↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
球体世界の観測者 ~見えるだけの少年は、陰陽寮で世界の裏側を知る~  作者: 雅貴
第2章第1節

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/53

第20話:コップは無害、お取引は有害

十三日目、杯の資料は、俺が第11班へ着く前に増えていた。

昨日までの輪郭の図に、別の絵が重ねられている。

杯の側面にある細い模様を、拡大したものだった。

古い記録の写しらしい。

文字は、やっぱり読めない。

その横へ、読める言葉で説明がついていた。


「昨日の夕方、ようやく追加が届いた」


神代さんが言った。

俺は、机の前で足を止めた。


「向こうからですか」


「第2班が照会していた先から。使節の持ってきた説明だけでは足りなかったところを、補っている」


同じ外側でも、返事をする人が違えば、出てくる物も違う。

使節の顔だけが、外側全部の顔ではない。

頭では分かっていたが、机の紙が増えるまで、そのことを忘れていた。


ひかりさんが、机へ肘を置いて紙を見た。


「最初に出してくれればいいのに」


「昨日も、同じこと思いました」


俺が返すと、ひかりさんは顔を上げた。


「昨日だけ?」


一日目から、毎日思っていた。

返事の代わりに、俺は小さく笑った。

神代さんは紙の端を揃えた。


「今日は、昨日確かめた品と、この記録を合わせる。運んだ人の確認も来ている」


俺は鞄からノートを出した。

見た杯の形を、少し描いてある。

絵としては、かなり下手だった。

それでも、大きさの感じと、傷の場所は書いた。

見た印象だけが、確認の全部にはならない。

今日も、そこから始まった。


***


資料には、杯が使われた場面の説明があった。

古い集まりの場で、交わされた印のような品だという。

何かの力を放つ道具としての説明は、ない。

保管中の扱いも、特別な起動のためではなく、古い表面と縁を傷めないための注意だった。


「飲むための杯、なんですか」


俺が聞くと、神代さんは資料を見直した。


「形の由来はそうらしい。ただ、今回の品は、使うためというより、出来事を残すために保管されてきたものだね」


何の出来事なのかも、紙には書いてあった。

知らない人の名前と、知らない時代。

読んでも、俺の頭の中に景色はできなかった。


「俺には、ちょっと分からないです」


言うと、神代さんはうなずいた。


「知らない出来事だからね。こちらの古い品も、来歴を知らなければ、そう見えることはある」


俺は家の棚にある物を思い出した。

父が、昔使っていたと説明した小さな道具。

使い方を聞く前には、何の部品か分からなかった。

だからといって、その杯が急に好きになったわけではない。

目の前の写真は、昨日見た古い杯のままだ。


「じゃあ、危ない物じゃない」


「資料の上では、危険な作用を持つ品とは示されていない。現物との照合と、周りの確認も合わせて判断する」


神代さんは、言い切る前に順番を置いた。

俺は、危なくない、と書く手を止めた。

その下に、確認中、と書く。

前へ進んでも、まだ、その二文字が必要だった。


秋庭さんが、運ぶための箱を机へ置いた。

内側へ柔らかい物が敷いてある。

見たことのない道具ではなく、品に合わせて整えた箱だった。


「昨日の大きさと、図の寸法を合わせたの。入れる位置を確かめてから使うわ」


壊さず返せ。

使節の言葉だけ聞けば、注意して持てば済むと思えた。

持つ前にも、置く場所を作る人がいる。

俺は箱の縁へ触れそうになり、手を引いた。

勝手に触らなくてよい物は、まだ多かった。


***


出る前に、神代さんが、今日俺に任せることを確かめた。

見える範囲で、昨日と違うことがないか。

誰がどこへ動いたか。

資料を見た後の思い込みを、そのまま現物へ重ねないこと。


「危なくないと聞いたら、見え方も変わるかもしれないですね」


俺が言うと、神代さんはうなずいた。


「怖いと思って見ると、普通の動きまで大きく見えることはある。逆もあるだろうね」


俺は、ウベリクの顔を思い出した。

俳優みたいだと思った。

それから、怪しいと思った。

実際に能力を使われるまで、同じ手の動きも別に見えていた。

見える力は、思い込みを全部防いでくれるものではなかった。


秋庭さんが、箱を持ち上げた。

俺は手伝おうとして、先に聞いた。


「持つ物、ありますか」


「資料の鞄をお願い。箱の位置は、私が確かめてあるから」


俺は鞄を受け取った。

見ているだけではなく、普通に持って運ぶ仕事もある。

中の紙は、杯よりずっと多い。

今回ここまで来るのに増えた物の重さが、持ち手から手へ伝わった。


欲宮さんの家へ行くと、昨日と同じ人が迎えてくれた。

今日は、秋庭さんも一緒だった。

箱と資料を持ち、展示室へ向かう。

階段を上る必要はなく、廊下をまっすぐ歩けばよかった。

昨日迷った扉の位置を、俺はもう覚えていた。


欲宮さんは、展示室の入口で待っていた。

服は昨日と違う。

似た色の、似たように上質な服だった。


「どうだったかね」


最初に聞いたのは、それだった。

安全かどうかを尋ねたのか。

価値の説明が正しかったかを尋ねたのか。

欲宮さんの目は、杯の台へ向いていた。


神代さんは、昨日の位置が保たれていることを確認した。

周囲に置いた目印も、変わっていない。

搬入に関わった人の状態を聞き、回答の記録を合わせる。

資料の模様と、杯の側面。

図の傷と、現物の縁。

ひとつの違いで別の品にならないか、慎重に見ていた。


俺は、入口寄りから見た感じを伝えた。

昨日と比べて、分かる変化はない。

強い伝力の流れも、拾えない。

それが証明ではないことも、前へ付け加えた。

神代さんは、同じように記録した。


秋庭さんが、小さな道具を台の近くへ置く。

俺が習ったものとは少し違った。

何を確かめるためかは、短く説明されたが、自分で扱えるとは思わなかった。

見ている人の仕事が、全部、見ることだけで済むわけではない。


欲宮さんは、その手順の間、何度か時計を見た。

予定があるらしい。

俺たちにも学校や仕事の予定があるということを、この人は気にしているだろうか。

思ってから、自分も時計を見た。

足が痛いから、早く終わってほしい。

その気持ちだけなら、俺にもある。


***


照合が終わり、神代さんが連絡を入れた。

黒江班長へ、ここまでの結果を伝える。

第2班で確認した資料とも、内容が合っていた。

会話のあと、神代さんが俺たちへ向き直る。


「今回の品は、危険な作用を持つ道具ではなく、歴史的な記念品として扱います。運ぶ際は、破損を避けるための手順で進めます」


俺は杯を見た。

同じ物だった。

昨日、危ないかもしれないと見た杯が、今日は、古い記念品になる。

変わったのは、杯ではなく、こちらが持っている情報だ。


「では、展示していても問題ないということだね」


欲宮さんが言った。

神代さんは、すぐ首を振った。


「安全性の確認と、所有の経路は別です。今回の品は回収します」


欲宮さんの笑顔が、今度は戻るまで少し時間をかけた。


「買った代金の話は」


「売り手との取引については、記録を分けて確認します。ただ、この品を返さずに置く理由にはなりません」


声は、大きくならなかった。

だからこそ、欲宮さんが言葉を選んでいるのが分かった。

支払った金額の大きさと、目の前からなくなる物。

この人にとって、損をする話だった。


「私も、説明を受けて買っただけだ」


欲宮さんは、机に置かれた購入の紙へ手を向けた。

神代さんは、その紙を見た。


「昨日、経路に問題がある可能性を認識されていたと伺っています。その点も記録してます」


俺は昨日の返事を思い出した。

何も知らなかったとは言わない。

欲宮さんも、忘れていない顔だった。

丁寧な口調で話しても、昨日言ったことは、今日の机へ残る。


***


杯を動かすのは、秋庭さんだった。

神代さんが手順を確認し、ひかりさんが周りの位置を見る。

俺は入口の近くで、誰がどこを動いたか記録した。

強い能力を使う場面は、なかった。

布を重ね、傾けずに持ち上げ、箱へ移す。

そのひとつずつに、確認の声がある。


台から離れた杯は、昨日より小さく見えた。

立派な灯りも、台も、後ろの絵も、ついてこない。

傷のある物が、柔らかい布へ沈んだ。

片手で持つには大きく、両手で扱えば余裕がある。

どちらの印象も、間違ってはいなかった。


空いた台が、展示室に残る。

欲宮さんはそこを見ていた。

思い出の品を失う人の顔ではなかった。

用意した場所に、見せる物がなくなる顔だった。

俺には、そう見えた。


神代さんは、受け取った状態を欲宮さんと確認した。

欠けていないか。

傷は、元からどこにあったか。

後から、新しく壊したと言われないためでもあるのだろう。

箱の蓋が閉まった。


「こちらのほかの物についても、経路を確認しておいてください」


神代さんが言った。

欲宮さんは、ゆっくりうなずいた。

同意したのか、聞いたというだけなのか、俺には分からない。


「今後、同じ経路での入手を続けることは、問題があると認識してください。今回の件は、注意だけで記録がなくなるものではありません」


欲宮さんは、もう、若いねとは言わなかった。

俺の制服にも、目を向けなかった。

会話は、神代さんと、この家の持ち主の間にあった。

俺は空いた台の下を見た。

そこへ、また別の物が置かれるのだろうか。


***


帰る準備を始めても、ほかの展示品は残った。

細い植物みたいな置物も、小さな短い刃も、見たことのない器もある。

全部が盗まれた物かどうかは、分からない。

全部が無事に扱える物かどうかも、分からない。


俺は、ひかりさんへ目を向けた。

ひかりさんは箱の方へ寄り、周囲を確認していた。

物をもっと持ち出すつもりはない。


「これだけ、なんですか」


声が、小さく出た。

神代さんが聞き取って、俺を見る。

欲宮さんも、顔を上げた。

言う場所を、間違えたかもしれない。


「今回、確認して回収するのは、この品だよ」


神代さんは、まずそれだけ答えた。

俺は、ほかの台を見ないようにした。

見ないようにすると、余計、そこに残るものが気になった。


欲宮さんが、少し笑った。


「ここへある物全部を、持ち帰るわけにはいかないだろう」


分かっている。

分かっていないと言われたようで、腹が立った。

俺は、返事をしなかった。

神代さんが、こちらへ少し寄る。


「必要な確認は、別に続けます。それと、今日ここで一括して押収することは同じではありません」


欲宮さんへの言葉だった。

俺にも、聞こえる言葉だった。

今回は、この杯を追っている。

違う品の話へ広げるなら、それぞれに確かめることがある。

後ろ暗そうだから全部、と決める権限を、陰陽寮が持っているわけではない。

それを教わっていても、空いた台の周りに残る物へ、気持ちは追いつかなかった。


***


玄関へ戻る途中、ひかりさんが俺へ歩く速さを合わせた。

箱は、神代さんが持っている。

俺が持ってきた資料の鞄は、帰りも同じ重さだった。

回収した分だけ、こちらの荷物が増えていた。


「まだ、見てる」


ひかりさんが言った。

俺は、後ろへ向けていた顔を戻した。

展示室の扉は、もう閉まっている。


「全部、怪しく見えたんです」


「怪しく見える物が、全部今回の物にはならない」


「はい」


「気にするのと、勝手に取るのは違う」


俺は、欲宮さんの笑顔を思い出した。

こちらが手を出せない範囲を、知っている笑い方だった。

知らない自分が、子供へ戻されたような気がした。


「分かってて、買ってるんですよね。なのに、こんな普通に」


言葉が、途中で止まった。

どうなれば普通ではなくなるのか、俺自身、考えていなかった。

神代さんに、全部取り上げてもらうのか。

家の中を、空にするのか。

その先を考えると、欲宮さんの物と、そこで働く人の物まで、俺には分からない。


ひかりさんは、俺を見た。


「ちゃんと嫌だと思っていい。でも、やることは、別で決める」


短い言葉だった。

使節へ腹を立てながら、黒江班長の話を待っていた人の言葉だった。

俺は、制服の袖を見た。

いろんな場所で、手を出す前に止められた。

臆病だから止まったときもある。

役割を知って、止まるべきときもある。

同じ止まり方ではなかった。


秋庭さんが、玄関の人へ、今後の連絡先を渡した。

杯に触れた人へ、あとで気になることがあれば知らせてほしいという。

欲宮さんだけではなく、運んだ人も、確認した相手だった。

俺はその紙を受け取る手を見た。

物の持ち主が話を終えても、その人の生活は続く。

安全だと分かったあとにも、聞ける場所を残す。

俺が全部、と言いかけた中には、その手の人まで入っていた。


「俺、今日の記録、ちゃんと書きます」


ひかりさんに言うと、少し眉を上げた。


「今日は、って言うんだ」


「今日も、です」


言い直すと、ひかりさんの口元が少し緩んだ。

すぐ納得できなくても、今日の場所と、今日の返事は残せる。

俺が任された仕事を、嫌な気分のまま雑にしたくはなかった。


門を出る前、欲宮さんは神代さんへ名刺を渡した。

俺が最初に受け取った陰陽寮の名刺とは、紙の厚さが違って見えた。


「何か、こちらで協力できることがあれば、連絡をもらって構わない」


神代さんは、受け取って礼を言った。

何かの見返りを、その場で約束はしなかった。

俺は、名刺を渡す手を見た。

仕事の電話を受けたとき、この人は、できることを先に分けていた。

物を運ぶための車。

待てる場所。

動かせる人。

たしかに、協力できることは多いのかもしれない。


それでも、今日、その言葉を聞いて、ありがたいとは思えなかった。

盗まれた物を買っておいて、今度は協力する側へ回れる。

そんなことが、簡単にできてしまうのか。


坂へ出ると、秋庭さんが俺を見た。


「言いたいことが、まだある顔ね」


俺はうなずいた。

家の前では言えなかったことが、門を出ると増える。


「あの人、また買うかもしれないですよね」


「その可能性も含めて、今回の説明と注意を残すわ」


「残すだけで、やめるんですか」


秋庭さんは、すぐには答えなかった。

坂の下で、車が曲がる。

箱を持っている神代さんが、歩く速さを落とした。


「一つ記録したら、人が必ず変わるとは言えないわ。でも、今回のことがなかった形へ戻してしまうのも、違うでしょう」


俺は、空いた台を思い出した。

杯はなくなった。

取引の紙は残った。

欲宮さんの話した言葉も、残った。

それで全部を止められるわけではない。

何もできなかったわけでもない。

真ん中の、気持ちの収まりが悪いところへ立っていた。


***


支社へ戻り、箱を所定の場所へ置く。

第2班へ、回収と確認の結果を送る。

使節へも、連絡が入った。

返還は、翌日になった。


俺は椅子へ座り、今日の記録を書いた。

杯の安全性を確認した。

回収した。

買い手へ、経路について説明した。

ほかの品は、残った。


最後の行を見て、少し迷った。

残った、と書くと、取り忘れたみたいになる。

神代さんへ聞くと、確認した範囲をまず書こうと言われた。

俺は、今日の対象は杯、と書き直した。

横へ、自分が気になったことも別に残す。

分かった事実と、納得できない気持ちは、同じ文へ混ぜない。


黒江班長は、回収の記録を見たあと、俺の質問の行も読んだ。

ほかの品は、残った。

言葉を直した下にも、疑問は残っている。


「ここ、確認する先へ渡す。今日お前が感じたことも、消さなくていい」


俺は、少し驚いた。

子供っぽいと、言われると思った。


「ただ、全部を一つの判断にするな。今回確かめた物と、まだ見ていない物は、分けておけ」


「はい」


黒江班長は、紙を神代さんへ返した。

俺の納得を、一言で作ってくれるわけではない。

分からない部分を、大人へ預けても、気にしなくてよくなるわけではない。

それでも、質問を机の上へ置いてよいのは、少し助かった。


帰り際に、欲宮さんの家から連絡があった。

搬入を担当した人が、確認の返事を追加したらしい。

神代さんが受け取り、記録の横へ置く。

あの家の中にも、決めた時間に返事をする人がいる。

欲宮さんへ腹が立ったからといって、家の中の人を全部同じ顔にしていたら、その返事を見落とす。

俺は、今日会った人の位置を、もう一行書き足した。


ひかりさんが、俺の隣へ座った。


「あれ、古いだけだったね」


「はい」


「それなら、それでよかった」


俺は、返事を少し遅らせた。

危ない物ではなかった。

触った人も、今の確認では困っていない。

それは、よかったことだ。

よかったことのはずだ。


「だったら、最初からそう言ってくれればよかったのに、とは思います」


ひかりさんは、背もたれへ体を預けた。


「それは、思っていい」


慰めるための声ではなかった。

同じ道を何度も歩いてきた人の、短い返事だった。

俺はノートを閉じた。

あの杯に力がなかったことより、力があるかどうかを教えてもらうのに、こんなに時間がかかったことが、腹立たしかった。


箱は、机の向こうにあった。

薄い傷も、透ける縁も、今は見えない。

明日には、ここから出ていく。

出ていかないものの方が、俺の頭の中には多く残っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。