ。
なのに、獣人のリィンから魔力を感じ取れるって、一体?
「寝たふり、している場合かー?」
呆然とする僕たちをそのままにラフルは首筋に指先を当てる。
「ほらー、死んだままでいたらこのまま終わらすぞー」
「ったく、これだからガキは嫌いだ。いらねえ真似ばかりする奴は特になあ。死ねよ」
唐突に、鈴の鳴るような可愛らしい声で、毒の含んだ呪詛が吐かれた。
直後、ラフルが後ろに飛び下がり、一拍遅れて黒い壁が足元から空に向かって噴き上がった。
あれは……闇? いや、影?
状況についていけない僕たちの前で、眠ったままだったリィンが起き上がる。
僕たちを見る目は、まるで置物を見るような冷たさで声が出せない。
その首には青い光が左右で交互に輝いていた。
「楽に死なせてやろうとしてたのによ。責任とって、苦しんで死ね」「たすけて、お兄ちゃん。お姉ちゃん」
リィンは邪悪に/苦し気に告げるのだった。




