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ゼロのアクタ  作者: いくさや
第一章 零印
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16 やばい……これ、迷った?

 16


「ふう……」


 手頃な岩に腰かけ、足を組み、腕を組み、クーーーールに小さく溜息を吐いて、ついでに辺りを見回してみる。


 苔の絨毯。

 凹凸の激しい岩の置物。

 まるで古代の神殿のように立ち並ぶ大木たち。

 枝葉の天蓋から差す木漏れ日は神秘的だった。

 都会が失ったむき出しの自然。


「やばい……これ、迷った?」


 いや、ちょっと帰り道がわからなくなっただけ。

 遭難ちゃうよ。そうなんですか? そうなんです。

 ……混乱している場合じゃない。


 深呼吸しよう。深呼吸。

 大丈夫だ。

 混乱していると自覚できるならパニックにはなっていない。

 そう。まだあわてるような時間じゃにゃい……ない。

 オーソドックな遭難対策に、歩きながら途中で木に印をつけていた。

 帰りたければそこを逆にたどっていけばいい。

 問題は――。


「崖から落ちて、そこまで戻れないって事だよなあ」


 苔があんなに滑るなんて知らんて。

 踏んだ苔で滑って、転んで、岩から転げ落ちた先が崖だったわけだ。

 崖と言っても小さめで、緩やかな斜面だったのと、とっさに体を丸めた僕の判断が良かったのか大きなケガはしていない。


 岩に座ったまま落ちてきた崖を見上げる。

 たぶん、地滑りで出来たんだろう五メートルぐらいの高さ。

 むき出しの地面から木の根っこがところどころ飛び出しているだけで、掴まるところは何もない。

 ここを登れたら何も問題ないんだけど、試したら土がボロボロと崩れてしまってまるでダメだった。


「迂回、できるかなあ」


 わからん。

 土地勘がないとどうにもならない。

 でも、来た道に復帰するにはそうするしかない。


 僕は立ち上がって、体を色々と動かしてみる。

 少し痛いぐらいで動けない程じゃない。

 崖から転げ落ちたにしては奇跡的な状態だ。

 子供ながらに体を鍛えていてよかった。うん。筋肉は裏切らない。裏切るのはいつだって人間だもの。

 どうでもいい事を考えつつ、僕は崖に沿って歩き始めた。


 ジッとしてろって思う?

 そう。きっとそれがクールな選択だろう。

 迷子にしろ、遭難にしろ、むやみに動かないのが鉄則で、おとなしく救助を待つのが正しいというのはわかる。

 前世の僕もそう言っている。

 けど、そうはできない理由が二つ。


 ひとつ、僕が森にいると知られていない事。

 僕が帰らないと知られるのが夕方。

 そこから村の中は探すとしても、夜中に危険な外までは探さないだろう。

 前世の日本と違って、夜は本当に暗い。

 捜索してもらえるとしたら明日の朝以降。


 それでも助かる可能性は高い。

 実際、そういうニュースを聞いた事がある。

 ここが異世界じゃなければ僕もそうしていた。

 それが二つ目の理由。


「こっちには魔獣がいるわけで」


 野生の獣だって十分危険だけど、それ以上の危険生物が生息しているのだ。

 そんなのに見つかったらマジで殺される。


 覚悟の上で森に入ったんだろって?

 そうだよ。その通りだよ。

 でもさ、想像するだけなのと、その痕跡を目の前にしたら態度も変わるってもんだ。


「これ、マーキングってやつだよね」


 崖下のあちこち。

 木の幹、地面、岩。

 そこらに大きな、大きな爪の跡が残っている。


 ヤバい。

 何がヤバいかってヤバい事だらけなのがヤバい。


 爪あとが木のかなり高い位置まである。

 ――そいつはかなりの巨体だ。

 岩が抉られて爪あとがくっきり残っている。

 ――そいつは岩を抉る攻撃力を持っている。

 数も異常に多くて、ちょっと見回せば必ず視界に爪あとが見える。

 ――そいつは複数いるか、あるいは縄張り意識が強い。

 どの傷も真新しく見える。

 ――そいつはまだこの近くにいる。


 でかくて、強くて、神経質な奴がいっぱい。

 モンスタークレーマーだったらどんなにいいか。

 なんせ、どんなに頭のねじがイっちゃってても、所詮は人間。

 話してわからなければ物理でわからせればいい。

 世界中の店員さんは誰もが握り拳という最終説得兵器を持っていて、一線を超えてしまったら行き着くところまでイくしかないのだ!


 けど、魔獣相手に僕の拳なんてなんの役にも立たない。

 なんで、こんなヤバそうな奴が村の近くにいるんだ。


「……やばい」


 大混乱だ。

 自覚があるから大丈夫なんじゃない。

 一周回って冷静っぽくふるまっているだけ。

 頭の中が一周回ったところで状況は同じままなんだから、どう考えても今はあわてる時間だよ。


「とにかく、離れないと」


 どこなら安全なのかわからないけど、ここだけはまずいのは絶対。

 僕は震えそうになる足を何度も叩いて、歩き出す。

 どっちに向かえばいいかもわからなかいから、勘で崖に沿って行こう。

 どこかで上がれれば状況は改善――。


 がさ


 息が止まる。


 背後、草木が揺れる音。

 気のせい、じゃない。

 いや、音なんて普通だ。

 どんなに静かな森の中だって、生き物の鳴き声がしていたし、風に枝葉がざわざわと揺れる音だってしていた。

 それこそ今みたいな音なんて珍しくなかった。


 じゃあ、なんで今の音が気になった?

 僕が神経質になっているから?

 違う。

 特別気になったのは理由がある。


「音が、しない?」


 いつからかわからない。

 気がつけば森は静けさに包まれていた。

 森中の生き物が息をひそめたように、風さえも死に絶えてしまったように、凪いで沈黙の底に沈んだように。

 まるで、小動物が捕食者に怯えて息を殺しているみたいだった。


 そう。

 捕食者。

 絶対強者。

 畏怖の具現。

 理不尽の権化。

 人智の届かない。

 自然さえ呑むモノ。


 がさがさがさ


 近づいてきている。

 背の高い茂みに隠れて姿は見えない。

 見えない事が恐怖を助長する。

 頭に浮かぶのは凶悪なマーキングの爪あと。


「ひっ」


 思わず声が出てしまって、慌てて口を押さえた。

 悲鳴を聞かれたら終わりだ。

 心臓の音がうるさい。

 鼓動を聞かれてしまったらどうしようなんて、ありえない妄想に怯えてしまう。


 どうする?

 逃げる?

 隠れる?

 戦う?

 無理だ。

 零印の僕はどうやったって魔獣に勝てない。

 どうすればいい?


 正解がわからないまま、思考がグルグルとループする。

 そもそも体が強張って動けなかった。

 動けと言い聞かせようとすればするだけ足が震えてしまう。


 がさがさがさがさがさ


 近い。

 来る。

 いや、来た!


 対策どころか、覚悟もできないまま、ナニカが現われる。

 結局、僕にできたのは目をつぶって悲鳴を上げる事だけだった。


「うわああああああああああああああああああっ!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」


 上がるのは二つの悲鳴。

 僕と、僕と、僕と……誰?


 おそるおそる目を開けてみる。

 きつく閉じていたせいでチカチカする中、何者かの姿が目に入った。


 その何者かはぼさぼさに伸びた髪に葉っぱをつけたまま、胸を押さえたポーズで停止している。

 僕とばっちり目が合ってから、しばらくしてポカンとした顔で聞いてきた。


「……びっくりしたー。まさか、子供がいるとは思わなかったわー」


 そこにいたのは冴えない格好のおっさんだった。

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[一言] おっさんかい。
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