第33話:雇い主の鏡、最後まで他人をこき使いますねぇ
荷車の車輪へ、伝力が通っていた。
俺は眼鏡を起動し、軸の周りだけを追った。
荷台の上に積まれた物が、視線の半分を隠していた。全部を一度に見ようとすれば、箱へ残った薄い伝力と、車輪へ通る新しいものが重なる。
俺は、下の隙間へ位置を合わせた。
右の車輪と、杖の先が同時に見える。左は、荷物の陰だ。
見えない方まで同じように動くと決めず、右だけを先に報告する。
「反対は」
桐生さんに聞かれ、隠れていると答えた。
彼は空の荷車の横へ入り、見える位置を変える。俺自身が走り回らなくても、向こうで見ている人がいる。
神代さんが、二人の声を受けて道を空けた。
戦いの途中でも、見えないところを言ったせいで全部が止まるわけではなかった。
オルセンの杖から渡った流れが、荷車を動かすために残っている。
さっきの板とは違う。
杖を離してからまで、自分で進むようには見えなかった。
「車輪に、通してます。今も、杖から」
神代さんが、作業員を離したところで返事をした。
桐生さんは男の右へ回る。
ひかりさんは左に立ち、俺を後ろへ置いた。
オルセンは、荷車の向こうへ下がった。
箱を挟めば、こちらはすぐに触れられない。
道具の段階より、置いてある物の使い方だった。
男がこちらを押し返そうとした荷車には、荷物の重さがある。ひかりさんなら強く止められるとしても、その上の箱までは急に止まらない。
桐生さんは、正面へ立つのではなく、車輪の先を見た。
「こっちへ回すな。人を下げてから」
神代さんが作業員へ指示を出す。裏の扉へ歩く人が、どこを通ればいいか迷っていた。
ひかりさんが壁の方を示し、荷台を挟んだ反対側へ下げる。
その間、俺は杖の先を追った。男が手首を返すと、進む向きがわずかに変わる。
荷車が本人を守る盾になるだけではない。人を避けるこちらの足を、別の場所へ動かすためにも使われていた。
「触るな。それは町の仕事に必要な物だ」
男の顔には、少し余裕が戻っていた。
こちらが困る物を置くほど、自分へ近づきにくくなると気づいたらしい。彼は、積んでいた小さな箱を手でずらした。
倒すのかと思って目を向けると、荷車の端へ置いただけだった。
半分外へ出ている。少し強く動かせば落ちる。
「その中にも、町の物が入ってるんですか」
俺が聞くと、男は笑った。
「そう思うなら、乱暴に扱うな」
答えではなかった。でも、こちらは何が入っているか分からない。
エイリクさんなら番号から確かめられるかもしれない。今は箱の側面が向こうへ隠れ、読める札もない。
俺は、それでも箱を見ておいた。相手が言うことが本当かどうかと、落ちるかどうかは別だ。
落ち始めたら人を避ける。割れれば中身の場所を伝える。今できることへ、考えを戻した。こちらが荷物を壊さず動いていることに気づいたらしい。
「分かるだろう。これを止めれば、仕事ができなくなる。町の人間に恨まれたいのか」
神代さんは、男の声を遮らなかった。代わりに、荷車を押していた作業員へ、ここに何が入っているか尋ねた。
相手はオルセンを見た。
「分からない。番号を見て、積めと言われた箱を」
「構わない。今は、離れて待っていて」
全部を知っている人だけが働いているわけではない。神代さんは、その人を責めて止めるのではなく、動く仕事そのものを一度止めた。
オルセンは、使える言い分が一つ減ったような顔をした。
「だから、動かさないで」
ひかりさんが答えた。
男は彼女を見て、杖を低く振った。
荷車が動く。
桐生さんの前へ来たところで、止まらずに押しつけた。
彼は正面から受けなかった。
車輪の進む向きと同じ方へ一歩出る。
ひかりさんが荷車の側面へ棒を入れ、人のいない壁へ寄せた。
箱の中で、金属が当たる音がした。
積み方が偏っていた。上の箱だけが少しずれ、縁から細い部材がのぞく。落ちれば、荷車を押していた人の方へ転がる。
俺はそれを言った。ひかりさんは押す向きを変え、壁へ当てる前に力を緩める。止まった荷車の上で、箱が一度だけ揺れた。
「無駄な手間だな」
オルセンが言った。
「そっちが勝手に積んだ物でしょ」
ひかりさんは答えた。相手は箱が壊れれば責任を問うと言い、こちらが守っても礼は言わない。
俺は、そのやり取りを聞いて初めて、壊さないこと自体を相手に使われていると感じた。
壊して進めば早いのかもしれない。でも、これが店へ戻る部材なら、そこで困るのは別の人だ。
男へ腹を立てたせいで、町の人の物までどうでもよくなるのは嫌だった。
「壊したら、そっちの責任だ」
オルセンが言った。
壊さないためにここへ来たのに、何もしていない人の言い方だった。
***
神代さんは、裏の門へ式神を回した。
道へ人が出ないよう、先に知らせている。
現地の担当者へ、オルセンの位置も伝えた。
すぐにこちらへ来る人数は少ない。
ほかの保管庫で、荷物を止めている。
男はその通信を聞いて、顔を上げた。
「人を呼ぶほどのことじゃない。部材の交換なら、こちらで全部やり直す」
「検査の記録と、運び出そうとしている物も確認する」
神代さんが答えた。
「話は、現地の担当者が聞く。私たちは、その前に君を傷つけたいわけではないよ」
その言葉を、男は自分が逃げられる理由にしたらしい。
杖がもう一度動く。
荷車がひかりさんへ向かう。
彼女は棒を引いて、車輪の横へ回った。
男へ近づく道ができる。
俺はオルセンの手を見た。
杖から、車輪への流れが一度途切れる。
その隙間に、ひかりさんが入る。
「今、切れてます」
言うと、桐生さんも前へ出た。
二人の動きが重ならない。
俺の目の前で、ひかりさんが杖の手元へ棒を当てた。
オルセンは下がり、空の荷車を引き寄せた。
起動は、まだ続いている。
慣れた道具を使うのは、俺よりずっと速かった。
***
男の身体にも伝力が通った。
杖へ全部渡すのをやめ、自分の足へ回している。
杖へ集まっていた分が薄くなる。車輪の動きも、少し遅くなった。
それならすぐ追えると思ったが、桐生さんは、相手が行く道を先に見ている。
男が足を速くしても、逃げる先には物がある。ひかりさんが扉を押さえていれば、別の方へ向きを変える必要があった。
「全部へ、同時には通してないです」
俺は言った。
「見える分は、杖が弱くなると、足が強く」
相手は、俺の言葉を聞いて、急に杖へ多く通した。さっきまで遅くなっていた荷車が動く。
言ったことで、相手も変える。
俺は驚いたが、足へ寄っていた強さが薄くなるところは見えた。
「今は、杖の方です」
桐生さんは、同じ場所へ入り直さなかった。相手が変えたあと、自分も道を変える。
一度見つけた規則を、ずっと正解のまま持っていてはいけない。
俺は起動を使う間を短くし、動くたびに見直した。
そこまで伝え、言葉を止める。本人の中でどんな配分をしているかまでは分からない。俺が見ているのは、外へ出る変化だ。
神代さんが、今の報告だけでよいと返事をした。
オルセンはそれを聞き、俺へ目を向けた。
見られていることを嫌がる顔だった。
強い武器を持っていない俺の目が、相手の行動を少し変えた。
走るためだ。
俺は進む先を見た。
裏の扉へ続く道がある。
その先に、低い塀。
「右の扉へ、行きます」
ひかりさんは男を追わず、扉の前へ入った。
そこには、さっきの作業員が戻りかけていた。
彼女が先に声をかけ、離れるよう示す。
男は足を止める。
「そいつは、うちで働いている。どかすな」
「働いてるなら、危ないところに戻さないでよ」
ひかりさんの声が、短くなった。
作業員は鞄を持っていた。
取りに戻りたかっただけかもしれない。
神代さんが彼を呼び、何が必要か聞いた。
戦っている間にも、そういう人がいる。
俺は杖を見ながら、作業員の足元も確かめた。
箱の端から、細い部品が落ちている。
避けて通れる位置を伝えた。
さっきの門では、剣へ集中して足元を忘れた。
今は、見るところを一度戻せた。
それで騎士へ勝てるようになったわけではない。
でも、同じ失敗をしないために使う場所はあった。
***
オルセンは、言葉で時間を作った。
部材が違ったなら、納入先の責任だと言う。
検査の修正は、書き損じを直しただけだと言う。
回収した品が残っているのは、処分の途中だからだと言う。
神代さんは、その場で全部を否定しなかった。
男は懐へ手を入れた。桐生さんが前へ出ると、紙の入った薄い入れ物を見せた。金なのか、支払いに使う何かなのかは、俺には分からない。
「いくらだ」
男は、神代さんではなく桐生さんへ言った。
「今日だけ、こっちの仕事をしてくれればいい。門の奴ほど面倒な相手じゃない」
門の傭兵が、金でここへ立っていたことを、雇い主自身が口にした。
桐生さんは笑わなかった。
「止める相手から、給料をもらう気はねえ」
「その子供にも出す。働いたんだろう」
視線が俺へ来た。胸の奥が、冷えるような感じになった。
さっきの門で助けられたことまで、この人には、金額をつければ済む仕事なのかもしれない。
「俺は、こっちへ来てる人の物を見に来ました」
言ったあとで、自分の足が、少し後ろへ寄っていることに気づいた。
怖くないから断ったわけではない。相手が近づけば、身体ではかなわないかもしれない。
だからといって、見たことをなかったことへはできなかった。
オルセンは、神代さんの顔へ視線を移す。子供が頑固なら、大人へ話せば変わると思ったらしい。
「仕事には金が要るだろう。あの男爵が払える額なんて、知れている」
神代さんは、俺の横から動かなかった。
「費用の話は、正式な窓口で扱う。今、君から受け取る話ではないよ」
エイリクさんが貧しいことまで、相手は人を動かす道具にしていた。
男爵だから何でもできるわけではないと知ったとき、俺は少し親しみを感じた。この人は、その同じ事情へ値段をつける。
俺は杖を見た。何を持つかより、その人がどう使おうとするかを、もう少し見なければいけないと思った。
声が少し詰まった。うまく言えていない。
それでも、男の出した物へは手を伸ばさなかった。
神代さんが俺の横へ立つ。返事の続きを代わりに言わず、相手へ手を下げるよう伝えた。
「その説明も、記録と合わせて確認してもらう」
確認してもらう相手が来るまで、動かないでほしい。
同じことを、別の言い方で伝えていた。
俺は眼鏡への流れを止めた。
目を戻すと、普通の色が少しだけ強く感じられた。白い壁、箱の木目、作業員の濃い袖。
細い流れを見ている間、自分の呼吸が浅くなっていた。
一度、深く吐く。力を全部抜けば、足も遅れる。逆に身体へ回しすぎると、眼鏡の方が乱れやすい。
何を同時にできるかは、練習の部屋より少なかった。
「座れるなら、座っていい」
神代さんが小さく言った。
俺は首を振りかけて、やめた。
座るのと、何もできないのは別だ。今の位置からでも荷車の下は見える。
壁から少し離れた低い段へ腰を下ろし、身体を支える力を減らした。
疲れを隠して立ち続けるより、次に見るための余裕が戻った。
男が話している間、細い変化を追い続ける必要はない。
杖を持つ手と、荷車の位置は普通に見える。
桐生さんは、彼の足を見ていた。
「ずっと右足、出せる方へ向いてるな」
男は返事をしなかった。
ひかりさんが扉の前へ立っているので、別の道を探している。
彼は一つ強い道具を見せるより、弱い場所を見つけて使う。
三流でも二流でも、逃げたい人は必死だった。
俺は認証の地図を思い出した。
裏の道の先は、まだ許可区域だ。
でも、その向こうの橋からは違う。
もしそこまで逃げたら、自分たちは追ってはいけない。
神代さんへ、橋の方へ動くかもしれないと伝えた。
神代さんは管理局へ連絡を入れた。
現在地と、逃走する可能性のある方向。
区域を越える前に、扱う人へ知らせる。
その返事が来る前に、オルセンの杖が床へ当たった。
***
荷車の片方が、横へ滑った。
座っていた分、動き出すときに一拍かかった。俺は手を床へつき、身体を起こす。
男はそちらを見ていた。反応が遅い人を先に道具で押せば、ほかの二人も動かざるを得ない。
門の傭兵ほど上手くなくても、嫌なところは同じだった。
「俺の方へ、来ます」
神代さんは先に作業員を遠ざけた。ひかりさんが振り返る。
俺は、二人が戻る前に横へ出ようとした。
自分で避ける必要がある。でも、焦って全部の力を足へ集めれば、どこへ出るかが見えなくなる。
椅子と紙の間を歩いた練習を思い出す。まず、行く先を見る。
ひかりさんの外側に、荷車が入らない幅があった。
壁の出っ張りが、車輪の先へ重なる。人が一人横向きで通れる幅だ。
そこへ向かうには、ひかりさんが棒を振る位置を越えなければいけない。
黙って走れば、彼女が手を止める。
俺は、これから通る方を短く伝えた。相手の位置を報告するのではなく、自分の動きを味方へ渡す。
「了解」
返事が来る。ひかりさんの腕が、少し高くなった。
俺はその下を抜けた。身体強化で跳ぶのではなく、足を出す先を見て、短く回る。
荷車の端が上着へ触れ、布が引かれる。
慌てて引っ張り返さず、身体の向きを変えた。
抜けたあと、すぐに止まらず、彼女が棒を戻せるところまで進む。
練習で歩いた椅子と机の隙間は、もっと広かった。それでも、そこで何度も位置を戻したことが、今は足を出す順番になっていた。
足を止めてから、俺は眼鏡を起動した。
杖へ集中する。
車輪を動かす流れが、細い。
複数へ渡しているからなのか、男の息が上がっているからなのかは分からない。
ただ、先ほどより、つながりが切れやすい。
「右の車輪。途切れてます」
桐生さんが、その車輪の後ろへ足を置いた。
正面から止めず、進む向きを変える。
荷車が斜めになり、オルセンの道を塞いだ。
自分で動かした物へ、本人が足を取られる。
ひかりさんの棒が、杖を持つ手首の外へ当たった。
男は杖を落とさない。
でも、地面へ押し当てる角度が崩れた。
荷車へ通っていた伝力が切れる。
俺はそれを伝え、起動を止めた。
そのあとを、桐生さんの足が塞いだ。
男は逃げようとして、止まった。
杖はまだ手にある。取られた物がなくても、道がなくなれば動けなくなる。
ひかりさんは、すぐにその手を打たなかった。桐生さんが足を塞ぎ、神代さんが現地の人へ着いた場所を伝える。
男は、まだ何か言い訳を探している顔だった。
服の胸元にある飾りが、荷車へ押されて曲がっていた。オルセンは、それを直そうとして手を上げかける。
ひかりさんの棒が、その先へ少し動く。
彼は手を下ろした。
杖の飾りも、服の留め具も、手入れのよい品だった。町の人へ安い代用品を渡していた人が、自分の使う物は悪くしていない。
俺はそれを見て、腹が立った。
でも、その怒りで近づけば、相手はまた弱い方へ手を伸ばせる。自分の立つ位置を変えず、現地の人が来る道を空けた。
「お前らも、戻れば仕事の続きをするんだろう」
オルセンが言った。
「ここで全部を止めたら、誰が回す」
神代さんは、必要な仕事は別に続けると答えた。
「君一人がいなくなれば、町の仕事が全部なくなる、という話にはしない」
誰かを雇うことと、町の働く人全部を自分の物にすることは違う。
相手は返事をせず、杖を持つ指へ力を入れた。
俺は、その指が少し緩むまで見た。
そこへ、表から来た作業員が顔を出した。荷車を運ぶよう呼ばれたらしい。
オルセンが、その人へ手を振る。
「こっちへ来い。まだ仕事は終わってない」
ひかりさんが先に声をかけ、少し離れて待つよう伝えた。神代さんは、現地の担当者が来ていると説明する。
作業員は、どちらへ従えばいいか迷った顔をした。俺たちは見慣れない人で、雇い主の声はいつもの声だ。
やがて、現地の担当者が名乗る声が近づいた。
作業員の足が止まり、オルセンの顔が変わる。
自分の命令が通るだけの場所では、なくなり始めていた。
俺は眼鏡を戻し、荷車の位置を普通に見た。車輪が回り始めたら、すぐに分かる距離だった。
強い流れを見続けるより、人と道具と道の位置をまとめて見た方がよい時間もある。
起動を使えたことだけが今日の成果ではない。
使わずに待てるところまで、自分で決められたことを、あとで忘れないようにしようと思った。




