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球体世界の観測者 ~見えるだけの少年は、陰陽寮で世界の裏側を知る~  作者: 雅貴
第2章第5節

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第40話:眼鏡の持ち主も調整対象に含まれませんか

「牧瀬くんに、仕事の依頼が来ている」


黒江班長に呼ばれて、俺は椅子へ座り直した。

机の上に封筒がある。俺の名前が書いてあった。


「俺に、ですか」


「そう言った」


「ひかりさんたちに、俺がついていくんじゃなくて?」


「君に見てもらいたい物があるそうだ。ただ、受けるかどうかは内容を確かめてからにする」


黒江班長は封筒から一枚出し、こちらへ向けた。

依頼元は第5班。俺の眼鏡を調整してもらった店だった。


「壊してませんよ」


「誰も修理代の話はしていない」


隣で、ひかりさんが笑った。

班長に呼ばれる用事は、報告の不足か、今後の予定か、何かの注意だと思っていた。名前だけ書かれた封筒を見て、まず心配した自分が少し情けない。


「検査用の道具の調整補助。専門の修理を任せる話じゃない。君が見たものを、担当者へ伝える仕事だ」


「でも、どうして俺なんですか」


「外側へ行ったときの報告が、向こうの技術者経由で伝わったらしい」


ヴェルネの灯りを思い出した。

流れが途中で細くなるところを指し、図に描いた。部品の名前も、何を直せばいいかも分からなかった。


「俺、直してないです」


「そこは分かってる」


ひかりさんが、俺の顔を覗いた。


「見たことまで、なかったことにしなくていいんじゃない」


俺は紙へ目を落とした。

希望する日時と、対象の器具と、作業を行う場所が書かれている。予定を空けて待つ人がいるらしかった。


「授業のある時間には入れない。向こうにも、できることとできないことを説明する」


黒江班長の指が、時間の欄へ置かれた。


「断ってもいいんですか」


「内容を聞いた後でも、無理ならそう言えばいい。分からないものを分かったと言う方が困る」


それは、できないと言っても怒られないというだけの話ではなかった。

できるふりをしたら、次の誰かが間違える。


「行ってみたいです」


俺は答えた。


「じゃあ、まずは相談から。神代に日程を合わせてもらう」


ひかりさんが紙へ身を寄せた。


「眼鏡、ちゃんと拭いて行きなよ」


「いつも拭いてます」


「じゃあ、そのままで」


何でもないことのように返され、俺は眼鏡を直しかけた手を下ろした。

封筒を持って帰る。普通の授業の後に、別の班へ仕事をしに行く予定ができた。


***


第5班の店は、前に来たときより、入口に並ぶ軍手が増えていた。

棚の上には季節の掃除用品。修理受付の小さな札の前で、年配の女性が電気ポットについて相談している。

俺と神代さんは、その人が話し終えるまで待った。


「今日は、こっちの修理じゃないんだよね」


神代さんが俺の眼鏡を見る。


「班長にも、そう言われました」


「そんな顔をしていた?」


「してたかもしれません」


神代さんは笑い、売場の人へ用件を伝えた。

レジの横で、別の客が修理に掛かる日数を聞いていた。

受付の女性は伝票を確かめ、部品が届く日と、作業できる日が違うと説明している。


「届いたら、その日に直るんじゃないの」


客に聞かれ、女性は首を振った。


「届いた物の確認と、組み付けた後の確認がありますので」


俺は自分の眼鏡を思い出した。

前は、その場で掛けやすくなった。あれが店の仕事の全部ではない。

客は少し考えてから伝票を受け取り、いつ電話すればいいかを聞いた。女性は日付を書き、気をつけてお帰りくださいと送り出す。

俺たちを呼ぶ内線も、その後だった。


「特別扱いで先に通す場所ではないんですね」


小さな声で言うと、神代さんが売場へ目を向けた。


「ここを使う人には、それぞれ困っていることがあるからね。私たちも、頼んだ時間を守ろう」


俺は時計を確かめた。

約束の時刻より、少し早い。呼ばれるまで、受付票の棚の前を塞がない場所で待った。

奥から出てきたのは、袖をまくった若い男の人だった。片手に部品の入った皿を持ち、俺たちを見ると、慌てて別の机へ置く。


「第十一班の牧瀬くん? ありがとう、来てくれて。第五班の戸田晴です」


「牧瀬遼悟です。よろしくお願いします」


「神代です。今日は、作業の範囲を確認するところからで」


「はい。もちろん。あ、眼鏡はそのままで。今日はこっちが見てほしい方」


戸田さんは扉を開け、俺たちを工房へ通した。

前に眼鏡を直してくれた人は、外の修理へ出ているらしい。戸田さんはその人から、掛けた状態でずれにくくしたことも聞いていた。


「あの後、鼻のところは大丈夫?」


「はい。走っても、前ほど落ちなくて」


「よかった。そこがずれると、見たい場所もずれるからね」


壁際の作業台には、弁当箱くらいの器具が置いてあった。

灰色の箱に、丸い蓋。脇から細い管が二本出ている。その先が透明な小箱へつながっていた。

横には、検査中、と書かれた札がある。


「これは、微量の伝力を決まった形で送り出すための検査器。第六班で使ってる」


「診療所の?」


「そう。回復を補助する道具を調べるとき、その道具に流す力をそろえたいんだ。人によって毎回違うと、どっちが悪いか分からなくなるから」


俺は透明な箱を見た。

中に置かれた薄い板へ、淡い線が入っている。


「これを、人に使うんですか」


「こっちは検査用。今日は、患者さんも、治療する道具もつながないよ」


戸田さんが、透明な箱の蓋を指した。


「中身も練習用の負荷だけ。君に診断してもらう話じゃない」


そこで、神代さんの手帳に線が一本増えた。

俺は机の前へ座る。椅子の高さを合わせてもらうと、器具の蓋が目の少し下へ来た。


「エイリクさんから、細い流れをそのまま見られる子がいるって聞いて。普通は、確認用の力を入れて返り方を調べたりもするんだけど」


「それだと、分からないんですか」


「分かるところもある。でもこいつは、弱いところを見たいのに、調べる力を足すと調子がよくなるんだ」


戸田さんは、嫌そうな顔で箱を見た。


「人が見に来たときだけ、ちゃんとする?」


「……学校のパソコンみたいですね」


思わず言うと、戸田さんが顔を上げた。


「そう、それ。詳しい先生が来ると直るやつ」


神代さんも、そういうのはありますね、と笑った。

器具の故障が少し身近になったところで、戸田さんが小さな図を広げた。


「ただし、これは本当に直ったわけじゃない。弱いまま動かしたときの記録だけ、たまにずれる。そこを見たい」


「俺が、そこへ力を出さなければいいんですね」


「出して探さなくても見えるならね。眼鏡へ流すのは別。でも、器具へ触ったり、試しに流したりはしないで」


「分かりました」


「あと、見えないときは見えないでいい。こっちが聞きたいことへ、答えを寄せないで」


戸田さんは、図の端を重しで押さえた。

その言い方が真剣だったので、俺も頷くだけで済ませず、はいと答えた。


***


蓋を開けると、器具の中は丸い板が二枚重なったようになっていた。

細い溝がある。中央から外側へ向かい、途中で枝分かれし、また戻ってくる。

戸田さんが使うつまみを示すと、神代さんが椅子を半歩引いた。


「俺も離れた方がいいですか」


「最初は、その位置で見られるか試そう。近づけばいいとは限らないから」


戸田さんの返事を聞き、眼鏡へ伝力を通した。

流れが見える。

中央に薄い黄緑のような色があり、外へ進むところで、青を含んだ淡い色になる。色が何を意味しているかまでは分からなかった。


「見えました」


「どこが?」


「真ん中から、外へ」


「図の上で言える?」


俺は紙を指した。

戸田さんは器具ではなく、指した場所を見た。


「ありがとう。じゃあ、まだ何も変えない。変わったら言って」


俺は待った。

工房の奥で、何かを削る音がする。売場の呼び鈴が鳴った。時計の秒針が一周する間、中央の流れは同じだった。


「外側が、少し暗く」


「どっち側?」


「俺から見て、右です」


「ここね」


戸田さんが図へ印をつけた。

俺がもう一度目を戻すと、さっき暗くなった流れは元に戻っていた。


「直りました」


「僕は何もしてないよ」


「じゃ、直ったというか、見え方が」


俺は眼鏡へ少し強く力を通した。

中央が明るくなる。

溝が何本も重なり、さっき指した場所がどこだったか、一瞬分からなくなった。


「今、また見えなくなりました」


「器具は動いてる。何を変えた?」


「よく見ようとして、眼鏡に」


「力を足した?」


俺がうなずくと、戸田さんはつまみから手を離した。


「一回、止めよう」


器具の光が薄くなる。

俺も力を抜いた。

見えると言ったばかりなのに、仕事を止めてしまった。


「すみません」


「ううん。止めるために言ってもらってる。黙って適当に続けられる方が困る」


戸田さんは新しい紙を出し、俺の前へ置いた。


「最初、何を見た?」


「真ん中から外へ、流れてるところです」


「どこがいちばん強かった?」


「真ん中」


「じゃあ、見たいのはそこ?」


俺は答えられなかった。

強いところは、見つけやすい。それを見つけてから薄いものを追う癖がついていた。

外側が変わった気がすると、もっとよく見ようとして、目立つ中央まで強くしてしまう。


「見る場所を選ぶ練習は、したんです」


俺は言った。


「紙にある伝力とか、ほかの人の強いのに埋もれないように。だから、できると思って」


戸田さんは図を俺へ向けた。


「見つけるところまでは、できてるじゃない。今度は、変わる物を同じ条件で見続けたいんだ」


「選んだつもりで、選び直してる?」


「かもしれない。君が変わったところへ目を向けたとき、力の通し方まで変えていないか、そこも知りたい」


神代さんが、前に使った紙の練習の話をした。

止まった薄い伝力を選ぶことと、次々変わる流れを追うこと。俺の中では、同じ『見る』だった。

器具が細くなると、もっとよく見ようとする。そのたび、最初に選んだところからずれていたのかもしれない。


「じゃ、前の練習が駄目だったんじゃなくて」


「使う場所が増えたんだね」


神代さんの言葉に、少し息がしやすくなった。

最初からやり直すのではない。できたことの先で、別の困り方をしている。


「小さい文字を読むとき、紙全部を眩しくしたい?」


「したくないです」


「でも今、それに近いことになってるかもしれない」


戸田さんは、俺の眼鏡へ手を伸ばさなかった。


「眼鏡の方が分かるって言いたいんじゃないよ。君に何が見えてるか、僕には見えない。ただ、器具を変えたときと、君が変えたときの区別がつかない」


「俺が、見え方を変えてるから」


「そう。一緒に変えると、どっちのせいか分からない」


神代さんが机へ肘を置いた。


「前に、眼鏡の掛かり方を直してもらったね。あれで困ることが一つ減った。今は、使っている最中の話かな」


俺は鼻の位置を確かめた。

ずれていない。

道具がずれるせいにできないところで、自分がやっていることが揺れていた。


***


戸田さんは、もう一度だけ器具を動かした。

俺は力を足さず、外側の溝を見る。


「今、どっちへ流れてる?」


「右から……左?」


「断定しなくていい。どっちに見えたかで」


「一瞬、戻ったように見えました」


戸田さんは俺の言葉をそのまま書いた。

神代さんが、図へ時刻を添える。


「器具は止めないでください。もう一回、同じところを見たいです」


言ってから、勝手に頼んでいいのか心配になった。

戸田さんは頷いた。


「今の条件なら続けられる。でも、疲れたら言って。君を長く見させるための調整じゃないから」


外側の淡い流れを見た。

一度だけ、溝の端に色がたまる。

そのあと、中央の方へ細い筋が戻った。


「来ました。外から中へ、一瞬」


戸田さんの手が止まった。


「その前、何かあった?」


「少し、端が濃くなって」


「戻った後は?」


「細くなりました」


今度は、変化を順番に言えた。

戸田さんは器具を切り、透明な箱の数値を見た。それから図の同じ場所を何度か指でなぞる。


「このへん、調べる理由はできた。ありがとう」


「壊れてるところ、ですか」


「それは、これから。君が戻ったように見たのと、僕が故障だと判断するのは、別の話」


俺はうなずいた。

何でも分かった顔で、ここが悪いと言わなくてよかった。


「次までに、俺、何をすればいいですか」


戸田さんは工具を持ちかけ、そのまま置いた。


「君の眼鏡の使い方を、同じにできると助かる。僕が器具を変える間、君まで変わると比べられないから」


「力を、同じ量に?」


「それだけで済むかは、僕には分からない。何を見るかまで変わってるかもしれないし。そこは、いつも練習を見ている人にも聞いてみて」


神代さんが、俺を見た。


「やってみようか」


それは仕事の途中で宿題を出されたような気分だった。

でも、何のためにやるかは分かる。


帰る前、戸田さんが器具へ札を戻した。

検査中。使用不可。


「まだ、返せないんですね」


「うん。動いたから大丈夫、とは言えない。第六班には別の器具を回してるけど、それもいつまでもじゃ困る」


奥の机には、別の修理品も並んでいた。

戸田さんの内線が鳴った。

俺たちは椅子を引いて待つ。戸田さんは紙を一枚確認し、今日は返せないことと、代わりに回している器具の確認日を伝えた。

電話を置くと、少しだけ肩を回す。


「急ぎなんですね」


「うん。でも、急いでるのと、急に直せるのは違うから」


「俺のせいで遅れた分も」


「違う。分からないところを調べる予定で呼んだんだ。初めて来た人が何でも見つける前提で、返す日を決めたりしないよ」


戸田さんは、俺の図を記録の束へ重ねた。


「できるか分からないことを頼んだのは、こっち。今日見えたところを使って、続きは僕らが進める」


その束には、俺が来る前の日付もあった。

自分が呼ばれたところから始まった仕事ではない。まだ直っていないからといって、今日が全部失敗だったわけでもないらしかった。

俺が次の練習へ行っている間、この人たちは他の仕事をする。

それでも次の予定を空け、もう一度俺の報告を待ってくれる。


「今度は、何を変えたか、ちゃんと言います」


「それ、助かる。分からなかったら、分からなくなったところもね」


戸田さんはそう言い、今度は工具を持ち上げた。


***


第十一班へ戻ると、ひかりさんが椅子の背にもたれていた。


「どうだった?」


「眼鏡より、俺の使い方の調整になりました」


「いいじゃん。そこは買い替えなくて済むし」


「簡単に言いますけど」


俺は図を机へ広げた。

強いところを見てしまうこと。力を足すと、細いところを見失うこと。外へ流れた後、一瞬だけ戻るものがあったこと。

神代さんが、足りない順番だけ補ってくれた。


ひかりさんは図を見てから、片手を持ち上げた。


「じゃ、これも見る?」


彼女が伝力を寄せる。

手元が強くなる。その先に、薄い筋が一瞬伸びた。

俺が目を向けたときには、練習用の小さな板が軽く鳴っていた。


「今、先に出た」


「何が?」


「当たる前に、細いのが。そっちへ」


ひかりさんが、神代さんを見た。

神代さんは、まず道具を片づけよう、と言ってから立ち上がる。


「本当に見えたのか、何度か確かめよう。今の一回だけでは分からないから」


俺は頷いた。

外へ流れたものが戻る。起こるより前に、薄いものが伸びる。

別々のことなのに、同じ見落としをしていた気がした。


机を空ける俺の横で、ひかりさんが笑う。


「避ける方も、宿題に入れとく?」


俺は眼鏡へ触れた。

その向こうにいる人は、俺が答えるより前に、練習の場所を考えていた。


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