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球体世界の観測者 ~見えるだけの少年は、陰陽寮で世界の裏側を知る~  作者: 雅貴
第2章第6節

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第46話:相棒の取扱説明書に追記があります

肩に、炉口の輪ができる。

その下で、ライターの火が大きくなった。


俺は一瞬、肩を見続けそうになった。

大きい方が、危険に見える。

でも、手元から外へ伸びた薄い線は、さっきより低かった。


「手から、低い!」


桐生さんの足が、斜め前へ出た。

炎が膝の横を抜ける。

俺も榛名の正面から外れ、壁の近くで止まった。

入口へ戻らない。そこには神代さんがいる。


榛名が、舌打ちをした。

肩の輪がほどける。

炉口を作る途中で、手元から撃った。その両方を、同じ強さでは続けられなかったように見えた。

俺には、そう見えただけだ。

もう一度同じになると、勝手に決めてはいけない。


「肩の方、薄くなってます。でも手は、まだ」


「分かってる」


桐生さんは距離を詰めた。

榛名が手を引く。

ライターを胸へ寄せながら、身体を横へずらした。その先には、俺がいた。


「どけ!」


榛名が叫ぶ。

その声に足がすくみかけた。


退けば、入口までつながる。

退かなければ、近づかれる。

俺が人の進路を塞げるのは、相手が止まってくれるときだけなのだと分かった。


俺は後ろへ逃げず、壁に沿って横へ動いた。

同時に、榛名の手を指した。


「桐生さん、こっち。手元、上がります!」


桐生さんが、俺の前へではなく、榛名の横へ入った。

刀身が短く光る。

その外へ、獣の前脚だけが濃く現れた。


爪と刃が、同じ場所へ下りる。


狙いは、肩でも首でもなかった。

榛名がライターを戻そうとした、その手前の炉口の輪郭だった。

まだ形になりきっていない縁が、押し下げられるように崩れた。

桐生さんの一歩が、榛名の逃げる向きへ入る。


榛名の身体が止まった。


「っ、邪魔――」


言い終える前に、桐生さんは刃を身体の外へ逃がした。

空いた手が榛名の腕へ掛かる。

次に見えたときには、二人の位置が入れ替わっていた。


榛名が地面へ膝をつく。

ライターを握った腕が、身体から離れた位置へ押さえられていた。

小さな火が、消える。


「手、開けろ」


桐生さんが言った。


「痛え、離せ!」


「道具、離せ」


榛名の肩から、輪が完全に消えた。

俺はそれを見て、ようやく息を吐きかける。


「牧瀬。まだ見る」


桐生さんの声がした。

俺はライターへ視線を戻した。

指の間に、薄い伝力が残っている。


「まだ、通してます」


「聞こえたか。握ってるのは見えてんだよ」


桐生さんが榛名へ言った。

神代さんが敷地へ入り、俺へ位置を下がるよう示す。


「榛名さん、道具を置いてください。これ以上、無理に続けないで」


榛名が歯を食いしばった。

ライターを、まだ離さない。


俺はその金属を見た。

角がすり減り、蓋に細かい傷がある。使い込んだ人の手の形に馴染んだ物だった。

大事にしていることは分かる。

だからといって、誰かへ向けていい理由にはならない。


「壊さないように、離すんです」


俺が言うと、榛名の目が上がった。


「知ったような口、きくな」


「分かりません。壊したくないなら、今、手を開けてください」


言葉は、それ以上続けなかった。

榛名の指が、ゆっくり緩む。

金属の蓋が地面へ触れ、小さく鳴った。


神代さんが、素手で拾わず位置を確かめる。

俺も、そこへ続く流れを見た。

細いものが途切れる。


「今、切れました」


神代さんが頷いた。

桐生さんはまだ腕を離さなかった。

具象化が消えたことと、人が抵抗しなくなったことは別らしい。


***


引き渡しのための人たちが来るまで、俺たちは敷地を離れなかった。

道路側で、神代さんが場所を示す。

桐生さんが榛名を押さえ、俺は入口から近づく人がいないかと、手元の伝力を交互に確かめた。


榛名は、何度も同じことを言った。


「金を取られたのは、こっちだ」


「その件は、聞いてもらってください」


神代さんが答える。


「だったら、こっちも被害者だろ」


「報酬の問題と、能力を使って怪我をさせたことは、別に調べます」


「お前ら、俺の話、全然聞いてねえじゃねえか」


聞いている。

同じ言葉を、何度も。

それを聞いても、他の人を焼いてよかったとはならない。

榛名には、その間がつながっているらしかった。


桐生さんは、途中から返事をしなくなった。

必要な指示だけを短く言う。

榛名の身体が動けば位置を直し、ライターへ顔を向ければ手元を確かめる。


俺は口を挟まず、見えた変化だけ伝えた。

感情をぶつける相手になれば、俺の方が見ることをやめてしまう。


敷地の外へ、荷捌き場の責任者が来た。

神代さんが止め、少し離れた位置で事情を聞く。


「捨ててったバッグ、触らない方がいいですか」


「そのままにしておいてください。本人の荷物だと、確認が必要なので」


「分かりました。鍵は、うちのかもしれないけど」


責任者は榛名を見た。

榛名もその人を見る。助けを求めるような顔になった。


「なあ、言ってくれよ。俺、そっちの手伝いもしてたろ」


「それと今日のこと、違うだろ」


返事は、思っていたより小さかった。

怒鳴られた方が、まだ榛名も言い返しやすかったかもしれない。


「荷物運んでもらったのは、助かったよ。でも、何でここで火を出すんだ。人、いたんだぞ」


「こいつらが、来たから」


責任者は答えず、神代さんへ向き直った。

壁際で火を消した人の手が震えているので、確認してほしいという。

神代さんがその人のいる場所を聞く。


榛名の口が閉じた。

助けてもらえる話になると思ったのか、ただ知った顔へ縋りたかっただけなのか。

俺には分からない。

ただ、目の前で押さえられた人以外にも、今日のことが残る人がいるのだと分かった。



引き渡しが始まると、榛名の声は少し小さくなった。

ライターは本人から離して扱われ、神代さんが、能力に使われていたことを担当者へ伝える。

俺たちがどこで何を見たかも、順に聞かれた。


最初に撃たれた場所。

発展が現れた場所。

壁へ炎が当たった場所。


指で示すたび、今歩いている道に、さっきまで別の危険があったことを思い出す。

どれも、避けたから消えたわけではない。


敷地の外で、榛名が一度だけ振り向いた。

俺ではなく、道具を持っている担当者の方を見た。


「返せよ。それ、俺のだぞ」


誰も、今ここで返すとは答えなかった。

榛名は顔を歪め、そのまま連れていかれた。


***


「桐生さん、袖」


ようやく二人になったとき、俺は言った。

上着の端が黒くなっている。さっき、炎の縁をかすめたところだった。


「ああ」


桐生さんは袖を引き、腕を確かめた。


「火傷してませんか」


「少し赤いだけだ」


「そういう言い方で済ませるのは、駄目です」


神代さんの声が戻ってきた。

俺が言うより早かった。


「二人とも、確認する。牧瀬くんも、熱かったと言ったところは全部」


「俺は、大丈夫です」


「榛名さんにも、同じ返事をされました」


俺は黙って袖を出した。

桐生さんが、小さく笑う。

その人も同じように腕を出していたので、俺だけが笑われたわけではなかった。


神代さんは大きな怪我がないかを確認し、第六班で診てもらう段取りを取った。

俺たちがそれぞれ何を平気だと思っているかより、別の人が見たことを優先するらしい。


「荷捌き場の方は?」


俺が聞くと、神代さんは携帯を確かめた。


「壁際の火は消えた。消防の人が、ほかに熱の残っている場所がないか見てくれている。従業員の方も確認中」


「じゃあ、もう大丈夫――」


言いかけてやめた。

俺が見ていないところで、まだ確かめてくれている人がいる。


「確認が終わるまで、待つんですね」


「そう。君たちが戻れるかどうかは、こちらで聞く」


神代さんが頷いた。

桐生さんはフェンスへ背中を預けかけ、焦げた袖を見てやめた。

そのままポケットを探る。


「飲み物買えるか」


「少し歩けば」


「じゃ、帰りだな」


先に歩き出したりはしなかった。

俺はそれを見て、少しだけ意外に思った。


「何だよ」


「いえ。いつもなら、先に帰るかと」


「怪我人出た現場で、さすがにやらねえよ」


言ったあと、桐生さんは神代さんを見た。


「紙書くのは、まあ、別として」


「そこも一緒にお願いします」


神代さんが即答した。

俺は、ようやく少し笑えた。


***


診療所へ移る間、桐生さんは自分で鞄を持っていた。

俺が持ちましょうかと言うと、そっちも両手を空けとけ、と返される。

大きな獣を出して踏み込んだ後でも、歩き方はいつもとほとんど同じだった。

それでも、階段を上がるとき、一度だけ手すりへ指を掛けた。


「疲れたんですか」


「疲れるわ」


「普通に歩いてるので」


「普通に歩けなきゃ、ここまで戻れねえだろ」


第六班で待っている間、俺は椅子の端へ座った。

窓の向こうに、買い物の袋を持った人が歩いている。

さっきまでの通りと同じくらい、普通の夕方だった。


呼ばれて腕を見てもらうとき、俺は熱かった場所を全部伝えた。

痛くないところまで言うのは大げさな気がしたが、診てくれた人は、教えてくれた方がいい、と答えた。


桐生さんも、焦げた袖を隠さなかった。

深い傷ではないと確認されてから、俺はようやく、少し赤いだけという言葉を安心して聞けた。

本人が言ったときには分からなかったことが、別の人へ確かめてもらうと、置いていける心配になる。


「次から、そこも見るようにします」


俺が言うと、桐生さんは腕へ巻かれた物を見た。


「お前、俺の袖ばっか見て戦う気か」


「戦った後です」


「じゃ、俺もお前の袖見る」


「それなら、お願いします」


返すと、桐生さんは少しだけ笑った。

神代さんが会計と連絡を済ませ、戻る時間を確認してくれる。

俺は母へ、少し遅くなるが、大きな怪我はないことを先に送った。

詳しいことは帰ってから。それは、帰らなくていい理由にはならない。


診療所での確認を終え、第十一班へ戻る頃には、窓の外は暗かった。

時計を見る。家へ連絡した帰宅時刻には、まだ間に合う。

上着を脱ぐと、制服に外の匂いが残っていた。焦げたような、埃っぽいような匂いだった。


黒江班長へ、神代さんが結果を伝える。

俺と桐生さんも、見たところを補った。

誰がどこへ向けて放ったかを並べると、自分が覚えている順番と、実際の出来事が少し違った。


「ここ、俺は壁へ下がってから、榛名がこっちを向いたと」


「向いたのが先。お前が移って、それから撃った」


桐生さんが言う。

俺は神代さんも見た。


「私が位置の連絡を受けたのは、炉口が君へ向いた後だね」


俺は書き直した。

避けた瞬間ばかりが強く残り、その前が短くなっている。


「よく見えていても、全部を正しい順に覚えているわけじゃないんですね」


「だから、今、合わせている」


黒江班長が言った。


「見えている者が一人で正解を持っていることにしない。それは今日、できていたか」


俺は迷った。

できたこともある。できなかったところもある。


「最初、手から出ると思い込んで、言い間違えました。その後は、分からないところを分からないと」


「聞いた」


桐生さんが言った。


「形を戻してるのか撃つのか、分かんねえって。それなら、こっちは両方のつもりで動ける」


黒江班長が頷いた。

俺は報告の紙へ目を落とした。

できなかったと書いたところが、誰かの判断に役立ったと言われる。

工房でも、似たことがあった。


「次、何を直す?」


班長に聞かれた。


「俺だけ避けたら、それで安心するところです。後ろに人がいたのに、一回目、気づくのが遅れました」


「それは次の練習へ入れよう。ただし、次も同じ場所に人がいるとは限らない。配置を見る練習からだ」


神代さんが予定へ書き足す。

今日も宿題が増えた。

でも、その理由を知らずに増えたわけではなかった。


***


帰る前、桐生さんを呼び止めた。


「発展、見せてもらって、ありがとうございました」


「見せ物じゃねえ」


「それは、はい。でも、すごかったです」


桐生さんは露骨に嫌そうな顔をした。

褒められたくないのか、何を言えばいいか分からないのかは、俺には読み取れなかった。

伝力が見えても、人の気持ちまで分かるわけではない。


「獣って、いつもああいう形なんですか」


「あれが、今の俺に使いやすい」


「勝手に動かしたりは」


「しねえ。俺が踏んで、俺が刃を出す。爪だけ勝手に走ったら困るだろ」


確かに困る。

大きな爪が、道路へ飛び出すところを想像してしまった。


「じゃ、最初から使わなかったのは」


「最初、裏に人いただろ。お前もいた。踏んだ後の先が空いてるか、分かんねえ」


桐生さんは鞄を持ち上げた。


「出せば当たる、じゃねえんだよ。外したら戻す。踏んだら止める。そういう場所を先に作る」


強い能力だから、いつでも使える。

俺は少し、そう思っていたのかもしれない。

実際には、使える人が、使ってよいところを選んでいた。


「今日、俺の声、邪魔でしたか」


聞くと、桐生さんが俺を見た。


「最初の、手から来るってやつは外れ」


「はい」


「その後、入口が空いたのと、出し直してるところ。あれは使った」


俺は顔を上げた。


「全部言おうとすんな。長えと、聞いてる間に変わる。分かったことから短く。自信ねえところは、そう言え」


「次も?」


「次の話してんだろ」


桐生さんは先に廊下へ出た。

俺も鞄を持ち、その後へ続く。


階段の踊り場で、桐生さんが一度止まった。


「あと、俺が何してるかばっか見んな」


「すみません。獣が」


「そっちもいいけどよ。お前の見える位置がなくなったら、言え。こっちで動かせることもある」


俺は、すぐには返事ができなかった。

見えないところは見えないと伝える。それは足りないものを報告するだけではなく、相棒に次の動きを頼むことでもあるらしかった。


「はい。言います」


「それでいい」


階段を下りる。

前より早く歩けるようになった気はしない。

でも、追いつかなければと焦るだけだった背中へ、声を掛けられることが一つ増えた。


外では、信号が赤だった。

桐生さんが足を止める。

俺も、その隣へ止まった。


「あの、行くとき聞いた話」


俺が言うと、桐生さんは信号を見たまま、何だよ、と答えた。


「どうやって入ったんですか、って」


「ああ。覚えてたのか」


「覚えてたら、帰りにって」


桐生さんは少し考え、靴のつま先を一度地面へ当てた。


「使い方、教わりに来たんだよ。最初は」


「それで、ずっと?」


「教わったら終わり、にならなかった。使う場所も、相手も増えりゃ、できねえこと増えるからな」


俺は顔を向けた。

今日、見せてもらった大きな獣と、今の言葉が、すぐにはつながらない。


「桐生さんでも、ですか」


「さっき、全部一人でやってたか」


道路側の人を神代さんが離していた。

俺が見えたところを伝え、桐生さんが動いた。

一人なら、同じ順番ではできなかったかもしれない。


「できること増えたら、一人でやりたくなるんじゃ」


「なるときもある。で、できねえことがあって戻る。別に格好いい話じゃねえよ」


信号が青になった。

桐生さんは歩き出し、俺も続く。


「だから、お前が分かんねえって言っても、それで終わりじゃねえ」


前を向いたまま、言われた。


「俺が分かることもある。逆もある。次、そこを合わせりゃいい」


俺は返事をしてから、もう一度前を見た。

大きな爪の位置は、思い出せる。

でも今日、覚えて帰りたいものは、その姿だけではなかった。


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