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球体世界の観測者 ~見えるだけの少年は、陰陽寮で世界の裏側を知る~  作者: 雅貴
第2章第5節

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第41話:見えたッ!?(当たるとは言っていない)

「今日は、見えたら避けて」


次の練習の日、ひかりさんは最初にそう言った。

俺は床の目印を見た。細いテープが三本。左右へ一歩ずつ出られる幅があり、その先には物を置いていない。


「簡単そうに聞こえますね」


「言うだけならね」


彼女は練習用の小さな当て物を、俺へ渡した。

胴へつけると、布越しに板の硬さがある。

神代さんが位置を確かめ、留める紐を直した。


「顔は狙わない。強く当てる練習でもない。今日は、どこで判断したかを確かめよう」


「見えなかったら?」


「そのときは止める。分からないまま動き続けないこと」


ひかりさんが、自分の手元を俺へ見せた。


「あと、昨日のは、私がいつもやってる基本の放出。発展の説明を抜き打ちで始めるわけじゃないから」


「ちょっと安心しました」


「安心したところで、まず見てるだけね」


俺は目印の中央へ立った。

向かいの壁には、受け止めるための板が置かれている。ひかりさんはその前で横へ向き、俺とは別の方向へ手を上げた。


伝力が寄る。

手元が強くなり、その先に薄い筋が出た。

次の瞬間、板が小さく鳴る。


「見えた?」


「はい」


「じゃあ、いつなら動けた?」


俺は答えようとして、口を閉じた。

見えたのは確かだった。でも、どこで動くつもりだったかまでは考えていない。


「もう一回、お願いします」


ひかりさんが同じ方向へ手を向ける。

俺は手元を見ず、板との間にある空間へ注意を置いた。

薄い筋。板の音。


「今度は、板へ行く前に分かりました」


「分かった、の中身」


「ここを通る、って」


俺が指で線を引くと、ひかりさんは眉を上げた。


「私、そこを描こうとはしてないけど」


「でも、出てます」


「そう見えるんだ」


彼女は自分の手を見た。

神代さんが俺の隣へ立ち、板との間へ視線を動かす。


「使っている側には、気にしなくてもできる部分がある。君が見ていることと、ひかりさんが意識していることは、同じとは限らないね」


「本人が考えてる先が見える、というわけじゃない?」


「それは、まだ言えない。今は、実際に力が動いていたことを見たんでしょう」


俺はうなずいた。

ひかりさんは手を下ろし、少し笑う。


「じゃあ、私が晩ご飯何食べたいかも分からないわけね」


「それは、普通に聞いてください」


「聞かれたら答える。今、麺」


神代さんが時計を見た。


「夕飯までには帰ろう。その前に、向きを変えて確かめるよ」


***


ひかりさんは、板の左、右、真ん中へ順番に放った。

俺は見えたところを声にする。


「左です」


板が鳴る。


「右」


また鳴る。

三回目、俺は真ん中、と言うのが遅れた。


「今の、音の後」


「手を見てました」


「見る場所を変えた?」


神代さんに聞かれ、はいと答える。

筋が見えるのを待つつもりが、気づけば手元へ力が集まるところを見ていた。

強いところは見つけやすい。戸田さんの器具と同じだった。


「全部、いっぺんに見ようとしない。今日は何を確かめる?」


「手元から、放たれる先へ向かう、薄いところです」


「じゃあ、そこへ戻そう」


やり直す。

眼鏡へ通す力を足さず、手元の強さを追わないようにした。

二回目、板の左を指したつもりが、声は右と言っていた。


「どっち?」


ひかりさんに聞かれ、俺は指を見てから答える。


「左。言い間違えました」


「自分だけ避けるなら足が合ってればいいけど、人に言うときは困るよ」


莉緒が首をかしげた顔が浮かんだ。

見えたことが合っていても、伝えた方向が逆なら、相手を間違った場所へ走らせる。


「声も出して、やっていいですか」


「うん。見えた場所と、言った場所。両方聞いてる」


俺は手を下ろした。

指で示しながら喋ると、指の方を見てしまう。言葉だけにしてみると、今度は方向を決めるのに少し迷った。

身体を動かす前の段階で、まだこんなにできないことがある。

それだけで筋が鮮明になる、というほど簡単ではない。ひかりさんの肩が動くと、そちらへ目が寄る。

見つけたと思ったときには、板が鳴った。


「今日は調子悪いです」


俺が言うと、ひかりさんが首をかしげた。


「今日から始めたのに?」


「……そうでした」


「できてたことが急にできなくなった、みたいな顔しなくていいじゃん」


神代さんも笑った。

俺は息を吐き、足の裏を床へつけ直した。

一回分かったことを、もう何度でもできるつもりになっていた。


次は、見えたところを指さすのをやめた。

声だけで短く言う。

三回続けて、板が鳴る前に答えられた。


「じゃ、避ける方へ移ろうか」


神代さんが床の目印を指した。

ひかりさんが俺の正面へ来る。

さっきまで横から見ていた手が、自分の胴へ向いた。


「真ん中へ、一回だけ。合図してからやる。どっちへ避ける?」


「右へ」


「自分で決めた方へ、一歩。大きく跳ばなくていい」


彼女が、いくよ、と言った。

手元が強くなる。

薄い筋が、俺へ伸びた。


見えた。


身体を右へ動かそうとする。

胸の当て物が、軽く鳴った。


「はい、一発」


ひかりさんの声がする。

俺は右へ出しかけた足を止めた。


「見えてました」


「当たってたね」


「見えて、右へ行こうと」


「うん。右へ行く前に当たった」


痛くはなかった。

でも、その言い方は痛かった。


神代さんが、俺の足元へ視線を落とす。


「何をしてから、動こうとした?」


「見て、来ると思って、右へ」


「その間、息を止めていたね。膝も固まっている」


ひかりさんが、俺の立ち方を真似した。

両足を踏ん張り、上半身だけ傾ける。


「これだと、足がついてこない。避ける方向、知ってたでしょ」


「知ってました」


「じゃあ、行く前に一回立ち止まらない」


言われたとおり、膝を固めない位置へ戻す。

予兆を見抜けば勝手に避けられる、という便利な話ではなかった。

通り道が分かっても、そこに自分が残っていれば当たる。


三回目で、ようやく当て物の端をかすめるだけになった。

五回目には、横を抜けた。


「避けた!」


声が出た。


「うん。今のは、よかった」


ひかりさんがうなずく。

俺は元の位置へ戻り、もう一回と頼みかけた。


「休憩」


神代さんに止められた。


椅子へ座ると、ひかりさんが隣の床へしゃがんだ。


「私の手、ずっと見てた?」


「途中から、あんまり。先に伸びる方を」


「足は?」


「ひかりさんの、ですか。見てなかったです」


彼女はうなずき、立ち上がった。

手元へ力を集めず、ただ一歩、俺の方へ寄る。

俺は椅子の上で反射的に後ろへ引きかけた。


「放出が来ると思って、ここだけ見てたら、歩いてこられるよ」


神代さんが、俺の当て物を確かめながら言う。


「だから今日は、放出だけの練習。相手が全部を使う戦闘とは分けている」


「これが見えるようになっても、全部避けられるわけじゃない」


「うん。絞って見れば、ほかへ向ける注意は減る。何を見る時間なのかを、自分で知っておこう」


俺は窓の外へ目を向けた。

遠くにいる人へ注意を移すと、ひかりさんの靴から目が離れる。眼鏡を強くしたら両方が全部分かる、とはならない。

前へ進んだ先で、別の穴も見つかるらしかった。


「今、何がよかったか話せるうちに止めよう。続けすぎると、当たらなかったことしか覚えていなくなる」


俺は当て物を押さえた。

さっきより早く脚を動かした。それだけでは、次に同じことができる説明にならない。


***


休憩の後、神代さんが紙を一枚持った。

小さく折られ、先だけ少し開いている。


「今度は私。紙を飛ばすけれど、途中で曲げたり、追いかけさせたりはしない。これも、まず見ているだけで」


「式神ですか」


「紙を使うけれど、今日は複雑な仕事をさせない。力を通して送り出すところだけ。さっきの放出と、同じ見え方になるとは限らないよ」


俺は床の線へ戻った。

神代さんの手元を見る。

紙へ、伝力が寄る。

ひかりさんよりも、細い。折り目に沿って巡ったあと、先端にたまった。


次だ。


俺は右へ足を出した。


紙は、まだ手の中にあった。


「牧瀬くん」


神代さんが俺の顔を見る。


「見ているだけ、だったね」


隣で、ひかりさんが吹き出した。

俺は元の場所へ戻る。


「すみません。来ると思って」


「どこへ?」


「俺の方へ」


「今、君を狙う話もしていないよ」


そうだった。

身体を動かせと言われたばかりで、動かないことを忘れていた。


「力が集まったので、次に飛ぶのかと」


「準備して、まだ持っていることもある。ひかりさんの手からすぐ出たからといって、同じとは限らない」


神代さんは手の中を見せた。

紙の先端には、まだ淡い色があった。


「それ、色が違うから、違う能力って分かるんですかね」


俺は紙と、ひかりさんの手を見比べた。

ひかりさんが自分の掌を開く。


「今、私の方は何もしてないから、比べるなら後で」


「あ、そうですね」


神代さんは紙を下ろし、俺が続きを聞けるように少し待った。


「これ、出そうとして、やめたら?」


俺が聞くと、神代さんは紙を持ち直した。

折り目へ薄い色が巡る。俺は外へ伸びるところを待った。

でも、先にたまったものが、手元へほどけて戻った。

紙は飛ばない。


「今のは、準備をやめたんですね」


「うん。始まったら必ず最後まで出す、とは限らない」


さっきの筋を覚えれば、次も決まった順番で起きると思っていた。

途中で変わるところまで見なければ、また早く動いてしまう。


「これも、何回か見ておきたいです」


「いいよ。今日は見比べるだけ。避けるときの条件は、まだ増やさないでおこう」


俺はうなずいた。

新しい違いを一つ見つけるたび、分かることと、練習することが同じだけ増えていく。


「同じ紙へ、同じように力を通したつもりでも、仕事を変えれば動きが変わる。色だけで名前を当てるより、何をしたときにどう見えたかを覚える方がいいんじゃないかな」


「じゃあ、手品みたいに、一回見て全部分かるのは」


「私には、そんなに簡単に分かってほしくはないけどね」


冗談めかして言われ、俺も笑った。

神代さんが普段やっている仕事は、紙をまっすぐ飛ばすだけではない。その人の一部を練習で見せてもらったからといって、神代さんの能力を理解したことにはならない。


「君には、ここから先の違いがまだ分からない。そこを、今から確かめよう」


俺はうなずいた。

自分に見えるものの意味を、一つ覚えただけで他にも当てはめようとしていた。


今度は、紙から目を離さない。

折り目へ力が通る。先へ集まる。そのまま止まる。

神代さんが何かを変えた。

薄い線が、紙の先から板へ向かった。


「今!」


紙が飛んだ。

板の手前で勢いを失い、ひらひらと床へ落ちる。


「一つ、違いが見えた?」


「はい。でも、何を変えたかは分からないです」


「それでいい。分かった部分と、まだ分からない部分を分けておこう」


神代さんは紙を拾い、俺から離れた位置へ戻った。

床に落ちる前から、ひかりさんは二枚目を持っている。

気づいて視線を向けると、彼女はひらひら振ってみせた。


「増やさない。今は一枚」


俺が警戒した顔をしたらしい。

神代さんまで笑った。


***


避ける練習になると、今度は早く動きすぎた。

紙を送り出す前に横へ出てしまい、その動いた先へ神代さんの手が向く。


「あ」


紙が、当て物へ触れた。

さっきのひかりさんの放出より、ずっと遅い。なのに、正面から受けてしまった。


「途中で曲げないって」


俺が言うと、神代さんは手の中を見せた。


「送り出した後は、まっすぐだったよ」


ひかりさんが、両手を小さく動かした。


「先に避けたから、そっちへ向けられたの」


分かっていたつもりなのに、納得できるまで少し時間がかかった。

俺は、自分が最初にいた場所を見た。

そこには、何も飛んでいない。


「じゃあ、動かなかったら」


「そのまま君へ向けたと思う」


「どっちにしても、来るじゃないですか」


「だから、いつ動くかを練習してる」


ひかりさんに言われ、俺は黙った。

神代さんは紙を拾いながら、声を少し柔らかくした。


「見えることは助けになる。でも、相手も君を見て動く。君が考えている間、相手だけ止まるわけじゃないんだ」


ヴェルネの剣を思い出した。

筋が見えても、次が分からなかった。

今の紙でさえ、俺が先に動けば向きを変えられる。


「まず、この紙の、この送り方を覚えるところからですね」


「うん。全部の放出を読めたことにはしない。見慣れた一つを増やそう」


俺は眼鏡を外した。

曇ってはいない。布で軽く拭き、掛け直す。

ひかりさんが床へ落ちた紙を拾った。

折り目を壊さないよう、先を持たずに神代さんへ返す。


「紙、替えると変わるんですか」


俺が聞くと、神代さんは二枚を並べた。


「紙が湿ったり折れ方が違ったりすれば、飛び方も変わる。今日はそこを増やしたくないから、状態を確かめている」


戸田さんの作業台が浮かんだ。

俺が見ている間、器具を変えずに待ってくれた。あれと同じで、教える側が条件をそろえてくれているから、一つずつ比べられる。


「俺、今、相当やりやすくしてもらってるんですね」


「うん。最初から何でも混ぜたら、何で当たったか分からないでしょ」


ひかりさんは紙を置き、床の目印を直した。

俺も立ち上がる。

手加減されているのが悔しい、と思う前に、その手加減の中で覚えられることが山ほどあると分かった。

目を休めると、さっきまで強く見ようとしていた場所が、少し離れて感じられた。


「次、いけます」


「あと三回。その後は記録を見よう」


神代さんが回数を決めた。

ひかりさんは横で、俺の足へ視線を置く。


最初は、早すぎた。

二回目は、予兆を見つけるのに遅れた。

三回目。折り目の先にあった流れが、手から離れる直前、外へ伸びた。


俺は一歩、横へ出た。


紙が制服の脇を抜ける。

当て物は鳴らなかった。


「今のは?」


神代さんに聞かれた。


「先に集まるところじゃなくて、その後。外へ伸びるところを待ちました」


「足は」


ひかりさんが聞く。


「固めないで、動けるように」


二人がうなずいた。

俺は息を吐いた。三回のうち一回。できたと言うには少ないけれど、何を変えたかは言える。


***


片づけをしながら、俺は戸田さんの器具の図を開いた。

濃くなったところ。戻る前。戻った後。

前は一つの絵に矢印を足していたが、今日は順番に分けて描いた。


ひかりさんが横から見る。


「敵の攻略図?」


「仕事の方です」


「あ、それもあったね」


俺は図の端へ、眼鏡、と書いた。

強くしすぎたときに見失ったもの。見たい場所を変えたときに分からなくなったもの。

器具の動きだけではなく、自分がしたことも並べる。


「これなら、同じにできたかどうか聞けそうです」


神代さんが、紙を覗いた。


「戸田さんに見てもらおう。ただ、君が良く見えたと思ったことと、器具が正しく動いたことは別だからね」


「はい。直ったって、勝手に言いません」


ひかりさんが床のテープを剥がす。

俺も当て物を外し、借りた物を戻した。


「次は、もう少し速くても」


言いかけると、ひかりさんはすぐ顔を上げた。


「できたの、最後の一回でしょ」


「そうですけど」


「じゃ、次も同じ速さ。たまたまじゃなくなってから」


返す言葉がなかった。

神代さんが手帳を閉じる。


「見る仕事へ行って、動く練習が増えたね」


「仕事の依頼って、宿題もついてくるんですね」


「全部がそうとは限らないよ。でも、次に使えるものが残る仕事だといいね」


俺は図を鞄へしまった。

眼鏡を掛けていても当たる。掛けているから気づけることもある。

どちらも今日、自分で確かめたことだった。


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