第35話:感謝の受け取り方にも練習が要ります
工房へ戻ったとき、リーネさんは入口で待っていた。
俺たちの服を見て、顔が変わる。
桐生さんの上着は裂け、俺の袖にも荷車へ擦れた跡があった。
「何があったの」
神代さんが、止めた荷物と、現地の担当者へ引き渡した人のことを話した。
まだ調べることはある。
神代さんは、いちばん先に誰も亡くなっていないと伝えた。怪我の確認をしている人はいるが、俺たちは歩いて戻れる。
リーネさんは、作業台へ置きかけた布を握り直した。
「そんな話に、なるなんて」
声は小さかった。灯りが直らないという相談から、剣や銃のある場所へつながるとは思っていなかったのだろう。俺も、最初の図を描いたときには想像していない。
ひかりさんが、破れたところを見せながら、大きな傷はないと答えた。安心させるために全部なかったことへはしない。引き渡した人の中には、事情を知っていた者も、言われて運んでいただけの者もいて、そこはこれから聞かれる。
リーネさんは椅子を出した。まず座ってと言われ、俺は鞄を下ろす。
足の裏から、石の道を踏み続けた感じが少しずつ抜けていった。
全部の部材が、今すぐ戻るわけでもない。
リーネさんは最後まで聞き、作業台へ手を置いた。
「じゃあ、私の直し方だけじゃ、なかったんですね」
エイリクさんがうなずいた。
確認できた品の中には、納入された物と記録が合わないものがあったという。
同じ外形でも、中の部材が違う。
技師の話を聞いて、俺は初めて見た灯りを思い出した。
目に見えたのは、流れが途中で途切れることだけだった。
誰が替えたか、何のために隠したかは、人と紙を調べないと分からなかった。
リーネさんは、俺へ顔を向けた。
「見てくれて、ありがとう」
その言葉を受け取る前に、自分の失敗を説明しておきたくなった。騎士の前で足が止まった。相手が遊んでいたことも分からなかった。実務者が来なければ、奥へ行けなかった。
それを聞けば、彼女はありがとうと言わなくなるのではないかと思った。
「俺、そんなに」
そこまで言うと、リーネさんは、椅子へ置いた俺の鞄を見た。
「描いてくれた図、使っていいんでしょう」
「はい」
「じゃあ、それが助かったの」
剣に勝てるかどうかを、彼女は聞かなかった。店で直す品へ何が起きたかを確かめる、そのために来た俺の仕事を言っている。
俺はもう一度、はいと答えた。
感謝されるために勝たなければいけない、と思っていたのは自分の方だった。
俺は返事が遅れた。
見ていた。
でも、騎士の前では、何もできなかった気がする。
「俺は、教えてもらったから」
「それでも、見てくれたでしょう」
リーネさんは、作業台の灯りをこちらへ寄せた。
今日はまだ直っていない。
ただ、また持ち主へ謝るだけで終わる品ではなくなっていた。
***
現地の人たちが、交換部材の確認に来た。
修理した品を持ってくる人もいる。
誰も、すぐに全部直せるとは言わない。
エイリクさんは、回収した部材の中から一つを選び、同じ外形の正常な品を並べた。
何が違うかを、持ち主にも分かるように説明する。数字や型の名を全部読ませるのではなく、使ったときに何が起きるかを見せる。
俺は横から、その変化を追った。問題のある方だけを見ていると、弱いから不良だと思ってしまう。正常な方も、使い方を変えれば、同じように一度は弱くなる。
違うのは、そのあとに戻るかどうかだった。
「最初の形だけなら、検査を通ることもあるんですね」
俺が聞くと、技師は頷いた。
「だから、どう使うかを知っておかないと。正常なときの動きを、使う人に聞く必要があるんです」
見る速さがあれば、それで全部を分かると思っていた。
今は、一度見たことを説明するために、誰かが毎日している動作を教えてもらっている。
自分の力を使うためにも、人の仕事へ目を向けなければいけなかった。
店の入口には、持ち込む品を置く場所が作られた。名前の札と、使えなくなった日を書く紙が並んでいる。
最初の客は、怒っていた。
「また預けろっていうのか。何度、同じ金を払えばいい」
リーネさんは、今すぐ同じ交換をする話ではないと説明した。部材の確認と、今使ってよいかどうかを先に調べる。
それでも、客の困る仕事は今日にもある。
エイリクさんが別の品を示し、確認できるまで借りられる物がないか、近所の工房へ聞くことにした。
「全部の代わりは、ないです」
助手の人が言った。
「ええ。だから、使う順番を聞いて」
男爵が命じれば何でも出る、という場所ではなかった。空いている道具を聞き、どの仕事で先に必要かを聞く。店の人も、客も、もう一度説明する。
事件が片づけば、困ったことまで一度に片づくと思っていた。
実際には、不正の説明がついたあとで、初めて頼める助けもある。
俺は入口の机を少し寄せ、次の人が品を置ける場所を空けた。
確認が済んだ物から、使ってよいものと、止めておくものを分ける。
机の右へ、止めた品を置く。左へ、今日は持ち帰れる物を寄せる。持ち主は、自分の物がどちらへ行くかを見ていた。
中には、右へ置かれた瞬間に顔を曇らせる人もいた。原因が分かっても、今日の仕事が遅れたことは変わらない。
リーネさんは、その人へ、直ると決まっていない日付を約束しなかった。代わりに、次にいつ連絡するかを決める。
「分かったら、じゃなくて、その日に一度教えて」
客が言った。
「分かっていなくても、今どこまで見たかを知らせて」
リーネさんは頷いた。
俺は、帰る連絡を求められたときのことを思い出した。無事なら何も言わなくてよいわけではない。待つ人には、待つための情報が要る。
その人が店を出ると、リーネさんは札へ日を書き足した。作業だけでなく、知らせる仕事が増えている。
その説明は、エイリクさんたちの仕事だった。
俺は横で、図を描いた。
見たいものを並べてもらい、名前を聞いてから番号を振る。
同じ灯りでも、持ち主と使う時間が違う。夜の細工に使う物、暗い倉庫の棚を探す物、家へ持ち帰る物。
俺は、一つの種類として見ていた道具に、それぞれ使う人がいることを、紙の余白で知った。
「これは、台所で使うんです」
年配の女性が言った。持つところへ、布が巻いてある。
「熱いからですか」
「手が滑るから。前は巻いてなかったけど、年を取るとね」
女性は笑った。俺は自分の眼鏡の鼻当てを思い出した。道具の機能だけではなく、使う身体に合わせて直すことがある。
リーネさんはその布を外さず、必要なところだけ覆いを開けた。持ち主が使いやすくした部分を、邪魔な物として捨てない。
俺は眼鏡へ通し、調べる箇所を見た。起動を使う間は短くして、図を描くときには止める。
身体も、目も、ずっと同じ作業を続けられるわけではなかった。
見えた位置を、次に作業する人へ渡す。
ひかりさんが、作業台の端の荷物をずらしてくれる。
桐生さんは入口で、人が重ならないよう声をかけていた。
途中で、手が止まった。
目の奥が重い。
紙へ描く線が、少し曲がる。
「そこまで」
ひかりさんが俺の筆記具を机へ置いた。
「でも、あと一つ」
「あと一つが、続いてる」
俺は椅子へ座った。
リーネさんが、飲み物を置いてくれる。
味は、知らないものだった。
熱いことは分かるので、少し待った。
誰かが俺へ何かをしてくれるたび、申し訳なくなる。
強くなりたくて来たのに、椅子も、飲み物も、帰る道も用意してもらっている。
桐生さんが横へ座った。
俺の紙を見てから、門であったことを聞いた。
「まだ、あっちにいる顔だな」
俺はうなずいた。
「足、止まって。見えても、言うのが」
「遅かったところはあった。俺も言った」
否定されなかった。
少し、喉が詰まった。
「でも、荷車のとこは使えた。あれで止めた」
「騎士には」
「勝てなかった。それと、誰も助けられなかったのは、別だろ」
桐生さんは、俺の紙へ指を置いた。
部材の流れと、車輪の位置。
両方が、そこに残っている。
俺はすぐにはうなずけなかった。
でも、紙を丸めてしまうことも、できなくなった。
桐生さんは、机の上の図を指でずらした。荷車の車輪へ描いた丸と、作業員の立っていた位置が近づく。
「ここで、こっちが動いた。お前が言ったから、俺が足を置けた」
俺はうなずいた。
「門は、俺も詰まった。ひかりがいるから、お前が何しても通れた、って話じゃねえ」
言われて、彼の裂けた上着を見た。自分の失敗を数えている間に、ほかの人が何をできなかったかを全部見ていたわけではない。
「お前だけに、負けた顔をされると、俺がもう勝ってるみてえだろ」
少しだけ、いつもの口調になった。
俺は返事を探し、やっと、すみませんと言った。
桐生さんは肩をすくめる。
「謝るとこでもねえ。次、ああいう道で動くときに覚えてろ」
彼は飲み物を取り、自分の分を一口飲んだ。俺の分には手を伸ばさない。
顔を上げると、まだ店の入口に客がいた。あの人たちへ、騎士に勝てなかったので何もできませんでしたとは言えない。
できたことを話すのは、自慢だけではないのかもしれなかった。
***
少し遅れて、ヴェーガンさんが来た。
入口で、連れてきた部下へ仕事を渡す。
彼自身は、机の端へ座った。
銃は見えない。
上着の襟は、朝と同じように曲がっている。
切れた裾も、そのままだった。彼は直す前に、こちらの確認へ来ている。
リーネさんが縫える布を探そうとすると、今はよいと手を上げた。
「外へ出ると、引っかけます」
言われてから、彼は自分の裾を見る。
少し黙り、では端だけ、と答えた。彼女が短い糸で留める間、彼は座ったまま通信を聞いていた。
強い銃を使う人も、切れた服は自分で元へ戻せない。
リーネさんはそれを特別な恩にはせず、できたら立ってよいと伝えた。
ヴェーガンさんは礼を短く言った。命令と報告ばかり聞いていたので、その声は少し意外だった。
「報告の追加だ」
神代さんへ紙を渡す。
逃走した傭兵の契約と、実際に命じられたことも調べるという。
逃走を止めたから、誰もが同じ罪になるわけではないらしい。
ひかりさんが、あの場所で作業員を巻き込んでいたことを伝えた。
ヴェーガンさんは短く返事をした。
「聞く。だが、使われた部材を全部止める方が先だ」
住人が困ることは、彼も知っている。
それでも、直す前に止める物がある。
「止め方を間違えると、仕事できなくなる人が増えます」
エイリクさんが言った。
男は、技師へ顔を向けた。
「危ない品を回したままにもできない」
「だから、確認の順番を合わせたいんです」
二人は、紙を間へ置いた。
どちらかが相手を黙らせるのではない。
困る人が増えることと、危ない物を残すことを、同じ机で扱っている。
俺はそれを見ていた。
助けてくれた人が、全部優しい人だとは限らない。
厳しい人が、暮らしをどうでもいいと思っているとも限らない。
外側の人間は、とまとめるのが、少し難しくなった。
***
帰る前、リーネさんが店先へ出た。
近所の職人が、一つ道具を持ってきている。
確認できた部材を使い、店の中で調整してもらったらしい。
「今日は、動いた」
職人が、そう言った。
リーネさんは、急いで受け取らず、どの作業で使ったかを聞いた。
持ち主は少し手を動かし、細い部品を挟むときと、端を磨くときを説明した。俺には名前の分からない仕事だった。
でも、話す手つきは、さっきまで店で謝っていた人たちとは違った。できなかったことではなく、できたことを説明している。
「じゃあ、もう少し様子を見て。止まったら、無理に通し直さず教えて」
リーネさんが言うと、職人は頷いた。次の客へ道を空け、そのまま近くの店へ声をかけていく。
動いたことを、ほかの人にも伝えたかったのかもしれない。
俺はその背中を見た。町が上を向くというのは、一度に全員が笑うことではなく、こういう小さな報告が隣へ渡ることなのかもしれない。
説明を聞き終えると、リーネさんの顔が、やっと少し明るくなった。
通りの向こうで、小さな作業音がした。
前の訪問では聞こえなかった音だった。
止めていた仕事を、始められた人がいる。
町全部ではない。
それでも、窓が一つ開いた。
「見せたいものが、増えるといいですね」
リーネさんが言った。
俺は彼女の顔を見た。
初めて会ったときは、戻ってきた灯りを持って、下を向いていた。
今も疲れている。
でも、俺が図を描いた紙を隠そうとはしなかった。
「また来たら、動いてる方を教えてください」
自分の口から、また来るという言葉が出たことに、少し驚いた。
今日のうちに帰りたいと思った時間は何度もある。門の前へもう一度立てと言われたら、足が固くなると思う。
それでも、この町へ来る理由が、あの剣だけにはならなかった。
壊れていない灯りを見て、その下で何を作るのか聞きたい。技師の工房で、急がず昼を食べられる日もあるのか、知りたかった。
リーネさんは、俺の図を作業台の奥へしまった。次に使えるように、他の紙と混ざらない場所へ置く。
俺が帰っても、ここで仕事は続く。
その当たり前のことが、外側という言葉でまとめていたときより、ずっと具体的に見えた。
口にすると、彼女はうなずいた。
「壊れたものだけじゃ、つまらないからね」
彼女は店の奥へ入り、小さな留め具を持ってきた。商品ではなく、自分の作業台で使っている物らしい。
指先で軽く伝力を通すと、細い部品が台へ止まる。
「これがあると、両手を空けられる。大きな機械じゃなくても、これぐらいの物が働いてくれると助かるの」
俺はその動きを見た。戦うために固定していた作業員の道具を思い出す。
似た機能でも、使う場所が違う。
人を閉じ込めるためではなく、細かい物を落とさず直すために使う。
「ずっと、同じのを?」
「壊さないようにはする。なくすと、手が覚えてる分を、また別の物に合わせないといけないから」
リーネさんは留め具を台へ戻した。俺も眼鏡を一度だけ触る。
もっと強い物がほしいと思っていた。今ある物で何をしているかを知ることも、その先につながるのかもしれない。
俺は、その言葉を覚えておこうと思った。
***
帰還する場所へ向かう途中、ひかりさんが俺の横へ来た。
手前の角で、一度だけ止まった。店から借りた布を、俺が鞄へ入れたままにしていた。
戻ろうとすると、神代さんがリーネさんへ連絡を入れ、取りに出てもらえるか確かめる。すぐ近いからと、勝手に列を離れない。
彼女は店先から歩いてきた。
「そのままでも、よかったのに」
「借りたまま、持って帰るところでした」
俺は畳んだ布を渡した。眼鏡の汚れを拭いた、普通の布だ。特別な品ではなくても、人の仕事場から受け取った物だった。
リーネさんは受け取り、帰り道を気をつけてと言った。
外側の人に、現世へ帰る道を心配してもらう。その言い方が、少し不思議で、少し嬉しかった。
俺はもう一度礼を言い、みんなのところへ戻った。
「今日の顔、ずっと暗い」
「悔しかったので」
「なら、帰ってからやる」
俺は顔を上げた。
「また、練習を」
「見る。目の方だけじゃなくて、足も。見てから、動けるように」
彼女は自分の棒の袋を持ち直した。
「起動を覚えたばっかりで、相手が発展を使ってる。そこで、自分だけ全部できると思わない」
「ひかりさんは、できてました」
「私は、もっと前からやってるから」
少し自慢するような口調だった。
でも、あの騎士へ負けていないと言い張るためではなかった。
積んできた時間が違う、と言っている。
「同じ場所なら、もっとやりようはある。だけど今日は、あの人へ渡した方が早かった」
ヴェーガンさんが来たとき、彼女も奥へ行った。
俺を守るためだけではなく、別の場所を止めるためだった。
「次は、今の自分でできることを、増やしておけばいい」
ひかりさんは先へ出た。
俺は、一歩だけ歩く速さを合わせた。石の道では、靴の音が二つ重なる。
強い人と並んでいると、自分も同じように動けると思いたくなる。今日の門は、その勘違いをはっきり壊した。
それでも、この人が隣へ戻ってきて、次の練習を話してくれたことまで失ったわけではない。
俺は、お願いしますと答えた。
ひかりさんは振り返らず、うん、と短く返した。
俺はその後ろを歩いた。
励まされたから、悔しさが消えるわけではない。
帰ったら何をするかは、少し決まった。
認証具を出し、帰還の確認を受ける。
許可された町を出るのは、指定の経路からだった。
管理局への連絡も済んでいる。
柱の間を通る前、俺は白い屋根を振り返った。
綺麗だった、とだけ言う町ではなくなっていた。
声と、作業音と、俺の図を待ってくれた人がいる町だった。




