19 負けて、やるもんか
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「ぜえ、はっ、ぜっ、はあはあはあ……」
息が熱くて、喉が裂けそうだ。
苦しくて、つらくて、もう諦めちまえよと囁いてくる弱い心を蹴っ飛ばして、森の中を走っていく。
零印の十歳児の僕じゃ、全力で走ってもたかが知れている。
それでも全力中の全力を振り絞って、必死という言葉をこれぐらいないぐらい体現して走っていた。
一番警戒しないといけないのは触手。
あれが直撃したら絶対に助からない。
右に左にランダムになるようたまに曲がったりして、狙いをつけられないようにする工夫も忘れない。
なめているのか、なぶろうとしているのか、棘蔓熊はラフルを吹っ飛ばした触手を使ってはこない。
ただ、のそりのそりと歩いてくる。
けど、一歩の大きさが違いすぎて、全然距離は開かなかった。
むしろ、ちょっとずつ近づかれていた。
くそ。僕の足がもうちょっと長かったら!
成長に期待しよう。
生き残れたらね!
内心で自棄になって叫びながらも走る。
走っていたら、木の根っこにつまずいて転びかけた。
「っと、のう!」
根性で耐えて、足を前に出す。
気がつけばだいぶ暗くなっていた。
崖から落ちたのは昼を過ぎてしばらく経ったぐらいだったか。
いつの間にか木々の隙間からわずかに落ちてくる夕焼けも、ほとんどなくなってしまっていた。
森の夜がやってくる。
足元が見えないまま森を走る?
くそ。転ばないで走れる自信が微塵もない!
日が沈み切るまでどれぐらいだ?
というか、どうすればいい?
ラフルが埋まっていた場所からは少し離れた。
最初の目的は果たせた。
じゃあ、次は?
次はどうする?
「ああ、くそ」
助かるビジョンがない。
絶望的にない。
僕がどうにかする?
無理だ。
頭を使って、作戦を立てて、奇跡を引き寄せても無理だ。
アリとライオン。
僕と棘蔓熊との間には、大げさではなく、本当の本当にそれぐらいの性能差がある。
戦うどころか、逃げ切るのも無理だし、振り切るのだって、隠れるのだって野生の魔獣相手に難しいだろう。
じゃあ、助けが来るのを期待する?
村の人?
ダメだ。
僕よりはましだけど、それでも棘蔓熊の方がずっと強い。
ベルやヌイ?
二人は数印で体が強いだけの子供なんだ。
将来、学院で魔法を覚えたら違うかもしれないけど、今はまだ無理だ。
ラフル?
あんなひどいやられ方をしたのがすぐに復活するとは思えない。
それに一度やられてしまっているのに、リターンマッチを挑んでも勝算は薄いと言わざるを得ない。
どうやっても生き残れないんじゃ……。
絶望しそうな心を無理矢理叩き起こして走る。
状況が変わるのを待つしかない。
「だからって――」
やられてやるもんか、と口にしようとして、顔面に衝撃を受けた。
細い枝にぶつかった。
暗くて見逃した?
ああ、ちくしょう!
枝に突っ込んだぐらい大したことない。
けど、薄暗い森の中を全力で走り続けているタイミングでは最悪だ。
あっさりと僕は足を滑らせて、背中から地面に落ちてしまった。
息ができない。
ちゃんと吸って、吐いてとやっているはずなのに、鼻の奥が痛くなるばかりだ。
無視していた痛みもどんどん押し寄せてくる。
胸が痛い。
足が痛い。
腕が痛い。
喉が痛い。
頭が痛い。
ズキズキ、ガンガンと音を鳴らして、『このままじゃお前は死んでしまうぞ』と警告してくる。
そんなの、わかってるよ。
強がりを声に出したいけど、音にならない。
ヒュー、ヒューと細い息が出るだけ。
なんとか立ち上がろうとするのに、まるで手足が自分のものじゃなくなったみたいに動いてくれない。
さっきは恐怖で。
けど、今は体の限界で。
今まで走っていられたのだって、火事場のバカ力みたいなものだ。
それは一度切れてしまえばもう戻らない。
仰向けの視界に映るのは暗い木々の天井。
棘蔓熊がどこにいるのかと、せめて頭を動かして見えたのは投げ出された右手だった。
いつもと変わらない【〇】の印だけ。
命の危機に隠された力が覚醒! なんて都合よくいかないか。
そんな事を考えている間に、強烈な獣の臭いがやってくる。
目を向ければ手が届きそうな距離に、棘蔓熊が来ていた。
まったく感情の乗らない凪いだ瞳に見下ろされて、息が止まりそうだ。
生きたままは、やだなあ。
痛くて、怖くて、悲惨すぎる。
「ぜ、はあ。く、そ、はあはあはあ」
まだ生きるのを諦めないけど、打てる手どころか動かせる手がない。
睨む、という気力すら欠けた目で見つめるのがせいぜい。
棘蔓熊はひるむ様子もなく、鋭い牙の並ぶ口を開きながら鼻先を近づけてくる。
獣臭さに混ざる血の臭い。
死の、感覚。
こうなったら、もう意地だ。
酷い二度目の人生。
その最後がどんなものになるとしても、意地ぐらい張り通してやろうじゃないか。
そうでもしないと、死んでも死にきれやしない!
「負けて、やるもんか」
きっとほとんど声にならなかった呟き。
真正面から熊面を見つめ返して、その時が来るのを待ち構えるけど、それより先に声が降ってきた。
「そう」
聞き覚えのある短い言葉。
夕焼けも消えゆく緑の天井を突き破って、夜色の髪が降ってくると、棘蔓熊の鼻先に強烈な回し蹴りをぶちかますのだった。
とりあえず、宣言通りの8月毎日更新完了。
久しぶりにランキングに入ったりしたみたいですね。
沢山の人に読んでもらえるのは嬉しいです。
ありがとうございます。
できるだけ毎日続けたいですが、力尽きたら週2・3になるかもしれません。




