第30話:当たらなければ…無傷とは限りません
最初に飛んできた板は、桐生さんを外した。
次の板は、俺の前を通った。
俺を狙ったのか、道を塞ぐためなのか、見ただけでは分からない。
ひかりさんが棒を当てて逸らす。
石の壁へ当たり、破片が飛んだ。
「端へ寄りすぎない」
神代さんが俺を呼んだ。
壁があるから安全だと思っていた。
でも、割れた物は壁から戻ってくる。
俺は道の中央へ寄り、足元の破片を避けた。
路地は、荷車一台が通れば人が端へ寄るぐらいの幅だった。右には低い窓、左には荷物を置くための段がある。逃げてきた男たちは橋に近い奥、俺たちは通りの手前にいる。
桐生さんが右へ出ると、相手も道具を右へ向けた。近づく場所は選べても、広さまでは増えない。
俺はその後ろに立ち、神代さんの位置を確かめた。ひかりさんは窓の近く、逃げる人がいたら下げられる場所にいた。
「手前の道、空けておくよ」
神代さんの声に、返事をした。相手を囲むために全部の道を塞げば、自分たちも人を出せなくなる。
風が通り、地面へ落ちた紙の端が動いた。男の足元の板も同じように薄い。普通に飛んだ物と、力で押された物を、動いただけで決めないようにした。
男の道具は、先の曲がった棒だった。
作業で物を寄せるための道具に見えた。先端は平たく、板の縁へ引っかけやすい形をしている。
男はその平たい方を当て、押すときだけ力を渡した。
動き出した板は、手を離れてからも滑る。見ていると、流れが少しずつ薄くなるのが分かった。
すぐに止まる物と、長く動く物がある。
「長く残すと、次が遅いみたいです」
俺が言うと、桐生さんは相手へ入る足を変えた。
男の手が、次の板へ届くまでの隙間。そこへ近づけば、自分から飛んでくる物は少ない。
ただ、床の残りまでなくなるわけではない。
俺は一度に二つを言おうとして、先に、足元に残る物の位置を伝えた。
それを避ける道ができてから、手元の隙間を言う。
桐生さんは返事を短くし、俺が次を言える時間を作ってくれた。
物へ当てると、短い伝力が入り、その物が動く。
押すだけなら、身体でもできる。
違うのは、離れてからも、同じ方向への力が残ることだった。
「動き続けます。手を離しても」
俺が言うと、桐生さんは男へ近づく足を止めた。
板の間を抜ければよいと思っていたのかもしれない。
一枚の後ろから、もう一枚が滑ってくる。
「次の、右」
口にしたときには、男の手が別の板へ伸びていた。
俺の報告は、一つ遅い。
男が棒の先を持ち上げる。桐生さんは道具の位置から一歩ずれた。板が、さっきまで足を置いていたところへ滑る。
「当たる前に、動けばいいだろ」
男は笑った。俺にも聞こえる声だった。
道具を放したあとも進むから、避けた場所へ次を送れる。相手は板を一枚ずつ投げているのではない。狭い道で、人の立てるところを減らしている。
俺は左右へ顔を動かした。どこを通っても板があるように感じる。
「お前が全部避けなくていい」
桐生さんが、前を向いたまま言った。
「どれが残ってるか言え。次のやつは、俺が見る」
俺は今来る板から目を外した。さっき動いた一枚が、段の縁に当たり、まだ押され続けている。止まったように見えても、流れが残っていた。
それを伝えると、ひかりさんが段へ寄りすぎるのをやめた。避ける先の一つを、報告で消すことができた。
***
路地の横には、低い窓があった。
中で人が動いている。
ひかりさんは相手へ踏み込まず、窓の前へ立った。
部屋の中では、机へ向かっていた人が顔を上げていた。何が飛んできたか分からないらしく、窓へ手を伸ばす。
ひかりさんは、こちらへ出ないで、と先に声をかけた。神代さんも、窓から離れた方へ移るよう頼む。
相手はすぐに従わなかった。知らない人が外で何かを振り回しているのだから、誰の話を聞けばいいかも分からない。
神代さんは現地の担当者へ、建物の中へ連絡できる人を回すよう言った。
「こっちからも、お願いします。中の人には、いつもの管理の人の方が伝わる」
俺はその返事を聞きながら、男の道具を見た。戦う人を止めることと、周りの人が動ける説明をすることは、同時に必要らしい。
ひかりさんが窓を背にしない場所へ移る。板がそちらへ来ないよう、相手の向ける先へ棒を入れた。
棒の先で板の向きを変える。
跳ねた物が、窓へ飛ばないようにしていた。
「神代さん、こっちの人」
「下げる」
式神が窓の下を通り、神代さんが中の人へ声をかける。
隠形で、何も見なかったことにはならない。
最初の音で振り返った人は、そこにいる。
俺は男の手へ集中した。
強いまとまりが出るのは、道具と板が触れる少し前。
接触したあと、その端へ流れが残る。
「先に、そこを見る」
自分へ言い、眼鏡へ通す。
男の身体全体ではなく、道具の先と、触ろうとしている物。
一度絞ると、近くの壁に残った伝力が気にならなくなった。
「足元の細い板。次、触ります」
桐生さんは、触る前にその板を踏んだ。
男の道具が空を切る。
桐生さんが腕を押し、身体を横へずらした。
男は別の物を蹴り寄せようとしたが、ひかりさんの棒がその間へ入る。
初めて、相手の動きが途切れた。
俺は次も言おうとして、言葉を飲んだ。男の手が空を切ったあと、すぐに別の板へ戻る。先端の流れを見ていても、その手を選ぶ人の目までは分からない。
桐生さんは相手へ入り込みすぎず、棒が届く手前へ止まった。道具を奪えば終わると思っていた俺は、その距離がもどかしくなる。
「紙を持ってる方も、見る」
神代さんが言った。俺は顔を上げた。もう一人の男が、紙の束を胸へ抱え、橋へ近い方へ寄っている。
力を使う人だけが、逃げる相手ではなかった。
俺は一度起動を戻し、その人の位置も確かめた。紙が風に持ち上がり、落ちそうになっている。
落としたら拾えばいい、と単純に思えなかった。書かれたことを確かめるために、ここまで来た。
俺は息を吸った。
道具を使った。
見てから言うまでに、間に合った。
***
男は、近くの箱へ手を伸ばした。
そこには、紙の束を抱えたもう一人がいる。
桐生さんが近づくと、その人を押し出す。
紙の束が胸から離れ、端が一枚外れかけた。
男は慌てて押さえる。その動きへ、道具を持つ方が声を荒げた。
「落とすな。そっちへ出せば、全部お前のせいになる」
紙を抱えた男の肩が縮む。俺は二人とも不正に関わっていると聞いていた。でも、同じように強気で、同じことを望んでいるわけではない。
神代さんは、紙を下へ置く場所を指した。
「今、投げなくていい。そこへ置いて、離れて」
相手は、道具の男と神代さんを見比べた。何をすれば少しでも助かるか、考えている顔だった。
ここで追い詰める声を増やせば、紙を持って走るか、相手へ戻るかもしれない。
俺はその人へ近づかず、足元に板が来たら先に言うとだけ伝えた。
「お前が、運べ」
紙を持つ男は、前へ出なかった。
検査の記録を抱いたまま、後ろへ下がる。
「もう、無理だ」
声が震えていた。
同じ不正へ関わっていても、戦える人ばかりではない。
神代さんは退路を塞がず、紙を置いて出るよう伝えた。
男は道具を使う方を見て、動けない。
俺はその間、相手の棒を見続けていた。
細い流れが分かる。
でも、こめかみが重くなってきた。
視線を切ると、相手を見失う気がする。
「遼悟」
ひかりさんの声がした。
足元の板が、俺の靴へ当たった。
痛みより、驚きで身体が跳ねる。
起動が切れた。
「一回、戻して。ずっと細かく見ない」
彼女は相手から目を離さずに言った。
俺は一歩下がった。
道の幅と、人の位置を見直す。
さっきの報告が役に立ったから、そのやり方だけを続けていた。
その間に、足元がなくなっていた。
***
桐生さんは、次の接触を待たなかった。
男は、次の板を足元へ寄せようとしていた。道具の先が低くなる。
桐生さんの足が、そこへ先に入った。板を踏むのではなく、道具を持つ腕が振り出せる位置へ自分の身体を置く。
遠くへ押す技を使うには、一度道具へ物を合わせなければいけない。その手前を、彼は詰めた。
男は棒を横に振る。今度は板を使わず、人へ当てるつもりだった。
桐生さんは肩を引き、腕の外へ短く当てた。細い音がして、男の手首が少し曲がる。
相手は道具を離さない。力を使う人でも、最後には、握る手と足が必要だった。
俺は床へ残った板へ目を戻した。近づいた二人の後ろへ、まだ一枚が進んでいる。
男が棒を引いたところへ踏み込み、道具の持ち手へ刃の背を当てる。
男の腕が跳ねる。
俺は、残っている板を見た。
一枚だけ、まだ道を進んでいる。
「後ろへ、まだ残ってます」
ひかりさんが棒を下げ、その板を横から止めた。
力の残る板へ、正面から棒を突き立てない。側面を押し、滑る先を壁際へ変える。強い物とぶつければ、割れた破片が増えるからだろう。
俺はそれを見て、最初に飛んできた板を弾いたときとの違いを感じた。あのときは窓に人がいて、今は先に下げてある。
同じ物を止めるにも、周囲によって使える手が変わる。
ひかりさんは板が止まると、棒を引いた。動かなくなったことを、俺へ目で確かめる。
俺は残りの流れを見て、薄くなったと答えた。
その返事で、彼女は別の方へ戻れる。
役に立った瞬間を思い出すなら、派手に倒したところだけではなく、こういう短い往復もあるのかもしれなかった。
誰もいない壁の根元へ押しつけ、動かなくなるまで待つ。
道具を持った男は、桐生さんから離れようとした。
神代さんの式神が、足元の陰へ入る。
注意が一瞬そちらへ寄り、桐生さんの手が道具の根元を押さえた。
男の棒が落ちた。
それでも、動く物は止まっていない。
俺は手を離した相手から、路地の奥へ目を向けた。
残っていた流れが薄くなっていく。
一枚ずつ、止まる。
止まった板へ、誰もすぐには足を乗せなかった。ひかりさんは棒で端を軽く押し、普通の重さで動くかを確かめる。
俺も残る流れを見た。強い線はなくなっている。ただし、少し離れた破片の裏までは見えない。
「見えるところは、薄くなりました。割れた方は、裏が分かりません」
神代さんが、入ってくる担当者へそのまま伝えた。知らないところを勝手に埋めずに渡すのは、練習の紙より難しい。見えていない場所が、人の靴の先にあるからだった。
男は腕を押さえられながら、桐生さんの道具へ目を向けた。自分の方が高い段階を使えるつもりだったのかもしれない。何か言いかけたが、担当者に聞かれて名前を答えた。
俺はその間に、少しだけ壁から離れてしゃがんだ。腰を下ろすと、足が思ったより疲れている。
「今、残りは動いてません」
言うと、神代さんが現地の担当者へ場所を伝えた。
男へ近づく人には、棒へ触れないよう言う。
俺は眼鏡の流れを完全に止めた。
額に汗があった。
息を吐くと、少しだけ手が震えた。
***
紙の束は、道へ置かれた。
風で端がめくれる。検査担当の男は、手を離してからも、その紙を見ていた。
置いたから終わるとは思っていない顔だった。隠していたことは、これから聞かれる。
神代さんは、その人が逃げない場所を現地の担当者と合わせた。道具を振るった男とは少し離し、同じ声で説明させない。
俺は紙を押さえる担当者へ、最後に見たときの向きを伝えた。誰が持っていたかは言える。何が書いてあるかまでは、まだ言えない。
一枚だけ、隅が折れていた。走ったときに曲がったのか、前からなのかは分からない。
担当者は、そこも含めて束を包んだ。
追いかけている間は、持ち物を奪えば終わりだと思っていた。でも、持っていた人と、書いた人を確かめる仕事が、その先に残っていた。
検査担当の男が、こちらへ歩いてくる。
桐生さんが紙を拾おうとしたが、神代さんが先に担当者へ渡すよう言った。
自分たちの物ではない。
今回、守りたかった記録だった。
「起動、使えました」
俺が小さく言うと、桐生さんがうなずいた。
「見てた。次に触るところ、先に来た」
俺は、目の前の小さな傷を見た。石の上へ、板の端が擦れた跡がある。そこへ自分の靴があったら、起動ができても避けられなかったかもしれない。
よかったところだけを思い出そうとすると、足へ当たった痛みまで薄くなる。
「次、もう少し早く言います」
「何でも早けりゃいいってもんでもねえ。分かってから、短くつたえろ」
桐生さんは言い、落ちた紙を押さえた担当者へ道を空けた。
俺は、次に触る板の名前を考えていた。色や形で言うより、相手の足からどちらにあるかを言う方が速い。でも、聞く人は違う角度に立っている。
同じ報告でも、相手に届く言い方がある。
いま全部決める余裕はなかったので、次の休憩でノートへ書くことにした。今は目の前の人の返事を聞く。
胸の奥が熱くなった。
ひかりさんも、俺の顔を見た。
「今のは、よかった。でも、板が残ってたのも覚えといて」
俺はうなずいた。
褒められたところと、足を取られたところ。
両方が、同じ戦いにあった。
現地の担当者が、紙を確かめて通信を入れる。
もう一方の保管庫でも、交換前の部材が見つかったらしい。
全部が処分されていたわけではない。
検査担当の男は、その声を聞いて下を向いた。
「責任者は、どこへ」
聞かれると、男は橋の手前の道を指した。
「奥の屋敷。表の事務所には、今はいない」
地図の上では、同じ許可区域だった。
管理局へ現在地を伝え、先へ行く方針を現地の担当者と合わせる。
試験のときより、決める人は多い。
待つ間、俺は水を一口飲んだ。
冷たさで、喉へ溜まっていた乾いた感じが少し取れた。走っている間、自分が喉を渇かせていることも忘れていた。
桐生さんは、周囲を見ながら同じように水を飲んだ。ひかりさんは棒を下ろしていたが、袋へは戻していない。
「次、行ける?」
聞かれ、俺は足の痛みを確かめてから返事をした。
少し残っている。でも、歩ける。目の重さも、通していなければ増えない。
全部大丈夫とだけ言わず、分けて伝えた。
ひかりさんは頷き、痛む方へ急に踏まないよう言う。
気にしてもらうことが情けなく感じられた。でも、ここで言わずに次の場所で止まる方が、相手を困らせる。
俺は容器をしまい、蓋が閉まっていることを確かめた。
***
屋敷へ続く道には、低い門があった。
そこへ着く前に、神代さんは一度全員を止めた。俺の息と、桐生さんの腕、ひかりさんの棒を順に確かめる。
戦いが続くかもしれないから、先に何もなかった顔をして進まない。
俺は、足に板が当たったが歩けると伝えた。痛みは少し残っている。ひかりさんが場所を見て、無理に走るなら先に言うよう返す。
「起動は」
「必要なところだけなら、まだ使えます」
ずっとは難しいと言うと、神代さんがうなずいた。
「次も全部見せるつもりはない。必要なところを、その都度頼む」
俺は水を飲み、鞄を持ち直した。そう言われると、使えると証明するために通し続ける理由がなくなる。
門の前の男は、そのやり取りが終わるのを待っていた。
急いでこちらへ来ない。こちらがどんな状態で来るかを見る時間を、向こうも持っていた。
表の窓からは、町の白い屋根が見える。
ここだけ、作業をする音がほとんど聞こえない。
門の前には、剣を持つ男が立っていた。
きちんとした上着。
手入れされた靴。
剣は、飾りの少ない直剣だった。
刃を抜かずに立っているのに、道の中央を空けてはいけないと決めているように見えた。
「調査の権限を示してください」
神代さんが書類を出し、現地の担当者からの指示も伝えた。
男は紙へ目を通した。
それから、返した。
「建物の所有者への確認を取ります。その間、こちらでお待ちください」
「その所有者が、記録を動かしている可能性があります」
「客が金を払っている間は、通せない」
男は、こちらの話を聞いていた。
聞いたうえで、門を開けない。
名を尋ねると、ハルヴァルと答えた。
雇われた護衛で、剣を使う者だという。
桐生さんが前へ出る。
「確認が終わるまでに逃げられたら、誰が止める」
ハルヴァルさんは、剣の柄へ手を置いた。
「ここで私が、通す相手を判断します」
その後ろで、戸が閉まった。
俺は門の向こうを見た。
見えた人影は、すぐに壁へ隠れる。
「中、一人。奥へ動きました」
神代さんが、もう一度通信を入れた。
ひかりさんは男の剣へ目を向けている。
俺も見た。
柄から刃へ、伝力が通り始めた。
さっきの棒とは、形が違う。
流れは細いのに、ばらけない。
起動で絞れば見える。
でも、見えるだけでは、その人を動かせなかった。




