第29話:修理担当(直すだけとは言ってない)
桐生さんは取っ手から手を離した。
閉まった扉の縁へ、伝力が集まっている。
俺は眼鏡へ流し、どこが強いかを追った。
金具と、床の止め具。
扉の端に隙間があった。見えるのは、その手前までだ。俺は頭を寄せかけ、桐生さんの腕を見て止まった。彼も、その隙間へは手を入れていない。
閉じた向こうで、締め具の動く音がする。何を強くしたか全部知りたくても、先に顔を出せば、相手が何か振る場所になる。
「開ければ、分かりますか」
「押すの、待ってるかもしれねえ」
桐生さんが言った。こちらが壊そうとすれば、その力で別の物を倒すこともできる。
神代さんは、壁へ式神を一枚置いた。先へ進む人が来たら、止めるためらしい。
ひかりさんは壁を見たが、棒を振らなかった。壊せば入れるとしても、その先の人は分からない。
俺は眼鏡へ通す力を減らした。金具の線を見続けても、横から入る道までは見つからない。
扉全部が硬くなったわけではなかった。
「下も、留めてます」
「見えるか」
「留め具のところまでです。中は、分かりません」
神代さんが、扉の向こうへ所属と調査の目的を伝えた。
返事はなかった。
代わりに、重い物を引く音がする。
箱を動かしているのか、人を下げているのかは、聞こえるだけでは分からない。
ひかりさんが、廊下の窓を見た。
向こうの作業場へ、横から入る通路がある。
俺も地図を確かめる。
同じ棟の中へ続いていた。
「扉と勝負してる時間がもったいない」
ひかりさんは神代さんを見た。
神代さんが現地の担当者へ確認し、横の通路を使ってよいという返事を受ける。
桐生さんは俺へ手を向けた。
「先に、足元」
俺は眼鏡の力を一度止め、廊下全体を見た。
つないだ部材が、壁から突き出ている。
ぶつからないようにして、横へ回った。
***
作業場の扉は、半分開いていた。
桐生さんは、すぐには足を入れなかった。扉の厚みと、床へ落ちているものを見る。
ひかりさんも、俺より先に奥を確かめた。俺はその二人の間から、見える棚を数えた。
右の棚は高い。左は腰ぐらいで、道具が並ぶ。中央の箱が動けば、奥から入口へ出る道を塞げそうだった。
そのとき、薄い伝力が棚の下を動いたように見えた。反射的にユラギかと思ったが、近づいてこない。道具へ残ったものが、箱の陰で揺れていただけかもしれない。
俺はまだ分からないとだけ伝えた。
桐生さんは、そこを踏まない方へ足を置く。何かいると断定しなくても、避ける場所を決める材料にはなった。
中には棚があり、奥に搬出用の大きな戸がある。
床の中央には、重い箱が四つ。
その間に、さっきの作業員が立っていた。
手には、大きな締め具を持っている。
「入るなって言ったでしょう」
男が、近くの作業台へ締め具を当てた。
伝力が渡る。
金属の脚が床の溝へ食い込み、通路の半分を塞いだ。
ひかりさんが一歩前へ出る。
その先で、箱の後ろから別の人が立った。
仕事をしていた若い男だった。
袖をつかまれ、作業員の前へ押し出される。
俺は足を止めた。
敵の位置は見えている。
でも、その手前に人がいる。
「その人を離して」
神代さんが言った。
作業員は、若い男の肩を離さない。
「調査なんて聞いてない。現世の人間が、何の権利で」
「現地の担当者も来ている。彼を巻き込む必要はない」
若い男は、俺たちより作業員を見ていた。
雇い主へ逆らったら、ここで働けなくなるのかもしれない。
その顔を見て、俺は一度、手の中を開いた。
道具を握っても、今すぐ振れる場所ではなかった。
若い男は、荷物を持つための手袋をしていた。片方の指先が破れている。自分の手をどこへ置けばいいか分からないらしく、胸の前で握っては開いた。
「彼は、運んでいただけですか」
神代さんが聞くと、作業員は男の肩をさらに引いた。
「余計なことを聞くな。こいつの仕事は、こっちで決める」
若い男は目を伏せた。助けてほしいとも、離してほしいとも言えない。
俺は、逃げたくても動けない顔を知っている気がした。何ができるか分からなかったころ、自分も誰かが先に決めるのを待っていた。
ひかりさんは棒の袋を外して床へ置く。必要なときには届く位置だった。
「その人が、出るだけ。荷物へは触らない」
彼女は相手によって声を変えていた。強く言えば動ける、とは思っていない。
神代さんは入口を空けた。若い男にも、出る道が見える。
俺は足元へ目を動かした。倒せる相手より先に、通れる場所を見つける仕事があった。
***
箱の横から、細い棒が飛んだ。
棚へ当たり、軽い部品が二つ落ちた。一つは入口へ、もう一つは若い作業員の近くへ転がる。
俺は飛んだ物の先を追いかけ、相手の手から目を離した。
次の一投は来なかった。その間に、作業員は机の端へ締め具を当てる。
物を投げたのは、こちらを傷つけるだけのためではなかった。見る場所をずらすためでもある。
ひかりさんが棒を立て、落ちる部品をこちらへ寄せないよう払った。
「遼悟、下がる方」
呼ばれ、俺は入口の脇へ動く。破片がすぐそばへ落ちたが、足は踏まずに済んだ。
身体を強くすることより、落ちる先に足を置かないことが、今は先だった。
ひかりさんが、俺の前で弾く。
金属音がする。
床へ落ちたのは、壊れた道具の部品だった。
「下がって」
言われ、俺は作業台の端へ寄った。
桐生さんは箱の間へ入らず、広いところへ立つ。
相手が何人いるか、まだ分からない。
神代さんの式神が、低く床を進んだ。
棚の裏へ回る。
作業員の視線が一瞬そちらへ動き、若い男の肩を持つ手が緩んだ。
「こっち」
神代さんが呼んだ。
若い男は、すぐには動けない。
ひかりさんが棒を下げ、空いた手を見せる。
「走らなくていい。そこから、こっちへ」
俺は彼の足元を見た。
細い金具が落ちている。
片方の靴が、そのすぐ横にあった。声をかけたら、逆の足を出すかもしれない。
俺は、足の右と言う前に、相手がこちらを向いたときの右と、自分の見ている右を確かめた。
倉庫で、傘の左右を言い直したことがある。同じ間違いを、ここでしたくなかった。
神代さんが男の目を見ている。ひかりさんが、棒を使わず手を示す。
俺だけが床を見ていた。
その役目が、はっきりした。
踏めば、転びそうだった。
「右足に来ます、避けてください」
言うと、若い男が俺を見た。
神代さんの方へ歩き出す。
作業員の手が追いかけたが、桐生さんがその間へ入った。
締め具が振られる。
刃で受けずに、柄を腕の外へ当てる。
男の手が上がり、若い男との距離が空いた。
神代さんが彼を入口へ連れ、現地の担当者へ渡した。
人が一人、戦う場所から出た。
俺はその背中を見送ってから、作業場へ向き直った。
***
起動を使う相手は、初めてではない。
でも、こちらを閉じ込めるために道具を使う人を見るのは、練習とは違った。
締め具が机へ当たるたび、通れる場所が狭くなる。
箱は動かない。
机の脚も、床へ強く留まる。
「全部、留めるわけじゃない」
桐生さんが言った。
俺は男の手を見た。
締め具を当てた場所だけ、伝力が強くなる。
別の場所まで一緒に変わってはいない。
「触ったところ、です」
「どこを動かせる」
俺は机の脚を追った。
四本を一度に見ようとすると、上に置かれた物の伝力まで重なる。
俺は起動を使い、脚の付け根から床へ向かう細さだけを追った。一本目は強い。二本目も、止め具へつながっている。
三本目へ目を動かしたとき、作業員の締め具が机へ当たる。流れが増えた。
「そこ、今、強くしました」
桐生さんは待った。俺が先に見つけた場所へ入っていれば、動かない机を押すことになっていたかもしれない。
最後の一本を確かめる。床と足の間に、少しだけ空きがある。
強い物を探すだけではなく、力の渡っていない場所を捜す。
試験では違う品を見分けた。ここでは同じ机の中で、違う使われ方を捜していた。
一本だけ、床へ届いていない。
その脚には、力が寄っていなかった。
「あの奥の脚。今は、通ってないです」
桐生さんが回り込み、机の端を押した。
重い音がした。机そのものは、軽くなっていない。
桐生さんの腕にも、力が入っている。
ひかりさんは、動いた机の上へ置かれた箱を押さえた。角度が変わった分、そのままではこちらへ滑ってくる。
二人が違う物を持つ間に、下へ道ができる。
俺は、隙間が空いたと報告する。すぐに入ろうとはせず、誰を先へ通すかを見る。
神代さんは、入口へ下がった作業員の位置をもう一度確かめた。
現地の担当者が来て、空いた場所から男へ近づく。
一つを強く留める相手に対し、こちらは物を別々に扱っていた。
誰か一人が机を全部壊すより、仕事が細かく分かれている。
強く留めた部分を中心に、少しだけ角度が変わる。
人が通れる隙間ができた。
ひかりさんが、その間を抜けた。
作業員が締め具を振る。
彼女は棒の中央で押さえ、手首の位置をずらした。
派手な音はしなかった。
男の道具が床へ落ち、桐生さんが蹴らずに足で押さえる。
作業員は道具へ屈もうとした。桐生さんの足が動かず、手が止まる。
「拾わせねえ」
ひかりさんは棒を前へ出し、男と入口の間を塞いでいた。強く打つのではなく、動けば先に触れる距離だった。
机には、まだ流れが残っている。道具を落としても、脚は床へ寄っていた。
「机、まだ残ってます」
神代さんが伝え、入ってきた担当者も足元を見る。
力を抜け、と指示され、作業員は何か言いかけた。ひかりさんが棒を少し下げる。彼は俺を見てから道具へ目を落とし、机へ残る強さが徐々に薄くなった。
俺は、全部消えたとは言わず、さっきより弱いと報告した。どれぐらいで安全になるかまでは知らない。そこを判断する人へ、変化だけを渡した。
棚の下には、逃げた人の靴跡が残っていた。片方だけ滑っている。短い距離でも、人が通る間は攻撃を待つ必要があった。
担当者が作業員の腕を押さえる間、ひかりさんは棒を下ろさなかった。
男は、もう抵抗していないように見えた。けれど、足を机の縁へ寄せ、誰かが道具を拾う瞬間を待っていた。
ひかりさんがその足の前へ棒を置く。
「蹴らない」
男の靴が止まる。
道具を落としたあとにも、手と足はある。能力を使う人でなければ危なくない、と考えたら、そこで怪我をする。
俺は拾われる締め具ではなく、男の足を見た。
何を見ていたらよいかが、一つずつ変わっていく。
最初に決めた物を最後まで追うだけでは、戦いは終わらなかった。
現地の担当者が入ってきた。
男を引き受ける。
俺は道具を見て、眼鏡の流れを止めた。
使う場所が決まっているなら、強いところを壊さなくても道がある。
それを自分で見つけられたことが、少し嬉しかった。
***
神代さんは、喜ぶ前に、床の箱を見た。
入口にいた若い男が、棚の下を見ていた。声をかけられると、自分の鞄があると答える。
神代さんは、取りに行かず場所を教えるよう伝えた。
小さな布の袋だった。俺には他の荷物と区別がつかない。担当者が持ち主の説明を聞き、取ってよいか確認する。
俺は、近くに固定の残りがないか見た。見える範囲に強い流れはない、と伝える。
男は袋を受け取り、何度も礼を言った。俺にも頭を下げたので、返事に詰まる。
「足元、教えてくれたから」
あの短い言葉を覚えていたらしい。相手を倒した人に言えばいいのに、と思った。でも、彼は自分の足を引けたことを話している。
俺も、返事をした。
彼は今度は自分で床を見て、入口から出ていった。その後ろを、担当者が歩いた。
札と中身を確かめる作業を、現地の担当者へ頼む。
開けてよい箱だけを、一つずつ開けてもらった。
中には、使われていない部材が並んでいた。
「処分済みと書かれた物に、型が合います」
エイリクさんから、通信で返事が来た。
こちらが伝えた番号を、彼が記録と比べている。
俺が見るだけでは、言えなかったことだ。
ひかりさんは、若い男のいた場所へ目を向けた。
壁際に、小さな袋があった。
弁当のような包みが、口の開いたまま置かれている。
まだ昼食を食べていない人が、急に巻き込まれたのかもしれない。
俺は自分の鞄を思い出した。
「ここ、普通に働いてる人もいるんですね」
「そりゃ、いるでしょ」
ひかりさんは、袋に触れなかった。
持ち主に確認してもらうよう、担当者へ伝える。
奥の搬出戸が、少しだけ開いた。
俺は音へ顔を上げる。
走る足が見えた。
箱を持たず、紙の束だけを抱えている。
「奥、一人。紙を持ってます」
神代さんが通信へ伝えた。
現地の担当者が、逃げるなと呼ぶ。
その人は振り返らず、階段を下りた。
***
階段の下は、外の荷捌き場だった。
外の明るさで、一瞬、目が細くなった。さっきまで見ていた棚の陰と、同じ濃さでは見えない。
起動を通しっぱなしにせず、足元の段差を見て降りる。
ひかりさんは、先に出た桐生さんとの距離を確かめた。神代さんは通信の返事を待っている。
俺は、置いていかれたくなくて、最後の段を飛びかけた。
途中で足を戻し、ちゃんと降りる。
人を追っているときに転べば、全員を止める。さっき鞄を受け取っていた作業員も、入口へ出るまで何度も床を見ていた。
守られる人の動きは、遅いから無駄なのではない。
急ぐ自分が、そこを忘れそうになっていた。
石の床へ、荷車の跡が残っている。
二つの道があり、片方は大通りへ戻る。
もう片方は、低い建物の間へ続いていた。
神代さんは、先に走らなかった。
地図と現地の返事を確かめる。
俺たちが入れる範囲の中だ。
ただし、その先の橋を越えると区域が変わる。
「橋の前まで。向こうへ出たら、こちらから管理局へ連絡する」
俺はうなずいた。
目の前にいるからといって、追ってよい場所まで増えるわけではない。
桐生さんが先へ行く。
ひかりさんは、道の横から人が出ないかを見ている。
俺は紙の束を持つ人の背中へ目を向けた。
途中で、見えなくなる。
建物の角へ隠れた。
その先の位置を言いかけて、やめる。
「角へ入りました。今は、見えません」
「分かった」
神代さんが返事をした。
紙の式神が、俺たちより低いところを走る。
知らない路地へ顔を出す前に、先の人影を確かめる。
途中で別の荷車が止まっていた。車輪が溝へ落ち、押す人が身体を傾けている。
先へ行くには、横を通らないといけない。桐生さんは、邪魔だと押さなかった。端をつかみ、車輪を溝から戻す。
「端へ。今、通る」
持ち主が道を空ける。ひかりさんが上の箱へ手を添え、落ちないようにした。
追っている最中でも、一度止まる。その間に相手が遠くへ行くかもしれない。でも、人を転ばせて走る道ではなかった。
俺は先を見た。角の向こうは見えないが、足音が続いている。
「まだ、奥です。荷車の音じゃない」
神代さんは式神の報告と合わせ、進む方を選んだ。自分の聞こえ方だけで決めなくていい。そのことを思い出しながら、俺も走った。
俺は息を整えた。
走ると、眼鏡への流れが乱れやすい。
ずっと起動させておくのではなく、角へ着く前に一度止める。
角の手前で、足を緩めた。
***
路地へ入ると、逃げていた男は止まっていた。
奥の橋の方へは進んでいない。手前の男へ、何かを渡そうとしている。
俺は距離を見た。今、走れば紙へ届くかもしれない。
でも、その横の人が、どんな道具を持っているかはまだ分からない。
試験で見つけた品は、手を出さずに報告してよかった。ここでも、まず場所を渡す。
神代さんが短く返事をし、相手へ止まるよう声をかけた。
男は、その声へ一度だけ顔を上げる。逃げた人を守るために来たのか、記録を受け取るためなのか。
どちらにしても、俺たちが近づくのを待っているように見えた。
俺は桐生さんの後ろから外へ出ず、地図を鞄へ戻した。両手を空けるのに、思っていたより時間がかかった。
橋へは、まだ少し距離がある。
前に立つ別の男へ、紙の束を押しつけようとしていた。
「検査の記録だけでも、先へ」
言いかけた声が止まる。
こちらに気づいた男が、短い道具を引き抜いた。
検査に使う物なのか、戦うための物なのかは分からない。
ただ、そこへ通る伝力のまとまりが、さっきの締め具とは違った。
ひかりさんが俺の前へ腕を出す。
「近づかない」
桐生さんは、男の右へ回ろうとした。
その足元で、金属が鳴った。
男が道具の先を、地面に置かれた板へ当てる。
板が跳ね、石の道を滑った。
俺はその流れを見た。
押した力が、道具を離れたあとも続いている。
普通に転がっているだけではない。
桐生さんが避ける。
板は壁へ当たり、割れた。
破片が足元へ散る。
「私のを使うよ」
神代さんが、短く言った。
さっきまで見つけた隙間が、今度は何の意味もない気がした。
男は、こちらへ道具を向けた。
その後ろで、紙の束が風に揺れた。
俺は眼鏡へ伝力を通し直した。
今度は何を見落とすか、自分でも怖かった。




