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球体世界の観測者 ~見えるだけの少年は、陰陽寮で世界の裏側を知る~  作者: 雅貴
第2章第1節

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19/53

第19話:豪邸に100均のコップがあったら高そうに見える

十二日目、坂を上りきる頃には、俺は自分の靴を二度見ていた。

昨日までより、土がついている気がする。

昨日より、服の裾も曲がっている気がする。

何かを探すために歩いているはずなのに、探す相手の家が立派すぎて、自分の方が気になっていた。


門の向こうには、道路より広いと思うほどの石の道があった。

その先に、家がある。

家というより、何かの施設みたいだった。

窓の位置が揃い、壁の色も、庭の木も、全部が整っている。

俺の家の玄関の鉢とは、手入れする人数が違いそうだった。


「靴、拭けばいいから」


ひかりさんが言った。

今日は、神代さんとひかりさん、俺の三人だった。

桐生さんは別の巡回へ回っている。

買い手の家へ行く予定を聞いたとき、桐生さんは、家がでかいぞ、とだけ言った。

言われた以上に、大きかった。


「俺、ここまでで少し疲れました」


「坂?」


「気分です」


ひかりさんは門を見る。

少しだけ、笑った。


「向こうは、そのために建ててるんじゃない」


神代さんが呼び出しのボタンを押した。

声が返ってきて、名乗る。

門が開いた。

大きな音はしなかった。

音まで、あまり外へ出さない家らしかった。


***


玄関へ迎えに来た人は、俺たちを見て驚かなかった。

神代さんが事前に、用件を伝えていた。

靴を拭くための敷物があり、傘を置く場所も、上着を掛ける場所もある。

晴れていても、誰かが濡れて来ることを考えた家だった。


通された部屋では、窓から庭が見えた。

椅子へ座ると、体が少し沈む。

柔らかすぎて、立ち上がるときに困りそうだった。

俺は浅く腰を掛けた。

ひかりさんは、普通に座る。

神代さんは、机へ資料を置いた。


入口で渡された案内の紙には、今日の確認の場所が記されていた。

家へ入った時刻も、先に確かめられた。

受付の人は、誰が来るか、何人来るかを知っている。

俺の制服を見て戸惑うこともなかった。

昨日の事務所とは、ずいぶん違う。


「ちゃんとしてますね」


俺が小さく言うと、神代さんは紙を机へ置いた。


「こういう用意ができる人なんだろうね」


仕事のできる人。

それなら、入手の経路も確認できたはずではないかと思う。

できることと、やることの間には、いつも少し隙間がある。


ひかりさんは椅子の脇の台を見た。

小さな置物がある。

そこから、特に何かが動いているようには見えなかった。

ただ、来歴を知らない物が、家の中へ普通に飾られている。

俺は、お茶を運んできた人の手を見た。

その人は置物へ触れず、俺たちのコップを置いた。

杯を運んだ人も、この家の普通の仕事として運んだのだろう。


待つ間に、部屋を見た。

壁には絵がある。

花と、知らない景色。

置物が、いくつかの台に載っていた。

あれが今回の杯だろうかと思ったが、手元の図とは形が違った。

ここには、探す物に似たような物がたくさんあるらしい。


扉が開き、年配の男性が入ってきた。

ふくよかな体に、柔らかそうな上着を着ている。

襟も袖も、ぴったりしていた。

大きい体へ無理に着せた服ではなく、その人のために用意した服に見えた。


「お待たせしたね」


男は、神代さんへ手を向けた。

俺たちへも目をやり、笑った。


「欲宮蔵満です。遠いところ、ご苦労だった」


神代さんが挨拶を返す。

俺も名前を言い、頭を下げた。

顔を上げると、欲宮さんの目が制服へ止まっている。


「若いね。もう、そちらで働いているのか」


「見習いに近い形です。現場での確認を担当しています」


神代さんが答えてくれた。

欲宮さんは、感心したようにうなずいた。

俺を誉めたのか、陰陽寮の人員を見たのか、よく分からなかった。


欲宮さんは、部屋へ来る前に、廊下の人へ一つだけ頼み事をした。

届いていた書類を、夕方までに別の場所へ送るよう言った。

相手は、送り先を確認した。

欲宮さんは、その人の名前を呼び、答えを短く返した。

人を覚え、動く場所を覚えている。

俺が見た、ただ大きな家の持ち主より、細かい人だった。


神代さんが、今日確認する範囲を先に伝えた。

欲宮さんは、その範囲を繰り返し、必要な紙を近くへ寄せた。

どの質問も、分かるまで待たせる人ではない。

待たせる理由を作れないわけでもなさそうだった。

こちらが何を求めるかを、早く理解する。

理解したうえで、どこまで答えるか選ぶ。

俺は、ノートを少し深く机へ置いた。

こういう人の前では、自分が聞きたいことまで、相手の順番にされそうだった。


薄い伝力が、体の周りへあった。

見えたから、強い人だとは限らない。

この人の流れは、服の縁より体へ近く、あまり形が整っていなかった。

ひかりさんのような強さは、感じない。

それでも、部屋の椅子へ座った欲宮さんの方が、今は大きく見えた。


***


「連絡を受けて、こちらも記録を出しておいた」


欲宮さんは、薄い紙の束を机へ置いた。

仲介の名前。購入の日。品の説明。

神代さんが一枚ずつ確かめる。

用意されていたからといって、正しいとは決まらない。

けれど、何も出さない使節より、話が早かった。


「こちらの品を、購入されていますね」


神代さんが杯の画像を示した。

欲宮さんは、すぐうなずいた。


「それなら、奥に置いている。まだ、来たばかりだよ」


「持ち出された経路については、どう説明を受けましたか」


欲宮さんは、椅子の肘へ手を置いた。


「こちらでは、普通に手に入らない物だと聞いている」


「正規に持ち出された物ではない可能性を、ご存じでしたか」


笑顔が、少し止まった。

でも、すぐに戻る。


「君たちも知っているだろう。普通に店へ行って、並んでいる物ではないんだ」


上役も、似たようなことを言った。

手に入らない。

だから、変な手段でも手に入れる。

その間に、誰の物だったかの話が抜けていた。


「入手の経路に、問題があるとは思っていなかった、という意味ですか」


神代さんが確かめた。

欲宮さんは、水へ手を伸ばした。

コップを持つ指には、太い指輪がある。


「何も知らなかった、とは言わないよ」


それは、はっきりした返事だった。

俺は机の紙を見た。

丁寧な字が並んでいる。

丁寧な字で、後ろ暗い物も買える。


「ただ、ここで騒ぎを起こすつもりもない。確認が必要なら、見てもらおう」


欲宮さんは立ち上がった。

神代さんも立つ。

俺は椅子から抜けるのに少し時間がかかった。

柔らかい椅子は、最後まで、俺へ優しくなかった。


***


展示の部屋は、廊下を一つ曲がった先にあった。

窓の光が直接入らないように、厚い布が引かれている。

天井の灯りが、それぞれの台へ落ちていた。

音が、さっきの部屋より少ない。

足を出すたび、自分の靴が気になる。


正面に、大きな絵があった。

暗い色の空と、明るい川。

川の上へ、細い橋が架かっている。

絵の中の橋が、俺の知らない形だった。

額縁にも、彫った模様がある。

見ただけで、高そうだった。


「あれも、外側の物ですか」


聞くと、欲宮さんは、満足そうに顔を向けた。


「あれは、こちらの作家だ。来た人は、まずあれを見る」


来た人に見られることが、大事らしい。

俺も、まず見た。

思った通りの反応をしたようで、少し居心地が悪かった。


神代さんは、絵より手前の台を見る。

そこに、杯があった。


最初は、展示のための道具かと思った。

花を入れる台か、掃除の途中で置いた物みたいに見えた。

大きい絵の下で、輪郭が小さい。

銀色に近いのに、縁の一部は薄く透けている。

側面へ細かい傷があり、底の近くが曇っていた。


神代さんが、図と合わせた。

傷の位置を見る。

ひかりさんが、台の周りへ目を向ける。

俺は少し離れたまま、その杯を見た。


片手で持つには、大きそうだった。

両手で抱えるなら、小さそうだった。

何かに使うには、ちょうど悪い大きさに見える。

素材も分からない。

金属なら、こんなに透けるだろうか。

古いプラスチックと言われれば、そう見える部分もあった。


これを探すために、何日も歩いた。

これを持っていた相手を、昨日追いかけた。

思い浮かんだ値段が、見た目の方へ全然合わなかった。


***


「歴史のある物だと聞いている」


欲宮さんは、杯の台へ近づいた。

神代さんが、その前へ手を出す。


「まだ触れずに、お願いします」


欲宮さんは手を引いた。

面倒そうではあったが、従った。


「こちらで扱った際に、変わったことは起きていませんか」


「何も。飾っただけだからね」


「運び込んだ方についても、確認させてください」


欲宮さんは、玄関へ来ていた人を呼んだ。

搬入の日時。梱包の形。持った人数。

神代さんの質問に、少しずつ具体的な答えが増える。

杯に触れた人も、いる。

その人の状態も、あとで確認するという。


俺は台の脚を見た。

そこから杯まで、目でたどる。

普通に物が置かれているようにしか見えない。

それを、何も起きない品だ、と言ってはいけないことは知っていた。

見える範囲と、作用があるかどうかは別だ。


「遼悟君には、どう見える」


神代さんに聞かれ、俺は見たまま伝えた。


「強い流れは、分かりません。縁のところは、光と重なってます。変わった感じがないとは、まだ言えないです」


神代さんは、うなずいて書いた。

欲宮さんが俺を見る。


「見えるのか。面白いね」


誉められた気がしなかった。

展示された物と同じように、珍しいものを見つけた顔だった。

俺は、杯から一歩離れた。


ひかりさんが、俺の横へ来た。

何も言わない。

ただ、欲宮さんと俺の間に、少し位置を取った。

俺はそれに気づき、肩へ入った力を抜いた。


***


確認の途中で、欲宮さんの携帯が鳴った。

欲宮さんは、神代さんへ短く断り、部屋の外へ出た。

扉は完全には閉まらなかった。

声だけが聞こえる。


「その車は、先へ回していい。待たせるなら、向こうの置き場を使わせてもらいなさい」


さっきとは、話し方が違った。

ゆっくり笑っていた人が、短い質問を続ける。

何時に着くのか。

誰へ話を通したのか。

次の便へ、影響はあるのか。


「足りない人数を言ってくれ。全部足りないと言われても、どこから動かすか決められない」


その言葉に、俺は顔を上げた。

黒江班長も、似たようなことを言っていた。

一つの話の中を分けて、何が足りないか確かめる。

欲宮さんはそれを、する側の人だった。


「先に、この三つだけ決めよう。残りは、私が連絡する」


短い電話が終わった。

欲宮さんが戻ってきたとき、顔はもう、さっきのゆっくりした笑い方へ戻っていた。


「失礼した。少し、仕事の方でね」


神代さんは、必要な確認を続けた。

俺は、その人が持つ太い指輪を見た。

三流の能力者なのかもしれない。

でも、電話の先では、何台もの車と何人もの人が、この人の返事で動く。

強さの見え方が、また一つ増えた。


それで、盗まれた物を買った話がなくなるわけではない。

俺は、杯の方へ目を戻した。


***


欲宮さんは、ほかの展示品も見せたがった。

ここには、こちらでは滅多に見ない物がある。

そう言いながら、台を一つずつ指す。

神代さんは、今日は今回の品を先に確認すると返した。

欲宮さんは、少し残念そうな顔をした。


「これを持っている方も、知っているのかね」


近くの細い置物へ、欲宮さんが手を向ける。

形は、植物に似ていた。

でも、どの植物なのか分からない。

欲宮さんの声には、他の人が持っていないことを確かめたい感じがあった。


「今回の購入は、どなたから紹介を受けましたか」


神代さんが話を戻した。


「仲介の人だよ。前にも、何度か世話になっている」


「ウベリクという人物とは」


「直接は、あまりね。物が入ったと聞いたことはある。今回も、歴史的な価値があるという紹介だった」


欲宮さんは、品の説明が書かれた紙を見せた。

固有名がいくつかある。

読んでも、俺にはどの時代なのか分からなかった。


「どんな出来事の品なんですか」


俺が聞いた。

欲宮さんは、口を開き、それから紙を見た。


「古い時代のものだ。詳しいことは、そちらへ書いてある」


詳しい説明は、それ以上なかった。

紙の中にある歴史を、自分の言葉では話さない。

何がすごいのかより、すごいと紹介された物を持っていることの方が、大事なのだろうか。


俺は、大きい絵へ目をやった。

さっき、来た人がまず見ると言っていた絵。

杯は、その手前の台へ置かれている。

目立つ絵を見た人に、近くの目立たない物も見せる。

そのとき、価値を知っている自分が説明する。

使うためではなく、そういう場面のために、ここへ来た品なのかもしれなかった。


***


神代さんが照会のために部屋を出た間、俺たちは展示室の入口寄りで待った。

欲宮さんも、外へ出るつもりはないらしい。

空いた椅子へ座り、部屋を見渡していた。


「若い人にも、こういう物を知ってもらえるのはいいことだ」


欲宮さんが言った。

俺は、返事を迷う。

知ること自体は、悪くない。

ただ、知るために、盗まれた物を買わなくてもいいはずだった。


「ここへ来る人は、価値が分かる人が多いんですか」


聞くと、欲宮さんの顔が明るくなった。


「分かる人も、これから知る人もいる。見せなければ、何を持っているか分からないからね」


何を持っているか。

見せたいのは、杯の歴史より、自分の棚なのかもしれない。

俺は一番近い台を見た。

あの上へ、学校の購買で買った安い物を置いても、少し立派に見えるだろうか。

そんな意地の悪いことを考えた。


欲宮さんは、その台へ載った物の値段を言いかけた。

ひかりさんが、今日の確認の邪魔になる場所へは入らない方がいいと返す。

会話は、それで少し止まった。


部屋の隅に、小さな時計があった。

この家にも、時間は同じ速さで流れる。

待つ間、俺は学校の課題が何ページ残っていたかを思い出した。

欲宮さんは、次の電話を気にしている。

ひかりさんは、通信機の連絡を見ている。

同じ部屋にいても、待っている先は違った。


「普段も、こういう確認をするのかね」


欲宮さんが尋ねた。

ひかりさんは、少しだけ顔を上げる。


「分からない物が来れば」


「それは、大変だ」


大変だと分かるなら、知らない物を、気軽に増やさないでほしい。

俺はそう思った。

口へ出しかけて、飲み込んだ。

ひかりさんの目が、俺へ向く。

気づかれたらしい。


「思ったこと、あとで聞くから」


小さな声だった。

今は言わないで、というだけではない。

消さなくてもいい、という意味もあった。

俺は、ノートの端へ短く書いた。

値段より、先に確かめることがある。


神代さんが戻ってきた。

資料の照会が、まだ続いているという。

欲宮さんは立ち上がり、部屋を出る順番を整えた。

持っている物は残す。

こちらは、確認したことだけを持ち帰る。

今日の帰り道が少し重くなる理由を、もう予想できていた。


その日は、杯をそのまま持ち出さなかった。

神代さんは、動かす前に確認する資料がまだあると説明した。

欲宮さんには、触れず、別の人へ渡さず、場所を変えないよう伝える。

台の周りへ、確認のための小さな目印が置かれた。

ひかりさんが、俺の立つ位置を下げる。

俺は指示どおり、部屋の入口から様子を見た。


触っても何も起きていないという話は、聞いた。

それでも、今すぐ俺が持っていいとは決まらない。

傷のある杯が、灯りの下へ置かれている。

近くに立つと、どこにでもありそうな古い物だった。

離れると、立派な台の上で、それらしく見えた。


欲宮さんは、帰る俺たちを玄関まで見送った。


「確認が終わったら、またゆっくり見に来るといい」


俺は返事を迷った。

何を見たいのか、もうよく分からなかった。

神代さんが、まず今回の件を終えると答える。

門の外へ出るまで、欲宮さんの笑顔は崩れなかった。


坂を下ると、家から離れた途端、風が強くなった。

ひかりさんが上着の襟を上げる。

俺は、やっと大きく息を吐いた。


「あの杯、どうでした」


聞くと、ひかりさんが俺を見る。


「何が」


「その、見た目」


ひかりさんは、少しだけ口を曲げた。


「高そうには見えない」


俺はうなずいた。

同じことを言ってくれる人がいて、少し安心した。

神代さんが、俺たちの横を歩く。


「見た目の値段は、今回の確認とは別だけどね」


分かっている。

分かっていても、足が痛くなるまで追った品が、あれなのかとは思った。

俺は、坂の下の明かりを見た。

パン屋の店先へ、最後の客が入っていく。

あの家の台と違って、棚から取る物には、見える値札があった。


今日は、杯を見た。

欲宮さんが、何のために買ったのかも、少し見えた。

ただ、それを買うだけのお金がある人の強さと、持っている物の意味が、同じ場所へ揃っているわけではないらしかった。


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