第26話:試験会場に異世界は含まれていません
試験の朝、俺が最初に探したのは、入口だった。
案内の住所へ着いたのに、建物の名前が違う。
道路へ面した事務所の窓には、催しの準備をする人が映っていた。
神代さんは携帯を出さず、俺を見ている。
「裏側の受付、って書いてある」
紙を見直した。
確かにあった。
建物の脇へ回ると、小さな案内が出ている。
「今のも、採点されますか」
「私は試験官ではないよ」
否定されたのは、そこだけだった。
俺は申請の控えを持ち直した。
現世にある、試験用の施設だった。
外側へ行く資格を取るために、資格のないまま外側へ行く必要はない。
受付で名前と所属を答え、認定証を出す。
第1班の事務所で受け取った物を、今日は自分から渡した。
担当の人は書類を見て、奥の机へ案内した。
「推薦は確認しています。今日は、起動の確認と捜索、それから終了の報告までです」
神代さんは、受付より先へ来なかった。
「迎えは、ここ。困ったら、試験の担当者へ言うんだよ」
俺はうなずいた。
顔を上げると、もう試験官の人が待っている。
初対面の人へ説明するところから、今日は自分の仕事だった。
待合の椅子には、俺より年上の人が二人いた。
片方は手袋を確かめ、もう片方は、薄い書類の束を読んでいる。
武器を持つ人ばかりではなかった。
俺が受付でもらった番号を見ると、隣の人が、同じ試験かと聞いた。
「捜索の方です」
「私は、品の確認。戦う仕事じゃなくても、入るためには色々あるね」
相手は鞄へ紙を戻した。
それ以上、何を調べるかは聞かなかった。
俺も聞かない。
待つ人の仕事が違っても、受付で名前を呼ばれたら、自分で返事をするのは同じだった。
試験官は、机へ椅子を引くと、荷物を置く場所を示した。
俺は鞄を壁際へ寄せる。
認定証は、まだ机の上にある。
試験官の指が、所属の欄と推薦の欄を順にたどった。
「第1班で登録した伝力の記録はこちらで確認しています。今日は、その登録をし直す手続ではありません」
俺はうなずいた。
手続が増えるたび、同じことを何度もやるのかと思っていた。
所属していること。推薦が届いていること。実際に道具を使えること。
紙の上では、違う欄になっている。
「分からない指示があれば、始める前に聞いてください」
試験官が続けた。
「試験が始まってからも、危険や体調についての連絡はできます。黙って最後まで続けることを評価する試験ではありません」
俺は、少しだけ息を吐いた。
できないことを言ったら、そこで落ちるのではないかと考えていた。
机の道具を見せられる前に、その言葉を聞けたのは助かった。
***
起動の確認では、いつもの紙とは違う物が出た。
小さな留め具。木片。布の袋。
机に並べられる。
「道具の使い方を、先に説明してください」
俺は眼鏡へ触れた。
「見えている伝力のうち、見たいものを絞って、細かく追いやすくします。隠れた物は見えません」
「使用していないときも、伝力は分かる?」
「はい。これは、それを使いやすくするための物です」
言い終えると、試験官は眼鏡を外せとは言わなかった。
生来の見え方と、道具でしていることを確かめたかったらしい。
机の物へ目を向ける。
三つとも、薄く伝力がある。
流れを通し、留め具の端へ絞る。
曲がった金属の内側に、細い重なりがあった。
布の袋より、残り方が短い。
「留め具の、輪の内側です」
試験官がそれを回した。
見えなくなった部分を、俺は追うのをやめる。
別の角度から見えるところへ、目を動かした。
「戻してください」
言われて、眼鏡への流れを止めた。
「疲れや、見え方の変化は」
「続けると、目の奥が重くなります。絞っているところへ注意が寄るので、周りを見直す必要があります」
弱点を言うと落ちるのではないか、と一瞬思った。
でも、隠しても使っているうちに困る。
試験官はそのまま書き込み、俺へ休む時間を示した。
***
捜索の前に、目的物を見せられた。
丸い金具へ、短い布が結ばれている。
布の端には、見覚えのない模様があった。
俺は手を伸ばす前に、触れてよいかを聞いた。
「今は、構いません」
受け取る。
金属の縁より、布の結び目へ伝力が残っていた。
それだけで決めず、裏側も見る。
模様の端が一か所、欠けていた。
「指定区域で捜して、所在を報告してください。持ち帰る必要はありません」
俺は顔を上げた。
「見つけても、触らなくていいんですか」
「今回の指示は、所在の確認です」
試験官は地図を渡した。
建物の裏にある、中庭と二棟の作業棟。
赤い線の外へ出ないこと。
終了時刻には、見つかっていなくても受付へ戻ること。
俺は、開始から使える時間を指で確かめた。
捜す時間だけでなく、帰る時間も、この中に入っている。
地図のいちばん遠い棟まで行くなら、先にどれぐらい戻る必要があるかを知りたい。
「時計は、これを使っていいですか」
携帯を見せると、構わないと言われた。
ただし、施設の中で道を調べるためのものではない。
渡された地図を使い、指示された区域から出ないこと。
俺は、画面の時刻だけを出した。
地図には、扉の印があった。
全部が自由に開くとは書いていない。
鍵のある部屋へ、目的物がある場合も考えてしまう。
「入れない場所にあると思ったら、どうしますか」
試験官は質問を返した。
「指示では、どうなっていますか」
俺は紙を見る。
指定区域の中でも、閉鎖の表示がある場所へは入らない。
あった。
「無理に入らず、場所と、そう思った理由を連絡します」
「はい。その指示で進めてください」
答えを教えてもらったわけではない。
最初にもらった紙を、もう一度読んだだけだった。
それでも、出発する前より、地図が使いやすくなった。
危険を感じたら、連絡して中断できること。
俺は一つずつ聞き、地図を畳んだ。
道を全部覚えたつもりで、出発しようとして止まる。
戻る場所へ、印をつけていなかった。
受付の位置を丸で囲むと、試験官が扉を開けた。
***
中庭には、秋の葉が溜まっていた。
乾いた端が、風に押されて足元を通る。
試験のためだけに作られた場所ではないらしく、壁には古い看板の跡があり、水道の下には使い込まれた桶が重なっていた。
道は二つに分かれる。
俺は近い作業棟へ向かった。
入口の横に、目的物と似た布があった。
伝力もある。
近づくと、結び方が違った。
模様の欠けた場所もない。
俺は時計を見た。
早く見つけたいと思った途端、似ている物が正解に見える。
「こっちは、違う」
声に出してから、その場所を地図へ小さく書いた。
戻ってきたとき、また同じところを探さないためだった。
棟の中では、机を運ぶ人が二人いた。
試験の係か、本当の作業員かは分からない。
通っていいか聞くと、一人が俺の地図を見た。
「奥なら、右から。左は今、床を開けてる」
目を向けると、板が外されていた。
暗い隙間から、伝力は感じない。
何もいないから安全、とは言えない穴だった。
俺は礼を言い、右へ回った。
奥の棚には、袋が並んでいた。
一つずつ見れば、どれも薄いものがある。
眼鏡へ通す。
最初に見た結び目の、短く重なる感じを思い出した。
棚の下から、少しだけ似たものが見える。
しゃがみかけたとき、背後で台車が鳴った。
俺は立ち、道を空けた。
紙へ集中していた最初の日なら、聞こえていても動かなかったかもしれない。
台車が通ってから、もう一度しゃがむ。
目当てに似た物は、棚の脚に残った古い紐だった。
違う。
俺は眼鏡への流れを止めた。
棚の向こうで、空いた箱を畳む音がした。
俺は、一度そちらへ目を向ける。
手元の紐を調べ続ければ、もっと似ているところを見つけられるかもしれない。
でも、模様が違うと分かった以上、残る時間をそこで使う理由は薄い。
似ていない理由を探すのと、似ているところを増やすのは違う。
家で、解けない問題へ同じ答えを何度も当てはめたときのことを思い出した。
棚の場所を地図へ書く。
俺はその横に、小さく『紐』と足した。
目的物ではない物を、もう一度目的物として見ないためだった。
棟を出るところで、さっき机を運んでいた人が声をかけた。
「探し物、まだ?」
俺は、はいと答えた。
早く見つけられないことを、言い訳したくなる。
でも、その人は笑わず、もう一方の棟にも人がいると教えてくれた。
「同じ物を持って歩いてる人を見た?」
「それは、分かりません。持ってるところまでは、見てなくて」
「ああ、そう。じゃあ、あっちでも聞いてみるといい」
見えたことだけを言うと、話が止まると思っていた。
本当は、分からないところから、次に聞く相手へ進めることもある。
まだ半分も時間は過ぎていないのに、焦っている。
立っているところを地図で確かめ、次の棟への道へ戻った。
***
渡り廊下の先で、低い音がした。
俺は足を止めた。
床の近くを、細い伝力が動いている。
ユラギに似た形だった。
それが試験用なのか、たまたまいるのかは分からない。
お守りのあるポケットへ、手が寄った。
ここで倒せば進める。
でも、捜すように言われた物は、その向こうにあると決まってもいない。
反対側には、地図に載っている道があった。
俺は連絡の道具を出した。
場所を言い、通路の床に動くものがあることを伝える。
返事が来た。
『無理に近づかず、別の経路を使ってください』
分かりました、と答える。
相手は、倒せないのかとは聞かなかった。
別の道は、少し長かった。
中庭を回り、低い階段を上る。
目の前のものから逃げたような気持ちが、少しだけ残る。
でも、次の棟へ着いて時計を見ると、まだ捜せる時間はあった。
立ち止まって戦うより、早かったかもしれない。
扉の取っ手へ手を掛けたところで、内側から声がした。
「少し待って」
俺は手を離した。
中から箱が出てくる。
抱えた人が見えないほどの大きさだった。
扉を押さえると、その人は礼を言い、箱を床へ置いた。
「ここで、小さい金具を探してるんですけど」
聞いてから、特徴を説明した。
伝力がどう見えるかではなく、布の色と形を言う。
その人は首を傾げた。
「棚の上に置いた物ならあるけど、触らないでって言われてる」
俺は顔を上げた。
人に聞けば、すぐ答えが来ることもある。
ただ、それが目的物かは、まだ分からない。
***
棚は、背より少し高かった。
箱の上から、布の端が出ている。
見えている部分は、似ていた。
俺は椅子を探しかけ、地図を持った手を止めた。
棚の横に、横から見られる小さな隙間がある。
机を動かしてよいか、さっきの人へ聞く。
許可をもらい、軽い机を少しずらした。
狭い場所へ身体全部を入れず、顔の位置だけを変える。
布の結び目が見えた。
眼鏡へ伝力を通す。
短く重なった残り方。
裏の模様にある欠け。
両方を確かめる。
「見つけました」
連絡の道具へ言い、棟と棚の位置を伝えた。
触らず、見えるところから報告したことも添える。
『確認に向かいます。そこから動かさず、待ってください』
俺は時計を見た。
戻る時間を考えると、長くは待てない。
迷ってから、そのことも言った。
『分かりました。係が着いたら引き継いで、戻ってください』
声を出すと、困っていた二つが一緒に進んだ。
目的物を見守ることと、終了までに戻ること。
どちらかを勝手になかったことにしなくてよかった。
係の人が来るまで、俺は眼鏡の力を止めた。
棚は見ていられる。
細かい流れを追い続ける必要は、もうなかった。
***
受付へ戻ったとき、神代さんは同じ椅子にいた。
俺の顔を見ても、先に結果を聞かなかった。
「おかえり」
その一言で、肩の力が抜けた。
俺は試験官の前へ座り、見つけた場所と通った道を話した。
危険を避けたところも、別の物を間違えかけたところも話す。
「最初の布を、なぜ目的物と判断しなかった?」
「結び方と、模様が違ったので。伝力が似ていても、同じとは言えないと思いました」
試験官は、俺の地図へ目を落とした。
「捜索中に、もっと強いものが近づいたら?」
「目的物より、戻れる道を先に見ます。分からなければ、連絡して指示を待ちます」
ひかりさんみたいに倒せるとは言わなかった。
俺が何をできるかは、今日の試験で見られている。
できないことも、その中にある。
結果は、必要な確認を経て連絡すると言われた。
控えを受け取るとき、俺は試験官へ一つだけ聞いた。
「見つけられなかったら、その時点で終わりだったんですか」
「結果だけでは決めません。何をして、なぜそうしたかも確認します。ただ、見つけられないままでよいという意味でもありません」
簡単な慰めにはならなかった。俺は、はいと答える。
試験官は俺の地図を返した。赤い線の中に、迷った場所と、聞き直した場所がある。
正解の道が一本引かれている地図ではない。それでも、自分が歩いたことは残っていた。
受付へ向かう廊下で、次の受験者とすれ違った。道具の袋が大きい。
俺の眼鏡と比べる前に、その人も受付で足を止め、案内を読み直していることに気づいた。
俺はその横を通り、荷物を受け取った。
俺は礼を言い、書類を受け取る。
建物の外へ出ると、風が少し冷たかった。
「倒さずに、回りました」
神代さんへ言うと、うなずいた。
「ちゃんと戻ってきたね」
強いとは言われなかった。
今日は、それでよかった。
駅へ向かう前、俺は中庭の方を振り返った。
試験中は目的物を捜していたので、ほかのことを見ていなかった。
地面には、さっきと同じ葉がある。
扉の前で、担当の人が箱を持つ人へ道を空けていた。
施設の人たちの仕事は、俺の試験が終わっても続いている。
「試験のために、邪魔しちゃったところ、あったかもしれません」
神代さんに言うと、少し考えてから答えた。
「邪魔になりそうなときに、聞けたかどうかも、今日の経験だね。次に仕事で行く場所でも、そこを覚えておくといい」
合格かどうかを、まだ聞きたかった。
でも、その質問へ答えられる人は、ここにはいない。
俺は携帯を出し、家へ終わったと送った。
母さんからは、帰りの予定を聞かれた。
試験の内容より、今どこにいるかを、先に答える。
その順番が、今日は少し自然だった。
***
後日、結果が届いた。
合格の文字を見た瞬間、俺はもう一度読み直した。
起動の確認と、捜索技能。
その下には、活動の範囲と、帰還の条件を守ることが書かれている。
神代さんは、第1班で済ませた伝力登録の記録も確認した。
初めて登録する話ではない。
所属の認定証と、申請の紙を並べる。
エイリク男爵の推薦も揃っている。
交付のとき、認証具は小さなケースに入っていた。
表面の印を見ても、俺には全部は読めない。
担当者は、使える土地を地図で示した。
工房のある町と、指定された通行経路。
「区域の外へ出れば、管理局へ警報が届き、帰還の措置になります。悪質な場合は拘束の対象にもなる。自分で近道を作らないように」
俺は地図の線を見た。
試験の赤い線を思い出す。
違う世界へ行ける物なのに、行ってはいけない場所も、一緒に渡された。
有効期間の説明も受け、申請の控えへ書き留めた。
受付の人は、地図へ二つの印をつけた。行き先と、帰るための場所。
「入れる土地の中なら、どこへ行ってもいいんですか」
俺が聞くと、首を振った。
「土地の許可と、建物へ入る許可は別です。町へ入れても、他人の家へ勝手には入れません」
当たり前のことだった。なのに、地図で線をもらうと、その中が全部自分の歩ける場所に見えかけていた。
担当者は俺の控えへ、問い合わせる相手も書いた。認証具に何か表示されれば、読めないまま自分で判断せず、その人へ聞く。
神代さんは、外で待つ間に家へ連絡する用意をしていた。
「試験は終わった。渡航は、これから日程を組む。その順で伝えるね」
俺はうなずいた。合格した嬉しさで、明日にでも行けるような気持ちになっている。
同じ欄へ、まだ決まっていないことまで書き込まないようにした。
ケースを開けると、小さな道具が収まっていた。伝力を通すための眼鏡とは違う。強くするためではなく、人が通ってよいかを確かめる物だ。
それがあるから安全、ではない。使える範囲を守ることも、持つ人の仕事になる。
試験の地図を返したあとにも、その考え方は残っていた。
帰りの駅で、家へ合格したと送った。母さんからは、おめでとうのあとに、いつ帰るかと返ってきた。
今日のうちに別世界へ行くと思われていないか、少し心配になり、先に帰ると答えた。
分からない文字は、その場で読んでもらった。
誰かへ貸して試す気にはならなかった。
外へ出ると、桐生さんが待っていた。
「受かったか」
「はい」
「じゃあ、次は持ってく荷物だな」
もう行くと決まっているような言い方だった。
俺はケースを鞄の内側へ入れた。
所属の認定証の隣に、もう一つ場所を作る。
試験が終わったら、全部終わる気がしていた。
本当は、これから使うために受けた試験だった。




