18 お前みたいな熊がいるか! 着ぐるみになって出直してこい!
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そいつは『クマさん』なんてかわいらしいものじゃなかった。
というか、そもそも本当に熊とカテゴリーしていいのか?
黒い毛皮。凶悪なかぎ爪。短くも太い四肢。丸い耳。犬に似た頭部。
特徴をあげていけば、なるほど熊だろう。
ただし、そいつは四つ足のままで立ち上がってもいないというのに、大人より高い位置に頭があるという超巨体。
おまけに口からはよだれがダラダラ。
完全に僕らを食料と見ていますね、わかります。
極めつけは首の後ろからウネウネと飛び出しているイソギンチャクみたいな触手。
毒々しいピンク色がとても卑猥。
結論。
「お前みたいな熊がいるか! 着ぐるみになって出直してこい!」
そう叫びそうになるのをこらえて、僕は視線を外さないようにしながらじりじりと後ろに下がろうとして何かにぶつかった。
「わーお。しっかり見つめられてるねえ」
ラフルだった。
何をのんきに言ってるかなあ!
ぼんやりと突っ立ったままの姿に再び叫びそうになる。
その間も熊――いや、熊の魔獣はジッと僕たちを眺めている。
感情の窺えない無機質な瞳が超こわい。
怖いけど、目を反らしちゃダメだぞ。
熊は背中を向けたら襲ってくるって何かで聞いたからな。
あれ? でも、いくら熊に似ていても、動物と魔獣は別の生き物だ。
熊対策がどこまで通じるんだろう。
というか、魔獣って人間を見ると積極的に襲ってくるはずだから、熊対策なんて意味ないんじゃ?
「ありゃあ、棘蔓熊だねー。知ってるかー。あいつ、熊の魔獣みたいに見えっけどー、あの草に寄生されてんだぜー」
棘蔓熊か。
うん。初耳。
こうだったらいいなあ、なんて期待を込めて聞いてみよう。
「実は強そうに見えるけど本当は弱かったりしない?」
「いいやー、一匹で小さな村ぐらい壊滅させるぐらい強くてー、超凶暴だぞー。冒険者からは災害級なんて呼ばれてるなー」
どんなランクがあるか知らないけど、それって絶対弱いランクじゃないよね。
生まれて初めての魔獣が災害級とか。
普通はスライム(弱・転生していないものに限る)とか角が生えている兎とかからじゃないですかね!
本当におかしいだろ、僕の転生の難易度。
ナイトメア級通り越してヘル級じゃないか。
やばい。
足が震えてきた。
ちゃんと走れるだろうか
焦る僕とは対照的に、ラフルは自然体というか、余裕の構えだ。
自称探検家で正義の味方なお兄さんは何か考えでもあるのだろうか?
それとも、本当の本当にラフルはこの魔獣より強いんだろうか?
このうさんくさいおっさんを信じていいんだろうか?
「ね、ねえ、ラフルさんはあいつ、倒せたりする?」
「ふふふー。そんなの、決まっているじゃないかー」
ラフルは僕の肩をポンと軽く叩いて、気軽に前に出ていく。
まるで僕を後ろに庇うような位置。
前をまっすぐに見据えたまま、続ける。
「言っただろ? 俺はやる方だって」
その背中は雄弁に語っていた。
俺に任せろ、と。
「ラフル、さん!」
なに、これ。
思わず座りこんじゃいそうなほどの安心感。
僕が女の子だったら惚れちゃってたよ!?
おじさんなんて言ってすみません。
強くなさそうなんて思ってごめんなさい。
しっかり謝って、次からはラフルお兄さんと呼ぼう。
そんな事を考えている間にラフルお兄さんは無造作に前に踏み出していく。
一歩。
二歩。
三歩。
棘蔓熊を前に、手はポケットに入れたまま、まるで街中を散歩するような気軽さ。
お前なんか敵じゃないと言外に語っている。
絶対強者のふるまいだ。
「さあてー、待たせているのがいるからさっさとー……あ」
ズッパアアアアアアアアアアン!
耳が痛くなりそうなぐらい強烈な破裂音が響いて、台詞が途中で消えた。
思わずつぶってしまった目を開いた後には、ラフルの姿も消えていた。
「え? なに?」
マジで何が起きたかわからないんだけど。
ラフルが間合いを詰めて、何かしゃべってる途中で大きな乾いた音がして、そしたらラフルがいなくなっていた。
正直、そうとしか言えない。
相手から目を反らしちゃいけないとか、そんな事も忘れて辺りを見回す。
棘蔓熊は出てきた時と変わらず、一歩も動いていない。
ただピンクの触手をうごめかせている。
他に変わったもの。変わったものは何か――あった。
ラフル、と思われるものがいた。
地面に。
頭から。
ざっくりと。
突き刺さている。
「……はい?」
二度見しても、光景は変わらない。
歩数にして十歩以上横の地面。
そこにラフルのお尻が見える。
「もしか、して……」
うごめく触手。
乾いた音。
地面に突き刺さったラフル。
この状況から読み解くに、棘蔓熊が触手を鞭のようにしてラフルを吹き飛ばした?
人の目じゃ見えない程の超高速で。
「ラフルさん、嘘だろ」
声に返事はない。
腰から上は地面の下で見えない。
見えないけど、その下が酷い事になっているのは嫌なぐらい想像できた。
いくらこの世界の人間が数印のおかげで頑丈だって言っても、あんな目に遭ったらどうなるか。
最悪の想像が浮かんだ。
ピクリとも動かないお尻と足がそれを肯定しているみたいだ。
いや、数印の力は凄い。
きっと生きている。
気絶しているだけに違いない。
頭の中は恐怖と焦りと、何とかしないと、という思考でいっぱいだ。
動けない。
何が正解かわからなくて動けない。
指を少し動かしただけで魔獣を刺激してしまいそうで、きっかけになってしまうのが怖くて動けない。
動かなくてもこのままでは死んでしまうとわかっているのに。
動け、動け、動けと命令しても伝わらない。
がくがくと手足が震えるだけ。
もう声も出せそうにない。
見られている。
棘蔓熊に見られている。
排除したラフルを見ようともしないで、次の獲物――僕を凝視している。
一番弱っているはずのラフルを放っておいて、僕の方に興味を向けている。
「なんとか、しないと」
声が出た。
かすれて、自分の耳にも届いたかわからないような声だったけど、思いを口にできた。
ちゃんと体が動いてくれるって事だ。
ラフルは動けない。
なら、僕がどうにかしないと二人とも殺されてしまう。
そうならないようにするには、どうするか。
「僕を、見てるなら、今だけはラフルさんは無事だ」
僕がおとりになればいい。
走り出す。
熊対策のセオリーなんて投げ捨てて、背中を見せて走りだし、大声で叫ぶ。
「こっちだ、クマ公! ぶっ倒して着ぐるみにしてやりゅらあ!」
噛んだ!
噛んだけど、いいや!
棘蔓熊はのそりと僕に向かって歩き出した。
こうして、僕と魔獣の追いかけっこが始まったのだった。




