第19話:豪邸に100均のコップがあったら高そうに見える
十二日目、坂を上りきる頃には、俺は自分の靴を二度見ていた。
昨日までより、土がついている気がする。
昨日より、服の裾も曲がっている気がする。
何かを探すために歩いているはずなのに、探す相手の家が立派すぎて、自分の方が気になっていた。
門の向こうには、道路より広いと思うほどの石の道があった。
その先に、家がある。
家というより、何かの施設みたいだった。
窓の位置が揃い、壁の色も、庭の木も、全部が整っている。
俺の家の玄関の鉢とは、手入れする人数が違いそうだった。
「靴、拭けばいいから」
ひかりさんが言った。
今日は、神代さんとひかりさん、俺の三人だった。
桐生さんは別の巡回へ回っている。
買い手の家へ行く予定を聞いたとき、桐生さんは、家がでかいぞ、とだけ言った。
言われた以上に、大きかった。
「俺、ここまでで少し疲れました」
「坂?」
「気分です」
ひかりさんは門を見る。
少しだけ、笑った。
「向こうは、そのために建ててるんじゃない」
神代さんが呼び出しのボタンを押した。
声が返ってきて、名乗る。
門が開いた。
大きな音はしなかった。
音まで、あまり外へ出さない家らしかった。
***
玄関へ迎えに来た人は、俺たちを見て驚かなかった。
神代さんが事前に、用件を伝えていた。
靴を拭くための敷物があり、傘を置く場所も、上着を掛ける場所もある。
晴れていても、誰かが濡れて来ることを考えた家だった。
通された部屋では、窓から庭が見えた。
椅子へ座ると、体が少し沈む。
柔らかすぎて、立ち上がるときに困りそうだった。
俺は浅く腰を掛けた。
ひかりさんは、普通に座る。
神代さんは、机へ資料を置いた。
入口で渡された案内の紙には、今日の確認の場所が記されていた。
家へ入った時刻も、先に確かめられた。
受付の人は、誰が来るか、何人来るかを知っている。
俺の制服を見て戸惑うこともなかった。
昨日の事務所とは、ずいぶん違う。
「ちゃんとしてますね」
俺が小さく言うと、神代さんは紙を机へ置いた。
「こういう用意ができる人なんだろうね」
仕事のできる人。
それなら、入手の経路も確認できたはずではないかと思う。
できることと、やることの間には、いつも少し隙間がある。
ひかりさんは椅子の脇の台を見た。
小さな置物がある。
そこから、特に何かが動いているようには見えなかった。
ただ、来歴を知らない物が、家の中へ普通に飾られている。
俺は、お茶を運んできた人の手を見た。
その人は置物へ触れず、俺たちのコップを置いた。
杯を運んだ人も、この家の普通の仕事として運んだのだろう。
待つ間に、部屋を見た。
壁には絵がある。
花と、知らない景色。
置物が、いくつかの台に載っていた。
あれが今回の杯だろうかと思ったが、手元の図とは形が違った。
ここには、探す物に似たような物がたくさんあるらしい。
扉が開き、年配の男性が入ってきた。
ふくよかな体に、柔らかそうな上着を着ている。
襟も袖も、ぴったりしていた。
大きい体へ無理に着せた服ではなく、その人のために用意した服に見えた。
「お待たせしたね」
男は、神代さんへ手を向けた。
俺たちへも目をやり、笑った。
「欲宮蔵満です。遠いところ、ご苦労だった」
神代さんが挨拶を返す。
俺も名前を言い、頭を下げた。
顔を上げると、欲宮さんの目が制服へ止まっている。
「若いね。もう、そちらで働いているのか」
「見習いに近い形です。現場での確認を担当しています」
神代さんが答えてくれた。
欲宮さんは、感心したようにうなずいた。
俺を誉めたのか、陰陽寮の人員を見たのか、よく分からなかった。
欲宮さんは、部屋へ来る前に、廊下の人へ一つだけ頼み事をした。
届いていた書類を、夕方までに別の場所へ送るよう言った。
相手は、送り先を確認した。
欲宮さんは、その人の名前を呼び、答えを短く返した。
人を覚え、動く場所を覚えている。
俺が見た、ただ大きな家の持ち主より、細かい人だった。
神代さんが、今日確認する範囲を先に伝えた。
欲宮さんは、その範囲を繰り返し、必要な紙を近くへ寄せた。
どの質問も、分かるまで待たせる人ではない。
待たせる理由を作れないわけでもなさそうだった。
こちらが何を求めるかを、早く理解する。
理解したうえで、どこまで答えるか選ぶ。
俺は、ノートを少し深く机へ置いた。
こういう人の前では、自分が聞きたいことまで、相手の順番にされそうだった。
薄い伝力が、体の周りへあった。
見えたから、強い人だとは限らない。
この人の流れは、服の縁より体へ近く、あまり形が整っていなかった。
ひかりさんのような強さは、感じない。
それでも、部屋の椅子へ座った欲宮さんの方が、今は大きく見えた。
***
「連絡を受けて、こちらも記録を出しておいた」
欲宮さんは、薄い紙の束を机へ置いた。
仲介の名前。購入の日。品の説明。
神代さんが一枚ずつ確かめる。
用意されていたからといって、正しいとは決まらない。
けれど、何も出さない使節より、話が早かった。
「こちらの品を、購入されていますね」
神代さんが杯の画像を示した。
欲宮さんは、すぐうなずいた。
「それなら、奥に置いている。まだ、来たばかりだよ」
「持ち出された経路については、どう説明を受けましたか」
欲宮さんは、椅子の肘へ手を置いた。
「こちらでは、普通に手に入らない物だと聞いている」
「正規に持ち出された物ではない可能性を、ご存じでしたか」
笑顔が、少し止まった。
でも、すぐに戻る。
「君たちも知っているだろう。普通に店へ行って、並んでいる物ではないんだ」
上役も、似たようなことを言った。
手に入らない。
だから、変な手段でも手に入れる。
その間に、誰の物だったかの話が抜けていた。
「入手の経路に、問題があるとは思っていなかった、という意味ですか」
神代さんが確かめた。
欲宮さんは、水へ手を伸ばした。
コップを持つ指には、太い指輪がある。
「何も知らなかった、とは言わないよ」
それは、はっきりした返事だった。
俺は机の紙を見た。
丁寧な字が並んでいる。
丁寧な字で、後ろ暗い物も買える。
「ただ、ここで騒ぎを起こすつもりもない。確認が必要なら、見てもらおう」
欲宮さんは立ち上がった。
神代さんも立つ。
俺は椅子から抜けるのに少し時間がかかった。
柔らかい椅子は、最後まで、俺へ優しくなかった。
***
展示の部屋は、廊下を一つ曲がった先にあった。
窓の光が直接入らないように、厚い布が引かれている。
天井の灯りが、それぞれの台へ落ちていた。
音が、さっきの部屋より少ない。
足を出すたび、自分の靴が気になる。
正面に、大きな絵があった。
暗い色の空と、明るい川。
川の上へ、細い橋が架かっている。
絵の中の橋が、俺の知らない形だった。
額縁にも、彫った模様がある。
見ただけで、高そうだった。
「あれも、外側の物ですか」
聞くと、欲宮さんは、満足そうに顔を向けた。
「あれは、こちらの作家だ。来た人は、まずあれを見る」
来た人に見られることが、大事らしい。
俺も、まず見た。
思った通りの反応をしたようで、少し居心地が悪かった。
神代さんは、絵より手前の台を見る。
そこに、杯があった。
最初は、展示のための道具かと思った。
花を入れる台か、掃除の途中で置いた物みたいに見えた。
大きい絵の下で、輪郭が小さい。
銀色に近いのに、縁の一部は薄く透けている。
側面へ細かい傷があり、底の近くが曇っていた。
神代さんが、図と合わせた。
傷の位置を見る。
ひかりさんが、台の周りへ目を向ける。
俺は少し離れたまま、その杯を見た。
片手で持つには、大きそうだった。
両手で抱えるなら、小さそうだった。
何かに使うには、ちょうど悪い大きさに見える。
素材も分からない。
金属なら、こんなに透けるだろうか。
古いプラスチックと言われれば、そう見える部分もあった。
これを探すために、何日も歩いた。
これを持っていた相手を、昨日追いかけた。
思い浮かんだ値段が、見た目の方へ全然合わなかった。
***
「歴史のある物だと聞いている」
欲宮さんは、杯の台へ近づいた。
神代さんが、その前へ手を出す。
「まだ触れずに、お願いします」
欲宮さんは手を引いた。
面倒そうではあったが、従った。
「こちらで扱った際に、変わったことは起きていませんか」
「何も。飾っただけだからね」
「運び込んだ方についても、確認させてください」
欲宮さんは、玄関へ来ていた人を呼んだ。
搬入の日時。梱包の形。持った人数。
神代さんの質問に、少しずつ具体的な答えが増える。
杯に触れた人も、いる。
その人の状態も、あとで確認するという。
俺は台の脚を見た。
そこから杯まで、目でたどる。
普通に物が置かれているようにしか見えない。
それを、何も起きない品だ、と言ってはいけないことは知っていた。
見える範囲と、作用があるかどうかは別だ。
「遼悟君には、どう見える」
神代さんに聞かれ、俺は見たまま伝えた。
「強い流れは、分かりません。縁のところは、光と重なってます。変わった感じがないとは、まだ言えないです」
神代さんは、うなずいて書いた。
欲宮さんが俺を見る。
「見えるのか。面白いね」
誉められた気がしなかった。
展示された物と同じように、珍しいものを見つけた顔だった。
俺は、杯から一歩離れた。
ひかりさんが、俺の横へ来た。
何も言わない。
ただ、欲宮さんと俺の間に、少し位置を取った。
俺はそれに気づき、肩へ入った力を抜いた。
***
確認の途中で、欲宮さんの携帯が鳴った。
欲宮さんは、神代さんへ短く断り、部屋の外へ出た。
扉は完全には閉まらなかった。
声だけが聞こえる。
「その車は、先へ回していい。待たせるなら、向こうの置き場を使わせてもらいなさい」
さっきとは、話し方が違った。
ゆっくり笑っていた人が、短い質問を続ける。
何時に着くのか。
誰へ話を通したのか。
次の便へ、影響はあるのか。
「足りない人数を言ってくれ。全部足りないと言われても、どこから動かすか決められない」
その言葉に、俺は顔を上げた。
黒江班長も、似たようなことを言っていた。
一つの話の中を分けて、何が足りないか確かめる。
欲宮さんはそれを、する側の人だった。
「先に、この三つだけ決めよう。残りは、私が連絡する」
短い電話が終わった。
欲宮さんが戻ってきたとき、顔はもう、さっきのゆっくりした笑い方へ戻っていた。
「失礼した。少し、仕事の方でね」
神代さんは、必要な確認を続けた。
俺は、その人が持つ太い指輪を見た。
三流の能力者なのかもしれない。
でも、電話の先では、何台もの車と何人もの人が、この人の返事で動く。
強さの見え方が、また一つ増えた。
それで、盗まれた物を買った話がなくなるわけではない。
俺は、杯の方へ目を戻した。
***
欲宮さんは、ほかの展示品も見せたがった。
ここには、こちらでは滅多に見ない物がある。
そう言いながら、台を一つずつ指す。
神代さんは、今日は今回の品を先に確認すると返した。
欲宮さんは、少し残念そうな顔をした。
「これを持っている方も、知っているのかね」
近くの細い置物へ、欲宮さんが手を向ける。
形は、植物に似ていた。
でも、どの植物なのか分からない。
欲宮さんの声には、他の人が持っていないことを確かめたい感じがあった。
「今回の購入は、どなたから紹介を受けましたか」
神代さんが話を戻した。
「仲介の人だよ。前にも、何度か世話になっている」
「ウベリクという人物とは」
「直接は、あまりね。物が入ったと聞いたことはある。今回も、歴史的な価値があるという紹介だった」
欲宮さんは、品の説明が書かれた紙を見せた。
固有名がいくつかある。
読んでも、俺にはどの時代なのか分からなかった。
「どんな出来事の品なんですか」
俺が聞いた。
欲宮さんは、口を開き、それから紙を見た。
「古い時代のものだ。詳しいことは、そちらへ書いてある」
詳しい説明は、それ以上なかった。
紙の中にある歴史を、自分の言葉では話さない。
何がすごいのかより、すごいと紹介された物を持っていることの方が、大事なのだろうか。
俺は、大きい絵へ目をやった。
さっき、来た人がまず見ると言っていた絵。
杯は、その手前の台へ置かれている。
目立つ絵を見た人に、近くの目立たない物も見せる。
そのとき、価値を知っている自分が説明する。
使うためではなく、そういう場面のために、ここへ来た品なのかもしれなかった。
***
神代さんが照会のために部屋を出た間、俺たちは展示室の入口寄りで待った。
欲宮さんも、外へ出るつもりはないらしい。
空いた椅子へ座り、部屋を見渡していた。
「若い人にも、こういう物を知ってもらえるのはいいことだ」
欲宮さんが言った。
俺は、返事を迷う。
知ること自体は、悪くない。
ただ、知るために、盗まれた物を買わなくてもいいはずだった。
「ここへ来る人は、価値が分かる人が多いんですか」
聞くと、欲宮さんの顔が明るくなった。
「分かる人も、これから知る人もいる。見せなければ、何を持っているか分からないからね」
何を持っているか。
見せたいのは、杯の歴史より、自分の棚なのかもしれない。
俺は一番近い台を見た。
あの上へ、学校の購買で買った安い物を置いても、少し立派に見えるだろうか。
そんな意地の悪いことを考えた。
欲宮さんは、その台へ載った物の値段を言いかけた。
ひかりさんが、今日の確認の邪魔になる場所へは入らない方がいいと返す。
会話は、それで少し止まった。
部屋の隅に、小さな時計があった。
この家にも、時間は同じ速さで流れる。
待つ間、俺は学校の課題が何ページ残っていたかを思い出した。
欲宮さんは、次の電話を気にしている。
ひかりさんは、通信機の連絡を見ている。
同じ部屋にいても、待っている先は違った。
「普段も、こういう確認をするのかね」
欲宮さんが尋ねた。
ひかりさんは、少しだけ顔を上げる。
「分からない物が来れば」
「それは、大変だ」
大変だと分かるなら、知らない物を、気軽に増やさないでほしい。
俺はそう思った。
口へ出しかけて、飲み込んだ。
ひかりさんの目が、俺へ向く。
気づかれたらしい。
「思ったこと、あとで聞くから」
小さな声だった。
今は言わないで、というだけではない。
消さなくてもいい、という意味もあった。
俺は、ノートの端へ短く書いた。
値段より、先に確かめることがある。
神代さんが戻ってきた。
資料の照会が、まだ続いているという。
欲宮さんは立ち上がり、部屋を出る順番を整えた。
持っている物は残す。
こちらは、確認したことだけを持ち帰る。
今日の帰り道が少し重くなる理由を、もう予想できていた。
その日は、杯をそのまま持ち出さなかった。
神代さんは、動かす前に確認する資料がまだあると説明した。
欲宮さんには、触れず、別の人へ渡さず、場所を変えないよう伝える。
台の周りへ、確認のための小さな目印が置かれた。
ひかりさんが、俺の立つ位置を下げる。
俺は指示どおり、部屋の入口から様子を見た。
触っても何も起きていないという話は、聞いた。
それでも、今すぐ俺が持っていいとは決まらない。
傷のある杯が、灯りの下へ置かれている。
近くに立つと、どこにでもありそうな古い物だった。
離れると、立派な台の上で、それらしく見えた。
欲宮さんは、帰る俺たちを玄関まで見送った。
「確認が終わったら、またゆっくり見に来るといい」
俺は返事を迷った。
何を見たいのか、もうよく分からなかった。
神代さんが、まず今回の件を終えると答える。
門の外へ出るまで、欲宮さんの笑顔は崩れなかった。
坂を下ると、家から離れた途端、風が強くなった。
ひかりさんが上着の襟を上げる。
俺は、やっと大きく息を吐いた。
「あの杯、どうでした」
聞くと、ひかりさんが俺を見る。
「何が」
「その、見た目」
ひかりさんは、少しだけ口を曲げた。
「高そうには見えない」
俺はうなずいた。
同じことを言ってくれる人がいて、少し安心した。
神代さんが、俺たちの横を歩く。
「見た目の値段は、今回の確認とは別だけどね」
分かっている。
分かっていても、足が痛くなるまで追った品が、あれなのかとは思った。
俺は、坂の下の明かりを見た。
パン屋の店先へ、最後の客が入っていく。
あの家の台と違って、棚から取る物には、見える値札があった。
今日は、杯を見た。
欲宮さんが、何のために買ったのかも、少し見えた。
ただ、それを買うだけのお金がある人の強さと、持っている物の意味が、同じ場所へ揃っているわけではないらしかった。




