第34話:後片づけまでが逃走阻止です
現地の担当者が到着した。
先に来た人は、裏道へ入る前に、出ていく作業員とぶつかりそうになった。神代さんが手を上げ、互いに少し待ってもらう。
戦いが止まっても、人の動く向きは揃わない。
荷車の向こうからは、オルセンの声が続いていた。自分の名前を名乗り、相手の上役を呼べと言っている。
担当者は名前を聞いたうえで、今ここにいる人が確認すると答えた。
強い声へ強い声を返さず、必要な距離を保って近づいてくる。
俺は、ようやく道具を下げた。見ている人が増えたから、全部をやめていいわけではない。でも、自分一人で立つ場所を塞ぎ続ける時間は終わりかけていた。
最初に、作業員の無事を確かめる。
次に、オルセンへ名乗り、杖を置くよう指示した。
「私の物だ。奪うなら、弁償を」
男が言いかける。
担当者は、話は別の場所で聞くと答えた。
神代さんは、何が起きたかを短く伝える。
俺も、自分が見た杖と車輪の流れを話した。
質問されると、最初は起きたことを最初から話そうとした。門で戦って、裏へ来て、荷車が動いた。
担当者は一度待ち、今確かめたいことを示した。
「杖が触れたときと、そのあと。どちらで動いたかを」
俺は荷車へ目を戻した。相手が杖を振ったとき、全部が同じように動いたわけではない。通っていた線が途切れた車輪と、まだ続いていた車輪がある。
ノートへ二つの丸を描き、それを指した。
「俺が見たのは、こっちが先に切れたところです。動き始めた瞬間は、全部を一緒には見てません」
言い終えると、担当者は同じ場所を別の人にも聞くと言った。
足りない話だと思っていたが、足りないところをそのまま渡すことも必要らしかった。
能力の種類を決めつけるのではなく、どこへ触れ、どこが動いたかを言う。
オルセンは、こちらを見た。
「お前は、見ていただけだろう」
オルセンは、俺の手に武器がないことを見ていた。眼鏡を使っても、相手を殴ったり、荷車を壊したりはしていない。
自分が倒した、と胸を張れる相手はいなかった。
「その目で、何が分かる。中の物の値段も、仕事の数も知らないくせに」
俺は、値段は知らない、と言いかけた。
知らないことを並べられると、今日の仕事まで小さく感じる。
でも、リーネさんが直した品の流れは見た。箱を持った人が逃げ道を塞がれたのも、荷車を動かした杖も見た。
全部を知っていなければ、何も言ってはいけないわけではない。
返事をしようとしたところへ、桐生さんが入った。
その言葉が、胸へ入った。
俺は一瞬、返せなかった。
自分でも、そう思っていた時間がある。
桐生さんが男と俺の間へ立った。
「見てた奴が言ったから、止められたんだよ」
短く言い、現地の担当者へ道を空ける。
男は別の言い訳を始めた。
今度は、検査担当が勝手にやったと言っている。
その声を聞きながら、俺は荷車の車輪へ目を戻した。
誰も通していないと、普通の重い車輪だった。
強い能力がなくても、何を動かすかによって危ない。
その人が何を考えて使うかも、同じぐらい関係する。
***
担当者の一人が、荷車の箱を開けようとした。
オルセンは、急に声を大きくした。
「それは、客から預かった物だ。触れば、品物を壊すぞ」
エイリクさんへ確認の連絡をすると、箱の札の型は、回収した部材の一つだという。
ただし、中身まで同じとは言えない。
担当者は、箱へ書かれた番号を記録してから、開ける作業を別の人へ頼んだ。
誰がどこで見た物かを、混ぜないようにしている。
俺は横で、自分の図を出した。
リーネさんの灯りの部材。
送り側の設備。
現世の倉庫。
同じように見える外形と、違う流れが並んでいた。
「全部、この人が替えたんですか」
神代さんへ聞くと、首を振った。
「そこは、まだ決めない。替えた人、記録を変えた人、物を売った人。それぞれに聞くことがある」
さっきの作業員が言っていたことを思い出す。
検査担当の人が悪い。
資材を回した人が悪い。
その中に、本当のこともあるのかもしれない。
だからといって、人を前へ押し出したことが消えるわけでもない。
俺は図を一枚ずつ離した。
担当者は、その順番で説明を聞いた。作業員が交換した部材の記録と、検査担当が正常と書いた紙。資材の人が回収して処分したという箱。
一枚だけなら、不具合や書き損じで通ることがある。別々の紙へ同じ物を置いていくと、どこで違った物になったかを尋ねられる。
俺は初めて、この人たちが複数でやる意味を少し理解した。一人で部材を抜くだけなら、その先の誰かに気づかれる。交換した人も、検査する人も、帳簿を直す人も同じ方を向けば、使っている人の方が悪いことにできる。
「リーネさんは、同じように使っても壊れるって言ってました」
俺が言うと、担当者が顔を上げた。名前と店を聞かれたので、神代さんへ確かめてから答える。
彼女の言ったことを、俺の説明に置き換えず、本人にも聞いてもらえるようにした。
若い作業員が、鞄を受け取ってこちらへ来た。
手が震えている。
男は、どこへ座ればいいかも担当者の顔を見て確かめた。椅子を示されるまで、鞄を持って立っている。
神代さんは、急いで話さなくてよいと伝えた。
俺は近くの箱の蓋へ目を向ける。作業員がさっき立っていた場所と、荷車が滑った跡が重なっていた。
もう少し遅ければ、この人が挟まれていたかもしれない。
戦いの最中は、道の上の人として見ていた。今は、一人の顔として見える。
「手、痛いですか」
聞くと、男は驚いたように俺を見た。そうではないと首を振る。鞄の紐を握り続けていただけだったらしい。
俺は、変なことを聞いたかと思った。でも、彼は指を一度開き、膝の上へ手を置いた。
神代さんが、座れる場所へ案内した。
「俺、運べって言われただけで」
若い男は、誰も聞く前から話し始めた。
「中身、見てません。紙も、持ってこいって。いつも、そうだから」
現地の担当者が、名前と今日の指示を聞いた。
彼は答え、その途中でオルセンへ目を向ける。
男は、別の担当者と話していた。
声だけがこちらへ届く。
「仕事を失って困るのは、あいつらだ。私が、雇ってやっている」
若い男の手が、鞄の紐を握った。
俺はその手を見て、言い返したくなった。
若い男は、聞こえなかった顔をした。鞄の紐が、指へ食い込んでいる。
神代さんは話を止めず、今日どこから荷物を運んだかを尋ねた。答えられることへ戻している。
男は少しずつ説明した。朝、名前を呼ばれた。箱を渡された。表の人が来たら、裏へ動かすよう言われた。
普段と違うと思ったところはあった。でも、聞き返すと仕事を替えられるかもしれないので、言わなかったという。
俺は、全然違う場所の話なのに、学校や店で黙ってしまうときのことを思い出した。
同じだと言えば、軽く扱いすぎるのかもしれない。
それでも、外側の人間だから怖がらないわけでも、何でも分かって働いているわけでもなかった。
雇っているから、怖がらせていいわけではない。
でも、自分の怒りで彼の話を止めたくもなかった。
椅子の横へ、落ちた布を拾って置く。
神代さんが、俺へ小さくうなずいた。
***
荷車を止めた場所には、細い傷が残っていた。
杖で押したところ。車輪が擦れたところ。
俺は担当者に聞かれ、その順番を説明した。
分かるところと、分からないところを分ける。
全部を自分で見たことにはしなかった。
ひかりさんは、棒へついた粉を拭いていた。
桐生さんは裂けた上着の下を確かめる。
怪我がないことを、神代さんへもう一度伝える。
戦いが止まったら、こちらの状態も確かめる必要がある。
「眼鏡、どうだ」
桐生さんが聞いた。
俺は掛け直さず、目を閉じて開いた。
「ちょっと、重いです。今は通してません」
「それでいい。見なくていい間まで、見ようとすんな」
相手の杖が落ちてからも、俺はしばらく追っていた。
また動いたら困ると思ったからだ。
今は、杖を扱う担当者がいる。
自分だけで最後まで見ていなくてもいい。
俺はケースを出しかけ、やめた。
普通に掛けている分には、道が見える。
神代さんは、帰還の予定を確かめた。
引き渡しの確認を済ませる時間がある。
それでも、全部の調べをここで待ってはいられない。
担当者へ連絡先を渡し、追加の確認は第2班を通してほしいと伝えた。
「続きを聞かれたら、帰ってから答えてもいいんですね」
「うん。君が見たことは、君に確かめてもらう。ただ、今日の仕事を全部抱えたまま帰る必要はない」
鞄の口を開くと、母さんに渡された包みが見えた。
まだ、昼に食べたあとの容器を戻したままだった。
食事のあとに、こんなに走るとは思っていなかった。
手を洗える場所を聞くと、作業員が壁際の水道を指した。
水は冷たかった。
指へついた石の粉が流れる。
揉めている男の声は、まだ聞こえる。
それでも、自分の手から離れた物が、少しずつ増えていた。
水を止め、布で拭く。
近くの窓へ、自分の上着が映った。袖の端が乱れ、裾には細かい埃がついている。
桐生さんの肩の裂け目へ、改めて目が行った。
「それ、直りますか」
「服はな。次に同じとこへ刃を通すなよ」
俺は返事が小さくなった。
彼はそれを見て、少しだけ口元を動かす。
「お前のせいで切れた、って全部まとめんな。俺も、最初の曲がり方を読み切ってねえ」
自分だけが何も分かっていなかった、と思っていた。彼にも初めて確かめたところがあったらしい。
ただ、そのあとに動ける速さが違った。
失敗しない人と、する人の差ではなく、起きたことから次を変える速さの差なのかもしれない。
俺はノートを出さず、その言葉を覚えておいた。
次に走れと言われても、今なら足を出せるかもしれない。
でも、走らなくて済む帰り道なら、その方がよかった。
俺は図を鞄へ戻した。
証拠を自分で持って帰るのではなく、見たことを、次にも話せるように残す。
そのために、誰の言葉かも横へ書いた。俺が見たところは図、担当者から聞いたことは短い文にする。自分の目で確かめたように混ぜてしまうと、後から聞かれたとき分からなくなる。
担当者が紙へ書く間、少しだけ待つ時間ができた。男の大きな声は遠くへ移り、裏道には荷車の軋む音が残っている。
ひかりさんが、空になった通路を見た。
「今なら、広いね」
何も動いていなければ、人が二人並べる道だった。さっきは、どちらへ出ても塞がるように感じていた。
物の重さと、そこに立つ人と、動き出す向き。それがあるだけで、同じ道が違う場所になる。
俺は返事をして、壁へ残った車輪の跡を見た。
起動を使わなくても、今なら分かる跡がある。戦っている最中にそれを見る余裕を、どう作るかが次の練習になるのだろう。
ノートの端には、まだ門で止まったときの線が残っていた。剣の曲がる形を、頭から消さないうちに描きたくなる。
でも、今は荷車と、戻る部材の図だ。
どちらも覚えておきたくて、手が止まる。
神代さんが、先に提出する物を指した。
「こっちは、今日の人が待っている。自分の練習に使う図は、あとで」
俺はうなずいた。記録しておきたいと思うもの全部が、同じ急ぎ方ではなかった。
その違いが、少しだけ分かった。
***
門の方から、ヴェーガンさんの通信が来た。
傭兵は戦場を離れたという。
ヴェーガンさんと短く交戦したあと、割に合わないと言って退いたらしい。
追跡する人と、荷物を押さえる人は、分けている。
俺は、倒したとは言われなかったことを聞いた。
ひかりさんも、棒を袋へ戻さず待っている。
相手が戦わなくなったなら、それで仕事が進むこともある。
勝てなかった自分は、まだ悔しい。
でも、向こうの人が勝つことだけを目的にしていなかったのも分かった。
少しして、ヴェーガンさんが裏へ来た。
袖に石の粉がついている。
銃はしまわれていた。
「止めたな」
その一言に、俺は顔を上げた。先ほど門で何もできなかったことを知っている人から、奥の仕事について言われた。
言い訳したくなる前に、神代さんが報告を始めた。
俺も、見ていた車輪の位置を短く添える。
ヴェーガンさんは頷き、次の担当者へその場所を示した。
悔しさを説明する時間ではなかった。でも、止めたことを、なかったことにされる時間でもなかった。
神代さんが、オルセンと荷物の引き渡しを報告する。
男はうなずき、壊れた箇所を見る。
「部下が来る。触らず、そのまま渡せ」
ひかりさんが、荷車へ挟まれかけた作業員のことを伝える。
ヴェーガンさんは相手の名前を聞き、担当者へ呼ぶよう指示した。
感謝より先に、確認が続いた。
***
屋敷の入口へ戻ると、ハルヴァルさんの姿はなかった。
門の柱に、剣が擦れた跡がある。石壁には、弾の食い込んだ場所が二つ見えた。
ヴェーガンさんが、担当者へ傭兵の特徴を伝えている。
「捕まえて、ないんですか」
俺は言ってから、失礼だったかと思った。
彼は怒らず、俺の眼鏡を一度見た。
「逃げた。人のいる方へ寄ってな。そっちを撃ってまで、今、足を止める理由はなかった」
強い人なら倒せる、とどこかで思っていた。実務者が来れば、あの剣も終わると。
実際には、相手が戦う理由をなくして退いた。
「仕事が終わったってことですか」
「金にならなくなった、だろう。雇い主を守りきる契約のつもりではなかったらしい」
彼は切れた上着を見た。
裾の端は、真っ直ぐに切れていた。銃が来たからといって、剣が届かない人だったわけではない。
俺がそこを見ていると、ヴェーガンさんは上着を払った。
「服で済んでいる。そこは、計算する」
「全部、分かって避けたんですか」
「分からない分があるから、同じ場所へ立ち続けない」
返事は短かった。見えるなら全部読めるだろう、と言われないことに少し救われる。
彼は、神代さんへ次の連絡先を伝えた。追跡の人員は別に動く。ここで誰がどこを見たかは、必要に応じて聞かれる。
傭兵が逃げたことを、終わった話にはしていない。でも、逃げた一人を追うために、回収した物と町の人を放り出すこともしない。
俺は、どちらを優先するかを選ぶことも、強い人の仕事だと知った。破れた端が、歩くたび少し動く。
「お前らを相手に、遊ぶ余裕はあった。俺と最後までやって、剣を潰す金は、出ていなかった」
あっさりした言い方だった。
俺は門の前へ立った。自分が止まった位置が分かる。そこから見ていた相手は、勝つために急いでいたわけですらなかった。
胸の奥が、さっきとは違う形で痛くなった。
桐生さんが、隣へ立った。
「その顔、あとでやれ。今の分、報告したか」
俺はうなずいた。
ヴェーガンさんは、傭兵の行方は引き続き調べると神代さんへ伝えた。逃げたから関係がなくなるわけではない。ただ、町の部材を戻す仕事より先に、全部の人を一人の後ろへ回さない。
ひかりさんは俺の肩へ触れた。
「今は、戻る準備。悔しいの、なくせとは言ってないから」
俺は図を鞄へ入れた。
事件の終わりは、気持ちが落ち着いたときには来ない。
門の向こうでは、壊れた金具を確認する人がいた。撃たれた場所へ、目印を置いている。
俺はそこへ近づかず、通ってよい側を尋ねた。ヴェーガンさんが片方を示す。
「この辺は、まだ仕事が残ってる。先に、町へ戻れ」
帰るよう言われると、置いていくような気持ちになった。全部を始めたわけではないのに、全部終わるまでいないと申し訳ない気もする。
神代さんは、現地の担当者と次の連絡を合わせていた。こちらが帰っても、途切れないようにしている。
「君の見たことを聞きたいときは、ちゃんと来る。逃げて帰るわけではないよ」
俺へ言ったのか、手続の話をしていたのか、少し分からなかった。
でも、門から離れる足は、さっき裏へ走ったときより落ち着いていた。
悔しかったことと、ここでやる仕事が終わったことは、同じ場所へ置かなくてもよいのかもしれない。
帰るために確認することを、もう一度ノートで見た。
神代さんが、町の工房へ戻るまでの道を現地側へ伝えた。途中の確認が必要なら、こちらから連絡する。
ひかりさんは棒をしまう前に、表面の傷を見た。桐生さんも道具の先を確かめる。使い終わった物を、ただ袋へ戻すわけではない。
俺は眼鏡を外し、布でレンズを拭いた。片方の端へ小さな汚れがある。見える景色が暗かったのは、疲れだけではなかったかもしれない。
拭いて戻すと、通りの白さが少しはっきりした。
町は、まだいつものように動いている。戦いをしていた裏道から一本出ると、荷物を抱えて家へ向かう人がいた。
何も知らないのだろう。その人が知らずに歩けることも、今日止めたものの一つの結果なのかもしれなかった。




