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球体世界の観測者 ~見えるだけの少年は、陰陽寮で世界の裏側を知る~  作者: 雅貴
第2章第1節

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第18話:受付方法が拳しかない会社

十一日目、事務所の入った建物は、思っていたより普通だった。

一階には、営業を終えた小さな店がある。上の階へ続く階段は、狭いけれど掃除されていた。

踊り場に、会社らしい名前の札が出ている。

外側の物を売る場所なら、もっと見るからに怪しいのだと思っていた。


「その顔、やめとけ」


桐生さんが言った。


「どんな顔ですか」


「面白そうだと思ってる顔」


面白そうだとは、思っていない。

何が出てくるのか気になるとは、思っていた。

その違いを説明する前に、神代さんが入口の前へ立つ。


「私が話す。桐生君、先に入らないでくれるかな」


桐生さんは、壁の方へ寄った。

腕を組む。

それだけで、入り口の幅が狭く見えた。


神代さんがインターホンを押した。

中で音が鳴った。

しばらくして、扉が半分だけ開く。

若い男が顔を出した。

俺の制服を見てから、神代さんのスーツへ目を移す。


「何」


「先ほどご連絡した件です。物品の受け渡しについて、確認に伺いました」


男は、神代さんを上から下まで見た。

横の桐生さんへも目を向ける。

知らない顔らしかった。


「担当、いないんだけど」


「本日は対応できると、連絡をいただいています」


神代さんは、携帯の画面を出した。

男はその画面を見なかった。

扉の内側で、別の声がする。


「誰だよ」


「なんか、物の確認とか」


神代さんは、扉を押さえなかった。

半分開いた隙間から見える部屋は、明るかった。

ソファ。低い机。飲みかけの缶。

テレビに、音を小さくした番組が流れている。

男がもう一度こちらを見た。


「じゃあ、ちょっとだけ」


俺たちは、その言葉を待って入った。

無理に押し入ったわけではない。

それでも、部屋へ足を入れた瞬間、空気が少し固くなった。


***


扉を入った横に、小さな棚があった。

灰皿と、鍵をまとめる箱。

普通の会社にありそうな物が、適当な間隔で並んでいた。

床には、宅配の箱が二つある。

中身は見えない。

宛先も、今は読まなかった。

箱があるだけで、今回の品へつながるわけではない。


奥へ続く扉の下に、細い明かりが見えた。

誰かがいる気がする。

音は、テレビと、部屋の人の声へ混じっていた。

俺が見えているものを全部、自分の考え通りへつなげれば、何にでも疑いを持てる場所だった。


神代さんは入口からの位置を確かめ、俺を自分の斜め後ろへ立たせた。

いつもと違う並び方だった。

喫茶店では、向かいへ座った。

ここでは、出口に近い。

話す相手より先に、立つ場所を教えられた。


ソファに二人、机の向こうに一人いた。

入口の男を合わせて、四人。

俺を見て、ソファの一人が笑った。


「見学? 学校のやつ?」


神代さんは、名乗り、用件を繰り返した。

ウベリク・ティーヴェンから渡された品の確認。

そこまで言うと、机の向こうの男が、紙を裏返した。

小さな動きだった。

俺の目は、そちらへ寄った。


「そんなの知らねえよ」


入口にいた男が言った。

神代さんは、携帯の画像を机の上へ示す。

杯の輪郭と、受け渡された日。


「責任者の方に、確認をお願いできますか」


「知らねえって言ってんだろ」


男の声が大きくなった。

俺の肩が少し上がる。

桐生さんが、俺と男の間へ半歩入った。


「奥、いるだろ。呼べ」


初めて、桐生さんが口を出した。

男の顔が変わった。

奥の扉を見るのではなく、桐生さんへ顔を近づける。


「何その言い方」


「呼べば済む」


神代さんが、桐生さんを名前で呼んだ。

一度、止めるための声だった。

桐生さんは口を閉じた。

それでも、男は引かなかった。


「そっち、えらそうだな。何か見えてんの?」


男の手に、薄い変化が出た。

出た、というより、漏れた。

輪郭がばらばらで、指の間へまとまりきらない。

研修を始めた頃の自分の紙を思い出す。

少し見えることと、扱えることは違う。


男は、その手を桐生さんの肩へ置こうとした。

神代さんが、先に言った。


「触れないでください」


手は、止まらなかった。

肩を押す。

桐生さんの体は、ほとんど動かなかった。

男だけが、一瞬、体重をかけ損ねた顔になる。


「下がれ」


桐生さんが言った。

男が、今度は拳を振った。

俺の足が動くより早く、桐生さんの手が男の腕を取った。

肘の向きが変わり、男の上半身が低くなる。

机の角へ当たる前に、桐生さんが体を横へ寄せた。

男の膝が、床へつく。


短い音がした。

殴った音ではなく、靴と床の擦れる音だった。


***


ソファの男が立ち上がった。

缶が倒れ、机の上で液体が広がる。

もう一人は、座ったまま携帯を持った。

俺は出口を見る。

入口の男が低い位置にいるせいで、扉の前へ少し隙間ができていた。


「遼悟君、こちらへ」


神代さんが俺を呼んだ。

俺は机から離れ、壁際へ寄る。

ソファから立った男の腕が、そこへ伸びた。

俺の鞄のひもを掴もうとする。

伝力のはっきりした流れは、見えなかった。

でも、腕は普通に速かった。


俺は一歩引いた。

踵が壁へ近づく。

もう一度下がる前に、横へ動く。

男の手が、俺のひもを掠めた。

桐生さんの肩が、二人の間へ入る。


拳が一つ、短く動いた。

男の腹へ入る。

男が息を詰まらせ、その場へ折れた。

俺は、出しかけた手を戻した。

殴らなかった。

殴る必要も、なかった。


机の向こうの男が、椅子を蹴って立つ。

床を滑った椅子が、俺の方へ来た。

俺は足を上げ、椅子の脚を避ける。

膝が昨日を思い出して、痛んだ。

桐生さんはその椅子を足で止めた。


「座ってろ」


男へ言った。

男は止まらない。

桐生さんの上着へ掴みかかり、腕を払われる。

勢いがそのまま横へ抜け、男はソファの端へ倒れた。

片足だけが床へ残る。


テレビでは、誰かが明るく笑っていた。

部屋の中には、笑っている人がいなかった。

神代さんが式神を扉の脇へ置く。

廊下から、何をしているのかのぞき込む人は来なかった。

ただ、隠形があるから何をしてもいい、という空気にはならない。


「桐生君、そこまで」


神代さんの声で、桐生さんの手が止まった。

低い位置にいる男へ、追い打ちはしなかった。

俺は自分の呼吸を確かめた。

逃げる準備をして、逃げずに済んだ。

それでも、足の先まで固くなっていた。


***


奥の扉が、勢いよく開いた。


「何を騒いでる。客が来てるなら、先に――」


出てきた男は、途中で言葉を止めた。

床にいる男。

ソファへ折れた男。

机の前に立つ、桐生さん。

その順番で見て、顔をしかめた。


「また、お前か」


桐生さんは、その人へ顔を向けた。


「久しぶりだな」


久しぶりの顔ではなかった。

相手も、再会を喜ぶ顔ではない。

神代さんが、一歩前へ出る。


「ご連絡した件の確認です。こちらは、入室を了承いただいてから入っています。先ほどのやり取りも、順に確認します」


奥から出た男は、神代さんを見た。

次に、俺の制服へ目をやる。


「子供まで連れてきたのか」


「今回の現場の観察を担当しています。本人への接触は、やめていただきたい」


神代さんの声が、少しだけ硬くなった。

俺は自分の鞄を持ち直した。

男は、床にいる下役へ目を向けた。


「お前ら、下がってろ」


「でも、こいつが」


「その、こいつ、に前にやられた話、聞かなかったか」


下役の一人が、桐生さんを見た。

顔が、少し変わる。

名前より先に、以前の話とつながったらしい。

上役は、それを確かめてから俺たちへ向き直った。


「今日は、何だ」


桐生さんが、携帯の画像を見せた。


「ウベリク。こいつから入った物」


上役は、すぐ知らないとは言わなかった。

机の上へ広がった飲み物を見て、近くの布を下役へ投げる。

それから、画像へもう一度目を落とした。


「その件か」


その一言で、ウベリクの話と目の前の場所がつながった。

俺は、ノートを出しかけた。

上役の目が俺の手へ止まったので、先に神代さんを見た。

神代さんが小さくうなずく。

俺は、見聞きしたことだけを書くために、紙を開いた。


***


「品は、ここにない」


上役が言った。

桐生さんは、腕を組んだ。


「どこにある」


「競りは終わった。先日、買い手へ渡した」


「いつ」


神代さんが聞いた。

上役は日付を答えた。

俺たちが、まだ街を歩いていた日だった。

昨日ではない。

人を探していた間に、品は売られていた。


「異界遺物の扱いで、今さら揉められても困る。もう手元にない物を、出せとは言わないでくれ」


異界遺物。

俺のペンが止まった。

聞き慣れない言葉だった。

外側の品なら、外側の遺物ではないのだろうか。

異界という言葉の方が、売るときに格好よく聞こえるのかもしれない。


桐生さんが、机へ一歩近づいた。

俺の質問は、その動きの中へ入れなかった。


「じゃあ、誰が落とした」


上役が、口を閉じる。


「客のことまで、こっちから話すと思うか」


「その客のところに、今どんな物があるか分からねえんだよ」


「古い杯だ」


「古い、だけじゃ済まない物もある」


桐生さんの声が低くなる。

上役も、声を上げかけた。

神代さんが、二人の間へ言葉を入れる。


「今回の品について、危険性の確認が終わっていません。まず、行き先を確認させてください。ほかの取引も全部同じと決めているわけではありません」


俺は、異界遺物、とノートへ書いた。

横に小さく疑問符をつける。

今は、言葉の意味を聞くために話を止められない。

あとで聞けばいい。

そう思って、紙の次の行へ目を移した。


上役は、奥の部屋を一度見た。

そこには、整えた書類棚が見える。

表の部屋の散らかり方とは、少し違っていた。


「うちで受けた物全部に、面倒を持ってくるなら、話は別だ」


「今回、確認する範囲は伝えています」


神代さんが答えた。

言い方は柔らかいのに、相手の言葉へ流されなかった。

上役は、床にいる下役へ目をやり、鼻から息を吐いた。


「……欲宮だ」


俺は、名前を書こうとして手を止めた。

漢字が分からない。


「欲宮蔵満。(よくみや くらみつ)ああいう物を、よく集めてる」


上役は、今度は神代さんへ向けて言った。

その名前を、神代さんは一度繰り返した。

桐生さんも、知っている名前らしかった。

俺だけが、紙の上へ、ほしみや、と書いた。


***


上役は、奥の棚へ行く前に、一度、桐生さんへ目を向けた。


「前のときも、お前が来てから騒ぎになった」


「前は、最初から騒ぎの荷物を入れたんだろ」


二人とも、細かい事情を話さなかった。

どちらかの言葉を、俺がそのまま昔の事実へ変えるわけにはいかない。

上役は、桐生さんを苦手にしている。

桐生さんも、相手を信用していない。

今分かるのは、それだけだった。


神代さんは、今回確認する日付をもう一度伝えた。

話が、過去の喧嘩へずれないように戻す。

上役は奥へ入り、引き出しを開けた。

その音が、意外にはっきり聞こえた。


机の前で、下役の一人が腹を押さえていた。

俺はその人を見て、すぐ目を逸らした。

こちらへ掴みかかってきた相手だった。

それでも、痛がっている姿を見て、何も感じないわけではない。

桐生さんの方を見る。

次の話を待つ顔だった。


「俺が下がるの、遅かったですか」


小さく聞くと、桐生さんが俺へ顔を向けた。


「下がった。そこから手を出さなかった。それでいい」


褒められたつもりになるには、部屋の床へ人が多すぎた。

俺は返事を短くした。

神代さんは、会話の途中から、誰がどこへ動いたかも見ていたのだろう。

相手の人の状態を、何度か確かめる。

強い人が一人いれば、話が早い。

そう見えることもある。

早くなった分、あとで確認しなくてはいけないことが増えるのも、今は見えていた。


名前だけを聞いて、帰るわけではなかった。

神代さんは、杯の画像と、記録されている品の形を照らした。

上役が奥から持ってきた紙には、競りの日付と、落札者の番号がある。

番号に対応する名前も、別の記録に残っていた。


「ここを写します」


神代さんが、範囲を指で示す。

上役は、ほかの部分を紙で覆った。

全部見せる気はない。

神代さんも、覆われた紙を引き剥がさなかった。

今回の品の行を、写す。

別の端末へ連絡し、住所と合わせる。


俺は、代金の欄を見た。

桁を数えた。

もう一度、数えた。

輪郭の絵しか見ていない杯へ、そんな値段がついている。

学校の帰りに飲み物を選ぶのとは、違う世界だった。


「落札者は、外側の物だと説明を受けていますか」


神代さんが尋ねた。


「それを言わずに、その値段で買うかよ」


上役が返した。

来歴についても、紹介があったという。

ただ、その説明がどこまで本当なのかは、ここでは決まらない。


「正規の持ち出しだった、という資料は」


上役の顔が、また苦くなった。


「そういう物が、普通の店に並ぶと思うか」


俺は、最初に見た会社の札を思い出した。

普通の名前が出ていた。

普通の建物に入っていた。

中で扱う物まで、普通だとは限らない。


「では、正規の経路を確認できていないことも、記録しておきます」


神代さんはそう言った。

上役は、否定しなかった。

できなかったのか、しなかったのか。

俺には、そこまで分からない。


***


記録を写す途中、上役が紙を一枚引いた。


「その欄は、今回と関係ない」


神代さんは手を止めた。

引かれた紙を、無理に戻さない。


「今回の品の受け渡しを確認する項目は、こちらです。先ほどの日付と、この番号がつながる部分をお願いします」


上役は、机の紙を見直した。

二つの番号へ、指を置く。

そこは同じ品の記録だった。

その周りには、違う品の行もある。

俺には、どこからどこまでが必要なのか、すぐには分からなかった。


桐生さんなら、全部見せろと言いそうだと思った。

桐生さんは、黙っていた。

神代さんが、写す範囲を確かめている。

役割を渡しているのか、単に紙の仕事が嫌なのか。

たぶん、両方が少しずつある。


「物の説明は、どこから受けましたか」


神代さんが聞いた。

上役は、持ち込んだ人から、と答えた。


「そちらで、資料と合わせて確かめていますか」


「売るだけなら、見せる説明がある」


売るだけ。

俺は、昨日までの確認を思い出した。

触っていいか。

運んでいいか。

そういう話が、ここでは値段の横へ置かれていなかった。

買った人が何かを起こすかもしれなくても、売れたら仕事は終わる。

そんなふうに、上役の言葉が聞こえた。


神代さんは、品の説明を記録へ添えた。

それが本当かどうかは、別に確認する。

俺たちのノートには、売れた、の次の行がまだ必要だった。


帰るとき、神代さんは倒れた男たちの状態を確認した。

自分で起き上がれるか。

頭を打っていないか。

強く痛むところはないか。

相手は、不機嫌そうに答えた。

桐生さんは、扉の前で待っていた。


「もう来るなよ」


上役が言った。

桐生さんは、そちらへ目を向ける。


「次の荷物、考えて入れろ」


上役の口が動いたが、声にはならなかった。

神代さんが俺たちを先へ促す。

階段へ出ると、部屋の中より空気が冷たかった。

俺は、手すりへ触れる前に一度、手を見た。

誰かに殴られたわけでもないのに、指が固い。


「怪我は」


神代さんに聞かれ、俺は首を振った。


「ないです。椅子は避けました」


「そこも、戻ったら書こう」


また記録だ。

うんざりしかけてから、あの部屋で、相手も違う話をするかもしれないと思った。

誰が最初に触ったか。

誰が、どの位置にいたか。

書かなければ、桐生さんの拳だけが残る。


神代さんは、階段の踊り場で、桐生さんへ言った。


「呼べ、だけで済ませず、私へ戻してほしかった」


桐生さんは、下の階を見る。


「向こうから来た」


「その場で下がれなかったことと、そこへ行くまでの話し方は、分けて確認しよう」


神代さんの声は、俺を叱るときと同じように落ち着いていた。

桐生さんだけが、強いから何も言われないわけではない。

桐生さんは返事を短くして、階段を下りた。

納得したのか、先へ延ばしたのか、分からなかった。


俺は、鞄のひもを確かめた。

掴まれそうになった場所には、何も残っていない。

そうなったこと自体は、残す。

桐生さんに助けられたことと、最初から全部うまくいったことも、別だ。

一緒に歩く人の話を、格好よく一つにまとめなくていいらしい。


建物の外へ出ると、日が低くなっていた。

一階の閉まった店の前を、自転車が通る。

階上で何があったか、乗っている人は知らない。

俺は、ノートをしまう前に、一行だけ読み直した。


『異界遺物』

『欲宮蔵満』


質問を先へ延ばした言葉と、新しく確かめる相手の名前。

今日は、それが手元に増えた。

桐生さんは、先に坂の下へ歩いていた。

俺は神代さんと並び、少し遅れて続いた。


拳で話が通ったように見えた。

でも、最後に行き先を確かめたのは、紙の中の番号だった。

どうやら、どちらか一つだけで済む仕事ではなかったらしい。


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