第32話:逃げた人にも次の仕事があります
刃の向きが変わった。
騎士は接触の位置を短く作り、すぐに引く。
剣の横腹を、門の枠へ一瞬当てた。そこへ沿わせて先を曲げ、接触を切る前に向きを変える。
自由にどこまでも曲がる刃ではない。それでも、使うための面は棒や刃だけではなかった。
俺は金属と石の境目を見た。
相手は、周囲にある物の形を、自分の剣を通す形に変えている。
「枠にも、当ててます」
俺が言うと、桐生さんが位置を変えた。
目の前の剣を受けなければ安全、という話ではない。門の脇を抜ける道も、相手が使う面のすぐ近くだった。
新しい力が増えたのではなく、同じ機能を使える場所を増やしている。そのことを、身体で覚えるより先に、見てしまった。
受ける道具の端へ、先が引っかかる。
ひかりさんは棒を捨てず、刃先が届く前に接触を切った。
その間へ、男の肩が入る。
押された彼女の靴が、石の上を擦った。
「下がって」
俺は、門を抜けるはずだった足を戻した。
後ろへ出たつもりで、神代さんの式神を踏みかける。
避けて、また遅れた。
桐生さんが俺を横へ押す。
「通れるときに、通れ」
声が、強かった。
剣は俺へ来ていない。
それでも、二人の動く道を俺が塞いでいた。
俺はうなずいた。
次こそ、と思った。
ひかりさんの棒が、俺の目の前を横切った。敵へ向けるためではなく、俺が剣の届く方へ戻らないようにするためだった。
床の傷の手前で止まる。指示された場所は安全だ。でも、そこへ立ち続けるだけでは、何も変えられない気がした。
男は、俺の動きを見ていた。
「さっきは、道具の先を見ていたな」
返事をしなかった。何を見ていたか、相手へ教える必要はない。
「次は、足を見てみるか」
男が、わざと片足へ力を寄せる。俺はそちらへ目を向けかけた。
桐生さんの声が、その前に来る。
「相手に、見る場所を決めさせんな」
俺は顔を上げた。男の笑い方は変わらない。
教えているようで、こちらの目を動かしている。練習では、ひかりさんが見てほしいところを言ってくれた。その癖のまま、敵の言葉にも従いかけた。
恥ずかしさが、怖さの上へ重なる。
ひかりさんは俺へ何も言わず、男へ一度強く入った。棒が門の枠へ当たり、男が横へ避ける。俺の方へ向いていた剣が、彼女へ戻った。
考える時間まで、作ってもらっている。
***
眼鏡へ通す。
刃の先へ、細い力が寄っている。
見えた。
俺は報告しようとした。
騎士が足を変えた。
剣を動かすためではなく、桐生さんを門へ寄せる一歩だった。
刃の形だけを追う俺は、身体の向きを読めなかった。
「左へ」
言ったときには、桐生さんの袖が門の留め具へ当たっていた。
彼は道具を下げ、身体を反らす。
ひかりさんの棒が入り、男の手元を離した。
一人で抜ければ、俺を置いて行くことになる。
俺が行こうとすれば、守る場所が増える。
相手は入口だけを守っているのではない。
俺たちがどこまで動けるかも、見ている。
起動は、できていた。
試験でできたことは、なくなっていない。
でも、今は返事を聞く前に状況が変わる。
自分の報告で誰かが動いたあと、次に何が起きるかまで分からなかった。
ひかりさんの足が動く。俺の言葉を聞いてからではない。桐生さんの肩が引かれたのを見て、空く方へ入っている。
二人は、相手の力だけでなく、味方の身体も見ていた。
俺が見ているのは、細くなった一つの流れだった。そこへ絞ったまま、二人へ動き方を言おうとしていた。
「俺、今、全部は」
声を出すと、神代さんがすぐに返事をした。
「分かってる。今は呼ぶ方へ来て」
助けてほしいと言えたようで、胸が少し痛くなった。できると見せるために来たのに、と考えてしまう。
それでも、彼が指した場所は分かった。
俺は眼鏡への流れを止め、門の縁を見て足を戻した。身体が動くと、次に返事をする息が戻ってきた。
俺は起動を止めた。
いつもの見え方へ戻っただけだ。
それなのに、手に入れた物を取り上げられたような気持ちになった。
***
「門から、全員離れろ」
声がした。
後ろから、ヴェーガンさんが来ている。
擦れた上着の下から、銃を抜いていた。
ひかりさんが俺の肩をつかみ、横へ引く。
神代さんも正面を空けた。
「ここで撃てば、家の壁へ」
騎士が言いかける。
ヴェーガンさんは、反対側の空いた石壁を見た。
「見えてる。お前も、そこから動けばいい」
銃声がした。
俺は肩をすくめた。
音は、路地で金属を当てたときよりずっと鋭かった。壁の間で跳ね返り、どこから鳴ったか一瞬分からなくなる。
俺は、銃を持っている人を見たことはあっても、こんな近くで撃つ場へ立ったことはなかった。
ヴェーガンさんは俺を見ていない。銃の先と、背後の石壁を確かめ、次に撃てる位置へ足を動かしている。
「耳が詰まっても、立ち止まるな。道を空けろ」
短い指示だった。神代さんは俺の肩へ手を置き、聞こえたか確かめた。
俺はうなずいた。目の前にあるものを見れば、どちらへ出ればいいかは分かる。
相手の武器を理解してからでないと動けない、と思っていた。今は、理解より先に避ける道を渡されている。
傭兵は、銃へ向けた剣の位置を下げなかった。驚いていない。音のあとに何が来るか、知っている身体の動きだった。
弾は門の留め具へ食い込む。
固めていた金具が外れ、門が少し開いた。
「搬出を止める指示は、出ている」
ヴェーガンさんは現地の書面を示した。
「雇い主への問い合わせの時間は終わりだ。こっちも、直接確認しに来た」
騎士の手は、柄に残った。
こちらの捜索員ではなく、この土地の実務者を前にしていた。
***
ヴェーガンさんの通信へ、別の保管庫から声が入る。
若い担当者が、人手を求めていた。
「隣の組を回す。そっちの人員は戻すな。部材を動かすな」
短い指示が続く。
こちらを見ながら、ほかの場所も動かしていた。
「現世の連中、奥へ行けるな」
神代さんが返事をした。
「裏へ荷車を出している。オルセンを止めろ。処分までやれとは言ってない。人と記録を、動かさせるな」
銃は、騎士へ向いていた。
自分で全員を捕まえるのではない。
相手をここへ留め、ほかへ仕事を渡している。
神代さんは、裏の道と荷車の位置を確認した。俺は地図を出す。指が少し震え、折った端が開きにくかった。
「この線の中。橋は越えない」
彼が指で示す。俺は地図を見て返事をした。
ヴェーガンさんはそのやり取りへ目を向け、先方の担当者へもう一度連絡を入れた。
「止めた後に引き受ける者を、裏へ一人回せ。こいつらに全部任せるな」
奥へ行け、と言うだけではなかった。止めた人を誰へ渡すかまで、同時に組んでいる。
「子供を連れているぞ」
傭兵が言った。心配する声ではなかった。
ヴェーガンさんは返事を短くした。
「今、お前を止めるのは、俺だ」
銃口が傭兵へ戻る。彼は笑い、剣を半歩引いた。こちらを使って、実務者の目を逸らすつもりだったのかもしれない。
俺は地図を畳んだ。ここでまた止まれば、会話の材料として残るだけになる。
ひかりさんが俺を見た。
彼女なら、ここへ残れるのかもしれない。
でも、門の向こうにも、止める相手がいる。
「私たちは、奥へ。こっちは任せていいんですね」
「そのために来た」
彼女がうなずく。
俺は、自分では返事をしなかった。
ここで終わった、という言葉だけが頭へ残っていた。
***
騎士が、銃を持つ手へ近づこうとした。
ヴェーガンさんは門柱の外へ半歩ずれる。
もう一度、銃声がした。
剣の向きが変わる。
弾を切ったのか、俺には分からなかった。
「遼悟、こちらへ」
神代さんに呼ばれ、門の隙間を通る。
桐生さんが先へ行き、ひかりさんが後ろを見た。
守ってもらいながら、相手から離れる。
門を通ったあと、後ろから剣の音が聞こえた。振り返りたくなったが、ひかりさんの声が先に来る。
「前。今は、こっちで役目がある」
俺は顔を戻した。
背中へ相手が来ないことを、自分の目では確かめられない。音が遠ざかっても、まだ届くような気がする。
神代さんが、最後の式神を門の外へ残したと伝えた。後ろを見る人はいる。
その言葉で、俺はやっと前を向いて走れた。
全部を自分の知覚へ入れないと不安だと思っていたが、それでは前へ進むのも遅くなる。
人へ渡す情報だけではなく、人から来る返事も、使わなければいけない。
勝てなかった。
試験に通って、起動を身につけて、一度は役に立った。
それでも、あの場所へ残れる人にはなれなかった。
屋敷の角で、足が遅れる。
脚が重いのか、進みたくないのか、自分でも分からなかった。奥へ行けば、また誰かがいる。
起動を使えば、今度はもっと見えるだろうか。それとも、細かいところへ目が寄り、同じように足が止まるだろうか。
考えるたび、門で見た剣の曲がり方が戻った。
桐生さんは一度だけ、俺が追いつく幅へ速度を落とした。待っているとは言わない。
俺はその横顔を見て、今ここで謝れば、また返事をさせると気づいた。
謝る前に、足を出す。
そう決めても、すぐには速くならなかった。でも、止まり続けることはやめられた。
桐生さんが振り返った。
「今、止まるな」
俺は走った。
身体強化をしても、足はいつまでも同じ速さで動かない。
ひかりさんが、横へ並ぶ。
「全部、自分のせいにしない」
「でも、俺が」
「邪魔になったところは、後で直す。役に立ったところまで消さない」
返事ができなかった。
彼女は前へ顔を戻す。
今度は、棒の袋ではなく、彼女の歩く足を見た。足元へ気を配りながら、肩は前へ向いている。
相手の力を見るときも、進む先を見るときも、ひかりさん自身の身体は、その間に動き続けていた。
俺は一つを見るたび、ほかを止めていたのかもしれない。
それを今すぐ直せるとは思わなかった。けれど、帰ってから何を見せてもらえばよいか、一つだけ浮かんだ。
速い足ではなく、止まらずに選ぶ足。
さっきまで、次はもっと強い力を通すことばかり考えていた。その前に、自分の身体で覚えることが残っている。
俺は、ひかりさんの袖を見た。細い傷がある。刃が当たったのではなく、門を抜けるときに擦ったのかもしれない。
見た瞬間、自分がそれを増やした気がした。
「怪我は」
「してない。自分の足、見て」
言われたとおりにすると、石の継ぎ目が近い。踏み外せば、また誰かを止める。
足元を避け、呼吸を戻す。走りながら泣きそうになるのは、怖いときだけではないらしかった。
一週間、できるようになるところを見てもらった。試験官にも認めてもらった。それが本当でも、できないことは本当だった。
両方を持ったまま次へ行く方法を、俺はまだ知らない。
「習ったばっかりで、できたこともあるでしょ。そこから」
***
裏の道には、荷車が二つあった。
片方は空。
もう片方へ、箱を積む男がいる。
服の留め具が光った。
窓から声を投げてきた男だった。
オルセンは、こちらを見ると荷物を置いた。
「何をしている。護衛は」
桐生さんが道を塞ぐ。
「向こうで仕事してる。今度は、お前の話だ」
男の顔が歪んだ。
手には、短い杖がある。
飾りは多いが、通る伝力は薄くなかった。
二流でも、俺より弱いとは限らない。
神代さんが、後ろの作業員を荷車から離す。
ひかりさんは積まれた箱を見る。
普通に運ばされている人が、ここにもいた。
俺は眼鏡へ手を寄せた。
まだ、目の奥が重い。
起動すれば見えるだろう。
でも、何を見るために使うか分からないまま、通したくなかった。
「荷車の足元、見て」
桐生さんが言った。
目的が、一つできた。
俺は呼吸を整えた。
杖を持つ男の顔を見る前に、車輪の数を確かめる。二台。積んだ物の多い方と、空の方。
足元を見ればいいと言われても、何を言えばいいかは自分で選ばなければいけない。
俺は、一つだけ聞き返した。
「動き出すところを、見ればいいですか」
「止める方も。押してるのが誰か、分かる範囲で」
桐生さんが答えた。
条件が少しはっきりした。
相手の全部を見るのではなく、動かす物へ、どこから力を渡すかを見る。
起動を通す前に目的が決まると、先ほどより、眼鏡へ流す強さを選びやすかった。
できなかった場所から離れても、身体はまだ震えている。それを止めてからでないと使えない、と思わないようにした。
震える自分の手ではなく、今必要なところへ目を向ける。
さっきの門でできなかったことは、なくならない。
それでも、今見る場所は、ここにあった。
***
――門前。ヴェーガンとハルヴァル。
調査員たちの足音が奥へ消えると、ハルヴァルは剣の先をわずかに下げた。
ヴェーガンは銃を向けたまま、門の陰へ寄る。
「雇い主が逃げるまで、か」
「入口を守る仕事だ」
「今、守ってるのは、金の出る時間だろ」
傭兵は笑った。否定する必要がないらしかった。
剣の柄を持つ指が動く。銃口へ一直線に入るのではなく、門柱を挟むように足を移す。
ヴェーガンも動いた。柱の陰へ銃だけを残さず、身体ごと位置を変える。
刃が銃身へ触れた。曲がり始める先端より前に、ヴェーガンが腕を引く。
剣の先が、上着の端を切った。
「いい服では、なさそうだ」
「お前ほど、経費を服へ回せない」
返事のあとで、銃が短く上がった。石へ弾が入り、ハルヴァルの踏み出す足が止まる。
当てられなかったのではない。そこへ足を置けば、次が届くと分からせる位置だった。
ハルヴァルは剣を戻した。刃の端を一度だけ確かめる。今の接触で、小さな傷が増えていた。
新人を相手に、反応を見ながら道を塞ぐ仕事とは違う。
この相手を止め続ければ、道具も身体も、ただでは済まない。
ハルヴァルは、銃を持つ相手の右肩を見た。最初の二発で、自分を追い詰める角度は分かる。踏み込めないほどではない。
だが、一度触れれば曲げて抜けられた道具と違い、銃身へ触る間には、次の弾が出る。相手は剣を避けながら、同じ武器を離さず使っていた。
上着の端を切っても、表情は変わらない。傷を嫌がって立ち位置を変える相手ではない。
「その年で、まだ前に出るのか」
ハルヴァルが言った。
「お前がここにいるからな」
返事だけが来た。相手を褒めても怒らせても、銃の向きは大きくならない。
傭兵は、その会話も切り上げた。新人の反応を見る時間は楽だった。こちらは、時間を使うほど損が増える。
奥の通信から、荷車を止める声が聞こえた。
傭兵はそれを聞き、門の向こうを見た。
「追加の金は、入らないようだな」
ヴェーガンは、傭兵が剣の傷を見たことを覚えていた。服の切れ目より、道具を気にしている。
「まだ、やるのか」
尋ねると、ハルヴァルは柄を握り直した。
「今の分は、もらう。だが、その先は頼まれていない」
身を引きながらも、剣は下げきらない。退くと宣言した瞬間を狙われないためだった。
ヴェーガンは足を止めない。ただ、相手の背へ回るより、通りの人を射線から外す方へ動く。
その選び方を、傭兵も見ている。
二人とも相手の次を考え、違う理由で、その場へ全力を使い切らなかった。
「金をもらえば、まだやるのか」
「金額による」
ハルヴァルは、剣の向きを横へ変えた。攻める構えではなく、退く場所へ身体を運ぶための角度だった。
ヴェーガンは、進もうとする先を見た。細い通りの奥に、作業員が一人いる。
傭兵も、その人を見た。
人へ剣を向けはしない。だが、その側へ寄れば、銃を撃つための条件が変わることは知っていた。
「そこへ、人を増やすな」
ヴェーガンが言った。
「なら、追わない方が安い」
笑う声が返る。ヴェーガンは銃を下げず、通信で傭兵の向かう方と姿を伝えた。
ハルヴァルは、銃が自分から外れない距離を保ちながら下がる。逃げる方へ一気に背を見せることもない。
雇い主を守り抜くつもりではなかった。最初から、金に見合うところまでだった。
角へ入る前、彼は上着の袖を払った。
「そっちの服代は、雇い主へ請求してくれ」
その姿が消えても、ヴェーガンはすぐには走らなかった。作業員へ動かないよう合図し、通りの安全を別の担当者へ確かめる。
「護衛は離脱した。オルセンの搬出を優先。剣の男は別に追う」
通信へ伝えてから、銃を少し下げた。
止めたのは、あの男がここで働き続けることだった。
捕まえたわけではない。
彼は切れた上着の端を一度見て、裏の道へ向かった。




